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第一部

8.食事について

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 その夜。執務室にいるバージルが、いつものように遅い夕食代わりの夜食をとっていると、弟のマイヤーが訪ねてきた。
「めずらしいね、なに食べてるの」
 バージルの前には、先ほど厨房から運ばれた野菜スープと冷肉のサンドウィッチが並んでいた。
「いつも、野戦食みたいなものばかり食べてるくせに、どういう風のふきまわし?」
 バージルが無言で、執務机越しにサンドウィッチをすすめると、マイヤーは立ったままひと切れ手に取って、近くから引っ張ってきた椅子に腰を下ろした。
 弟から好奇な視線を向けられるバージルは、可能ならば自分自身に同じ目を向けたいところだ。
(まさか、ふつうの食事が、これほどうまいとは……)
 普段の食事は、栄養と手軽さを最大限に考慮した、マイヤーに言わせると『野戦キャンプで食べる携帯食のような』ペースト状のものを口に流しこむのだが、今夜は違った。
「実は昼間に、彼と二人で食事をしたのだが、その時の味が忘れられなくてな」
「妖精の王子様と? よかったね、仲良くなれそう?」
 バージルは、つい数時間前の出来事を思い出す。彼の手に触れようとしたとき、あからさまに嫌がられたのは、少し、いやかなりショックを受けたが、すぐに反省もした。婚姻関係を結んだとはいえ、数日前まで顔も見たことなく、他人同然だったことを失念してた。
「どうだろう……だが、一緒に食事をしたいと言い出したのは彼だ」
「えっ、それはますますよかったね!」
 バージルは小さくうなずくと、昼間の夢のようなひとときを思い返した。
 新しい夫婦の寝室で、彼と二人きり向かい合って食事をした。病み上がりの彼のために用意したのは、ミルク粥と滋養たっぷりのテールスープ、それに果物のゼリーをはさんだサンドウィッチだった。残さず食べてくれた上、食べる姿も存分にながめられた。つられて一緒に口にした料理は、懐かしさをおぼえるくらい味わい深く、素直においしかった。
「それにしてもバージル兄さんが、あれほど血相を変えて走り回る姿は、はじめてみたよ」
 マイヤーの言葉に、バージルは沈痛な面持ちで目を伏せる。急いで視察を終えて王宮に戻ってきたら、彼の体調不良を聞かされ、らしくもなく動揺した。急いで部屋へ駆けつけてみれば、医師はまだ到着してなく、運ぼうとすればいきなり苦しみ出したので、さらに気が動転してしまった。ようやく駆けつけたガイヤに診せると、足のケガが放置されたまま悪化してると聞かされて、今度は激しく落ちこんだ。
「彼は、足にひどいケガを負っていた。体調を崩したのはそのせいだろう、というのが医者の見立てだ」
「そっか。でも食事できるまで回復したんだね。ガイヤはなんて?」
「容体は安定してるが、あと二、三日様子をみる必要があると……」
 バージルは再び視線を落とした。腕の中で苦しむ姿に、胸が張り裂けそうだった。あんなになるまで、なぜ我慢してたのだろう。はじめて顔合わせした日に、足を引きずってることに気づいていながら、すぐに医師に診せなかったのが悔やまれる。
「それから体が衰弱してるようだから、規則正しい生活を送ることが、何より大切だそうだ」
「ふうん、それってバージル兄さんにも言えることじゃない?」
 マイヤーはサンドウィッチのさいごのひと切れを咀嚼しながら、あきれたように苦笑を漏らした。
「さいきんちゃんと寝てる? 不規則な生活してるから、そんなふうに顔色が悪くなるんだよ」
 たしかに、バージルの生活はほめられたものではなかった。平均睡眠時間は、日中の仮眠も含めて三、四時間程度。食事は朝晩に『野戦食』もどきの流動食、そして水分代わりにコーヒーを数十杯ほど。それをここ数年ほど続けてきた。
 しかし近ごろ、急にひどい疲れを感じたり、また思考が鈍くなることがあり、マイヤーやエドワードには度々心配掛けてしまってる。
「王子様に規則正しい生活の大切さを説くつもりなら、言う本人こそ実践しないと説得力がないんじゃないの」
「たしかに、お前の言うとおりだ」
 こんな生活でも、十代のころは無茶がとおせた。たまの休みにまとめて寝れば回復できたし、食事だって好きなものを適当に口にしておけば体力も気力ももった。
 しかし二十過ぎると、とたんに疲れやすくなり、食事もいい加減に食べていると、体力も気力ももたなくなった。そこで考えたのが、あの『野戦食』だ。適切な栄養源を効率よく摂取できるようバージルが発案したのだが、料理長は腕のふるいがいがないと肩を落とした。それでも彼なりに工夫してくれたおかげで、味はそこそこ悪くはないと思う。それでもやはり、こうしたスープやサンドウィッチの方が味わい深い。
(いや、彼と一緒に食べたときのほうが、より味がよかった気がする)
 妖精のような彼は、魔法でも使ったのだろうか。とにかく、やたらおいしく感じたのは事実で、だからつい夜食も似たようなものを食べたくなった。
(彼にもっとたくさん、うまいものを食べさせたい。どんな食べ物を好むだろう……だが、その前に)
 バージルは、平らげたスープの皿を押しやると、マイヤーの顔を見やる。
「それで? この話をするために、わざわざ私の部屋にきたわけじゃないだろう」
「もちろん、バージル兄さんのために、わざわざ足を運んだんだからね。件の王子様の噂について、ヒースダインから報告があがってきたよ」
 マイヤーは諜報活動を得意とし、彼の指示で自由に動かせる部隊がいる。本人は主に宮殿を拠点とし、王族の身分を最大限に利用して活動している。おそらくバージルも、彼の情報源のひとつに過ぎない。
 三兄弟は協力してクーデターを起こしたが、利害関係あってこその繋がりだ。エドワードは王位に着く上で、バージルの頭脳を買い、またマイヤーの情報収集力を必要とした。マイヤーは、自分の宮殿での身分と地位を盤石にするには、二人の兄についたほうが得策だと判断した。そしてバージルは、玉座をエドワードに座らせたほうが『国益』になると考え、マイヤーは諜報部隊として役立つと考えた。誰かが誰かにとって無益と見なしたとき、この関係には亀裂が入るだろう。
 それでも人との関係とは不思議なもので、互いに心配したり思いやったり、損得勘定だけでは説明できないなにかが、たしかに三人の間には存在した。
「ヒースダインでは、王子様は『呪術』を使って、後宮にいる何人もの妃を手に掛けたって噂だよ」
「『呪術』?」
「なんでも彼にかかわると、ケガをしたり病気になったり、最悪命を落とすこともあるんだって」
「馬鹿馬鹿しい」
「だよね、僕もそう思った。だけど、たしかに彼の周りには、不審な死にかたをした人間が何人もいるようだよ」
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