つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

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それからあとは、人間的に会議もやる。社長がいわば親分のようなものだから、招集をかけられれば各社のキツネが集まってさまざまな議題をもとにああでもないこうでもないとやるわけだ。私とシロは社長の側近のようなものだから、会議をやるとなると少々忙しくなる。見世などかまってられないから、それは他の人間に任せてある。
まず会議場を押さえなくてはならないし、人数分の飲み物、昼をまたぐ日には仕出しも用意しなくてはならない。資料も作って必要なら事前調査などもするし、何かと手間がかかるのだ。

実は今日もその準備に追われている。カフェにノートパソコンを持ち込み、さして美味くもないコーヒーをかたわらに置いてな。「今回は親睦会も兼ねたい」との社長のくだらないお達しがあったために、西麻布にあるプール付きのダイニングバーを貸切で押さえた。社長がそろそろこのあたりで飲食店をやりたいなどと言い出し、その視察もかねたかったそうだ。
先月愛人の人間をママに据えて、銀座に少々狭いがラウンジをオープンさせたばかりなのに、社長の野心はとどまることを知らない。あの神社に商売繁盛を拝みにくる人間よりよほどやり手だし守銭奴である。

……私が拾われたのは明治から大正へ移り変わる頃だ。
しかし時代は大きく変わり、私たちも人間と同じように変わっていった。性分というのは変わらないが、キツネとて金を稼がなくては食っていけない。
着物を着て下駄をはいていたのに、今はすっかり洋装で、夏ともなれば涼しげなデッキシューズをはいている。その姿でパソコンを持ちこのカフェに入り窓際で作業をするサマは、もはや明治生まれの半妖には到底見えまい。
もちろん、となりでズルズルと甘ったるいカプチーノを吸い上げ、ちんたらと作業をするシロも。シロは昔より今の方が目立たなくなってきた。なんせ銀髪に真っ青な瞳をしている。たっぱもあり、平均的な日本人の背丈をゆうに上回るのだ。だから明治大正昭和、そして平成の初めごろにこの姿は、街行く人々の視線を独占しやすかった。

しかし今やあのときほど見られることはない。若者に奇抜なのが増え、栄養状態も良くなったおかげで、身体の大きいものがそれほど珍しくなくなってきた。また昨今は外国人観光客も多いから、繁華街に出ればすっかりその景色の一部と化してしまう。


ー「シロ」

「もう寝てえ……俺おとといの夜から寝てねえんだよ」

シロが涙目でとうとう突っ伏した。

「私もです。さっさと終えて早く寝ましょう。今夜は店番もないし」

「うぅ……サノちゃんに会いたいよぅ」

「ですから早く」

「鬼め」

「社長に言ってください」

「あれはヒトの形をしたタヌキなり」

「キツネです」

文句を垂れながら、涼しい店内でうつらうつらとなりつつ、どうにか今日やる分を済ませた。ほとんど私がだ。

午後三時。まだかんかん照りの中、私たちは店前で別れた。
私はこのあとにまだ寄るところが一軒残っていて、それが終われば解放される。私とて寝ていない。だがシロほど年寄りじゃないからやれるのだ。しかしシロはサノさんに会いに行けるとなった途端、元気になった。サノさんはシロの大事な恋人だ。十年目に突入してもなお仲むつまじくいられるのは、あまり会える時間がないのと、サノさんへの愛が深いためだと言っていた。

サノさんはキツネじゃないがヒトでもない。だいぶ前にヒトとして死んだが、つい最近資格を取って地獄の使者のもとで働けるようになった。地獄の使者………人間には、死神や悪霊と呼ばれて親しまれているものもある。それらのてっぺんがかの冥界の王だが、その下にもいろいろな役割を持った役人のようなものが控えている。

しかしサノさんは獄属……人間でいうなら軍属とでもいうのか、軍隊に従事するが軍人にあらず、軍事以外の仕事をする民間人のようなものだ。だが多少は危険も伴うので、女性の死者にはあまり人気のない職種のようだ。サノさんは死後に死者用の医療と福祉を学び、五年前に獄属の資格を取得して"地獄のソーシャルワーカー"として働いている。聞こえは物騒かもしれないが、地獄の役人と共に人間の世界へ降りてきて、さまよえる死者を諭しみちびく、不良にとっての夜回り先生のようなものだ。

赤坂見附から地下鉄に乗りこみ、新宿で下車する。ここまで来るのにキツネを二人ばかり見かけた。都市部の混雑した場所に行けば数人は必ず遭遇するが、それも明治の頃からどんどん減っていった。都会は人間の世界なのだから、当然といえば当然だが。


ー「暑いのう」

ほとんど無意味だが、扇子を扇ぎながら横断歩道をわたる。カッと突き刺さる陽射しに、むしむししたアスファルト。打ち合わせ場所は、世界中のビールを専門に扱っている昼間から薄暗いダイニングバー………のわきのエレベーターに乗りこみ、四階に上がったところにある。

「こんにちは」

「……いらっしゃいませ」

店の女がなじみのクロにうすく微笑む。女は人間なのにキツネのクロよりも人見知りだ。トビラを開けると、部屋にはいつもの顔ぶれがちらほら、それから最近多い西洋人が数人。
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