囚われ王子の幸福な再婚

高菜あやめ

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第二部

1. 眠りにつく前

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 さいきんカシュアは、眠るのがこわくなった。
 典医ガイヤの解毒治療をはじめて早二週間。体中にめぐっていた蠱毒による毒素が薄くなり、日常生活には差し障りない状態になった。
(なんだか塔を出たのが、もうずいぶんと昔のような気がする)
 四年間過ごした北の塔を出てから、すでに一ヶ月以上経つ。だがここ数日、時間の流れがことさら遅く感じていて、実際の倍以上の時が流れたように思えてならない。
(バージル殿下がいないせいだろうか)
 数日前から、カシュアの夫であるバージル・ウェストリン第二王子は、夫婦の寝室に仕事を持ちこむことをやめ、以前のように執務室へ通うようになった。それというのも、カシュアの容体が落ち着いたからに他ならない。
(あの方には、ずいぶんと心配をかけてしまった)
 カシュアの体は、故国ヒースダインの宮廷医師らが作り上げた蠱毒によって蝕まれ
、一時かなり危うい容体まで陥ってしまった。危機を脱した今でも、体内に染み込んだ毒は完全に取り除けておらず、典医によってさまざまな制限をかけられていた。
 走ってはいけない、重いものを持ってはいけない、日中での定期的な休息を忘れてはならない等々、細かな指示はバージルをはじめ侍女や護衛に至るまで徹底的に共有され、多くの人間がカシュアの一挙手一投足を見守っている。
 この『監視』される日々がはじまったばかりのころ、カシュアは息苦しさを感じたものだが、数日過ぎると次第に慣れてきた。そして見守る側も、おさまりのよい距離感をつかめてきたようだ。
 だが日常が過ごしやすくなるにつれ、カシュアの心に眠っていた不安の種が芽吹いた。特に夜、眠りに着く瞬間は恐怖すら感じてしまう……『もし、このまま目覚めなかったら』と。
(そんなこと、昔から何度も思ったことなのに)
 意識を手放し、手放した意識が再び戻ってくる。それを繰り返す日々だ。
「……起きたか」
 朝ベッドの中で、まず耳にする第一声にもすっかり馴染んだ。目覚めたとき頬にあたる腕枕の肌の感触には、眠る際に枕を使うカシュアを大いに戸惑わせるが、平然とするバージルを前に何も言えない。
「今朝も、顔色は悪くないようだな」
 バージルはカシュアの額と頬に軽いキスを落として、潔くベッドから起き上がる。しなやかな裸の背が隣の部屋へ消えたとたん、廊下側の扉から侍女が現れる。
 顔を洗って、用意された服に着替えて続き部屋の応接室へ向かうと、すでに身支度をすませたバージルが待っている。そしてテーブルに着く前に、椅子を引いて待つ彼に、少し深めのキスをされる。
「ん……」
 周囲が二人を見守る中、カシュアだけがこの朝のルーティンにちっとも慣れないでいた。顔は羞恥で熱くなり、つい相手の視線を避けてしまう。
「あなたはいつまでも初々しくて、こちらが照れてしまうな」
 照れるならやめて欲しいのだが、そう口には出せないでいる。カシュアは、自分の立場はとても不安定で危うく、いつ変化してもおかしくないと知っている。
(バージル殿下の胸の内がどうであろうと、俺への処遇には関係ない)
 仮にカシュアの存在が負に傾けば、国益を重んじる若き宰相は、迷わず切り捨てるだろう。だからここでの生活を守るには、己の有益さを証明しなくてはならない。そのためにも、この国と周辺国、特にヒースダインとの関係性について、できる限り早く、たくさん知っておく必要がある。
「本日も、図書室に入らせていただけますでしょうか」
 カシュアは口に運びかけたスプーンを下ろすと、向かいに座る夫にあらたまって願い出た。宮殿内の図書室には、多種多様な蔵書が揃っていて、カシュアの求める歴史書等も多い。
 バージルは平らげた皿を横へ押しやると、腕を組みながらどこか思案げな表情を浮かべる。
「勉強熱心なのはいいが、少し根を詰めすぎだ……ところでスープは飲めそうにないか?」
 その言葉に、カシュアは目の前の皿に視線を落とした。ベーコンの油が浮いたスープは胃を荒らしそうで、ほとんど手つかずの状態だ。ウェストリンの食事は総じて肉類を多用するため、カシュアの口にあまり合わない。それでも果敢にスプーンで液体をすくいあげると、向かいからのばされた手に阻まれた。
「無理して食べなくていい」
「……申し訳ありません」
 スプーンを取り上げられてしまった。どうせ胃を荒らしても、痛みはないのだから構わないのだが。
「あやまる必要もない」
 バージルはそっけない口調のわりには、代わりにと、ゆでた卵をつぶしてあえた野菜や、切り分けた果物をすすめてきた。意外にも食と健康に関する造詣が深く、カシュアの嗜好を探りながら、食べられそうなものを提案してくる。
(不思議な人だ)
 出会ったころは、あれほど体調が悪かったのに、今では躊躇なく触れられるほど健康体だ。睡眠もしっかり取っているようで、頭痛の症状も感じられない。
 バージルのそばにいて、居心地が良い日々は、ますますカシュアの焦燥感をつのらせる。無益な人間は、この宮殿には必要ない。
「あの、それで図書室は……」
「根を詰めすぎるのはよくない」
 先刻と同じ言葉を耳にして、カシュアはうなだれた。このままでは、近いうちに無益な人間として見限られてしまう。
 するとカシュアの失望を察したのか、向かいから気づかうような視線を感じた。
「あなたはもっと、別のことに関心を持つべきだ」
「別のこと、ですか」
 体を動かすことはもってのほかで、屋内ではこの応接室と寝室、それからバージルの私室以外は移動を制限されている中、できることは限られている。
「私の仕事を手伝ってみないか」
 それはカシュアにとって、願ってもない提案だった。
「俺にできることがあれば是非」
「では食事をすませたら、一緒に執務室へ向かおう」
 おそらくバージルはかなり前から、カシュアからヒースダインの情報を引き出す機会をうかがっていたに違いない。そしてそれこそ、カシュアの『切り札』なのだ。
 カシュアは、その『切り札』をできる限り有効に使いたくて勉強をしていた。なぜならいくら有益な情報とはいえ有限だからだ。

 バージルに連れられてカシュアが執務室に到着すると、すでに先客がいた。
「これはこれは……お待ちしておりました、妃殿下」
 奥に設えられたテーブルから立ち上がったのは、以前妃教育の名目で顔を合わせたピアースという執務補佐官だった。茶色の髪と垂れ目がちな瞳は、落ち着いたやさしげな風貌だが、うかがうような視線はとても鋭く感じる。
「ちょうどよかった、そこの王子様に聞きたいことがたくさんあるんだ。さあこちらへ座って」
 そう言って隣の席をすすめるのは、甘色の長い髪を横に流した、美しい顔立ちの青年だった。その華のある姿から、カシュアは彼が、バージルの弟である第三王子と気づいた。
「王子殿下におかれましては」
「かた苦しいあいさつはいらないよ。僕のことはマイヤーと呼んで」
 マイヤーははしっこい眼差しで、カシュアの全身をなぞるように見つめた。
「緊張しなくてもいいよ。ただ役に立ちそうもなければ、お部屋へお取り引き願うだけだから」
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