21 / 26
第二部
4.エンシオ王子との面会
しおりを挟む
中庭でのひとときを終え、部屋へ戻ってほどなくすると、扉がノックされた。
侍女の取り次ぎで現れたのは、ピアース執務補佐官だった。つい先日バージルの執務室で顔を合わせて以来だが、なんとなくこんな形で訪ねてくる気がしていたので、特段驚きはなかった。
「なにか陛下の勅命でもございましたか」
「エンシオ王子と面会していただきたいのです。私も同席いたします」
カシュアは侍女に茶を用意するよう告げたが、訪問者は『手短かにすませますので』と丁重に断った。
「まずはじめに。陛下は、此度のヒースダインの提案を却下されます」
「却下するだけ、でしょうか」
ヒースダインによる失礼極まりない提案を、エドワード国王陛下はどのように扱うつもりだろうか。
「却下するだけです。ただせっかく足を運んだエンシオ王子を、このまま帰らせるのはもったいないと思われませんか」
「つまり俺と面会させて、彼からなにか有益な情報を引き出せと?」
「あなたの能力が、生かされるかと」
ピアースはやわらかな微笑を浮かべながら、カシュアへと手を差し出した。
「……なんの真似です?」
「本当に他者の体調がわかるのか、試させていただけませんか」
まるで医師の診断を期待しているようだが、カシュアのそれは少しばかり違う。
「俺は痛覚を感知できるだけで、悪い箇所や病がわかるわけではありません」
「自覚症状がない、痛みをともなわない病やケガはわからないと? そうだとしても、素晴らしい能力には違いありません」
「素晴らしい能力、ですか?」
カシュアはピアースの瞳をのぞきこみ、その奥にひそむ真意を知りたくなった。そっと手を取り、目を閉じて視界を遮断する。そうすれば、より知覚が敏感になる気がするからだ。
(……このひと)
ハッとして瞼を開き、あらためてピアースは瞳を見つめる。そこには先ほど気づけなかった喜色が浮かんでいた。
「いかがです?」
「まさに満身創痍ですね」
「そう『でした』。もう完治してますよ」
「これで? まだ痛みますよね? 特に左肩から肘にかけて、それから右の薬指と小指の……付け根」
「すっかり慣れてしまったもので。ただもう剣をにぎれないのは、いささか残念ではありますが」
ピアースは手袋をはめた右手を軽く持ち上げて苦笑を漏らす。
「そんなお顔をされる必要はございません。この痛みは主君を守れたという、私の矜恃でもあるのです。それにあの方はすでに、私よりもお強い。今は別の形で、あの方の盾になればいいだけです」
エドワード国王はそれほど剣が立つらしい。
(それに彼の妃は、元近衛騎士だとも聞いたな)
女性にしては背が高く、顔立ちも精悍で意志の強そうな眉をしていた。彼女もおそらく、ピアースと同じ矜恃を持って主君を支えているに違いない。
「国王陛下は、周囲の方々の人望が厚いのですね」
「ええ、前国王とは違って」
どこか含みのある言い方に、カシュアはたじろく。
「妃殿下も、元はヒースダインの人間で、どういう目的でこちらへ送りこまれたのか調べはついてます」
「……そう簡単に、俺を信用できませんよね」
ピアースは否定も肯定もせず、ただ微笑んだ。
(無理もない)
まずこの能力について、たとえバージル殿下が信じていようと、荒唐無稽な話すぎて鵜呑みになどできないだろう。そしてカシュアがヒースダインの人間と接触するならば、監視の目を厳しくするのもうなずける。ピアースは自らの目で、カシュアの言動や行動を見張るつもりだ。たとえ剣をにぎれないとしても、カシュアが不審な行動を取れば、容赦なく排除に動くだろう。
「バージル殿下は、この面会のことをなんと?」
「バージル殿下には、まだお知らせしておりません」
意図的に知らせてないことは明白だった。もちろん国王陛下の勅命に逆らうわけにはいかない。カシュアは黙って応じるしかなかった。
エンシオ王子との面会は直ちにおこなわれた。ピアースはあらかじめ場を整えてから、ただカシュアを呼びにきたにすぎなかったようだ。
エンシオ王子一行が滞在する賓客室は、宮殿の中央から少し離れていて、さらに王族の居住エリアからはもっとも遠かった。遠方から訪れる客人に気がねなくくつろいでもらう配慮と、王族へは物理的に近づかせない意図が見て取れる。またこのあたりはクーデターによる被害が最小限だったが、復旧工事の観点からはもっとも優先度が低い場所と見なされ、あまり手入れも行き届いてなかった。
「体裁を取り繕ってもしかたないでしょう。それよりも、先に着手しなくてはならないところはいくらでもありますからね」
ピアースは案内する道すがら、こともなげにそう言った。暗にヒースダインの訪問はたいしたことではなく、重要度が低いと告げている。それは先方にも、正確に伝わっていることだろう。
それでも顔合わせをおこなう部屋は、最低限には整っていた。賓客室の並ぶ棟の端に設けられた小部屋がそれで、カシュアの予想をはるかに超える、ものものしい警備体制が敷かれていた。扉を囲むように兵士が四人、室内にも二人。窓はなかった。付け加えると、家具も簡易な椅子しかない。
「まるで罪人の尋問部屋のようですね」
そんな軽口を叩くのは、エンシオ王子とともに同席する宮廷医師だった。細い眼鏡の蔓を耳に巻きつけた三十がらみの男で、感情の乗りにくい、ヒースダインによく見られる彫りの浅い淡白な顔立ちをしてる。
「お気を悪くされないでください。これもすべて王子殿下の御身の安全のため、とでも申しましょうか。ご覧のとおり我が国では、現国王陛下が即位してまだ日も浅く、王宮と言えど万全の治安とは申し上げにくいのです」
「お気になさらず……このようなときに、無理して参ったのはこちらです」
エンシオ王子の低い声が、黒いベールの下から響いた。謁見の間でも着用していたが、遠目では顔が見えないものの、こうして近くで対峙すると、顔色こそわからないが表情は透けて見える。王子は同行する医師と同じく、乏しい表情でカシュアを見つめ返した。
互いに形式ばったあいさつをすませると、カシュアはいきなり本題に入った。
「エンシオ様は、どこかお体が悪いのですか」
するとベールの下の顔が、一瞬皮肉げに笑った。
「……どういう意味でしょう」
「そのままの意味です。遠路はるばる医師を同行されているので」
「生まれつき、体が弱いのは否めません。なにしろ国外へ出るのははじめてですから、いろいろ不安もございます。そういうカシュア妃殿下こそ、いかがですか?」
ベールからのぞく瞳が、どこかうつろだ。
「もうお体の調子は、すっかり良いのですか。ヒースダインにおられたころは、ほとんど床に伏せっていたとうかがいましたが」
侍女の取り次ぎで現れたのは、ピアース執務補佐官だった。つい先日バージルの執務室で顔を合わせて以来だが、なんとなくこんな形で訪ねてくる気がしていたので、特段驚きはなかった。
「なにか陛下の勅命でもございましたか」
「エンシオ王子と面会していただきたいのです。私も同席いたします」
カシュアは侍女に茶を用意するよう告げたが、訪問者は『手短かにすませますので』と丁重に断った。
「まずはじめに。陛下は、此度のヒースダインの提案を却下されます」
「却下するだけ、でしょうか」
ヒースダインによる失礼極まりない提案を、エドワード国王陛下はどのように扱うつもりだろうか。
「却下するだけです。ただせっかく足を運んだエンシオ王子を、このまま帰らせるのはもったいないと思われませんか」
「つまり俺と面会させて、彼からなにか有益な情報を引き出せと?」
「あなたの能力が、生かされるかと」
ピアースはやわらかな微笑を浮かべながら、カシュアへと手を差し出した。
「……なんの真似です?」
「本当に他者の体調がわかるのか、試させていただけませんか」
まるで医師の診断を期待しているようだが、カシュアのそれは少しばかり違う。
「俺は痛覚を感知できるだけで、悪い箇所や病がわかるわけではありません」
「自覚症状がない、痛みをともなわない病やケガはわからないと? そうだとしても、素晴らしい能力には違いありません」
「素晴らしい能力、ですか?」
カシュアはピアースの瞳をのぞきこみ、その奥にひそむ真意を知りたくなった。そっと手を取り、目を閉じて視界を遮断する。そうすれば、より知覚が敏感になる気がするからだ。
(……このひと)
ハッとして瞼を開き、あらためてピアースは瞳を見つめる。そこには先ほど気づけなかった喜色が浮かんでいた。
「いかがです?」
「まさに満身創痍ですね」
「そう『でした』。もう完治してますよ」
「これで? まだ痛みますよね? 特に左肩から肘にかけて、それから右の薬指と小指の……付け根」
「すっかり慣れてしまったもので。ただもう剣をにぎれないのは、いささか残念ではありますが」
ピアースは手袋をはめた右手を軽く持ち上げて苦笑を漏らす。
「そんなお顔をされる必要はございません。この痛みは主君を守れたという、私の矜恃でもあるのです。それにあの方はすでに、私よりもお強い。今は別の形で、あの方の盾になればいいだけです」
エドワード国王はそれほど剣が立つらしい。
(それに彼の妃は、元近衛騎士だとも聞いたな)
女性にしては背が高く、顔立ちも精悍で意志の強そうな眉をしていた。彼女もおそらく、ピアースと同じ矜恃を持って主君を支えているに違いない。
「国王陛下は、周囲の方々の人望が厚いのですね」
「ええ、前国王とは違って」
どこか含みのある言い方に、カシュアはたじろく。
「妃殿下も、元はヒースダインの人間で、どういう目的でこちらへ送りこまれたのか調べはついてます」
「……そう簡単に、俺を信用できませんよね」
ピアースは否定も肯定もせず、ただ微笑んだ。
(無理もない)
まずこの能力について、たとえバージル殿下が信じていようと、荒唐無稽な話すぎて鵜呑みになどできないだろう。そしてカシュアがヒースダインの人間と接触するならば、監視の目を厳しくするのもうなずける。ピアースは自らの目で、カシュアの言動や行動を見張るつもりだ。たとえ剣をにぎれないとしても、カシュアが不審な行動を取れば、容赦なく排除に動くだろう。
「バージル殿下は、この面会のことをなんと?」
「バージル殿下には、まだお知らせしておりません」
意図的に知らせてないことは明白だった。もちろん国王陛下の勅命に逆らうわけにはいかない。カシュアは黙って応じるしかなかった。
エンシオ王子との面会は直ちにおこなわれた。ピアースはあらかじめ場を整えてから、ただカシュアを呼びにきたにすぎなかったようだ。
エンシオ王子一行が滞在する賓客室は、宮殿の中央から少し離れていて、さらに王族の居住エリアからはもっとも遠かった。遠方から訪れる客人に気がねなくくつろいでもらう配慮と、王族へは物理的に近づかせない意図が見て取れる。またこのあたりはクーデターによる被害が最小限だったが、復旧工事の観点からはもっとも優先度が低い場所と見なされ、あまり手入れも行き届いてなかった。
「体裁を取り繕ってもしかたないでしょう。それよりも、先に着手しなくてはならないところはいくらでもありますからね」
ピアースは案内する道すがら、こともなげにそう言った。暗にヒースダインの訪問はたいしたことではなく、重要度が低いと告げている。それは先方にも、正確に伝わっていることだろう。
それでも顔合わせをおこなう部屋は、最低限には整っていた。賓客室の並ぶ棟の端に設けられた小部屋がそれで、カシュアの予想をはるかに超える、ものものしい警備体制が敷かれていた。扉を囲むように兵士が四人、室内にも二人。窓はなかった。付け加えると、家具も簡易な椅子しかない。
「まるで罪人の尋問部屋のようですね」
そんな軽口を叩くのは、エンシオ王子とともに同席する宮廷医師だった。細い眼鏡の蔓を耳に巻きつけた三十がらみの男で、感情の乗りにくい、ヒースダインによく見られる彫りの浅い淡白な顔立ちをしてる。
「お気を悪くされないでください。これもすべて王子殿下の御身の安全のため、とでも申しましょうか。ご覧のとおり我が国では、現国王陛下が即位してまだ日も浅く、王宮と言えど万全の治安とは申し上げにくいのです」
「お気になさらず……このようなときに、無理して参ったのはこちらです」
エンシオ王子の低い声が、黒いベールの下から響いた。謁見の間でも着用していたが、遠目では顔が見えないものの、こうして近くで対峙すると、顔色こそわからないが表情は透けて見える。王子は同行する医師と同じく、乏しい表情でカシュアを見つめ返した。
互いに形式ばったあいさつをすませると、カシュアはいきなり本題に入った。
「エンシオ様は、どこかお体が悪いのですか」
するとベールの下の顔が、一瞬皮肉げに笑った。
「……どういう意味でしょう」
「そのままの意味です。遠路はるばる医師を同行されているので」
「生まれつき、体が弱いのは否めません。なにしろ国外へ出るのははじめてですから、いろいろ不安もございます。そういうカシュア妃殿下こそ、いかがですか?」
ベールからのぞく瞳が、どこかうつろだ。
「もうお体の調子は、すっかり良いのですか。ヒースダインにおられたころは、ほとんど床に伏せっていたとうかがいましたが」
191
お気に入りに追加
542
あなたにおすすめの小説

美形×平凡の子供の話
めちゅう
BL
美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか?
──────────────────
お読みくださりありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。


転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】
リトルグラス
BL
人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。
転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。
しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。
ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す──
***
第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20)
**

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」

前世である母国の召喚に巻き込まれた俺
るい
BL
国の為に戦い、親友と言える者の前で死んだ前世の記憶があった俺は今世で今日も可愛い女の子を口説いていた。しかし何故か気が付けば、前世の母国にその女の子と召喚される。久しぶりの母国に驚くもどうやら俺はお呼びでない者のようで扱いに困った国の者は騎士の方へ面倒を投げた。俺は思った。そう、前世の職場に俺は舞い戻っている。

アルファな俺が最推しを救う話〜どうして俺が受けなんだ?!〜
車不
BL
5歳の誕生日に階段から落ちて頭を打った主人公は、自身がオメガバースの世界を舞台にしたBLゲームに転生したことに気づく。「よりにもよってレオンハルトに転生なんて…悪役じゃねぇか!!待てよ、もしかしたらゲームで死んだ最推しの異母兄を助けられるかもしれない…」これは第2の性により人々の人生や生活が左右される世界に疑問を持った主人公が、最推しの死を阻止するために奮闘する物語である。

俺の婚約者は悪役令息ですか?
SEKISUI
BL
結婚まで後1年
女性が好きで何とか婚約破棄したい子爵家のウルフロ一レン
ウルフローレンをこよなく愛する婚約者
ウルフローレンを好き好ぎて24時間一緒に居たい
そんな婚約者に振り回されるウルフローレンは突っ込みが止まらない

【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした
エウラ
BL
どうしてこうなったのか。
僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。
なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい?
孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。
僕、頑張って大きくなって恩返しするからね!
天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。
突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。
不定期投稿です。
本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる