神界の器

高菜あやめ

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第三部

六、一葉

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 今から五十年ほど前、一人の旅人が緑永山の庵に現れた。一葉かずはと名乗るその男は、痩せ衰えて今にも倒れそうなところを、明翠によって助けられた。
 当時、明翠は一日の大半を庵で過ごし、器づくりにいそしんでいた。通常なら人の目から隠す庵だが、道に迷って飢えた旅人だけ招き入れ、ひとときの憩いを与えた。
 だが中には性根が腐った人間もいて、ふるまった粥の器や湯呑などを、隙を見て持ち逃げしようとする連中もいた。そこで明翠は、正直に欲しがった者にだけ器を与え、盗もうとした者は山奥に置き去りにした。やがてそれが『神界の器』として、めったに手に入れることができない、貴重な名品として人の世に広まるようになった。
 明翠は、さまざまな人間を庵に迎えたが、一葉はこれまで会ったどの人間とも違って思えた。その心根の真っ直ぐさと素直さが、明翠には好ましく思えた。自らを陶芸家と称する一葉は、明翠の弟子にして欲しいと願った。
(私の器を欲せず、教えをこうたのは、はじめてだ)
 明翠は一葉を弟子に迎えいれ、屋敷に連れ帰った。それから二人は、毎日庵へ通い、奥の工房で器作りにはげんだ。
 明翠は、自分の持っている技術を惜しみなく一葉に伝授し、また一葉もそれに応えて懸命に学んだ。二人はとても息があった師弟関係に思えた。そうして、十年の歳月が流れた。
 一葉の腕前は、かなり上がったが、本人はまだまだ納得してなかった。やがて決して明翠を超えることは叶わないと悟ると、次第に心をゆがませていった。そしていつのころか、明翠に対して激しい嫉妬心を抱くようになった。
 だが明翠は、そんな一葉の心境の変化をわかっていながら、決してとがめることはなかった。
(人の心は、とてももろくて危ういものだ)
 一葉に触れると流れてくる負の感情に、明翠は密かに傷ついていた。だが一葉をことのほか、かわいがっていた明翠は、ただ黙って見守るだけだった。
 そんなある日のこと。一葉は、明翠の焼いた器を無断でいくつか持ち去って、ひそかに山をおりた。そして、二度と帰ってこなかった。
 それでも明翠は、一葉を責めることはせず、ただひたすら彼の身を案じた。時おり下界に足を運んでは一葉を探したが、なかなか消息はつかめなかった。
 やがて明翠は、下界を行き来するうちに、世間でひそかに流れる『噂』を耳にすることになる。それは『神界の器』に匹敵する、ある陶芸家の死にまつわる噂だった。
 その陶芸家の名は、 白波一葉宗久しらなみかずさむねひさ。都の名門とうたわれる白波家の五男で、浪費家の放蕩息子だという。十年ほど世間から雲隠れしていたと思ったら、ひょっこり都にあらわれて、それから白波家を食いつぶすほどの贅沢三昧をした。以前は気が優しく、陶芸を趣味とするおだやかな性格だったのに、まるで人が変わったかのように派手でただれた生活を送っていたらしい。
 やがて経済的に困窮した白波家当主は、五男が作った名品と賞される器を手放すにいたった。そうして器はさまざまな人の手に渡ったが、やがて器をめぐっていさかいが起こるようになり、時には殺傷沙汰にもなった。
 やがて器は、人の心を狂わす器と称され、いつしか『呪われた器』と呼ばれるようになった。その後、一葉は宮中である事件を起こし、断罪に処せられて一生を終えた。
 明翠は、自分の器が一人の男の人生を狂わせ、また多くの人々をまどわせ、いさかいの種になっている事実を知って、失望のあまり工房を閉じてしまった。

「以来、明翠様は、下界にあるご自身の作品を探しだしては、かたっぱしから打ち壊すようになりました。それを止めたのが右京です。右京は『あのような美しい作品を壊すのはしのびない。自分が探してくるから、引き取らせて欲しい』と申し出ました」
「明翠様は、それについてご納得いかれてるのでしょうか」
 雨音は、そう聞かずにはいられなかった。過去に自分を苦しめた作品が、右京の店で飾られているのは、とても複雑な気持ちに違いない。
(でもきっと、壊すのだって胸が痛むにちがいない)
 明翠の器には神気が宿っている。その上、心をこめて作り上げた、愛情のこもった作品だ。残すのも壊すのも、苦しいに違いないと思うと、雨音の心に暗い影が落ちる。
 うなだれる雨音を前に、松葉はぽつりとつぶやく。
「あなたがいらしてから、明翠様は変わられた」
「え……」
 松葉の視線は、庭先に向けられていた。しかしその瞳は、もっと遠くのものをなかてるようだった。
「あの方は、ずっとご自身を責めてらした。罰を与えるように屋敷に閉じこもり、工房へ足を向けなくなった。でもあなたがいらして、心を癒されたのでしょう。だから屋敷も変わったし、狐たちも再び変化できるようになるまで神力を回復された」
「あ、あの、俺はそんな大層なことしてないです」
 松葉はチラリと雨音の顔を見やると、力なく笑った。
「そうでしょうね。あなたはあの方のおそばにいただけです」
 白い手が励ますように、雨音の膝を軽く叩いた。
「しかし、そばにいるあなたの言葉に耳を傾け、その心に触れることで癒されたのは間違いないでしょう」
 雨音は頭をふった。明翠のそばにいれて、こちらこそどれほど勇気づけられ、はげまされたか。どれほど大きな愛情を注がれ、安らぎとぬくもりを与えられたか。
「雨音、まだここにいたのか」
 不意に襖が開いて、件の人物が顔をのぞかせた。無造作に垂らした銀色の髪が、風呂上がりのせいか濡れて雫を垂らしている。
「御髪が……布巾を取って参ります」
「いい、ここにある」
 明翠は当然のように雨音に布巾を差し出すと、背中を向けて畳の上に座った。雨音がていねいに髪を拭きはじめると、松葉が笑いをこらえるように袖で口元をおさえる。
「これは、ずいぶんと甘えたになったものですね」
「うるさい。まだいたのか、いいからさっさと帰れ。あいつが心配して迎えにきたら面倒だ」
「右京なら、本日は典薬寮へ出かけてますから、帰りは夜中になるかと」
 雨音は聞きなれない言葉に首を傾げた。
(てんやくりょう、ってどこだろう……)
「宮殿の医師がつめる診療所のような場所だ。あれでも典医の称号を持っているからな」
(てんい?)
「宮殿の医師をそう呼ぶ」
(へえ……宮殿かあ……)
 雨音は手を動かしながら、以前明翠や松葉から聞いた宮殿について思い出す。正式には神宮殿と呼ばれ、神界の中でも最も位の高い天帝が住まう、下界で言うところの宮廷みたいな場所なのだそうだ。
 明翠も仕事と称して、ときどき宮殿へ赴くことがある。先ほども二日ぶりに、宮殿での仕事から帰宅したばかりだった。
「興味があるならば、いつか連れてってやらないこともないが?」
「いえっ、結構です…おそれ多くて」
「何を言う。そうだ、私が仕事をしているあいだは、庭など見てまわればいい。この屋敷より何倍も広い庭園があるぞ?」
 その話はとても魅力的に思えたが、やはり不安だ。分をわきまえない行動は、いつか身を滅ぼしそうで、それが怖い。
「まあ、お前のそういう控え目なところが、かわいくもあるのだが……」
「明翠様……」
「お二人とも、私がこの場にいることをお忘れですか? もう帰りますから、私がいなくなってからゆっくり続けてくださいよ」
 松葉はやれやれと腰を上げると、雨音に釘をさすことも忘れなかった。
「あまりこの方を甘やかしては駄目ですよ」
 雨音は真っ赤になりながら、コクコクと首を縦にふって松葉を見送ると、背中を向けていた明翠が、そろりと身をよせてきた。
「あいつの言いつけなど、きく必要はないからな」
「俺は、明翠様を甘やかしているのでしょうか?」
「そんなことはない」
 明翠は両手をのばすと、雨音を強く抱きしめた。
「あ、いけません……俺まだ、風呂入ってないですから」
「後で一緒に入ればいい」
 細い肢体を抱き上げられ、奥の部屋に用意されてた褥へ運ばれた。そして、やわらかな布団に押したおしたおされ、性急に唇をあわせられる。
「んっ……ま、待ってくださ……」
「二日ぶりだから、待てない」
 どうやら先ほどの草原での行為は、明翠の中では数に入ってないらしい。
(もう、本当に困ったかた……)
 広い背に腕をまわし、ぎゅっと抱きしると、唇をはなした明翠が破顔した。
「愛している、雨音」
 やがて日が暮れ、夜がふけても、明翠は雨音をはなさなかった。おそらく翌朝には、庭にたくさんの花が咲き乱れるだろう。それを狐達に見られるのは、たまらなく恥ずかしいが、雨音が恥ずかしがると、なぜか明翠はうれしそうだ。
 けっきょく、明翠がしあわせなら、なんでもいいと思えてしまう。これが惚れた弱みかと苦笑すると、明翠の抱きしめる腕がいっそう強くなった。
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