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しおりを挟む芳賀に怒られたのでみんなはおとなしく各々の部屋へ戻り、池田もハルヒコに連れられて初めて彼の住まう部屋を訪れた。緊張して中に入ると、いちばん初めに目に飛び込んだサンドバッグにおののき、その真下に放置された電動ノコギリに思わず入室を踏みとどまった。
「おかえり」
「おお、起きてやがったな。客人だ」
ハルヒコのぶかぶかのTシャツをまとったサラが、回転椅子に座ってハルヒコのラジコンで遊んでいる。車が鉄アレイに引っかかったのを、ハルヒコがそっと外してやった。
「天パくんいらっしゃい」
「こ、こんにちは……おじゃまします」
「ホントに野球の練習してきたの?」
「お前のかわりに犠牲になったんだ。礼を言っとけ」
「付き合わなくていいのに。トモダチは選べば?」
「ああ……はは、そうですね」
「サラ、お前ホットケーーキ作れるか?あの星崎天音の作るみたいなふわふわのやつ」
「レシピあれば作れるよ」
「池田に作ってやってくれ。お前なら奴の材料に触っても怒られまい。作り方は自力でどうにかしろ」
「わかった」
「あ、先輩そんな……おかまいなく」
池田が慌てると、サラは何も言わずにただ微笑んで部屋から出て行った。
ー「ハルヒコくん、香月先輩と仲良いね。よくあんな命令なんか……」
サンドバッグの真横に座り、一応持ってきた勉強道具を折りたたんでいたローテーブルに広げる。ハルヒコはハナから勉強する気などないので、サラのタブレットに入っている気に入りのレースゲームのアプリを開いた。
「俺たちは結婚を前提にお付き合いをしているからな」
「は?」
「だから奴も俺には新妻のように従順なのだ。またビョーキを発症させたらどうなるかわからんが、今のところは素直だ」
「はあ……そう」
事の真相など知る由もない池田は、またハルヒコの適当な冗談だろうと思い、いつものように流した。それよりも気になるのはかたわらの電動ノコギリである。ただの工具だが、この部屋にあると何かのっぴきならぬ邪悪なオーラを放っているように感じる。
「これ、工作でもするのかい?」
おそるおそる指摘すると、ハルヒコはゲームに夢中になりながら「工作だと?」と返し、続けざまに言った。
「それはなあ、俺とサラちゃんの誓いの証だ」
「……」
「もしも俺が浮気をしたら、その電ノコで指をカットされるのだ。不義理1回につき1本ずつ。10回やったらどーなるの?って聞いたら、まだ足の指があるでしょって言われた」
「……は、話がぜんぜんわからないんだけど」
「わからなくていい。俺たちにしか分かり得ぬ領域だ」
「キミ、香月先輩に何かしたの?」
「いーやなんにも」
「不思議な同居生活だね」
「そーだろ」
画面に夢中になるハルヒコを放っておき、池田は勉強に取り掛かる。ふと気がつくと雨音がだいぶ弱まっていて、どうやら警戒も解かれ、帰りの心配はしなくてもよさそうである。30分ほどするとサラが戻ってきて、その瞬間部屋には甘く香ばしい香りが立ち込め、池田はそこでようやく空腹に気がついた。
「うわ~いい匂い」
「お待たせ」
バサバサと道具を床に置くと、目の前には皿に盛られた焼きたてのパンケーキが並べられる。ホットケーキのようだった想像とは少し違い、見たことのないふかふかとした厚みのある生地に粉砂糖とブルーベリーが振りかけられ、脇に添えられた生クリームにはシロップが網目にかかり、ミントまでちょこんと乗せられている。
「すごい!これいま作ったんですか?!」
「作り方ネットで見たんだけど、天音のみたいに上手にはふくらまなかった」
「うわあ~すごいなあ、こんなの見たことないです。美味しそ~!」
「どうぞ食べて。ハルヒコの分もあるよ」
「ん?おお、すまんな」
ひと口食べて、感動に打ち震えた顔をする池田に、サラが少しだけ嬉しそうに微笑む。池田は地味でもっさりとした垢抜けないじゃがいものような青年だが、この年頃らしい犬のような素直さと、ハルヒコに付き合える忍耐強さ、そして豪雨の呼び出しでも断れない押しの弱さに好感が持てた。
「おいサラ、雨が止むまで池田をここに置かせてくれ」
「うん」
「ついでに勉強も見てやってほしい」
「い、いえ平気ですよ、そんな……」
「なんで?いいよ別に」
「よかったな池田」
「す、すみません、休日に……」
「こいつに休日も何もあるもんか。ぐーぐー寝てばっかなんだから」
「どこを見てほしい?」
サラがぐっと池田に近寄ると、その瞬間、風呂に入ったばかりの自分よりもいい匂いがするのを感じ、つい男相手とは思えぬ妙な緊張を覚えた。
「あー……じゃあ、数学を……それ以外はほとんど暗記なんで」
「わかった」
それからしばらく、ハルヒコはゲームをやり、池田はサラに数学を見てもらっていた。問題集の解き方をひととおり教えてもらうと次に自分で解くように指示され、終わったら教えて、と言いサラはベッドに横たわった。
そして「ハルヒコ」と飼い犬のように呼ぶと、ハルヒコはどういうわけか素直に同じベッドにごそごそと入り込み、サラのとなりに寝そべってゲームの続きをやり始めた。池田は目の端に映るその光景に焦りつつどう受け止めるべきか迷ったが、今はとにかく問題を解かねばならぬと無理やり彼らへの意識を遮断した。
しかし「池田くん、終わったら起こして」とだけ言い残すと、サラはそのまま背中を向けハルヒコに抱きついて眠ってしまった。池田の頭にはとうとう大きなクエスチョンが浮かぶが、ハルヒコは足を絡め合いながらも至って冷静に「お前マジ寝はするなよ」と言っている。
ひとつ屋根の下で暮らしていると、友達同士でもこんなふうになるのだろうかと一瞬考えるが、すぐにそんなわけないと心中でかぶりを振る。たとえ兄弟や幼なじみでも、こんなふうにベタベタとくっつき合う関係にはなり得ないからだ。
30分後、どうにか問題をやり終えたものの、サラはすっかり寝息を立てている。だがハルヒコに「終わったのか?」と問われてうなずくと、「おい起きろ」とその肩を揺らした。ものすごく申し訳ない気分になるが、それよりも不安が上回った。不機嫌になっていたらどうしよう、と肩をすくめる。
しかし目覚めたサラは顔こそ眠たそうにしているが、ずるずるとベッドから這いずり出るときちんと解答を見てくれ、間違っているところとわからなかったところを丁寧に教えてくれた。いつも黒板の書写しでしかない数学の授業より、サラに教わる方がよっぽどわかりやすく、予備校の個別指導のごとくに効率的な時間であった。
範囲をあっさりやり終え寮を出る頃には、すでに夕方だったが雨はすっかり小降りになっていた。夜からは晴れるそうで、明日は1日快晴とのことだ。池田の中にはサラとハルヒコに対して複雑な気持ちも残るが、朝から地獄の特訓を受けボロボロになり、そのあとで少し苦手だったサラに嫌いな数学を教わる、というこれまでにない休日は、こうして終わってしまえば悪くない1日に思えた。むしろ雨上がりの空のように爽快な気分ですらある。
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