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第一部
1.クーデター明けの空模様
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その日、カシュアは数年ぶりに青空の下にいた。
数名の兵士たちに取り囲まれ、辺りの様子をそっとうかがう。そこかしこに赤黒い飛沫が散っていて、目をおおいたくなる光景ばかりが続いてた。
背後から影を落とす石造りの塔には、四年ほど世話になった。しかし、おそらく二度と足を踏み入れることはないだろう。快適とは言いがたい場所だったが、住み慣れた場所は不思議と安心感を与えてくれる。そこを離れるのだから、多少心許ない気持ちになるのもしかたない。
「ボサっとしてないで、とっとと歩け」
軽く肩を押され、カシュアはつんのめるように転んでしまった。
「おい、手荒な真似はするな」
「いや、そんなに強く押したつもりは……」
困った様子の兵士たちを尻目に、カシュアは黙ったまま立ち上がる。その様子を認めた兵士たちは、何事もなかったかのように改めてカシュアを取り囲むと、追い立てるように歩き出した。
(……ん?)
ぼんやり考え事をしてたら、ふと足先に違和感を感じた。どうやら先ほど転んだ際に、とがった瓦礫の欠片がサンダルの先から入りこみ、足の指を傷つけたらしい。サンダルからにじみ出た血が点々と石畳を汚していくが、すでに赤黒く染まった瓦礫の中ではちっとも目立たなかった。
(これで俺にも、赤い血が流れてるという証明になるな)
灰色の髪は、灰色の瞳とあいまって亡霊のようだと揶揄されてきた。それが嫌で、髪はいつもあごの線を超える前に切り落としてしまう。世界はこんなにも色であふれていて、カシュアの体の内側ですら赤色が存在するのに、なぜ外見はこうも色彩をそぎ落とされてしまったのだろう。
(せめて、フードがついたマントがあればよかったのに)
居心地悪い思いで木々が連なる塀を抜けると、ようやく視界の先にウェストリン宮殿が姿を現した。贅をつくした建物は、国力を示す象徴でもある。しかし優美な外観に反して、内部は想像以上に荒れ果てていた。
調度品はすべて叩き壊され、壁にも天井にも壮絶な戦いの爪痕が色濃く残されている。そして廊下と呼ばれたであろう通路の先には、金箔が施されたものものしい、巨大な扉がそびえ立っていた。その扉が開かれると、部屋の奥から静かな声が響いた。
「来たか、カシュア・ヒースダイン王子」
ひきさかれたカーテンが垂れ下がる大窓を右手に、黒いシミだらけの赤い絨毯が敷かれた先には、目の覚めるような金髪の男がいた。年のころは二十代後半だろうか。落ち着いたたたずまいなだけで、実年齢はもっと若いかもしれない。白いシャツに黒いズボンといった簡易な服装だが、ひざ下を包むボロボロに傷んだ黒皮のブーツがひときわ目を引く。男は、ぼろ布と化した垂れ幕を踏みつけて立っていて、その姿はこの凄惨な戦いの勝者側であることを物語っていた。
「この国でクーデターが起きたことは理解してるか」
向けられた青い瞳はまるで冬の湖のように静かで、裁きへの温情などまったく期待できそうにない類の色をしてる。カシュアは相手を刺激しないよう、慎重に口を開いた。
「もちろん、存じております」
「ならば話は早い」
カシュアはふと、自分の命運をにぎる男の顔を見上げた。おそらく判決はとっくに下されているのだろう。
「次期国王陛下の命により、あなたはこの私バージル・ウェストリンが娶ることになった。よって本日より、北の塔から宮殿へ居を移していただく。以上だ」
カシュアは一瞬息を飲んだものの、すぐに冷静さを取り戻すと、深く頭を垂れた。
「仰せのままに」
高いブーツの足音が遠ざかっていくなか、カシュアは虚無感を覚えた。おそらくこれまでと、あまり変わらない生活が続くだろう。今は亡きウェストリン国王陛下の側室から、彼の息子バージル・ウェストリン第二王子の側室へと身分が変わるだけだ。どちらにしても、大差は感じられなかった。
四年間におよんだ監禁生活は、変化に対する期待を失うにはじゅうぶんな長さだった。
その後カシュアは兵士たちによって、宮殿の最奥に位置する部屋へと連行された。ものものしく案内されたわりには、到着した部屋は清潔で日当たりもよく、風通しも良さそうなので、なにかの間違いかと首をひねった。
(てっきり地下牢に入れられるかと思ったが、これは……待遇が改善されたのか?)
しかし楽観視はできない。これまでの経緯から考えて、まともな扱いなど期待できなかった。
部屋にひとり残されると、カシュアは床に座りこみ、繊細な刺繍が施されたサンダルを脱いだ。左側の靴底は、予想通り半分ほど赤く染まっている。
(痛みを感じないのも、考えものだな)
カシュアは痛覚が極端に鈍く、代わりに触れた相手の痛みを感知してしまう。この体質はとてもやっかいで、これまで多くの人々にさまざまな誤解を与えてきた。
つい先刻、塔の前で兵士に肩を押されたとき、ひざから下に激痛が走った。おそらくあの兵士は、足を負傷したのだろう。痛みの感じからして裂傷のようだが、ああして歩けるところを見るに、適切な手当はすませているようだ。
(でもこんなこと、誰に言っても信じてもらえるわけがない。下手すると呪われただの、あらぬ誤解を生んでしまう)
母国ヒースダインでも、この体質のせいで幼いころから散々うとまれてきた。十九のときに同盟国のウェストリンに側室として嫁いだが、体のいい厄介払いだったのだろう。押しつけられたウェストリン国王も迷惑だったようで、カシュアは後宮に入れられず、代わりに北の塔に監禁された。
(今度の部屋は、ここで間違いないのか? それとも一時的に収監する部屋なのか?)
おそらく後者だろう。きっとクーデターの混乱で人手が足りず、限られた場所にしか見張りを配置できないに違いない。
天井や四方の壁を見まわすと、しっくいの白い壁が目にまぶしい。塗りむらがあるところを見るに、どうやらこの部屋だけ取り急ぎ整えたようだ。そして一見なんの変哲もない部屋だが、窓辺に視線を向けると、くすんだ灰褐色のカーテン越しに鉄格子が透けてみえた。明らかに閉じこめられた状態だが、カシュアはたいして気にならなかった。
(清潔なベッドだな……すごく寝心地が良さそうだ)
きっと明日は、肩にも腰にも妙な違和感を感じずに起きられるだろう。いくら痛覚が鈍いからといって、けがを負わないわけではないから、この環境はありがたかった。
数名の兵士たちに取り囲まれ、辺りの様子をそっとうかがう。そこかしこに赤黒い飛沫が散っていて、目をおおいたくなる光景ばかりが続いてた。
背後から影を落とす石造りの塔には、四年ほど世話になった。しかし、おそらく二度と足を踏み入れることはないだろう。快適とは言いがたい場所だったが、住み慣れた場所は不思議と安心感を与えてくれる。そこを離れるのだから、多少心許ない気持ちになるのもしかたない。
「ボサっとしてないで、とっとと歩け」
軽く肩を押され、カシュアはつんのめるように転んでしまった。
「おい、手荒な真似はするな」
「いや、そんなに強く押したつもりは……」
困った様子の兵士たちを尻目に、カシュアは黙ったまま立ち上がる。その様子を認めた兵士たちは、何事もなかったかのように改めてカシュアを取り囲むと、追い立てるように歩き出した。
(……ん?)
ぼんやり考え事をしてたら、ふと足先に違和感を感じた。どうやら先ほど転んだ際に、とがった瓦礫の欠片がサンダルの先から入りこみ、足の指を傷つけたらしい。サンダルからにじみ出た血が点々と石畳を汚していくが、すでに赤黒く染まった瓦礫の中ではちっとも目立たなかった。
(これで俺にも、赤い血が流れてるという証明になるな)
灰色の髪は、灰色の瞳とあいまって亡霊のようだと揶揄されてきた。それが嫌で、髪はいつもあごの線を超える前に切り落としてしまう。世界はこんなにも色であふれていて、カシュアの体の内側ですら赤色が存在するのに、なぜ外見はこうも色彩をそぎ落とされてしまったのだろう。
(せめて、フードがついたマントがあればよかったのに)
居心地悪い思いで木々が連なる塀を抜けると、ようやく視界の先にウェストリン宮殿が姿を現した。贅をつくした建物は、国力を示す象徴でもある。しかし優美な外観に反して、内部は想像以上に荒れ果てていた。
調度品はすべて叩き壊され、壁にも天井にも壮絶な戦いの爪痕が色濃く残されている。そして廊下と呼ばれたであろう通路の先には、金箔が施されたものものしい、巨大な扉がそびえ立っていた。その扉が開かれると、部屋の奥から静かな声が響いた。
「来たか、カシュア・ヒースダイン王子」
ひきさかれたカーテンが垂れ下がる大窓を右手に、黒いシミだらけの赤い絨毯が敷かれた先には、目の覚めるような金髪の男がいた。年のころは二十代後半だろうか。落ち着いたたたずまいなだけで、実年齢はもっと若いかもしれない。白いシャツに黒いズボンといった簡易な服装だが、ひざ下を包むボロボロに傷んだ黒皮のブーツがひときわ目を引く。男は、ぼろ布と化した垂れ幕を踏みつけて立っていて、その姿はこの凄惨な戦いの勝者側であることを物語っていた。
「この国でクーデターが起きたことは理解してるか」
向けられた青い瞳はまるで冬の湖のように静かで、裁きへの温情などまったく期待できそうにない類の色をしてる。カシュアは相手を刺激しないよう、慎重に口を開いた。
「もちろん、存じております」
「ならば話は早い」
カシュアはふと、自分の命運をにぎる男の顔を見上げた。おそらく判決はとっくに下されているのだろう。
「次期国王陛下の命により、あなたはこの私バージル・ウェストリンが娶ることになった。よって本日より、北の塔から宮殿へ居を移していただく。以上だ」
カシュアは一瞬息を飲んだものの、すぐに冷静さを取り戻すと、深く頭を垂れた。
「仰せのままに」
高いブーツの足音が遠ざかっていくなか、カシュアは虚無感を覚えた。おそらくこれまでと、あまり変わらない生活が続くだろう。今は亡きウェストリン国王陛下の側室から、彼の息子バージル・ウェストリン第二王子の側室へと身分が変わるだけだ。どちらにしても、大差は感じられなかった。
四年間におよんだ監禁生活は、変化に対する期待を失うにはじゅうぶんな長さだった。
その後カシュアは兵士たちによって、宮殿の最奥に位置する部屋へと連行された。ものものしく案内されたわりには、到着した部屋は清潔で日当たりもよく、風通しも良さそうなので、なにかの間違いかと首をひねった。
(てっきり地下牢に入れられるかと思ったが、これは……待遇が改善されたのか?)
しかし楽観視はできない。これまでの経緯から考えて、まともな扱いなど期待できなかった。
部屋にひとり残されると、カシュアは床に座りこみ、繊細な刺繍が施されたサンダルを脱いだ。左側の靴底は、予想通り半分ほど赤く染まっている。
(痛みを感じないのも、考えものだな)
カシュアは痛覚が極端に鈍く、代わりに触れた相手の痛みを感知してしまう。この体質はとてもやっかいで、これまで多くの人々にさまざまな誤解を与えてきた。
つい先刻、塔の前で兵士に肩を押されたとき、ひざから下に激痛が走った。おそらくあの兵士は、足を負傷したのだろう。痛みの感じからして裂傷のようだが、ああして歩けるところを見るに、適切な手当はすませているようだ。
(でもこんなこと、誰に言っても信じてもらえるわけがない。下手すると呪われただの、あらぬ誤解を生んでしまう)
母国ヒースダインでも、この体質のせいで幼いころから散々うとまれてきた。十九のときに同盟国のウェストリンに側室として嫁いだが、体のいい厄介払いだったのだろう。押しつけられたウェストリン国王も迷惑だったようで、カシュアは後宮に入れられず、代わりに北の塔に監禁された。
(今度の部屋は、ここで間違いないのか? それとも一時的に収監する部屋なのか?)
おそらく後者だろう。きっとクーデターの混乱で人手が足りず、限られた場所にしか見張りを配置できないに違いない。
天井や四方の壁を見まわすと、しっくいの白い壁が目にまぶしい。塗りむらがあるところを見るに、どうやらこの部屋だけ取り急ぎ整えたようだ。そして一見なんの変哲もない部屋だが、窓辺に視線を向けると、くすんだ灰褐色のカーテン越しに鉄格子が透けてみえた。明らかに閉じこめられた状態だが、カシュアはたいして気にならなかった。
(清潔なベッドだな……すごく寝心地が良さそうだ)
きっと明日は、肩にも腰にも妙な違和感を感じずに起きられるだろう。いくら痛覚が鈍いからといって、けがを負わないわけではないから、この環境はありがたかった。
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