神界の器

高菜あやめ

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閑話

後編*

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 それから松葉は、度々目覚めては意識を失うことを繰り返し、徐々に目を覚ましている時間が減っていった。

 右京の説明によると、傷が塞がっても精気が枯渇しているらしい。精気は自然治癒に任せるしかないようで、普通ならとっくに回復しているはずが、なぜか松葉は回復するどころか、むしろ減っていく一方だと言う。

(あまり生に執着してないからだろうか)

 これまで山で暮らしてきて、適当に生き延びてきただけだ。特に未練は無い。

(それとも妖狐の血が、神界の空気と相容れないのか)

 半分の血しか入ってないとはいえ、仮にも妖狐である松葉は妖魔の仲間だ。神界では忌み嫌われる存在に違いない。
 だが右京は半妖である松葉を、献身的に世話してくれる。医学の心得があるようだが、普段は患者を診ることはないらしい。この屋敷で唯一の患者だから、というよく分からない理屈で、少し大仰なくらい世話を焼く。もしかしたら、そもそも世話焼きなのかもしれない。

 体が動かせないので部屋の外へ出たことないが、恐らく使用人の一人や二人いるはずだ。しかし全てにおいて、右京が手ずから世話を焼いてくれるのだ。それは申し訳なくも恥ずかしくもあり、そして子どもになった気もして面映くもあった。

 だが、これだけ世話をされているにも関わらず、松葉の容体はあまり芳しくなかった。

 日に日に衰弱してしまうのは、手を煩わせている右京の手前申し訳なく思った。初日は自力で持ち上げられた腕も、今では他人の物のようにピクリとも動かなくなった。

(俺はこのまま、力尽きるのか……獣に食われる事を考えたら、布団の上だけましか)

 そして布団に横たわったまま、ほとんど動けなくなったある日の事。

 いつものように松葉の様子を見に部屋へやってきた右京は、布団に横たわる松葉をしばらく黙って見つめていたが、やがて静かに口を開いた。

「お前、歳はいくつになる?」
「……覚えてない」
「そうか。その姿だから二十は超えているかと思うが……二十四、五ってとこか。もう大人だとみて、少し話がある」

 なぜ右京が、松葉の年齢を気にしているのか不思議だった。複雑な表情を浮かべる右京を、ただ黙って見つめるしかなかった。

「お前も薄々感じているだろうが、このままだと回復の見込みはない」

 ああそういう事か、と松葉は心の中で苦笑した。死期について、本人にどう告げたらいいか迷っていたのだろう。

(そんな事、気にすることないのにな)

 死は恐ろしくないと言えば嘘になる。だが執着するつもりもなかった。生きていて、何になるのか、と。自分の生に意味が見いだせない松葉は、その時が近づいている事に不満はない。

 しかし右京の続けた言葉は、軽く予想を裏切った。

「治療だが、なす術が無い訳じゃない……だがその方法は、お前の体と心に負担がかかる」

 そっと額を撫でられ、心が震えた。触れてくる熱い手のひらの熱が、死への道を阻もうとする。

「俺の神気を、お前の体に入れるやり方だ。これまでも、お前が意識を失う度に、やむを得ず口から流し入れていたが、その方法じゃ量が足りない上、時間が掛かり過ぎて間に合わん」

 何に間に合わないのか、言わなくても分かる。

(なぜ、引き留めようとするんだろう)

 松葉の額に乗せられた手がゆっくりと頬を滑り、慈しむように撫でられた。

「しかし……体を繋げて、直接奥へ入れるなら話は別だ。お前の体格ならば、負担が掛からないわけじゃないが、不可能じゃない……俺の言っている意味が分かるか」

 体を繋げる、という行為の意味は分かった。男同士だと、受ける側にかなりの負担が強いられることも、ある程度承知の上だ。

「俺はお前を死なせたくない。だが傷つけたくもない」

 そう苦し気に話す端正な横顔に、松葉は堪らない気持ちになる。死ぬのが怖いのでも、惜しいのでもない。ただ今は、目の前の男を悲しませるのが辛く思えた。

「傷ついても、いい……頼む」

 擦れる声で何とか告げると、右京と視線を絡ませた。しばらく見つめ合っていたが、松葉の腹は決まっていたので、視線を逸らすことはなかった。

「そうか」

 右京はひと言そう呟くと、次に着物の擦れる音がして、頭上に影が落ちた。柔らかな物が口を塞ぎ、濡れた熱い塊が中へと潜り込んでくる。

「……っ……ん……」
「……鼻で、呼吸をしろ」

 肉厚な舌を絡められ、あっと言う間に息があがった。恐らく右京は、松葉の物慣れない反応に、口吸いの経験が無いことに気づいただろう。やさしく背中をさする手つきとは裏腹に、荒々しくも巧みな舌遣いで口内を蹂躙される。ただその間、神気は絶え間なく喉の奥へと注ぎ込まれ、重く感覚すら鈍っていた体が少しずつ軽くなっていく気がした。

 だが感覚が戻ると同時に痛覚も戻り、穴が開いたという脇腹が引き裂かれるように痛み出し、口から呻き声が自然と漏れ出た。

「悪いな……体を繋げる前に少しでも体力を戻しておかないと、体に負担が掛かり過ぎると思ったんだ。痛むだろうが、もう少しだけ頑張ってくれ」

 その後の右京は性急に、だが決して傷つけることなく、蕩かすような技巧で松葉の体を開き、その最奥へ何度も神気を注ぎ続けた。





「何を、考えている……?」

 低く掠れた声が耳元で響き、松葉は我に返って息を飲みこんだ。

 まさか初めて抱かれた夜のことを思い出していたなんて、口が裂けても言いたくない。あの時は、体も心も応えることで精一杯だったから、抱かれた実感があったとは言い難い。

(どうしてまた、こんな事に……)

 満身創痍でこの屋敷へ運ばれてきてからずっと、右京には相変わらず世話になりっぱなしだ。
 右京は献身的な看病と愛情を、惜しげもなく松葉に注いでくる。屋敷の中では、松葉の方が圧倒的に分が悪い。逃げ場も無いし、無視も出来ない。だから、ほだされるまでに時間は掛からなかった。

 松葉の中に生まれたばかりの淡い気持ちは、決して彼に悟られてはいけない……だからまた、以前と同じ理由で彼を誘った。

 濃密な空気が室内に充満する中、松葉は右京によって両手を褥に縫い留められ、情熱的に求められていた。己の嬌声に耳を塞ぎたくなるが、両手は褥に縫い留められていてはそれも叶わず、羞恥でどうにかなりそうになった。
 だが耳元の熱く、荒い息づかいに、翻弄されているのは自分ばかりではないと、顔が緩むのが抑えられなかった。

「……余裕だな」
「ああっ!」

 奥深くを穿たれた楔が一際強く打ち付けられ、松葉は細く喘ぎながら背中をしならせた。そのまま意識が遠くなったが、その刹那、口から熱い神気が喉奥へ注がれて覚醒する。

「こら、気を失うにはまだ早いぞ」
「……っ……」

 抱き上げられ、向かい合わせに座らされた。抱えるような体勢に中の角度も変わって、腰が抜けるほどの快感が背筋を駆け抜けていく。息を浅く吐きながら、涙で曇る双眸をうっすら開くと、熱を孕んだ鋭い視線に射抜かれて、胸の鼓動が大きく跳ねた。

「その目、いいな……堪らない」
「ああ……、や……」

 胸の尖りを濡れた舌で嬲られ、松葉は汗で湿った赤い髪を力なく振った。過ぎた快感が思考まで侵食し、何も考えられなくなる。

「今は俺だけ感じてろ……ほら、受け止めるんだ」
「も、許して……あ、ああっ……」

 熱い飛沫と共に注がれる神気は、体の内側から全身に沁みわたっていく。そして沸き上がる喜びと同時に、拭えない罪悪感と恐怖心に襲われた。

(恐れ多いことだ……こんな自分が、このような方と……許されるはず、ないのに)

 その恐怖から逃れる為、無意識に目の前の男に縋り付いてしまう。

「よしよし、よく頑張ったな」

 先ほどの激しさとは一転して、あやす様な手つきで後頭部を撫でられ、松葉は一気に現実へと引き戻されていくのが分かった。
 繋がっていた場所から、ゆっくりと引き抜かれる感覚にすら反応してしまう。先刻まで嫌というほど主張していた存在がなくなった途端、その喪失感が酷く辛く、せっかく温まった体がみるみるうちに冷えていくのを感じた。

「体は辛くないか」
「……大したことない」

 温かい手を払い除けると、右京は苦笑を漏らした。

「俺に抱かれるのは、泣くほど嫌だったか」

 はらはらと涙で褥を濡らすと、弱ったなという呟きと共に震える肩を撫でられた。遠のいた熱が忘れられず、この後たった一人で寝床に取り残される事実に打ちのめされる。

「嫌なのは、そっちだろう……」
「どういう意味だ?」

 松葉は目の前の当惑した男の顔を、泣き濡れた瞳で睨み付けた。

「悪かったな。治療の為に、こんなことまでさせて」
「は? あのな……」
「可愛げなくて、みっともない声まで上げて……い、嫌な思いを、させて」

 松葉は惨めな気持ちで涙を拭いながら、すっぽりと頭から布団に潜り込む。すると全身を包み込む感触が、布団越しに感じられて体が固まった。

「松葉、お前な……俺の気持ち分かってて、抱かれたんじゃなかったのか」

 松葉は後悔していた。一刻も早く明翠の屋敷に戻りたいからと、自ら『治療』と称してして右京に体をゆだねた。そして治療ならば断られず、抱いてくれるだろうと打算した浅ましい心に、自己嫌悪で一杯になっていた。そして抱かれたことで、心はさらに辛くなってしまった。
 半妖で可愛げもない自分など、右京のような神格持ちが好意を持つわけがない。松葉の心は捻くれたまま凍りつき、右京にだけは本心を悟られないよう、気持ちをひた隠していた。

 そんな松葉の様子に、右京は何を思ったのか無理矢理布団を引きはがすと、泣き腫らした目を必死に隠そうとする松葉の顔を強引にすくい上げて破顔した。

「かなり重症だな……まあとりあえず、しばらくこの屋敷から出るな」
「……?」
「体の傷は塞がっても、肝心な部分に穴が開いたままだからな。こんな状態で放って置けるか」

(それはつまり、もうしばらく傍にいてもいいと……?)

 先ほどまで打ちひしがれていた松葉は、ホッと安堵のため息を漏らす。その様子を眺めていた右京は、少し困ったような、でも嬉しそうな笑みを浮かべた。

「まったく本当に……可愛い奴だ」





 それから数日後。
 日が当たる縁側で、松葉はいつものように柱に寄りかかって庭を眺めていた。しかしその瞳には何も映っておらず、ただひたすら近づいてくる足音に耳を澄ませていた。

「おっ、似合うじゃねえか。やっぱり俺の見立ては間違ってなかったか」

 右京の声に、たった今気づいた振りをした松葉は、顎をつんと持ち上げてみせた。

「……女物みたいな模様だ」
「美人は何着ても似合うからいいんだよ。女物も男物も関係ねぇ」

 右京は松葉の隣に屈みこむと、襟元から足先まで何度も丹念に眺めている。白地に鮮やかな紫色の杜若かきつばたが咲き乱れる着物は、男物に仕立ててあるものの、たしかに女性的な模様に見えてしまうのは否めない。しかし松葉の白い項や、ほっそりとした、たおやかな肢体には恐ろしいほどよく似合っていた。

「素足のままじゃ足が冷えるだろう。足袋を履いとけ」
「平気だ、ちっとも寒くない」
「まったく、本当にお前は……」

 右京は屈みこむと、ひょいと松葉を横抱きにして、縁側に胡坐をかいて座り込んだ。

「あーあ、氷のように冷たいじゃねえか」

 右京の温かい手が、松葉の冷え切った足のつま先を掴むと、強く擦られた。

「は、はなせ……」
「こら、暴れるなって」

 身をよじって逃れようとした松葉の体は、右京の懐にしっかりと抱き込まれてしまった。クスクスと笑う声に、松葉は顔を赤くして眉を寄せる。

(温かい……もう少しだけ、このままでいたい)

 その時、花の香が一層増した気がした。松葉の脳裏には、先ほど庭先で見た早咲きの杜若がよぎる。本当の温かい季節がやってくるまで、もう少しだけここに居たいと、松葉は温かい腕の中でそっと目を閉じた。





(閑話・完)
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