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第一章 Grassroots

草の根―⑪―

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P.M.7:59

「宿題が終わったねー」

 サキが背伸びをして言う。

「本当にタフでしたね……」

 アカリは欠伸を小さくして、サキに同意する。

「憎たらしい宿題が終わった後は――」

「何もしません」

 手をワキワキさせながら、近づこうとするキョウコの額を右掌で制するサキ。

「だって、サキちゃん最近ツレないじゃん!!」

 どこかのヒモか遊び人を思わせるような口調で抗議するキョウコだが、

「確かに三人でどこか遊びに行こうとか、そういうのもありませんわね……」

 アカリが同意を示している。

 キョウコはサキにかまってもらえないことがわかると、アカリに標的を変えた。

 どこか慣れたように、キョウコの抱き着きをひょいとかわすアカリを眺めながら、

「ごめんね……本当に時間が取れなくて」

 サキは申し訳がなさそうに呟く。

 確かに、河上 サキの日常は、あのカナダでの出来事より激変した。

「“ワールド・シェパード社”の契約社員にして、改正ワーキングホリデー法の合格者だもんね……」

 キョウコは腕を組みながら、しみじみと頷いている。

 本来、法律では一八歳以上であるはずが、一六歳以上から可能となった。

今年一七歳となるサキの様な年齢の男女にも対象が広がったのだ。

「“ウィッカー・マン”が全世界的に出現し始めて、その対策を打てる人材発掘のためですからね……」

 アカリがサキの部屋の中心に置かれた円卓から、教科書とノートを片付けていると、

「でも、何だって年齢を広げたんだろう?」

 キョウコは早々と手提げ鞄に自分の教材や筆箱を入れ終えていた。

 それから立ち上がりつつ、手提げ鞄を右手で突き上げる。

 どこかスラリとした腕と脚をもつキョウコに、サキはどこか艶めかしさを覚えた。

「まず、“ウィッカー・マン”自体が、自律した機械という存在という敵の出現が想定されていない。その解明が急がれているから、とは聞いているね」

 サキは自分の教科書とノートを学習机に移している。

 人間を敵視する機械自体、有史前代未聞だ。

 しかも、それに対して今のところ有効打は、国ではなく“ウィッカー・マン”と戦える企業しかない。

 国としては、そんな民間組織、様々な企業に教育機関や研究機関と共同で立ち向かうことを決めた。

 無論、違う国家とも手を組んで。

 だが、人材はない。

 日本の少子高齢化にいたっては、先進国の中でも危機的状況である。

「だから、学歴はおろか年齢も問わず、色んな教育機関や民間企業で、“ウィッカー・マン”対策に優れた人材を確保できるようにしたって……」

 よって、高校の様な中等教育に通っている学生も、政府や関係機関の試験で飛び級同然で大学への進学や、就職も容易になったのだ。

「なんか、青田買い感が物凄いよねー」

「ただ、実力重視でいて奨学金もほぼ無利子で税制も優遇、ですよね?」

 キョウコとアカリがそれぞれ話す。

「国や様々な企業の連携が、日本社会における学歴の壁――特に大卒を優遇する“新卒採用”――というのが、出来なくなったというのは大きいよね」

 サキが言って、アカリとキョウコが同意。

 特に実力主義によるフィルターは、大学と企業の関係が支配する就職市場に、国、教育機関と研究機関が入る余地を与えた。

 それにより、採用基準の客観視が可能となる。

結果として、年齢も問わず多角的に人材を採用できる土壌ができた。

「その中で“ワールド・シェパード社”の採用基準をサキが取れたのも大きいよね……」

 新卒採用や学歴の壁を超える採用基準として最も影響力を持つのが、“ウィッカー・マン”対策で注目されている、米国企業の“ワールド・シェパード社”である。

「サキちゃん、勉強してましたものね……」

 アカリがサキに向けて言う。

 その眼差しは、どこか小春日和を思わせる優しさがうかがえた。

 ただ、サキはその優しさを申し訳なく思う。

 すると、

「でも、一番大きいのは!!」

「狙うな!」

 サキは幼馴染の猛攻に、優しく額を叩くことで応戦。

 キョウコの目に映るサキの笑顔に後ろめたさはなかった。

「ということで、帰りますよ……キョウコ」

 サキから引っぺがすようにアカリがキョウコを離す。

「いつか、一緒に遊びに行こうね!」

 サキは部屋から出つつある二人の背中に話すと、

「当然!」

「もちろん!」

 その時の二人の笑顔に、サキは心の底から多幸感を覚えた。
 
※※※

 二階の勉強部屋から下りて、サキがキョウコとアカリを玄関で見送ろうとしたら、

「サキちゃん、ただいま」

 女性がちょうど玄関から入ってきた。

「マナさん、お帰りなさい」

 サキが笑顔で挨拶すると、キョウコとアカリも笑顔を返した。

 髪を一房に結び、薄紫のジャケット、シャツに雲の残滓が伺える青空を思わせるデニム。

 体型はサキ達よりはメリハリが抑えられているものの、凹凸ははっきりして引き締まっている。

女性は柔和で大人びた雰囲気であるが、化粧っ気がない。

よく見れば、していることが伺えるが、それでも自然な肌の艶が化粧を超えていた。

「ああ、キョウコちゃんとアカリちゃんも来ていたんだ」

 マナと呼ばれた女性に続いて、男性も入ってきた。

 男性の方も、マナと呼ばれた女性と同じ柔和な雰囲気を感じさせる。

 男性らしさとして、どこか鋭さの様なのもある。

 こちらは、スーツ姿であるが、背が伸びた細い陰影はどこか異国の貴公子を思わせた。

「秀夫さんもお帰りなさい。マナさんと一緒だったのですね」

「そう、帰り道でばったり会って買い物をしてきたよ」

 マナの後ろで、両手のエコバッグを見せる秀夫という男性。

「母さん、これ置いてくるね」

 秀雄の言葉に短く感謝を伝えるマナという女性。

 言葉を聞くと、マナの後ろを縫うように歩く。

 彼は靴をそそくさと脱いで、台所に入っていった。

 岡田 マナとその息子の秀雄。

 サキの住んでいる家の家人たちであり、以降世話になっていた。

「三人そろうのを見るのも久しぶりね……お勉強?」

 マナに聞かれ、答えるサキ達三人。

「はい、に恥じない婿となるための勉強です!」

 そこで何故か妙な方向へもっていこうとするのが、キョウコである。

「変なこと言わないでよ、キョウコ!」

「そんなーマナさんとヒデさんの前で誓ったの忘れたの!?」

「そんな思い出、私には一切記憶にありません!!」

 縋りつくように迫るキョウコに、サキははっきりと言う。

「でも、キョウコちゃんに任せてもらえるなら、私も安心かな?」

 マナが頬に手を当てて、安堵したように答えると、

「マナさん、乗らないでー!!」

 サキはマナさんにまで、突っ込む。

「あれ、僕はアカリちゃんがサキちゃんと添い遂げるって聞いたけど?」

 なぜか、台所から出てきた秀雄も参戦してくる。

「秀雄さん、さらにややこしくしないでー」

 秀雄さんの言葉に、アカリは呟き始める。

「私にもチャンスが来ましたわね……」

 サキは面倒となってアカリへのツッコミは無視することにした。

「なにー……なら、アカリとサキを巡って決闘を――」

「一応、日本で決闘は捕まるからね。ついでに言うと、立ち合いも許可すると場合によっては犯罪」

 サキの鋭利な指摘に、キョウコは、

「ぬおー私の愛はどうしたら、証明できるのかー」

「その感情ごと、お墓に持っていってください」

 サキはため息とともに言う。

「でも、サキちゃんと楽しくしてくれて、凄く嬉しいのよ? アカリちゃん、キョウコちゃん……ありがとうね」

 マナの感謝の言葉に、キョウコとアカリはふざけた雰囲気を潜めた笑顔を作る。

 マナ、秀雄にサキの三人も笑顔で応えた。

 秀雄は台所に戻り、買った商品を冷蔵庫に入れ始めた。

「……サキちゃん」

 少し密着させて聞いてきたのが、アカリである。

 シャンプーの香りに意識させながら、

「秀雄さん……身体の方、大丈夫?」

 アカリの目に映るサキの顔色が一瞬、色を失う。

「ごめんなさい、変なことを聞いて……」

「いや、大丈夫……もしかしたら、仕事の関係かも」

 サキは気を取り直して、アカリに話す。

「たしか、秀雄さんも“ワールド・シェパード社”に勤めていたよね?」

 キョウコが割り込む。

 そんな彼女に驚きつつサキは、

「うん……秀雄さん、“スコル”の方で新しいプロジェクトに関わっているとか……」

 ただ、秀雄の場合は正社員だ。

急遽設けられたプロジェクト“信念フェイス”との繋がりは無いはずである。

「そうだ、サキちゃん……私、ご飯の後で少し出ていくから」

「もしかして、見回りですか……? お気をつけて」

 マナの言葉に、サキは承知の意を伝えた。

「マナさん、もしかして……」

「ええ、色々なことが起きるから……」

 キョウコの顔が神妙になり、マナはため息交じりで答える。

  電脳世界の右翼と左翼が騒ぎを起こし、それから少年少女の変死事件。

 サキはロック達から伝えられた、街の異変を思い出していると、

「でも、私、これでも強いから、大丈夫よ?」

 マナは笑顔になりながら、答える。

 そんな彼女をサキは信頼していた。

 の渦中にいたサキ、その関係者の保護をしたことのある傭兵だった。

「フリーの傭兵だから、こういう時くらい、町内の役に立たないとね……それに、一人じゃないし」

 マナの言葉は、強さの証明というよりは、サキ達への心配は無用と言っているようだった。

 キョウコとアカリは、時間を確認し、足早に玄関で靴を履き替える。

 サキに明日の学校での再会を約束して、二人は去っていった。

 サキは、

「ごはん手伝いますね?」

 マナの笑顔を確認して、二人で台所へ行った。
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