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第一部
17.二人で過ごす時間
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それから、カシュアとバージルの奇妙な共同生活がはじまった。
カシュアは、まだ決定打となる解毒薬が使えないことから、安全を考慮して寝室の外へ出ることを禁じられている。そしてバージルは、仕事を寝室に持ちこんで、ほぼ一日中居座っている。
(いや、居座ってる、と言うのは間違ってる。ここは、この方の寝室でもあるのだから)
寝室には扉が二つあって、ひとつは廊下へ続くもの、もうひとつはバージルの私室へ続くものだった。
「あまり目の届かない場所にいてほしくはないが、私の部屋ならば構わない。奥に本棚があるから、どれでも自由に読むといい」
「承知しました、では」
さっそく本棚をみせてもらおうと、ベッドから出ようとしたところで、手首をつかまれた。
「待て、その前に」
「え」
そのまま腕の中に閉じこめられ、唇を重ねられた。やわらかくて、やさしい触れ合いだが、視界をしっかり遮断しないと、また腰が抜けてしまう。至近距離の王弟殿下は、特にキスの前後は、暴力的なほど色気を帯びてて危険だ。
「……あなたは、いつまで他人行儀な話しかたを続けるつもりだ」
「えっ」
つい目を開けてしまうと、切ない色を帯びた青い瞳に見つめられてた。
「もっと、くだけた口調がいい。乱暴な話しかたでも、いいから」
バージルは過保護だが、カシュアをきちんと男性として認識し、そのように扱ってくれる。元気になったら体力作りにも協力すると約束してくれたし、また普段着も男性用の服を仕立ててくれる。まだ寝室から出られないので、着る機会はないのだが。
「お、俺は、敬語を外すと、そっけない言いかたしかできない」
「うん? それがあなたなら、私は構わない」
カシュアは動揺を隠しきれず、逃げるようにベッドから飛び降りると、バージルの部屋へとかけこんだ。
(心臓に悪い……)
あのきれいな顔で、やさしく言われてしまえば、愛されてると信じてしまいそうだ。カシュアは決して楽天的な性格ではない。自分がなにか特殊な事情で大切にされ、生かされていると理解してる。詳しい事情はわからないが、少なくとも自分が死ぬことは、ヒースダインに対して不利な要素となるのだろう。
(もっとヒースダインとウェストリンの関係性について学ばないと。殿下の本棚に、ちょうどいい本はあるだろうか)
本を読むのは嫌いではない。いや、これまで本を読むことくらいしか許されなかったから、他にやりたいことが思いつかない、という言いかたが正しい。
本棚に並んでいるのは、さまざまな戦術書や歴史書、地域の伝承についての本と幅広い。実用的な学術書が多いなか、ふと一番下の棚の端に目をやると、毛色の違う本を見つけた。
(……『妖精物語』だって?)
子ども向けの童話だ。しかもこの本は、読んだことこそないが、存在はよく知っている。
(間違いない……あの物語の本編だ)
なぜバージルの本棚にこれが収まっていたのか、深く考えるよりも先に中身が気になった。さっそくめくって読み進めていくうちに、気づいたときにはかなりの時間が経っていたらしい。
「……カシュア」
「えっ、はいっ!」
肩をはねさせて後ろをふり向けば、体を屈ませたバージルがあきれた様子でカシュアの顔をのぞきこんでいた。
「そのように床に座っていたら、体が冷えてしまう」
「あ……」
腕を取られて引き上げられると、本がひざからすべり落ちた。
「ん? この本は……いったいどこから見つけた?」
バージルは不思議そうに、床に落ちた本の表紙を見下ろす。
「その本棚の、端にありました」
「これはマイヤーのいたずらだな。いつ私が気づくか、ためしたに違いない」
バージルは本を拾い上げると、カシュアと一緒に寝室へと運んだ。そして並んでベッドに座り、さっそく慣れた手つきでページをめくる。
「私が子どものころに読んだ本だ」
バージルの子ども時代なんて、今の姿からは想像もつかない。でも、このような童話を楽しんでいたころが、たしかにあったのだ。
「三巻の第二十四章、ここで妖精の子が生まれる。ほら、ここだ」
カシュアは、バージルが指をすべらせる文字を目で追う。
「あなたに似てるだろう?」
カシュアは顔を上げると、甘い微笑を浮かべた男の目をまじまじと見つめた。冗談を言ってるようには見えない。
「いえ、まったくそうは思えませんが」
「いや、私のイメージどおりだ。控えめなのに芯が強くて、どこかかわいらしい」
「かわっ……」
絶句するカシュアをよそに、バージルはさらに続けた。
「やわらかそうな灰色の髪も、淡い瞳の色も。あなたに出会ってはじめて、妖精ならこういう外見してるだろう、という答えをもらえた」
ありがとう、と礼を言われても、カシュアはどう反応したらいいかわからない。ただ彼が自分に興味を持った理由だけは、これではっきりした。
「私は妖精ではありません」
「ああ、人間でよかったと思ってる。だからこうして伴侶になれて、触れることができる。本当に、あなたが本物の妖精でなくてよかった」
カシュアは再びあぜんとして、バージルの満足げに笑う横顔を見つめる。生まれたばかりの不安の種は、彼の言葉で一気に霧散した。
「バージル殿下は……太陽の使徒に似てますよ」
「誰だ、それは?」
そこでカシュアは、子どものころに読んだ物語を聞かせた。バージルは驚きと興味を持って、それに聞き入っていた。そしてカシュアが話し終えると、うれしそうにつぶやいた。
「私が、本物の太陽の使徒でなくてよかった。人間だからこそ、あなたと共に生きることができる」
王弟殿下夫妻の寝室でやさしい時間が流れる一方で、大執務室では剣呑な空気が漂っていた。
エドワード国王は、ピアース執務補佐の持ってきた報告書を前に渋面を浮かべる。
「……ヒースダインから、重罪人カシュア・ヒースダインの引き渡し要求だと?」
「罪状はこちらに」
「なになに……十五年前、当時後宮に住んでいたカシュア・ヒースダイン『元』王子が、複数の妃たちに死に至る病を『故意に』うつした、と」
「ヒースダイン側は、罪人である王子の引き渡しを、謝罪とともに申し入れてきました」
「謝罪? 何に対して?」
「当時知らなかったとはいえ、あろうことか罪人を側室としてウェストリンへ嫁がせたことへの謝罪、のようです」
「なるほどな」
「どうやら連中は、カシュア様が件の流行病に感染し、完治したと考えてるようです。むこうの宮廷医師らは、病の抗体を持つカシュア様を調べて、どうにか予防薬ないし治療薬を開発したいのでしょう」
「ふーむ、あの王子が病を克服したと信じるにいたった根拠は、あの驚異的とも呼べる、痛みへの耐性だろうな」
「ええ、あのような不思議な体質をお持ちならば、ヒースダインがそう考えても不思議ではないですね」
「今さらだな。しかし連中は、その可能性にかけてみることにした。きっとヒースダインでは件の病が蔓延してて、藁にもすがる思いなのだろう。予防薬は、喉から手が出るほどほしいはずだ」
エドワードは、人の悪い笑みを浮かべた。
「先にウェストリンが予防薬を開発して、ヒースダインに高値で売りつけてやるのもいいな」
(第一部・完)
カシュアは、まだ決定打となる解毒薬が使えないことから、安全を考慮して寝室の外へ出ることを禁じられている。そしてバージルは、仕事を寝室に持ちこんで、ほぼ一日中居座っている。
(いや、居座ってる、と言うのは間違ってる。ここは、この方の寝室でもあるのだから)
寝室には扉が二つあって、ひとつは廊下へ続くもの、もうひとつはバージルの私室へ続くものだった。
「あまり目の届かない場所にいてほしくはないが、私の部屋ならば構わない。奥に本棚があるから、どれでも自由に読むといい」
「承知しました、では」
さっそく本棚をみせてもらおうと、ベッドから出ようとしたところで、手首をつかまれた。
「待て、その前に」
「え」
そのまま腕の中に閉じこめられ、唇を重ねられた。やわらかくて、やさしい触れ合いだが、視界をしっかり遮断しないと、また腰が抜けてしまう。至近距離の王弟殿下は、特にキスの前後は、暴力的なほど色気を帯びてて危険だ。
「……あなたは、いつまで他人行儀な話しかたを続けるつもりだ」
「えっ」
つい目を開けてしまうと、切ない色を帯びた青い瞳に見つめられてた。
「もっと、くだけた口調がいい。乱暴な話しかたでも、いいから」
バージルは過保護だが、カシュアをきちんと男性として認識し、そのように扱ってくれる。元気になったら体力作りにも協力すると約束してくれたし、また普段着も男性用の服を仕立ててくれる。まだ寝室から出られないので、着る機会はないのだが。
「お、俺は、敬語を外すと、そっけない言いかたしかできない」
「うん? それがあなたなら、私は構わない」
カシュアは動揺を隠しきれず、逃げるようにベッドから飛び降りると、バージルの部屋へとかけこんだ。
(心臓に悪い……)
あのきれいな顔で、やさしく言われてしまえば、愛されてると信じてしまいそうだ。カシュアは決して楽天的な性格ではない。自分がなにか特殊な事情で大切にされ、生かされていると理解してる。詳しい事情はわからないが、少なくとも自分が死ぬことは、ヒースダインに対して不利な要素となるのだろう。
(もっとヒースダインとウェストリンの関係性について学ばないと。殿下の本棚に、ちょうどいい本はあるだろうか)
本を読むのは嫌いではない。いや、これまで本を読むことくらいしか許されなかったから、他にやりたいことが思いつかない、という言いかたが正しい。
本棚に並んでいるのは、さまざまな戦術書や歴史書、地域の伝承についての本と幅広い。実用的な学術書が多いなか、ふと一番下の棚の端に目をやると、毛色の違う本を見つけた。
(……『妖精物語』だって?)
子ども向けの童話だ。しかもこの本は、読んだことこそないが、存在はよく知っている。
(間違いない……あの物語の本編だ)
なぜバージルの本棚にこれが収まっていたのか、深く考えるよりも先に中身が気になった。さっそくめくって読み進めていくうちに、気づいたときにはかなりの時間が経っていたらしい。
「……カシュア」
「えっ、はいっ!」
肩をはねさせて後ろをふり向けば、体を屈ませたバージルがあきれた様子でカシュアの顔をのぞきこんでいた。
「そのように床に座っていたら、体が冷えてしまう」
「あ……」
腕を取られて引き上げられると、本がひざからすべり落ちた。
「ん? この本は……いったいどこから見つけた?」
バージルは不思議そうに、床に落ちた本の表紙を見下ろす。
「その本棚の、端にありました」
「これはマイヤーのいたずらだな。いつ私が気づくか、ためしたに違いない」
バージルは本を拾い上げると、カシュアと一緒に寝室へと運んだ。そして並んでベッドに座り、さっそく慣れた手つきでページをめくる。
「私が子どものころに読んだ本だ」
バージルの子ども時代なんて、今の姿からは想像もつかない。でも、このような童話を楽しんでいたころが、たしかにあったのだ。
「三巻の第二十四章、ここで妖精の子が生まれる。ほら、ここだ」
カシュアは、バージルが指をすべらせる文字を目で追う。
「あなたに似てるだろう?」
カシュアは顔を上げると、甘い微笑を浮かべた男の目をまじまじと見つめた。冗談を言ってるようには見えない。
「いえ、まったくそうは思えませんが」
「いや、私のイメージどおりだ。控えめなのに芯が強くて、どこかかわいらしい」
「かわっ……」
絶句するカシュアをよそに、バージルはさらに続けた。
「やわらかそうな灰色の髪も、淡い瞳の色も。あなたに出会ってはじめて、妖精ならこういう外見してるだろう、という答えをもらえた」
ありがとう、と礼を言われても、カシュアはどう反応したらいいかわからない。ただ彼が自分に興味を持った理由だけは、これではっきりした。
「私は妖精ではありません」
「ああ、人間でよかったと思ってる。だからこうして伴侶になれて、触れることができる。本当に、あなたが本物の妖精でなくてよかった」
カシュアは再びあぜんとして、バージルの満足げに笑う横顔を見つめる。生まれたばかりの不安の種は、彼の言葉で一気に霧散した。
「バージル殿下は……太陽の使徒に似てますよ」
「誰だ、それは?」
そこでカシュアは、子どものころに読んだ物語を聞かせた。バージルは驚きと興味を持って、それに聞き入っていた。そしてカシュアが話し終えると、うれしそうにつぶやいた。
「私が、本物の太陽の使徒でなくてよかった。人間だからこそ、あなたと共に生きることができる」
王弟殿下夫妻の寝室でやさしい時間が流れる一方で、大執務室では剣呑な空気が漂っていた。
エドワード国王は、ピアース執務補佐の持ってきた報告書を前に渋面を浮かべる。
「……ヒースダインから、重罪人カシュア・ヒースダインの引き渡し要求だと?」
「罪状はこちらに」
「なになに……十五年前、当時後宮に住んでいたカシュア・ヒースダイン『元』王子が、複数の妃たちに死に至る病を『故意に』うつした、と」
「ヒースダイン側は、罪人である王子の引き渡しを、謝罪とともに申し入れてきました」
「謝罪? 何に対して?」
「当時知らなかったとはいえ、あろうことか罪人を側室としてウェストリンへ嫁がせたことへの謝罪、のようです」
「なるほどな」
「どうやら連中は、カシュア様が件の流行病に感染し、完治したと考えてるようです。むこうの宮廷医師らは、病の抗体を持つカシュア様を調べて、どうにか予防薬ないし治療薬を開発したいのでしょう」
「ふーむ、あの王子が病を克服したと信じるにいたった根拠は、あの驚異的とも呼べる、痛みへの耐性だろうな」
「ええ、あのような不思議な体質をお持ちならば、ヒースダインがそう考えても不思議ではないですね」
「今さらだな。しかし連中は、その可能性にかけてみることにした。きっとヒースダインでは件の病が蔓延してて、藁にもすがる思いなのだろう。予防薬は、喉から手が出るほどほしいはずだ」
エドワードは、人の悪い笑みを浮かべた。
「先にウェストリンが予防薬を開発して、ヒースダインに高値で売りつけてやるのもいいな」
(第一部・完)
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