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第72話 恐慌

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「おたくが何者か聞いても良いかな…?」

 包帯男に対して質問するも、相手はファイティングポーズを構えて無言のままだ。ローズが手放して地面に落ちた松明の明かりがえらく限定的な光源となり、包帯男の半身を影に隠す。

 その中でかすかに見えたのが、包帯男の全身を覆う包帯に何やらびっしりと文字だか紋様だかが描かれていた事だ。あの包帯は多分、怪我とかではなく呪符の類なのだろう。何か魔術的な強化をされていると思って対応した方が良さそうだな……。

「俺には(聖剣の力で)全ての言語とコミュニケーションを取れる力がある。言葉が分からない振りは通用しないぞ? その上で返答が無いなら敵と見做す…」

 それにいつ通路の奥からゴブリンの増援が来るかも分からないのだ。その辺の雑魚ゴブリンならまだしも、リーダー格が出てきたら動けないフィンとローズでは太刀打ち出来まい。早急に包帯男に対処する必要がある。
 
 包帯男こいつが敵なのは確定として、ゴブリンの関係者なのか、任務を競合する冒険者なのか、はたまた俺達の誰かを狙った暗殺者なのか? 何も分からずに殺されてたまるか。

「黙って死ね…」

 包帯男がそれだけ言って間合いを詰める。言葉はこの世界の標準語だが、微妙にオーガ訛りがある。ベルモの村で聞き慣れているので間違いはない。包帯男こいつ鬼族オーガなのか…?

 接近と同時に繰り出された前蹴りを盾代わりの小剣で受ける… 直前で蹴りの軌道が変わった。奴の放った蹴りは柔軟な足首の動きにより横からの蹴りに変化したのだ。

「痛っ!?」

 俺の左手に痛みが走り、手にしていた小剣を弾き飛ばされた。敵の攻撃に対しての聖剣バリアの展開は確認している。バリアが機能しているにも関わらず、奴の蹴りはそれを貫通して俺にダメージを与えてきた。

 いつぞやのワイバーンの酸ブレスの時と同様に、俺の聖剣バリアを貫通する属性が複数あるとでも言うのだろうか? そんな物があるのならすぐにでも対処しないと、これまでの様な無敵ごっこが出来なくなる。それは困る……。

 考えている暇はない。間髪入れずに敵の第二撃が来る。俺を蹴った足で更に一歩踏み込み、左手を振りかぶって貫手ぬきてを繰り出してくる。咄嗟に右手の手斧で受けようとするも、奴の左手は先程の様な蛇の如き鮮やかな動きで俺の防御を回避、鎧の上からではあるが、確実に俺の心臓の位置に打撃を加えてきた。

「くっ!!」

 またしても焼ける様な鋭い痛み。バリアや防具を無理やり貫いて届いたダメージではない。何か本当に『バリア貫通』属性による攻撃だ。この技の正体を掴まないとこのままではジリ貧になって殺されてしまう。

『殺される、だと…?』

 この俺が…? 聖剣のお陰で無敵になったはずの俺が、こんなランク1レベルの仕事で『殺される』だと…?

 俺の頭に一気に恐怖の念が湧き出してくる。狭い通路で聖剣は使えず、ゴブリンから奪った武器は全て弾き飛ばされた。今の俺は丸腰だ。どうやって戦う…?

 俺の本能は「逃げろ」と警告している。しかしどこへ逃げろというのか? 入口側には包帯男が陣取り、洞窟の奥はゴブリン達の巣、逃げ場などどこにも無い。

 そして敵は俺に考える時間を与えてはくれない。今度は左手を出してきた時に引いていた右手の貫手が来る。しかも狙いは寸分違わず俺の心臓だ。

 防御も回避も間に合わない。そもそも聖剣の攻撃力や体力上昇、そしてバリアに甘えて戦いの鍛錬をほとんどしてこなかった事が災いして、俺の体捌きは未だ素人レベルだ。
 くそっ、こんな事なら慢心せずにクロニアに稽古をつけてもらうべきだった……。

『避けきれない』と観念して腕で形だけの防御姿勢を取る。
 衝撃が来る、と思った瞬間、俺の前に影が現れる。包帯男の攻撃は俺ではなく、その影を貫いた。

「ローズぅーっ!!」

 気絶したと思われていたフィンの悲痛な叫びが洞窟に木霊する。そう、俺の前に現れたのはローズだった。ローズが身を挺して俺を庇ってくれたのだ。しかしなぜ…? 俺と彼らは数時間前に初めて会って、彼らの護衛的な立ち位置で一党パーティに加入しただけだ。

 雑談以上の会話はしていない。親愛度的な物が上がるイベントは無かったはずだ。それなのになぜ命を懸けて俺を守る… そうか! 包帯男にフィンが攻撃された時に連鎖でローズは俺と『接触』していたんだ……。

 俺に魅了されて、身を捨てて盾になってくれたローズは正面から心臓を刺し貫かれ、背中からの出血が彼女の法衣を赤黒く染める。体がピクピクと痙攣しているが、一目で即死と判断出来る。意識的な行動ではあるまい。

 ローズが守ってくれたが、それとて一度きりだ。次の攻撃への備えがまるで出来ていない。こんな時どうすれば良いのか、普段なら聖剣の知恵の閃きがあっても良さそうなものだが、今回は何のアイデアも閃かない。
 それどころか「死」への恐怖で頭の中が真っ白になり、何も考えられない。

 俺はもともとただの高校生だ。根暗の苛められっ子だ。俺の頭の中ではイジメっこ達に抵抗できなくて、されるがままに殴る蹴るの暴行を受けている俺自身の姿がフラッシュバックしている。

 そんなはずは無い… 俺はこの世界では無敵で誰にも負けずに、女も誰でもよりどりみどりだったはずじゃないのか?! おい女神、話が違うぞ! こんな所で死ぬのは嫌だ!!

 恐怖に支配された俺は咄嗟に落ちている松明を拾って、意味の無い雄叫びを上げながら包帯男とは逆の方向、つまりゴブリンの巣の奥に突進した。
 いや違う… 正直に言おう、死にたくない一心で『逃げ出した』んだ。フィン&ローズなかまを見捨てて……。

 奥からゴブリンの増援も来るだろう、その規模も種類も分からない。それでもこの包帯男よりは対処が楽なはずだ。フィン達の事も心配だが、まずは俺自身が生き残らないと、ローズはともかくフィンを助ける事もままならない。

 通路の奥に起死回生の手段、あるいは逃げ出す出口があると信じて、俺はパニック状態のまま暗い通路を1人ひた走った……。
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