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しおりを挟むー「……う~ん……ん?……あれ……?」
アラームよりもずっと早く目覚めると、耳の中で聞いたことのない古めかしい歌謡曲が流れていた。イヤホンをさしたままラジオをつけっぱなしで眠り、そのせいでいつも少し早めに目覚めてしまういつもの木曜の朝だ。だが今朝はもっと早い。スマホの液晶を見るとまだ4時台であった。ラジオをつけたままでも定刻までは目覚めないほど深く眠るのに、今朝はなぜこんなに早く目覚めたのか。それはこの「不快な冷たさ」のせいであった。
「……信じらんない……またやってる……」
思わず声に出して愕然とする。サラと部屋を交換した翌朝と同じことが、またしてもこの身に起こったのだ。だが2回目ということもあり処理は迅速だった。秋山が起きぬようにそっとベッドを抜け出すと、天音はその場で下着を脱ぎ、新しいものに履き替えた。そして汚れた短パンと下着をシーツでくるみ、盗みを終えた空き巣のように静かに部屋を出ていった。
しかし明け方のランドリーには先客があった。それもよく知った3人だ。重苦しい空気に引き返したくなったが、天音は「おはよう」とだけ言って、持っていたものを洗濯機にブチ込むと、時短コースに設定して何も言わずにさっさと部屋から出ようとした。
「待て待て待て!どうしたイグアナく~ん、ずいぶんよそよそしいじゃないか」
ハルヒコが天音のTシャツを引っぱって引き止める。
「朝から洗濯するってこたぁ、お前も俺たちの仲間なんだろお~?」
「くっ……」
苦い顔でサラと大吾郎に目をやると、ふたりも気まずそうにうつむいていた。
「そう恥ずかしがるなや。俺とサラなんかおんなじ洗濯機で洗ってんだ。サラの大事なクマちゃん抱き枕もこん中でぐるんぐるん回ってやがる。なんせ起きたらふたりして、寝小便かというほど"お漏らし"してたんだからな」
「……でも本当におねしょの方じゃなくてよかったね」
サラがぼそりと言うと、大吾郎が向けた表情でそのセリフが何となく恥ずかしいと気がついたのか、とうとう耳まで赤くしていたたまれなさそうに顔をそむけた。すると大吾郎がフォローのつもりなのか、「俺なんか耀介にバレたんだぞ」と言った。
「ゴローも……その……」
「うん。初めてだったから、起きてからしばらくどうしようって呆然としてたんだ。そしたら耀介が急に便所とかいって、こんなときに限って変な時間に起きだして、それで……」
「隠しきれなかったのか」
「というより、なんか焦りすぎてて、ほとんど自分からバラしたんだけど」
「そしたら?」
「俺もしたことあるわって言われて、今のうちに洗濯してこいって、大人な対応をされた」
「そう……」
なぜ4人同時にこんなことになっているのかと、不思議に思いながらも天音はとにかく恥ずかしくて苦い気持ちでいっぱいだった。それもよりによって「この4人」だ。ここにいるのが耀介や高鷹や珠希なら、ここまで気まずくはならない。なんなら珠希は「また汚れちゃった~」と言って、恥ずかしげもなくしょっちゅう寝具を洗っている。彼の場合は夢精ではないのだが。
なぜ4人同時なのかはわからないが、4人とも各々の「原因」はわかっている。ただの生理として夢精したのではない。今までに見たことのない強烈な淫夢を見たせいだ。詳しいことはほとんど覚えていないのだが、薄暗く殺風景な小屋の狭いベッドの上で、何の気兼ねもなく欲望に身を任せ、本能をむき出しにした性交に耽っていた。
相手はわからないが、ものすごく身近な人物であったような気がする。天音はそれが啓吾かとも思ったが、あの感覚は彼とは違うものだった。それに彼とのセックスで快楽は得ても、さっきの夢のように「中だけ」で絶頂に達することはほとんどない。つまりペニスで突かれるだけでは、あのように脳が溶けそうなほどの深い快楽には至らないのだ。夢の中で、腹の奥深くに得た快感はすさまじいものだった。だからこのように眠りながらにして射精したのだ。
そしてサラには、生まれて初めての快楽であった。これまでの彼がセックスで得たものは、ただひたすらの苦痛と、虫酸の走るような嫌悪と、汚されるだけの虚しさであり、彼にとってのセックスとは、地獄のような時間に耐えるものでしかなかった。だが現実が地獄というのならば、先の夢において、小屋の中での時間はまさしく天国のようであった。知らない男の肉体によって味わったことのない快楽に溺れ、何よりもその男が真摯に自分を愛してくれているらしいことが、心から嬉しかった。
そしてあれほどに人を愛おしいと思えたのも初めてであり、今まで抱いたことのない感情であった。天音に抱く親友としての愛しさとは違う。肉体を介して脳の奥深くでそのまっさらな感情が極まり、耐えきれずに小さく破裂したようであった。その衝撃で目覚めたら、すさまじい脱力感とともに、ひんやりとしたシーツと抱き枕によって瞬時に「何が起きたのか」を察したのだ。だが同時に目に入ったのは、目の前で下着を履き替えているハルヒコの姿であった。その瞬間サラは昨日までの不調も忘れ、つい噴き出してケラケラと笑った。それは誰しもが見たことのない、彼の心底おかしそうな笑顔だった。
そしてハルヒコと大吾郎にも、その夢は現実の快楽を上回るほど、これまでの人生でもっとも刺激的なものであった。だがふたりの心にあるのは(よくわかんないけど、めちゃくちゃエロかったなあ……)という感想のみである。
ゴウンゴウンとドラムが回転する音を聞きながら、4人は同じ淫夢の中で混じり合ったことも知らず、やがて羞恥も薄れてきて、それぞれの甘い夢の記憶に浸っていた。だが、ふと大吾郎が思い出したように言った。
「そうだ、裏庭にカサ置きっぱなしだ」
「カサ?」
「昨日雨降ってたから、あの地蔵のとこにカサを置いてきたんだ」
「なんだそりゃ。笠地蔵か」
「笠地蔵?……ああ、確かに」
「なんかいいことあるかもよ」
「あるといいな。……ちょっと取ってくる」
大吾郎が出て行き、天音も「僕はアイスでも食べようかな」とあくびをしながらそれに続いた。
「……俺はもうひと眠りする。サラ、悪いが乾燥機かけといてくれ」
「わかった」
「今日はちゃんと学校に連れてくからな」
「今日は行くよ。なんか変な朝だけど、なぜかすごく気分が良いんだ」
そう言うとハルヒコがじっとサラの顔を見て、頭にポンと手を置いた。
「道理でいつもと顔つきが違うわけだ」
くしゃくしゃと頭をなで、彼もまたその場から去っていった。サラはそのとき初めて、ほんの少しだけハルヒコが微笑む横顔を見た。天音をからかうときのひねくれたニヤけ笑いではない。それはまるで、彼が人と自分のあいだに隔たせていた目に見えぬ障壁を取っ払ったかのような、ごく普通の素直な微笑みであった。彼こそ、いつもと違う顔つきをしている。
洗濯機にもたれかかり、昨夜のラジオで今日は真夏日になると言っていたことを思い出した。それならまた学校をサボって遠くへ行きたいとも思うが、あと1ヶ月も待たずして夏休みがやってくる。そうすれば好きなだけいろいろなところへ行けるのだ。今年はどんな夏の思い出を作れるだろう。ハルヒコの故郷にも行きたいし、また天音の実家で花火も見たい。仲間たちと浴衣を着て、夜祭りにも繰り出したい。海でスイカ割りをして、どこかの高台からみんなで燃えるような夕焼けを眺めたい。柄にもなく、小学生のようなワクワクした気持ちが芽生えてきた。
若い日々を無駄にしてはいけない。青春を人並みに味わえるとは思っていなかったが、なんだかんだと楽しいこの日々に出会えたことを、誰に対してかはわからぬがありがたく思っている。大人になっても青春はあるそうだが、若く美しい10代のきらめきは2度と取り戻せない。
(天音も、もう一度高校生になったのは、正解だったのかも)
年上だけどかわいい奴だ。心中でつぶやいて、ひとりで笑った。
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