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「凛風ー……? いる?」
 指定の場所へとやってきた春鈴はきょろきょろと辺りを見まわしながら木の根元まで進んでいく。
 あの時は月明かりが辺りを明るく照らしていたが、今日は曇っていて辺りは暗闇に包まれている。
「春鈴……」
 少しの不安を感じ始めた頃、どこからともなく凛風の弱々しい声が聞こえてきた。
「――え、凛風⁉︎ 大丈夫⁉︎」
(あいつ……本当にこんな所に女の子放置したの……? 犯罪、だよね……?)
 持ってきた角灯で足元を照らしながら、声が聞こえてきたほうへと歩き出す春鈴。
「凛風怪我とか平気? 喋るのしんどかったら音立てるだけでも大丈夫だよ?」
「春鈴……」
「……? ……お腹空いてない?」
 聞こえてくる凛風の声に、少しの違和感を覚えた春鈴は、首を傾げながら質問を重ねた。
「春鈴……」
「――……さっきそこの木に生ってたマーラーカオ取ってきたんだけど、凛風食べる?」
「春鈴……」
 ありえないことを言った春鈴に対しての答えも、今までとなにも変わらない口調の凛風。
「…………」
「春鈴……」
 今度は無言を貫いた春鈴だったが、やはり凛風からの反応に違いは見られなかった。
(これどう考えたって偽物だよなぁ……ここに凛風がいないら帰ってもいいかな? 明日早いし……)
 そう考えた春鈴が足を止め、きびすを返そうとした時だった――
「捕まえて!」
という、魅音の鋭い声が聞こえて、あたりからガサガサという足音が近づいてきた。
 それらを認識した瞬間、春鈴の口元は押さえつけられ、身体を押さえつけられていた。
 ほとんど無意識のうちに身体をよじったり、大声を上げてやろうとした春鈴だったが、大きく息を吸い込んだその瞬間――。
 春鈴は自分の失敗を悟ったのだった。
甘い匂い……と頭の片隅で感じた瞬間、くらり……と目眩がし、それからは大した抵抗もできないまま春鈴は意識を手放した。
 

 
 バチッ! バシンッ! と耳元で破裂音が聞こえ、頬への衝撃とピリリ……とする痛みを覚えて、春鈴はようやく意識を覚醒させた。
「――やっと起きたわね? まったく手間かけさせないでほしいわ……バケモノ憑きの分際で!」
 そこまで言われてようやく、その声が魅音のものだと認識できた。
 そして自分がついさっきまで暴力を受けていたことも。
 春鈴は顔をしかめ、文句を言おうと口を開き――気が付いた。
その手足は紐で結ばれ拘束されていて、口にも布が嚙まされている。
(――だよねー……罠、ですよねー……)
 ぐるりと辺りを見回し、見たこともない部屋の中、床に無造作に転がされている状況に、大きくため息をついて肩を落とす。
 そんな春鈴の目の前まで歩いてきた魅音は、冷たい瞳で春鈴を見下しながら吐き捨てるように声をかけた
「――お前、龍族の皆様を騙しているのね?」
 言われた言葉の意味が理解ができず、思わず首をひねった春鈴に、魅音は不愉快そうに盛大に鼻を鳴らした。
「はっ! しらばっくれる気? ――まぁ、それもいいんじゃない? ――どうせ見つかる頃にはその化けの皮が剥がれているわ」
(えー……一体何の話? コイツ龍脈に当たりすぎて頭おかしくなったんじゃない……?)
「――私に逆らったことをここで後悔なさい! ――あんな気色の悪い黒龍なんかに媚び売ったのに残念だったわね? でもお前も、あの黒龍も明日の祭りで死ぬほど恥をかくの! ――いい気味っ!」
 ほの暗い微笑みを浮かべた魅音は加虐的な笑顔を浮かべながら、春鈴をいたぶるように見つめていた。
(……よく分かんないけど……私や蒼嵐が気にくわないから、明日の祭りで恥かかせてる! って話してる……?)
「――ああ、心配だろうから教えておいてあげるわね? 凛風は無事よ」
 魅音は心底楽しそうな笑顔を浮かべて春鈴に話しかけた。
(でしょうね……)
「ねぇ、凛風?」
 魅音の言葉に思わず視線を上げる春鈴。
 そんな春鈴の前に、周りの人間から押しだされたのか、たたらを踏むように前に出てくる凛風の姿があった。
 部屋の中にいくつか置いてあるロウソクの弱弱しい明かりでもはっきり分かるほどに、凛風の顔は青白く血の気が引いていた。
「今回の事はね? みーんな凛風が考えたのよ? あの手紙を書いたのも、あんたを呼ぶ声も、捕まえてここに閉じ込めるっていうのも、ぜーんぶ凛風が考えたの!」
 クスクスと上機嫌に笑いながら、心底楽しそうにしゃべり続ける魅音。
 言っている内容さえ聞こえなければ、イタズラが成功したことを喜ぶ少女のようだった。
「でも途中でバレちゃったから、この私が手を貸してあげたんだけど……わりとよく考えられていた作戦だったでしょ……?」
 魅音はそこまで言ってようやく、ニヤァ……と顔を歪ませた。
 そしてそのまま春鈴をいたぶるように、ゆっくりとその顔を覗き込む。
 ――しかし、春鈴はどうしてだか凛風から目が離せなかった。
「――あはっあははっ! バッカみたい! あんた傷付いてるの⁉︎ お前のようなバケモノ憑きと本気で友達になろうだなんて奴が本当にいるとでも⁉︎ ――いるわけないじゃない!」
 そう言いながら大きな声で笑いはじめる魅音。
 そんな魅音の態度に、春鈴は悔しそうに顔を歪ませた。
 そんな反応を見て満足したのか、魅音はクスクスと笑いながら部屋を出て行った。
 凛風もその後に続こうとノロノロと動き始めーー
 部屋を出る瞬間に少しだけ振り返り、凛風をジッと見つめていた春鈴と目が合った。
 気まずそうに顔を歪めグッと唇をかみしめたまま、ゆっくりと視線を外した凛風は、結局なにも言わずに部屋から出ていった。
 そしてガチャリ……と鍵の掛かる音が部屋の中に響き――……部屋の中に静寂が訪れた。
 寒さを覚えた春鈴は、ぎこちない動きで身体を起こすと、もぞもぞと動き少しでも暖かい場所へ移動しようと床に敷いてあった絨毯の上へと移動した。
 そして壁にはめ込まれている窓に目を向け、ぼーっと星空を見上げていた。

(……――だってしょうがない。 凛風言ってた。 私と仲良くしたら家族がどうなるかわかんないって……――だからしょうがない)
 しばらく経った後、春鈴は長椅子に体重をかけるように寄りかかりながら心の中で呟いた。
(友達って言ったって数週間の付き合いだし、そりゃ自分の身が可愛いに決まってる)
 まるで自分に言い聞かせるように言い募る。
(そもそも、魅音は雇い主なんだから命令されたらどうしようもないでしょ……)
 さまざまな理由を並べて、必死に自分を納得させようと努力していた。
 ――けれど……
(ーーでもなんか……今日はもういいかな……)
 諦めたように顔を伏せると、その衝撃でぽろぽろとこぼれた涙が、春鈴の胸元や膝を濡らしていく。
(――こうなっちゃったら、どうせなんにもできないでしょ……)
 自分の手首に巻きついた紐を見つめ、その紐が鮮やかな色合いの絹の組紐で――とっさにもったいない……と感じてしまった自分が、やけに情けなかった。
 そんな情けなさを言い訳に、春鈴はその顔をくしゃくしゃに歪めた。
(――……友達だって思ったのにな……)
――春鈴はその日、猿轡が嗚咽を噛み殺すことにとても適しているものなのだということを初めて学んだ。
 
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