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第一章 Grassroots

草の根―⑨―

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上万作あまんさく市内 午後7時04分

潮田は走っていた。

今年で16歳となる青年である。

どれくらい走ったのか分からない。

ただ、潮田の足は疲れとこびりついた汗による不快感に囚われる。

綿性の長袖シャツは、両腕から出た汗が全体に広がる。

カーキ色のパンツの膝裏にべっとり付いた汗を思い出すたびに、シャワーを浴びたくなる。

しかし、帰る場所から離れていることに胸の中で焦燥感が支配していく。

何より、も込み上げてきた。

――何だってんだよ、一体――!!

彼は“政声隊”による、“政市会”への反対デモに参加していた。

警察に守られて好き放題する“政市会”と向かい合い、色々なことを訴えた。

警察への手続きを錦の旗に、排除を訴える彼らへの横暴には腹の底から煮えくり返っていた。


彼の正義感と周囲との一体感。

彼の中の精神状態は、最高潮となっていた。

この様な感覚は、今までになかった。

そして、潮田と仲間たちの熱意が“政市会”のやる気を挫かせたのか、後姿を見せた。

排他思考を書きなぐった横断幕にプラカード。

何より、“紅き外套の守護者クリムゾン・コート・クルセイド”や“河上サキ”の画像を貼ったプラカード。

それらを下げて歩く様子を見た時の、高揚感の高さは異常だった。

仲間と共に滑稽な敵の姿に笑った。

後姿を携帯通信端末スマートフォンで撮影して、短文投稿サイトでも共有した。

“政市会”という“悪”との戦いへの勝利の味は、潮田にとってこの上なく絶品だった。

何より、2010年に起きた白光事件の時に昏睡状態に陥り、3年前に目覚めたのだ。

それからリハビリを行い、今、自由を享受していた。

しかし、今は男に追われている。

潮田は暗がりの終わりを抜けて、息を整え始めた。

――もう追ってこないだろ……。

 潮田は周囲を見渡した。

 街灯のような

 むしろ、月明かりで明るいほどだ。

 しかし、ものの姿を照らし出す。

――“船の墓場”!!

 潮田は今までの恐怖が更に吹き飛んだ。

 “白光事件”。

 上万作あまんさくの住民が退避させられた7年前の災害。

 新しい資源の実験による事故と聞いている。

 政声隊はその原因を政府にあると睨んで、その究明を訴える運動もしていた。

 その際、エネルギーの汚染か何かで、放棄された港があると言われている。

 放棄された船が多いため、“船の墓場”という名を得た。

――B.L.A.D.Eブレイド地区の近くじゃねぇか!!

 上万作市は主に三つの地域に分かれている。

 高等科学研究所と上万作あまんさく学園のある郊外の是音台。

 上万作あまんさく駅前を中心とした都市部の速谷地区。

 そして、三つめが海沿いの工業団地の“伊那口”地区――通称、B.L.A.D.E.地区である。

――チームに殺される……。

 アルファベット五文字は、伊那口を五つに分割したチームの頭文字とされている。

 Bは“バタリオン・ピース”。

 平和を訴える活動家、電脳活動家やマスメディアに生活を追われた者たちによるチーム。

 Lは“ランタン街”。

 生きづらさを感じる女性たちの集まり。

 Aは“安全地帯”。

 こちらは土木系の男たちが中心。

 Dは“ダイナマイト”で、古き良き不良たちの集まり。

 Eは、バイカーたちの集まりで“エンガルファーズ”。

――早く、抜けないと。

 そう思って、B.L.A.D.E.地区に背を向けた潮田。

 彼の全身から血の気が引いた。

 彼の目の前に男がいた。

潮田を追ってきた男である。
 
月明かりの影にいるのか、男の顔は見えない。
 
ただ、赤いマントと右手に杖を持っているのが潮田にはわかる。
 
しかし、月明かりに隆起する男の顔。

特に口は深くヘの字を深く刻み、瞋怒しんぬを表しているようだった。

男の眼と右腕は、の様な光を帯び、夜の闇を射抜いていた。

「何だよ……俺が何をしたっていうんだよ!!」

 潮田は男の眼光に思わず、叫んでしまう。

 少なくとも、追い回される覚えはない。

「というか、何もしてねぇよ……ただ、悪い奴らを追い回しただけだろ!?」

 吐き捨てた潮田の心に浮かんだのは、政市会の連中たちだった。

 口汚く移民を非難した憎悪表現ヘイトスピーチの横断幕やプラカードを持っていた奴らを追い回した。

 その中に、

 酷い言葉だから、自分は

 もしかしたら、こちらも

 自分は正しいことをしている筈なのに、どこか良心が警鐘を鳴らしている。

 頭の中から湧き出る仮定形に、潮田の頭の中はパンクしていた。

 それは感情の波となり、彼の眼から涙を溢れさせる。

 やがて、脱力感が襲い、彼の腰を地面に落とした。

 男が近づくたびに、潮田はズボンを破らん勢いの摩擦力で後退る。

 音楽の授業で習った“ドン・ジョヴァンニ”の歌劇を潮田は思い出した。

 放蕩の限りを尽くした男――ドン・ジョヴァンニ――は、ある娘を夜這いに掛けようとする。

 しかし、それは失敗し、ジョヴァンニは駆けつけた彼女の父親である騎士長を殺してしまう。

放蕩生活を止めないジョヴァンニに騎士長の石像が警告として口を開く。

尚も悔い改めないどころか、宴に来いとまで石像に挑発をするジョヴァンニ。

宴もたけなわとなったところに石像が来て、ジョヴァンニを地獄に引きずり込んだ。

潮田にとって、目の前のマントの男が“ドン・ジョヴァンニ”の石像と重なる。

歌劇は動画で見たものの、その時のドン・ジョヴァンニを地獄に落とした石像の憤怒の顔は、子供心ながら潮田にとって恐怖の対象となった。

それが、今、目の前にいる。

その事実に、潮田の腰の勢いがなくなっていく。

迫りくる恐怖に潮田の腰がすくむ。

潮田は、マントの男を凝視する。

月明かりに照らされたマントの男の右手。

それは鉄製の籠手――所謂、“ガントレット”――だった。

ガントレットに光が帯び、天の川の滲む夜色を描き出す。

しかし、潮田は見た。

光の帯びたガントレットの男の後ろ。

そこに、

歳は九歳くらいで、白いワンピースを纏っていた。

?」

 ガントレットの男は、潮田の視線が自分を向いていないことに気づいたのか、首を傾げる。

 潮田は思わず、男に向き合い、自分の驚いた顔を見る。

 自分の顔を見て、思い出した話がある。

 “この街には三人の少女の幽霊がいる。”

 赤は生。

 白は希望。

 青緑は死。

 その幽霊が見える者の未来を表しているという。

 そして、が潮田の前に突如として現れた。

 腰を抜かした潮田を覆う影。

 それが、ガントレットの男に食らいついた。

 影は人型を作り、両腕を振り回す。

 ガントレットの男の前で火花が散り、金属のかみ合う音が夜の静寂を裂いた。

 ガントレットの男の興味は、自分ではなく、影の人型に向いていた。

――今のうちに。

 白い少女のにあやかり、潮田は四つん這いで距離を離す。

 だが、彼はその先を進めなかった。
 
何かに鼻をぶつけてしまい、上を見上げる。
 
すると、潮田の目の前には細長い人影があった。
 
ガントレットの男は月を背にしていたが、細長い影は月に照らされている。
 
月に照らされたのは、細面の男。
 
目が細く、口角が上がっている。
 
ガントレットの男が怒りなら、こちらの細面は楽。
 
そんな顔の面をしているかのように、貼り付けられた笑顔だった。
 
笑顔に釣られて、潮田は頬を緩める。
 
しかし、それが
 
楽を表す面のような男。

 その背後にいたのは、少女。
 
先ほどの白い少女と同じ背格好である。
 
しかし、今回の彼女のまとっていた服は、未来ではなくを告げていた。

「……そんな」

 潮田の目の前の少女――彼女のワンピースはだった。

 声が出なくなった潮田の耳に、大きな物音が響く。

 物音の出所を見てみると、船の墓場を構成する船。

 その船体に

 大きさは分である。

 その向かいにいるのは、ガントレットの男。

 彼は潮田の視線に気づくと、右手を上げた。

 青白い燐光が宿るガントレット。

 潮田の身体から汗のへばりつく感覚はもはやなかった。

 ただ、

船の墓場の景色まで青白く染まる中、潮田は青緑の少女と目が合う。

彼女の目に映る潮田。

彼は青白い炎に包まれていた。

青緑の少女に見送られながら、潮田は思った。

――パセリ、セージ、ローズマリーにタイム?

 その匂いを手向けに、潮田は、不快感はおろか
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