Forbidden fruit

春蠶 市

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Eli Eli Lema Sabachthani

□Eli Eli Lema Sabachthani_04

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 すん、とナオが袖口のにおいを嗅いだ。

「最後に買ったのも」

 静かに答えたナオの顎を掴んで上を向かせる。

「同じ? さっきのとこ?」

 兄の穴が開いていると錯覚しそうになるほど濃い黒眼と自分のミントグリーンの瞳を一直線に合わせてから、ロキは問い掛けた。

「うん。一番近いのはあそこだね」

 確信を持って答えるナオ。
 ロキの脳裏に五円玉で弄ばれ続けた自動販売機が浮かぶ。
「中身、確認する?」とロキを仰ぎ見たままナオは黒のタクティカルブーツに片手を伸ばした。加工された厚い靴底に何が仕込まれているか知るロキはナオが鋭利なそれを抜き取る前に首を横に振る。

「兄様が言うならホントだろ。見るまでもねーよ」
「そう?」
「兄様の腹ん中なら見てーけど。流石に死ぬからお預け」
「ごめんね」

 微笑んだままナオはタクティカルブーツにそえていた腕を持ち上げて、ロキの頭を撫でようとする。
 撫でやすいようにロキが軽く上体を落とせばナオの右手がロキの頭に触れた。後ろで結った長い灰色の髪が重力に従って兄の頬に溢れるが、彼は瞬きすらせず同じ笑みを固定したまま弟を愛で続ける。
 ロキはそんなナオと唇をあわせようとして、ふと気付いた。ナオは左腕に女の腕を握ったまま。

「兄様。そッちは離しとけ」

 伝えてから一拍。二拍。三拍。「うん」
 四拍目に、どしゃり……と白い腕が血溜まりに落下する。
 腥い飛沫が、ナオの身に点々と跳ねた。

「兄様? なんでいますぐに手ェ離さなかッた?」

 ロキの問いにナオは首を傾げる。
 路地裏に沈澱する闇よりも深い穽の瞳をゆっくり瞬かせた。

「なあ兄様」

 ロキはナオの左手を掴んで引き寄せる。

「いま俺の言うこと、なんですぐきかなかッたの? なんで間が空いたの?」
「え? なん、で……?」
「おかしいよな? 兄様なら弟の言うことすぐにきいてくれないと。モタモタしてたら駄目だろ?」

 ロキはゆっくりとナオに言い聞かせる。
 それから兄の薬指を飾る指輪に歯を立てた。
 カチリ……と、夕焼けを閉じ込めた鮮やかな色味の鉱石を噛み鳴らす。
 緩慢にナオの真っ黒な視線が指輪へと流れ「ごめんね」と。抑揚の変化もなく平坦な口調で呟いた。
 ナオは弟ではなく噛み付かれる指輪を凝視し続ける。
 ぼんやりとした視線と兄の行動に違和感の正体を確認し、ロキは指輪から口を離した。

「あーあ、可哀想な兄様」

 強く引っ張ってナオを立たせる。
 兄の腰に片腕を回した。

「これは本格的に躾直しだな」
「本格的にって、どういう意味?」

 ロキのぼやきにようやくナオが反応する。

「兄弟の時間は大事にしねーとなッて話」

 疑問を乗せた瞳でじっと自分を見詰めてくる兄の頬を反対の手で軽く撫でて笑みを深めればつられてナオも表情を綻ばせた。
 それは何か感情を込めて返したわけではなく、反射的に動いただけの笑顔。

「最近仕事ばッかさせて兄弟の大切な時間が少なかッただろ?」
「そうだね」
「いまだッて結局お仕事になッちゃッて俺と兄様は忙しいし」

 調査の為ここ連日兄には単独で仕事をさせていた。情報整理や確認でロキも個人的に動いていたせいで必然的に兄と顔を合わせる時間は少なく――無論、それでも普通の兄弟間ではあり得ないほど二人は長い時間共にいるのだが、ロキにとっては酷く足りなかった。
 なぜならこの兄の精神状態は非常に危うい。
 元々人間として、生き物として欠陥品。ロキが指示を出さないと食事や睡眠すら放棄し、ただ呆然と静止しているお人形。
 メンテナンスを怠ると兄は『兄』から『人形』に戻ってしまう。
 そういう手間の掛かる部分すら気に入ってわざわざ島外から連れてきたのだが。

「シャブ中信者にしては嫌に拘った遊び方してやがるからもう少し見ててやッても良かッたんだけど……俺の優先順位は兄様だし」
「僕もロキが一番だよ」
「だろ? なら弟が兄様を一番に思うのも当然」
「ありがとうロキ」

 ロキは自分が作り上げたお気に入りの兄に一層密着した。
 汚い路地に沈む肉塊を一瞥し、目を細める。

「もう探らなくていい。今日でおしまい。さッき見たやつもぜーんぶ忘れろ」
「全部? ええと……」

 ナオの焦点が一瞬揺れる。
 脳髄にしまい込む何かを引っ張り出すように奇妙な間をあけ、それから突然、薄く開いた口から流暢な言葉を夜闇へと流した。
 それは人が暗記していたメモを発するというよりもラジオが音を流すような、機械が録音していた台詞を再生するようなものだった。

 抑揚なく、
 無機質で、
 無感情に、
 淡々と吐き出されるただの音。
 闇に綴られる内容は立て続けに北区で起こっている奇怪な連続無差別殺人事の情報。
 泳がせる振りをして、気にも留めない振りをして、探り当てた事細かな情報の数々。
 共通点、動機、相手の足取り、年齢や性別など……正直、血腥さを消さずに人混みに混ざるだけの殺人ド素人の特定は終了していた。
 なにより調べたとこほ犯人は元々は他区に属する狂信者だった。身元など簡単に引っ張って来れる。
 なので「犯人は」とナオが最も需要な情報を舌に乗せようとした瞬間、ロキは兄の舌先に噛み付いた。
 吐き出されるべき答えを甘く噛み潰し唾液に絡めて飲み込んで、ゆっくりと唇を離す。

「……ここまでのこと、全部忘れていいの?」
「いいの」

 ロキは唾液で濡れた兄の薄い唇を親指の腹で紅を引く手付きになぞった。

「えっと……」
「こーら。なに考えてんだ? 俺はいいって言ッたろ?」
「……言った」
「なら兄様はどうすんの?」

 ロキがゆっくりと問えば兄の表情がぼんやりとどこでもないどこかを見ながら固まった。
 ロキは冷え切ったナオの両頬を柔く包んで持ち上げ「にーいさま」と反応の鈍い兄を呼ぶ。
 至近距離で故意にロキが大きな笑顔を見せ付けてやればナオの黒い双眼が瞬いて――――

「ごめんねロキ」

 一呼吸分の間の後、ナオは台詞と噛み合わないやわらかな笑みを作った。

「全部忘れる。ロキの言うこと聞くよ」

 今度は即座に答えたナオの唇に「超良い子」とロキは一瞬だけ口付ける。
「ん」と頷いた兄の鈍い調子に眉を下げて苦笑いつつロキはナオを抱き締めた。

「これ、結構キてんなー」

 深い溜め息を吐きながらナオの背中をさするとゆっくりと持ち上がったナオの腕が同じようにロキの背中を撫でた。
 親の真似をする子供のような兄に一笑を零し、ロキは俊輔を振り返る。

「さて。シュン」
「はい」
「模倣犯は何人? 模倣犯が作ッた死体は何体? 真犯人が殺した本当の人数は何人?」

 ロキの問いに俊輔はぐっと喉を詰まらせた。

「ロキさんが……」

 ぎこちない一呼吸の後、俊輔は意を決し唇を開いた。

「俺の報告を直接見ずナオさんに投げたのは十一件なので、模倣犯が作った死体は十一体。真犯人が殺した本当の数は七人…………模倣犯の数は、分かりません……」
「よくできました」
「すみません……!」

 深く肩を落とした俊輔。
 暗闇の中で縮こまるガタイの良い体躯に、落ち込み下がる犬の耳と尻尾の幻覚が見えた。
 キュンキュンと項垂れ、自分の未熟さを反省している大型犬。
 日夜関係なく率先して見回りを強化し、模倣犯込みで事件を見つけ、逐一報告をまとめ上げる俊輔の行動は褒めはすれど叱るところなどない。
 なにより彼のお陰で模倣犯が動かなくなった。
 真犯人よりも数多く好き勝手をした模倣犯は北区の人間だろう。ゆえに俊輔が見回りを強化した姿を見て遊ぶのをやめた。
 動き続けたのは北の狂犬の恐ろしさを薬物により麻痺させられた真犯人のみ。だからこそロキは兄を使って短期間で真犯人に辿り着けたのだ。
 真犯人への一本道は俊輔が作ったのだが、それを露骨に褒めてやるほどロキは性格が良いわけではない。
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