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穴に棒
しおりを挟む『僕たちはおんなじように、家族とか恋人に恵まれた幸せな人を、心のどこかでずっと憎んでる』
駅の改札前での、サラの言葉だ。
ー『そんなふたりが一緒にいたって、僕たちが欲するものはぜったいに手に入らない。それどころか少しずつ欲しいものから遠ざかっていく』
今日からまた島内に点在する牧場での手伝いを任され、早朝から社用車のバンで山道を走りながら、ハルヒコは天音やサラのことを考えていた。考えようと思ったから考えてるのではなく、ひとりで過ごしているとこうして勝手に浮かんでくるのだ。
天音の過去に触れたことで、いつもどこかしまりのないイメージしか無かった三国啓吾に対する視点が、ほんの少しだけ変化した。教師としては暑苦しいところが好きではないが、教師としてはいまどき珍しい覇気のある熱血な男だ。
天音はつかの間の幸せを得、非情なクラスメイトらによって奪われ、やがて新たな幸せを手にして、夏を前にしてまた失った。人間とはせわしない生き物である。だがそういう人間は、これからいくらでも幸せを手にするのだと思う。
なぜなら彼らにとっては、幸せを手にしている状態こそが平常であり、当然のことだと思い込んでいるからだ。特に天音は、人から裏切られ絶望と共に幸福を奪われたにもかかわらず、また三国という男と関係を築き、青春をやり直す強さを有しているから、きっとすぐに別の幸せにありつくであろう。
自分たちはそういう人間を憎んでいる。改札前でサラが言ったのは、人より恵まれた人間などではなく、幸せに飛び込むことを恐れない天音のような人間に向けられた言葉なのかもしれない。
ー『君は手グセのように僕を抱きしめるけど、それはただの依存だ。抱きしめられる僕も依存してるだけ。だからもう終わり。君がどんな変人だろうと、やっぱり普通の幸せを望んでる』
依存心と愛情の線引きなどわからない。なぜなら自分はどちらも抱いたことがないからだ。サラに触れるのは、彼がこの体温を求めるからである。
そうでなければ、抱きしめてやったりなどしなかった。だが毎晩あのように触れ合っていれば、触れることに対してわざわざ意識などしなくなるものだ。つまり依存ではなく、ただの無意識である。
普通の幸せとはいったい何であろう。自分も、天音とおんなじ幸せを望んでいるということだろうか。
ー「おやハルくん、久しぶりだね」
事務所に着くと管理人の有馬に出迎えられた。笑一の父親の代からここでの仕事を任されており、酪農に関する知識は笑一よりもずっと豊富である。職人気質に口数は少ないが物腰の低い男であった。
「ようおっちゃん、元気にしてたか」
「ああ。学校生活はどうだい?」
「まあまあだ」
「そうか」
「なあ、馬、借りてていいか?」
「いいよ。あの子もハルくんのこと待ってたんだから」
ハルヒコがこの島を出る前に、社用車の次に多く乗っていたもの。それはスケボーではなく、この牧場で飼育されている一頭の馬であった。
さっそく裏手にある柵に回ると、ハルヒコは厩舎に向けて指笛を鳴らした。すると「彼」は眠っていたのかやや間を置いたが、しばらくすると寝床からそっと顔をのぞかせた。
「おおい、帰ったぞ」
互いに、数ヶ月ぶりの友人の姿を喜ぶ気持ちが伝わってくる。ハルヒコは首にかけていた新しいウエスタンハットをかぶりなおし、柵をまたいで歩み寄っていった。彼もまた、のそりのそりとハルヒコに近づいてくる。
「アル、久しぶりだな」
身をかがめると鼻筋に顔を寄せ、ひたいをぴたりとくっつけあった。「アルマゲドン」は10年前にこの島で生まれた、中央ヨーロッパを原産地とするハフリンガーで、あわく透き通るようなたてがみと輝く栗毛に覆われた美しい馬である。
カウボーイが乗るようなクォーターホースと違い、ポニーなので体高は低いが、小さくてもがっしりとした体躯をしており人や物を運搬するのに適している。この種の特徴でもあるがおだやかで気立ての良い性質をしており、乗馬体験でやって来た子供たちにもよくなつくので、この牧場のマスコットとして暮らしていた。名付け親は有馬だ。
乗馬体験のない日は、アルマゲドンはハルヒコの相棒として移動や物資の運搬を担っていた。もちろん車の方が断然早いのだが、ハルヒコは彼とのんびり島を練り歩くのが好きであった。
足止めを食らいたくないので観光客に見つかりづらいところを選んで歩くが、道路沿いを歩くとわざわざ路肩に車を停めて寄ってくる者もある。その際に「これに乗りたいなら山に来い」と言い残しておけば、客はだいたいそのあとで勝手に場所を調べて牧場を訪れるので、彼を伴れて歩くことはある意味ではチンドン屋的な宣伝の効果も出ていた。
カポカポとひづめを鳴らしながら、アルマゲドン号は久々に相棒を乗せ、いつもよりもさらに機嫌が良さそうに山道を闊歩した。
今日の仕事はバイク便のような事務所から事務所への物資の運搬と、必要とあれば引っ越し屋のような現場での力仕事の手伝いである。笑美がバイクの免許を取得したのは家業のためというのが大きいが、ハルヒコはやはり馬でのんびりと移動するのが好きだった。
急ぎの用事などはあまり起こらないし、「急げよ」が口癖の笑一に急かされてもこのペースは崩さない。もしもアルマゲドンが西部劇で使われるような馬なら荒々しく山道を走らせてみたいが、乗馬初心者向けのおとなしいポニーではそんなことをさせる気にはならないのだ。だが、気分はカウボーイそのものである。
「あとでお前に俺の仲間を紹介してやるからな」
ブルル、と返事のように鼻を鳴らす。
「ユーレイと巨人とイグアナだ。いけ好かない奴らだが、お前のことは気に入ると思う」
たてがみと同じ色をしたしっぽの毛先を揺らし、重い荷物と人間を積んでいるのに軽快な足取りである。このままアルマゲドンとともに帰港し、寮の裏庭に馬小屋を建て毎日共に過ごせるのなら、どんなにか楽しいだろう。
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