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6. お手伝い
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勇者の仕事として与えられた計算表のまとめは、念のため三回見直ししてなんとか昼前ギリギリに提出できた。
「では、次は十日後にお願いします」
「えっ、十日後?」
宰相様からの言葉にびっくりして聞き返してしまった。どうやら私の勘違いで、次回のノルマまで終わらせてしまったらしい。どうりで大変だと思った。
「こちらの仕事は週に二、三日はお願いするつもりだったのですが、予想以上に早く仕事を進めていただいたので、このペースだと多くても週に一度でじゅうぶんですね」
本業?の頻度の少なさに戸惑いを隠せない私を尻目に、宰相様は計算表の束を抱えてテーブルから立ち上がった。
「次にお願いするまで、しばらくは清掃業務に専念してください。繰り返しますが、決して真面目に効率よくやらず、適当に手を抜きながらダラダラと雑にやってください。時間はたくさんありますしね」
相変わらず微妙な指示に、私はためらいがちに口を開いた。
「でも効率はともかく、雑だと掃除が行き届かなくて、このお部屋で仕事される際にご不快になったりしませんか?」
すると宰相様は少し考えるように、グルリと執務室を見回した。
「では、不快にならない程度に、手を抜いてください」
「はあ……」
「あまり綺麗ではなく、やり残しがあった方が、今回のように呼び出す口実を作りやすいですからね」
やり残しも何も、まだ一度もこの部屋を掃除してない。この三日ほど新人研修と称した、お掃除のやり方についての講習を受けただけだ。
あとは毎日午前中に、この執務室に呼び出されて、ギルドの歴史や仕組みについての本や資料を与えられ、黙々と読んでいた。
「この部屋には、あなたの事情の知らない人間も出入りします。あまり掃除が行き届いていると、あやしまれてしまうかもしれません」
宰相様の言葉はもっともだと思った。掃除に不慣れな新米清掃員が、こなれた仕事をやったら何者だとあやしまれる。
「それから昨日の午後ですが、あなたは罰として掃除のやり直しを命じられたことになってます。お疲れのところ申し訳ないですが、昼食前に『手際よく』汚れているところだけでも掃除していっていただけますか。午後にはこちらで会議があるので、それまでに終わらせていただけると辻褄を合わせられます」
「あ、はい。それはもちろん……」
「くれぐれもやり過ぎないように、適当でお願いします」
なんて指示だ、と心の中で再度突っ込んでから掃除用具を手に取った。
(まあ本業の仕事は少なくても、清掃員として雇われたと思えばいいんだろうけど……掃除は真面目にやるな
って言われるし、なんだかなぁ)
不真面目な振りも仕事の一旦なのだろうが、非常に複雑な気持ちだ。
執務室の掃除を『適当』に終わらせてカフェテリアへ向かうと、ちょうど昼食を終えたばかりらしい同僚の清掃員たちとすれ違った。
「あ、ヨリ。今からお昼なの?」
声をかけてくれたのは、昨日知り合ったばかりのアデラだった。わざわざ同僚の輪を外れてかけよってきたと思えば、そっと小声で問われる。
「昨日の殿下の件、大丈夫だった?」
一瞬、なんのことかと思ったが、そういえばえらい剣幕の殿下に呼び出されたんだった。
「はい、大丈夫です……もう一度、お掃除やり直ししたら許していただけました」
「え、そうなの……ひどい。殿下ってなーんか神経質なところあるよね」
「いえいえ、私のやり方が雑だったから、悪いのは私です」
アデラはまじまじと私を見つめ、それから不思議そうに眉をひそめた。
「やっぱり、あんた噂ほどひどくなさそうよね。その殊勝な心がけは立派だわ」
アデラは慰めのつもりなのか、ポンポンと肩を叩く。
「今日のデザートは、チョコレートプディングよ。カフェテリアの人気メニューだから試してみて」
「ええ……ありがとう」
持ち場へ向かうアデラの後ろ姿を見送ると、気持ちが少しだけ浮上した。
(プディングかあ……食べるのは久しぶりだな)
故郷では、町のレストランに行かないと食べれない、贅沢なデザートだ。この王宮では、カフェテリアのメニューが充実してるから、これからいろいろなデザートが楽しめるだろう。
(日替わりデザートがあるなんて、なんて贅沢なの……うれしいなあ)
こうしたささやかな楽しみが、日々の生活を充実させるものだ。甘いプディングに舌鼓を打ちながら、午後の仕事へ向けてやる気をみなぎらせる。
遅い昼食を済ませた後は、執務室の前の廊下を掃除した。宰相様の言いつけ通り、手を抜きつつダラダラと惰性で手を動かす。時折通りかかる他の清掃員たちが、私の動きを見て眉をひそめていたが、なるべく気にしないように努めた。
(これも仕事のうち……気にしない、気にしない)
やがて日が暮れはじめた夕暮れ時。掃除道具を片付けていた手を、ふと止めて耳をすませた。開いている窓からは、風に乗って、優雅な音楽が聞こえてくる。
(三拍子だから、ワルツでも踊ってるのかな)
きっと今夜は、この棟にある広間で舞踏会が催されているのだろう。華やかなパーティーにもドレスにも、まるっきり興味はないと言えば嘘になる。
(きっとおいしい料理が、たくさん出されるんだろうなあ)
食いしん坊な私は、やはり色気より食い気だ。様々な種類のケーキやプディング、果物の飴がけ、カスタードクリームにナッツの蜂蜜漬け……きっとテーブルには食べきれないほど並んでいるに違いない。
そういえば昔、母親から『貴族の娘は小鳥のように少食で、舞踏会では足が痛くても踵の高い靴で踊るものだ』と聞いたことがある。それも大変だなあ、貴族の娘に生まれなくてよかった、と母親の作った焼き菓子を頬張りながら思ったものだ。
(もし貴族に生まれ変わっても、私ならきっとあれこれ食べちゃうかもなあ。それで、後で後悔するんだわ……ああドレスがキツくなっちゃったってね)
もし自分が貴族の娘だったら、こういった舞踏会にしょっちゅう参加しては、素晴らしいデザートを好きなだけ食べて、どこぞの貴公子と踊っていただろうか。
踊ってる姿を想像したら、なぜか相手は殿下しか思い浮かばなかった。無理もない、他貴族の子息の知り合いなんていないから、想像できる高貴な身分の青年なんて殿下に限定されてしまう。
(あー、あとは宰相様か……いやそれは一番あり得ないでしょ)
でもきっと、私に相手がいなくて困ってたら、渋々でも一曲くらい付き合ってくれそうだ。
一方、殿下なら、優雅にエスコートしてくれながらも、気が向かないと踊ってくれなさそうだ。
(マイペースな人だからなあ。自分が踊りたくなれば、有無を言わせず何曲も踊らされて、もう疲れましたと言えば、なんでそんなに体力が無いんだって文句言われそう)
そんな光景を想像してクスクス笑いながら掃除道具を片付けてると、廊下の向こう側から、バタバタとあわてたような足音が近づいてきた。
「ちょっと、そこのあなた!」
駆け寄ってきたのは、こざっぱりとした簡素なドレスを身にまとった、年嵩の女性だった。額から汗をたらし、いかにも困ってる様子だけど、私の姿を頭から足先までサッとながめて少し落胆気味に口を開いた。
「その制服は清掃担当ね……でもお願い、舞踏会の片付けを手伝ってもらえないかしら?」
声をかけてきた女性はクリスティン・サージャスと名のり、普段は中央棟で働く従業員の管理を任されていると言う。
今夜は舞踏会の会場担当だそうで、予定外の客数にてんてこまいらしい。
「本当に困ってるの。うちの管轄の担当が二人も風邪で休んでいて、まったく手が足りないのよ」
なんでも中央棟の従業員の間で、たちの悪い風邪が流行っているそうだ。先週は三名倒れたと言うから恐ろしい。
「そのうち二人は回復して、今朝ようやく持ち場に戻ったのだけど、まだ本調子ではないから夜遅くまで働かせるわけにいかなくってね」
そんな説明を受けながら一緒に廊下を急いでいると、大広間に近づくにつれ先ほど耳にしたワルツの音色が大きくなっていった。
「ああクリスティン、戻ってくれてよかった! 料理の大皿が片付かないと、次の料理を運べなくて……困っちゃって」
廊下の先で待ち構えていたのは、私と同年代くらいの、小綺麗なワンピースの制服を着た女性だった。
「ノーラ、落ち着きなさいな。応援を連れてきたの……ええと、こちらは」
クリスティンさんが言い淀んだので、私は自己紹介が済んでいなかったことに気づいた。
「執務室の清掃を担当している、ヨリ・クラルテと申します」
「「えっ……」」
どうやら二人は、どこかで私に関する噂を耳にしたに違いない。少し居心地の悪い沈黙が落ちたが、クリスティンさんは気を持ち直したように、構わずテキパキと指示を出しはじめた。
「とりあえず、持ち場に着く前にそこの控え室で制服に着替えてちょうだい。ノーラ、案内してあげて」
「クリスティン、でもこの人……」
ノーラさんの反応は無理もないだろう。私の王宮内での評判は、底辺まで落ちてる……でもこの状況下では、猫の手だって借りたいはず。
(掃除は、適当に手を抜けって言われたけど、緊急時にお手伝いすることに関しては何も言われてないもの)
私だって、少しは真面目に仕事して役に立ちたい。
「ぜひ手伝わせてください。ご迷惑かけないように精一杯頑張ります!」
「……分かったわ、こっちにきて。まず着替えましょ」
ノーラさんは意を決した様子で、すぐ近くの使用人控え室へと案内してくれた。そこで手渡されたのは、彼女が着ている制服と同じ類のワンピースだった。グレーの生地にピンクの細いストライプの線が入っていて、袖が少しふんわりと膨らんでいるのが可愛らしいデザインだ。こんな時なのに、着るのがうれしくなってしまう。
「私の予備のものだから、多少サイズが合わなくても我慢して。この格好じゃないと大広間に入れないのよ」
ノーラさんは私より少し背が低かったけど、さほど体型は変わらなかったので、ワンピースはすんなり袖が通った。そして急いで準備を終えると、二人で連れ立って大広間へ向かった。
室内に足を踏み入れた途端、音と光の洪水で頭の中がかき回されそうになる。
(すっごい……めまいがしそう)
人々の談笑や、グラスを合わせる音が、ワルツの音を縫うようにあちこちで響いてる。色とりどりのドレスが蝶の群れのようで、目がチカチカしてきた。
(あ、殿下だ……!)
会場内でも一際華やかな集団の中心に、楽しそうに笑う殿下の姿があった。
「では、次は十日後にお願いします」
「えっ、十日後?」
宰相様からの言葉にびっくりして聞き返してしまった。どうやら私の勘違いで、次回のノルマまで終わらせてしまったらしい。どうりで大変だと思った。
「こちらの仕事は週に二、三日はお願いするつもりだったのですが、予想以上に早く仕事を進めていただいたので、このペースだと多くても週に一度でじゅうぶんですね」
本業?の頻度の少なさに戸惑いを隠せない私を尻目に、宰相様は計算表の束を抱えてテーブルから立ち上がった。
「次にお願いするまで、しばらくは清掃業務に専念してください。繰り返しますが、決して真面目に効率よくやらず、適当に手を抜きながらダラダラと雑にやってください。時間はたくさんありますしね」
相変わらず微妙な指示に、私はためらいがちに口を開いた。
「でも効率はともかく、雑だと掃除が行き届かなくて、このお部屋で仕事される際にご不快になったりしませんか?」
すると宰相様は少し考えるように、グルリと執務室を見回した。
「では、不快にならない程度に、手を抜いてください」
「はあ……」
「あまり綺麗ではなく、やり残しがあった方が、今回のように呼び出す口実を作りやすいですからね」
やり残しも何も、まだ一度もこの部屋を掃除してない。この三日ほど新人研修と称した、お掃除のやり方についての講習を受けただけだ。
あとは毎日午前中に、この執務室に呼び出されて、ギルドの歴史や仕組みについての本や資料を与えられ、黙々と読んでいた。
「この部屋には、あなたの事情の知らない人間も出入りします。あまり掃除が行き届いていると、あやしまれてしまうかもしれません」
宰相様の言葉はもっともだと思った。掃除に不慣れな新米清掃員が、こなれた仕事をやったら何者だとあやしまれる。
「それから昨日の午後ですが、あなたは罰として掃除のやり直しを命じられたことになってます。お疲れのところ申し訳ないですが、昼食前に『手際よく』汚れているところだけでも掃除していっていただけますか。午後にはこちらで会議があるので、それまでに終わらせていただけると辻褄を合わせられます」
「あ、はい。それはもちろん……」
「くれぐれもやり過ぎないように、適当でお願いします」
なんて指示だ、と心の中で再度突っ込んでから掃除用具を手に取った。
(まあ本業の仕事は少なくても、清掃員として雇われたと思えばいいんだろうけど……掃除は真面目にやるな
って言われるし、なんだかなぁ)
不真面目な振りも仕事の一旦なのだろうが、非常に複雑な気持ちだ。
執務室の掃除を『適当』に終わらせてカフェテリアへ向かうと、ちょうど昼食を終えたばかりらしい同僚の清掃員たちとすれ違った。
「あ、ヨリ。今からお昼なの?」
声をかけてくれたのは、昨日知り合ったばかりのアデラだった。わざわざ同僚の輪を外れてかけよってきたと思えば、そっと小声で問われる。
「昨日の殿下の件、大丈夫だった?」
一瞬、なんのことかと思ったが、そういえばえらい剣幕の殿下に呼び出されたんだった。
「はい、大丈夫です……もう一度、お掃除やり直ししたら許していただけました」
「え、そうなの……ひどい。殿下ってなーんか神経質なところあるよね」
「いえいえ、私のやり方が雑だったから、悪いのは私です」
アデラはまじまじと私を見つめ、それから不思議そうに眉をひそめた。
「やっぱり、あんた噂ほどひどくなさそうよね。その殊勝な心がけは立派だわ」
アデラは慰めのつもりなのか、ポンポンと肩を叩く。
「今日のデザートは、チョコレートプディングよ。カフェテリアの人気メニューだから試してみて」
「ええ……ありがとう」
持ち場へ向かうアデラの後ろ姿を見送ると、気持ちが少しだけ浮上した。
(プディングかあ……食べるのは久しぶりだな)
故郷では、町のレストランに行かないと食べれない、贅沢なデザートだ。この王宮では、カフェテリアのメニューが充実してるから、これからいろいろなデザートが楽しめるだろう。
(日替わりデザートがあるなんて、なんて贅沢なの……うれしいなあ)
こうしたささやかな楽しみが、日々の生活を充実させるものだ。甘いプディングに舌鼓を打ちながら、午後の仕事へ向けてやる気をみなぎらせる。
遅い昼食を済ませた後は、執務室の前の廊下を掃除した。宰相様の言いつけ通り、手を抜きつつダラダラと惰性で手を動かす。時折通りかかる他の清掃員たちが、私の動きを見て眉をひそめていたが、なるべく気にしないように努めた。
(これも仕事のうち……気にしない、気にしない)
やがて日が暮れはじめた夕暮れ時。掃除道具を片付けていた手を、ふと止めて耳をすませた。開いている窓からは、風に乗って、優雅な音楽が聞こえてくる。
(三拍子だから、ワルツでも踊ってるのかな)
きっと今夜は、この棟にある広間で舞踏会が催されているのだろう。華やかなパーティーにもドレスにも、まるっきり興味はないと言えば嘘になる。
(きっとおいしい料理が、たくさん出されるんだろうなあ)
食いしん坊な私は、やはり色気より食い気だ。様々な種類のケーキやプディング、果物の飴がけ、カスタードクリームにナッツの蜂蜜漬け……きっとテーブルには食べきれないほど並んでいるに違いない。
そういえば昔、母親から『貴族の娘は小鳥のように少食で、舞踏会では足が痛くても踵の高い靴で踊るものだ』と聞いたことがある。それも大変だなあ、貴族の娘に生まれなくてよかった、と母親の作った焼き菓子を頬張りながら思ったものだ。
(もし貴族に生まれ変わっても、私ならきっとあれこれ食べちゃうかもなあ。それで、後で後悔するんだわ……ああドレスがキツくなっちゃったってね)
もし自分が貴族の娘だったら、こういった舞踏会にしょっちゅう参加しては、素晴らしいデザートを好きなだけ食べて、どこぞの貴公子と踊っていただろうか。
踊ってる姿を想像したら、なぜか相手は殿下しか思い浮かばなかった。無理もない、他貴族の子息の知り合いなんていないから、想像できる高貴な身分の青年なんて殿下に限定されてしまう。
(あー、あとは宰相様か……いやそれは一番あり得ないでしょ)
でもきっと、私に相手がいなくて困ってたら、渋々でも一曲くらい付き合ってくれそうだ。
一方、殿下なら、優雅にエスコートしてくれながらも、気が向かないと踊ってくれなさそうだ。
(マイペースな人だからなあ。自分が踊りたくなれば、有無を言わせず何曲も踊らされて、もう疲れましたと言えば、なんでそんなに体力が無いんだって文句言われそう)
そんな光景を想像してクスクス笑いながら掃除道具を片付けてると、廊下の向こう側から、バタバタとあわてたような足音が近づいてきた。
「ちょっと、そこのあなた!」
駆け寄ってきたのは、こざっぱりとした簡素なドレスを身にまとった、年嵩の女性だった。額から汗をたらし、いかにも困ってる様子だけど、私の姿を頭から足先までサッとながめて少し落胆気味に口を開いた。
「その制服は清掃担当ね……でもお願い、舞踏会の片付けを手伝ってもらえないかしら?」
声をかけてきた女性はクリスティン・サージャスと名のり、普段は中央棟で働く従業員の管理を任されていると言う。
今夜は舞踏会の会場担当だそうで、予定外の客数にてんてこまいらしい。
「本当に困ってるの。うちの管轄の担当が二人も風邪で休んでいて、まったく手が足りないのよ」
なんでも中央棟の従業員の間で、たちの悪い風邪が流行っているそうだ。先週は三名倒れたと言うから恐ろしい。
「そのうち二人は回復して、今朝ようやく持ち場に戻ったのだけど、まだ本調子ではないから夜遅くまで働かせるわけにいかなくってね」
そんな説明を受けながら一緒に廊下を急いでいると、大広間に近づくにつれ先ほど耳にしたワルツの音色が大きくなっていった。
「ああクリスティン、戻ってくれてよかった! 料理の大皿が片付かないと、次の料理を運べなくて……困っちゃって」
廊下の先で待ち構えていたのは、私と同年代くらいの、小綺麗なワンピースの制服を着た女性だった。
「ノーラ、落ち着きなさいな。応援を連れてきたの……ええと、こちらは」
クリスティンさんが言い淀んだので、私は自己紹介が済んでいなかったことに気づいた。
「執務室の清掃を担当している、ヨリ・クラルテと申します」
「「えっ……」」
どうやら二人は、どこかで私に関する噂を耳にしたに違いない。少し居心地の悪い沈黙が落ちたが、クリスティンさんは気を持ち直したように、構わずテキパキと指示を出しはじめた。
「とりあえず、持ち場に着く前にそこの控え室で制服に着替えてちょうだい。ノーラ、案内してあげて」
「クリスティン、でもこの人……」
ノーラさんの反応は無理もないだろう。私の王宮内での評判は、底辺まで落ちてる……でもこの状況下では、猫の手だって借りたいはず。
(掃除は、適当に手を抜けって言われたけど、緊急時にお手伝いすることに関しては何も言われてないもの)
私だって、少しは真面目に仕事して役に立ちたい。
「ぜひ手伝わせてください。ご迷惑かけないように精一杯頑張ります!」
「……分かったわ、こっちにきて。まず着替えましょ」
ノーラさんは意を決した様子で、すぐ近くの使用人控え室へと案内してくれた。そこで手渡されたのは、彼女が着ている制服と同じ類のワンピースだった。グレーの生地にピンクの細いストライプの線が入っていて、袖が少しふんわりと膨らんでいるのが可愛らしいデザインだ。こんな時なのに、着るのがうれしくなってしまう。
「私の予備のものだから、多少サイズが合わなくても我慢して。この格好じゃないと大広間に入れないのよ」
ノーラさんは私より少し背が低かったけど、さほど体型は変わらなかったので、ワンピースはすんなり袖が通った。そして急いで準備を終えると、二人で連れ立って大広間へ向かった。
室内に足を踏み入れた途端、音と光の洪水で頭の中がかき回されそうになる。
(すっごい……めまいがしそう)
人々の談笑や、グラスを合わせる音が、ワルツの音を縫うようにあちこちで響いてる。色とりどりのドレスが蝶の群れのようで、目がチカチカしてきた。
(あ、殿下だ……!)
会場内でも一際華やかな集団の中心に、楽しそうに笑う殿下の姿があった。
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