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第一部
4.秘密の異能
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翌朝。深い眠りからさわやかに目覚めたカシュアは、ベッドで大きく伸びをした。予想したとおり体のどこにも違和感はなく、実にすばらしいものだと静かに感動する。
北の塔のベッドは、とても寝心地が悪かった。別に粗末なわけではない。ただ古すぎて、マットのスプリングがすべて壊れていたのだ。部屋中のクッションやらタオルやらかき集めて敷きつめてみても、なかなか寝心地は改善されなかった。毎朝目が覚めるたび、体中にこわばりや違和感があって、おそらくひどく痛めているのだろうなとうんざりしたものだ。
(なんだか頭まですっきりしてるな。久しぶりに『調子がいい』感じがする)
ここ数年ぶりに明るい気持ちでベッドから下りると、どこからともなく侍女があらわれて、顔を洗うぬるま湯やら、着替えやらを用意してくれた。彼らは事務的な受け応えしかしないが、視線にも態度にも嫌悪やおびえは感じられず、ひとまず胸をなでおろした。
「タオルはこちらに」
「ありが……自分で取るので、そこに置いといてください」
手渡されそうになったタオルから、あわてて手を引いたが、侍女は特に気にした様子もなかった。
(あぶなかった、もう少しで手がぶつかりそうだった。もっと気をつけなくては)
昨日、兵士に肩を押されたのは不可抗力としても、できうる限り人との接触を回避するよう努めなくては。こういう体質のため、痛みにはある程度耐性はあるが、誰がどんな痛みを抱えてるか、触れるまでわからないから油断できない。不用意に触れて、意図せずに大げさな身振りで反応してしまったら、相手に不信感を与えてしまう。
(そういえば、足の手当てがまだだったな)
昨夜おざなりにタオルで傷をぬぐっただけで、消毒もしてない。その昔、庭で転んでひざを激しくすりむいたとき、手当をおこたったせいで化膿してしまい、しばらく包帯をはずせなかったことを思い出す。
カシュアは、近くに控えてる侍女に声をかけた。
「すいませんが、こちらに救急箱とかありますか。ちょっとケガしたときに使えそうなものがそろっていればありがたいのですが」
「どこか、おケガされたのですか」
声を掛けられた侍女は、心配そうに近づいてきた。カシュアは、さりげなく体を引きながら、さらに軽い口調で続けた。
「いえ、そういうわけではなく、たとえば本のページで指を切ったとか、ベッドの柱にひざをぶつけたとか、たいしたことないのにわざわざ誰かを呼びたくないのです。前の部屋にいたころも、常備薬や応急処置の消毒薬や傷薬をもらっていたので、こちらの部屋にも用意していただければ安心かと思いまして」
「そういうことでしたら、そちらのクローゼットの一番上の棚にございます。しかし手当ては、基本私どもや近くに控えている者が行いますので、どうぞご遠慮なくお申し付けください」
カシュアは、侍女の言葉にあいまいにうなずきながらも、あとでひとりになってから足の手当てをしようと決めた。手当てとはいえ、できるだけ人との接触は避けたかった。
洗顔と着替えをすませると、タイミングを見計らったように料理が運ばれてきた。用意された朝食はあたたかくて、健康的な内容だった。しかし慣れない多くの視線にさらされていたためか、あまりゆっくり味わえず、それほど食も進まなかった。
「お食事がおすみでしたら、これから婚儀の服を仕立てるために採寸させていただきます」
するとどこからともなく針子らしき女性たちが現れて、なにやら準備をはじめた。カシュアはどうしたものかと眉を下げる。
(少しは正直に話したほうが、妙な不審感をもたれないかもしれないな)
今回だけ適当な言い訳をしてうまく避けられても、次回似たようなことがあれば、隠し事をしてると疑われそうだ。ここで対人関係に失敗すれば、この先この国にいる限り、非常に生きにくくなるおそれがある。カシュアは覚悟を決めると、慎重に口を開いた。
「あの、実は、人に触られるのが苦手でして」
すると針子たちは困ったように顔を見合わせた。
「ですがお身体を計りませんと、婚礼衣装が作れませんし……」
それはそうだろう。カシュアだって、彼らの仕事を妨害したいわけではない。お互い悩んだ末、代表の針子ひとりで採寸することになった。それはかなり年配の女性で、カシュアはどうせなら若くて健康そうな女性がよかったが、それを言うとあらぬ誤解をされそうなので黙っていた。
(……ん、腰痛持ちか。けっこうひどいな)
針子の腰あたりに視線を走らせ、世の中には我慢強い人間が多いものだと、しみじみ思う。体の不調を抱えていても、こうしてなんでもない顔して仕事する。頭痛腹痛、肩こり腰痛はもちろんのこと、ケガや原因不明の痛みにも耐えながら、それでも毎日働いている。きちんと医者に診てもらってることを祈るばかりである。
針子の腰痛に耐えつつ、体のあらゆる部位の長さを測られてヘトヘトになっていたら、急に部屋の空気が変わった。
「私に気にせず、続けてくれ」
おどろいたことに、部屋にやってきたのはバージル王弟殿下だった。いや、まだ新国王の戴冠式を終えてないので、正確にはバージル王子殿下か。どういう理由があって、わざわざここへ足を運んだのだろう。
(もしや急に気が変わって、俺との結婚は取りやめになったのか。それとも不吉な噂を知って、いよいよ牢屋にうつされるのか)
これまでの経験から、つい悪い方へと考えてしまう。視線を床に落としていると、頭上に影が落ちた。
「カシュア王子」
名を呼ばれてしかたなく顔を上げると、思いのほかバージルが近くに立っていた。頭ひとつぶんは高いが、だからといってカシュアが特別小さいわけではない。これでもヒースダインでは、成人男性の平均的な身長だ。つまりウェストリンと比べて、人種的に埋められない体格差があるのだろう。
「……どこか具合が悪いのか」
「えっ」
うろたえるカシュアに向かってバージルが近づくと、針子たちは漣が引くように下がった。
「いえ……大丈夫です、けど?」
「そうか。なんとなく腰をかばって立っているように見えたのだが」
鋭い指摘に、カシュアは冷や汗を流した。針子の手がはなれたので、今はもう痛まない。
(この人の前では、特に注意が必要だな)
北の塔のベッドは、とても寝心地が悪かった。別に粗末なわけではない。ただ古すぎて、マットのスプリングがすべて壊れていたのだ。部屋中のクッションやらタオルやらかき集めて敷きつめてみても、なかなか寝心地は改善されなかった。毎朝目が覚めるたび、体中にこわばりや違和感があって、おそらくひどく痛めているのだろうなとうんざりしたものだ。
(なんだか頭まですっきりしてるな。久しぶりに『調子がいい』感じがする)
ここ数年ぶりに明るい気持ちでベッドから下りると、どこからともなく侍女があらわれて、顔を洗うぬるま湯やら、着替えやらを用意してくれた。彼らは事務的な受け応えしかしないが、視線にも態度にも嫌悪やおびえは感じられず、ひとまず胸をなでおろした。
「タオルはこちらに」
「ありが……自分で取るので、そこに置いといてください」
手渡されそうになったタオルから、あわてて手を引いたが、侍女は特に気にした様子もなかった。
(あぶなかった、もう少しで手がぶつかりそうだった。もっと気をつけなくては)
昨日、兵士に肩を押されたのは不可抗力としても、できうる限り人との接触を回避するよう努めなくては。こういう体質のため、痛みにはある程度耐性はあるが、誰がどんな痛みを抱えてるか、触れるまでわからないから油断できない。不用意に触れて、意図せずに大げさな身振りで反応してしまったら、相手に不信感を与えてしまう。
(そういえば、足の手当てがまだだったな)
昨夜おざなりにタオルで傷をぬぐっただけで、消毒もしてない。その昔、庭で転んでひざを激しくすりむいたとき、手当をおこたったせいで化膿してしまい、しばらく包帯をはずせなかったことを思い出す。
カシュアは、近くに控えてる侍女に声をかけた。
「すいませんが、こちらに救急箱とかありますか。ちょっとケガしたときに使えそうなものがそろっていればありがたいのですが」
「どこか、おケガされたのですか」
声を掛けられた侍女は、心配そうに近づいてきた。カシュアは、さりげなく体を引きながら、さらに軽い口調で続けた。
「いえ、そういうわけではなく、たとえば本のページで指を切ったとか、ベッドの柱にひざをぶつけたとか、たいしたことないのにわざわざ誰かを呼びたくないのです。前の部屋にいたころも、常備薬や応急処置の消毒薬や傷薬をもらっていたので、こちらの部屋にも用意していただければ安心かと思いまして」
「そういうことでしたら、そちらのクローゼットの一番上の棚にございます。しかし手当ては、基本私どもや近くに控えている者が行いますので、どうぞご遠慮なくお申し付けください」
カシュアは、侍女の言葉にあいまいにうなずきながらも、あとでひとりになってから足の手当てをしようと決めた。手当てとはいえ、できるだけ人との接触は避けたかった。
洗顔と着替えをすませると、タイミングを見計らったように料理が運ばれてきた。用意された朝食はあたたかくて、健康的な内容だった。しかし慣れない多くの視線にさらされていたためか、あまりゆっくり味わえず、それほど食も進まなかった。
「お食事がおすみでしたら、これから婚儀の服を仕立てるために採寸させていただきます」
するとどこからともなく針子らしき女性たちが現れて、なにやら準備をはじめた。カシュアはどうしたものかと眉を下げる。
(少しは正直に話したほうが、妙な不審感をもたれないかもしれないな)
今回だけ適当な言い訳をしてうまく避けられても、次回似たようなことがあれば、隠し事をしてると疑われそうだ。ここで対人関係に失敗すれば、この先この国にいる限り、非常に生きにくくなるおそれがある。カシュアは覚悟を決めると、慎重に口を開いた。
「あの、実は、人に触られるのが苦手でして」
すると針子たちは困ったように顔を見合わせた。
「ですがお身体を計りませんと、婚礼衣装が作れませんし……」
それはそうだろう。カシュアだって、彼らの仕事を妨害したいわけではない。お互い悩んだ末、代表の針子ひとりで採寸することになった。それはかなり年配の女性で、カシュアはどうせなら若くて健康そうな女性がよかったが、それを言うとあらぬ誤解をされそうなので黙っていた。
(……ん、腰痛持ちか。けっこうひどいな)
針子の腰あたりに視線を走らせ、世の中には我慢強い人間が多いものだと、しみじみ思う。体の不調を抱えていても、こうしてなんでもない顔して仕事する。頭痛腹痛、肩こり腰痛はもちろんのこと、ケガや原因不明の痛みにも耐えながら、それでも毎日働いている。きちんと医者に診てもらってることを祈るばかりである。
針子の腰痛に耐えつつ、体のあらゆる部位の長さを測られてヘトヘトになっていたら、急に部屋の空気が変わった。
「私に気にせず、続けてくれ」
おどろいたことに、部屋にやってきたのはバージル王弟殿下だった。いや、まだ新国王の戴冠式を終えてないので、正確にはバージル王子殿下か。どういう理由があって、わざわざここへ足を運んだのだろう。
(もしや急に気が変わって、俺との結婚は取りやめになったのか。それとも不吉な噂を知って、いよいよ牢屋にうつされるのか)
これまでの経験から、つい悪い方へと考えてしまう。視線を床に落としていると、頭上に影が落ちた。
「カシュア王子」
名を呼ばれてしかたなく顔を上げると、思いのほかバージルが近くに立っていた。頭ひとつぶんは高いが、だからといってカシュアが特別小さいわけではない。これでもヒースダインでは、成人男性の平均的な身長だ。つまりウェストリンと比べて、人種的に埋められない体格差があるのだろう。
「……どこか具合が悪いのか」
「えっ」
うろたえるカシュアに向かってバージルが近づくと、針子たちは漣が引くように下がった。
「いえ……大丈夫です、けど?」
「そうか。なんとなく腰をかばって立っているように見えたのだが」
鋭い指摘に、カシュアは冷や汗を流した。針子の手がはなれたので、今はもう痛まない。
(この人の前では、特に注意が必要だな)
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