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第二部 特別じゃない贈り物
第五話 はじめてのデート
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馬車に揺られて到着した先は『要塞城』の異名を持つ、バルテレミー城の西門に面した大通りだった。
貴族の邸宅が並ぶ南門付近とは違い、この辺りは噴水広場を中心に、高級ブティックやレストランが軒を連ねる、王都で最も華やかな観光スポットだ。だが高級店に縁がない俺にとって、この辺りはあまり馴染みがない。
俺たちを乗せた馬車は、広場の前で停まった。先に降りたアーベルの後を追って、常緑樹が立ち並ぶ遊歩道をサクサク進む。
周囲は家族連れよりも、恋人同士が寄りそって歩く姿が目についた。ふと、この公園が有名なデートスポットだったことを思い出し、若干居心地が悪くなった。
突然、少し前を歩いていたアーベルは足を止めると、後ろを歩く俺に振り返った。日に当たると鮮やかなブルーに輝くコートがひるがえって、眩しい銀色の前髪が風に揺れる。
「……寒くないか?」
「いや、別に?」
「そうか」
アーベルは短くそう言うと、俺が隣に追いつくのを待って再び歩き出した。今度は歩調を合わせてくれるようで、ゆっくり前を進んでいく。
(そういや、いつもは俺の少し後ろを歩いてたよな)
夜アパートまでの道を歩くとき、彼はいつも俺より後ろを歩いていた。今思えば、不審者がついてこないか目を配っていたのだろう。
チラリと隣を盗み見たが、目を合わそうともせず、硬い表情で前を向いたままだ。どうしてか、かなり緊張してるのが分かる。
(なんでこんなとこ歩いてんだ、俺たち)
しばらく会話もなく、ただひたすら黙々と歩いていたが、やがてアーベルは重い口を開いた。
「……悪かった」
一瞬なんのことかと思ったが、ふと先日の口喧嘩に思い至った。
「俺も態度悪かったよ」
俺が苦々しい気持ちで首をさすりながら謝ると、アーベルはキッパリと首を振った。
「いや、君に非はない」
「でも俺の言いかたはひどかったと思うし」
「君は悪くない。悪いのは私だ」
お互い謝ったことで、少しだけ緊張感が薄らいだ。俺は肩の力を抜くと、ようやく歩きながら周囲を見回す余裕ができた。
(この人って、基本いい人なんだよな)
すっかり葉を落とした木々が立ち並び、その細い枝の隙間から、澄んだ透明感のある冬の空がのぞく。明るくて、少し物悲しいが、とてもきれいだ。
(ん……? なんか甘い匂いがする……)
鼻をひくつかせて辺りを見回すと、道の先にカラフルな色に塗られた屋台があった。小さなカウンターからは、焼いたナッツの香ばしい匂いが漂ってくる。店先には暖かそうなコートを着た親子連れや、デート中らしき若い男女が五、六人列を作っていた。
俺がものめずらしげにながめていると、隣から小さな咳ばらいが聞こえた。
「……君が食べたいのなら買ってくるが、どうする?」
「えっ、別に買わなくていいよ」
突然のアーベルの申し出に、俺はびっくりして首を振った。いろんなナッツに飴をからめたそれは、たしかに興味をひかれるが、菓子類は高いと相場はきまってる。
「ところで昼はもう食べたのか」
「いや昼は……」
つい『普段は食べない』と答えそうになったが、あわててその言葉を飲みこんだ。職場の仲間内では、朝晩一日二食なんてちっともめずらしくないけど、おそらくアーベル達は昼飯を食べるのが当たり前なはずだ。
ここでうっかり正直に言ったら『だからそんなに痩せてしまうんだ』と、いつもの説教がはじまるに違いない。
(説教だけならいいけど、この人なんだかんだで心配するからな)
俺はできるだけ軽い調子で、しかし言葉を選びつつ口を開いた。
「今日はあまり時間なくてさ。でもあまり腹は空いてないかな」
「そうか……悪いが私はまだ食べてないから、付き合って欲しい。なにか食べ物の好みはあるか」
「ええと、食べれないものってこと?」
「君の好きな食べ物はなにかと聞いている」
好きな食べ物なんていっぱいある。でも普段から食べられる物が限られていて、好き嫌いなんて贅沢言えないから、急に聞かれてもすぐに思いつかない。
俺が黙っていると、アーベルは少し困ったように『では、あの辺りの店に行こう』と、噴水の先に見える小綺麗なカフェを提案した。俺は特に反対する理由もないので、黙ってついて行くことにする。どうせ俺は食べないし、アーベルの腹が満たされればそれで構わなかった。
だがカフェのテラス席に着くなり、メニューを渡されたので首をかしげる。
「俺、食べないよ?」
「は? 昼はまだ食べてないのだろう?」
「食べてないけど、だからって食べないよ?」
「……もし支払いを気にしてるのなら、私が払うから心配しなくていい。その、食事に付き合ってもらうのだから、そのくらい当然だろう?」
またアーベルに気を使わせてしまった。俺はいたたまれない気持ちで視線を落とす。
「私が適当に注文してもいいか?」
「いいけど……」
アーベルは近くの給仕を呼び止めると、あれこれ注文した。あきらかに一人前には多い量だから、きっと俺のぶんも入ってるのだろう。誰かに食事をご馳走になるなんて、この街に移り住んでから、はじめてかもしれない。
木目調のテーブルには、季節の生花が飾られ、薄く繊細なグラスに注がれた炭酸水が、はじけるような陽気な音を立てている。向かいに座るアーベルは、この風景にしっくり馴染むけど、俺はどうだろう……考えるまでもないか。
(まあ、ここまで来ちゃったんだし、せっかくだから楽しむか)
冬でも温かい日差しのせいか、特に寒さは感じなかった。周囲を見回すと、あちらこちらに銀色のストーブが設置されていて、むしろ少し暑いくらいだ。俺はコートを脱いで椅子の背もたれにかけると、手袋を外そうとして、ふと正面に座るアーベルの視線を感じた。
「なに?」
「……その、これを君に」
テーブルに置かれたのは、手のひらにおさまるほどの、小さな丸い容器だった。
「軟膏だ。傷やあかぎれにもよく効く」
「えっ、でも悪いよ」
「薬屋で買い物をしたときに、試供品として無料でもらったものだ。私は使わないから、気にしなくていい」
そう説明するアーベルの視線が、不安そうに揺れていた。ここで意地を張ってことわるのも悪い気がして、素直に受け取ることにした。
(ん……? これは……)
手に取った容器に貼られたラベルは、有名メーカーのロゴ入りだった。しかも試供品にしてはやけに量がある。これはたぶん、俺のために店で購入してきたに違いない。
(きっと、わざわざ買ってきたって言ったら、俺がことわると思ったんだろうな)
こういう器用だか不器用だかわからないやさしさが、本当に困ってしまう。
「ありがとう、アーベルさん」
「……たいしたことではない」
アーベルはそう言いながらも、どこかホッとした表情を浮かべた。俺もなんだかホッとしてしまう。
「えーと、じゃあさっそくためしてみようかな」
「ああ、是非そうしてくれ」
視線をそらして顔を赤らめるアーベルに、俺も急に恥ずかしくなってしまい、間を持たせるためにゆっくりと容器のふたを開けた。
(けっこうミントの香りがするな)
ミントの香りは嫌いじゃないが、体につけたことはない。薄緑色のクリームを人さし指でたっぷりすくい、手の甲に塗りつけてみた。すると塗ったとたん、その場所がジクジクとしみるように痛みはじめた。
「いっ……たあ、イタタタ、な、コレすっげ、しみる……」
急激な痛みに涙がこらえきれず、人目もはばからずボロボロとこぼす。
「だ、大丈夫か!?」
俺はうめきながら前のめりに体を折り曲げ、そのまま椅子から転げ落ちてしまった。
朦朧とする意識の中で、アーベルのあわてた声が聞こえたけど、何を言ってるのかよくわからない。
(そういえば昨日、店で洗い物してたとき包丁で手を深めに切っちゃったんだ……あんまり痛くなかったけど、なかなか血が止まんなかったな……)
アーベルは俺を抱き上げると、店を飛び出して馬車に乗った。俺は痛みに震えながらも、背中に寄りそうあたたかい感触に身を任せて目を閉じた。それから……痛みで意識が飛んでしまった。
貴族の邸宅が並ぶ南門付近とは違い、この辺りは噴水広場を中心に、高級ブティックやレストランが軒を連ねる、王都で最も華やかな観光スポットだ。だが高級店に縁がない俺にとって、この辺りはあまり馴染みがない。
俺たちを乗せた馬車は、広場の前で停まった。先に降りたアーベルの後を追って、常緑樹が立ち並ぶ遊歩道をサクサク進む。
周囲は家族連れよりも、恋人同士が寄りそって歩く姿が目についた。ふと、この公園が有名なデートスポットだったことを思い出し、若干居心地が悪くなった。
突然、少し前を歩いていたアーベルは足を止めると、後ろを歩く俺に振り返った。日に当たると鮮やかなブルーに輝くコートがひるがえって、眩しい銀色の前髪が風に揺れる。
「……寒くないか?」
「いや、別に?」
「そうか」
アーベルは短くそう言うと、俺が隣に追いつくのを待って再び歩き出した。今度は歩調を合わせてくれるようで、ゆっくり前を進んでいく。
(そういや、いつもは俺の少し後ろを歩いてたよな)
夜アパートまでの道を歩くとき、彼はいつも俺より後ろを歩いていた。今思えば、不審者がついてこないか目を配っていたのだろう。
チラリと隣を盗み見たが、目を合わそうともせず、硬い表情で前を向いたままだ。どうしてか、かなり緊張してるのが分かる。
(なんでこんなとこ歩いてんだ、俺たち)
しばらく会話もなく、ただひたすら黙々と歩いていたが、やがてアーベルは重い口を開いた。
「……悪かった」
一瞬なんのことかと思ったが、ふと先日の口喧嘩に思い至った。
「俺も態度悪かったよ」
俺が苦々しい気持ちで首をさすりながら謝ると、アーベルはキッパリと首を振った。
「いや、君に非はない」
「でも俺の言いかたはひどかったと思うし」
「君は悪くない。悪いのは私だ」
お互い謝ったことで、少しだけ緊張感が薄らいだ。俺は肩の力を抜くと、ようやく歩きながら周囲を見回す余裕ができた。
(この人って、基本いい人なんだよな)
すっかり葉を落とした木々が立ち並び、その細い枝の隙間から、澄んだ透明感のある冬の空がのぞく。明るくて、少し物悲しいが、とてもきれいだ。
(ん……? なんか甘い匂いがする……)
鼻をひくつかせて辺りを見回すと、道の先にカラフルな色に塗られた屋台があった。小さなカウンターからは、焼いたナッツの香ばしい匂いが漂ってくる。店先には暖かそうなコートを着た親子連れや、デート中らしき若い男女が五、六人列を作っていた。
俺がものめずらしげにながめていると、隣から小さな咳ばらいが聞こえた。
「……君が食べたいのなら買ってくるが、どうする?」
「えっ、別に買わなくていいよ」
突然のアーベルの申し出に、俺はびっくりして首を振った。いろんなナッツに飴をからめたそれは、たしかに興味をひかれるが、菓子類は高いと相場はきまってる。
「ところで昼はもう食べたのか」
「いや昼は……」
つい『普段は食べない』と答えそうになったが、あわててその言葉を飲みこんだ。職場の仲間内では、朝晩一日二食なんてちっともめずらしくないけど、おそらくアーベル達は昼飯を食べるのが当たり前なはずだ。
ここでうっかり正直に言ったら『だからそんなに痩せてしまうんだ』と、いつもの説教がはじまるに違いない。
(説教だけならいいけど、この人なんだかんだで心配するからな)
俺はできるだけ軽い調子で、しかし言葉を選びつつ口を開いた。
「今日はあまり時間なくてさ。でもあまり腹は空いてないかな」
「そうか……悪いが私はまだ食べてないから、付き合って欲しい。なにか食べ物の好みはあるか」
「ええと、食べれないものってこと?」
「君の好きな食べ物はなにかと聞いている」
好きな食べ物なんていっぱいある。でも普段から食べられる物が限られていて、好き嫌いなんて贅沢言えないから、急に聞かれてもすぐに思いつかない。
俺が黙っていると、アーベルは少し困ったように『では、あの辺りの店に行こう』と、噴水の先に見える小綺麗なカフェを提案した。俺は特に反対する理由もないので、黙ってついて行くことにする。どうせ俺は食べないし、アーベルの腹が満たされればそれで構わなかった。
だがカフェのテラス席に着くなり、メニューを渡されたので首をかしげる。
「俺、食べないよ?」
「は? 昼はまだ食べてないのだろう?」
「食べてないけど、だからって食べないよ?」
「……もし支払いを気にしてるのなら、私が払うから心配しなくていい。その、食事に付き合ってもらうのだから、そのくらい当然だろう?」
またアーベルに気を使わせてしまった。俺はいたたまれない気持ちで視線を落とす。
「私が適当に注文してもいいか?」
「いいけど……」
アーベルは近くの給仕を呼び止めると、あれこれ注文した。あきらかに一人前には多い量だから、きっと俺のぶんも入ってるのだろう。誰かに食事をご馳走になるなんて、この街に移り住んでから、はじめてかもしれない。
木目調のテーブルには、季節の生花が飾られ、薄く繊細なグラスに注がれた炭酸水が、はじけるような陽気な音を立てている。向かいに座るアーベルは、この風景にしっくり馴染むけど、俺はどうだろう……考えるまでもないか。
(まあ、ここまで来ちゃったんだし、せっかくだから楽しむか)
冬でも温かい日差しのせいか、特に寒さは感じなかった。周囲を見回すと、あちらこちらに銀色のストーブが設置されていて、むしろ少し暑いくらいだ。俺はコートを脱いで椅子の背もたれにかけると、手袋を外そうとして、ふと正面に座るアーベルの視線を感じた。
「なに?」
「……その、これを君に」
テーブルに置かれたのは、手のひらにおさまるほどの、小さな丸い容器だった。
「軟膏だ。傷やあかぎれにもよく効く」
「えっ、でも悪いよ」
「薬屋で買い物をしたときに、試供品として無料でもらったものだ。私は使わないから、気にしなくていい」
そう説明するアーベルの視線が、不安そうに揺れていた。ここで意地を張ってことわるのも悪い気がして、素直に受け取ることにした。
(ん……? これは……)
手に取った容器に貼られたラベルは、有名メーカーのロゴ入りだった。しかも試供品にしてはやけに量がある。これはたぶん、俺のために店で購入してきたに違いない。
(きっと、わざわざ買ってきたって言ったら、俺がことわると思ったんだろうな)
こういう器用だか不器用だかわからないやさしさが、本当に困ってしまう。
「ありがとう、アーベルさん」
「……たいしたことではない」
アーベルはそう言いながらも、どこかホッとした表情を浮かべた。俺もなんだかホッとしてしまう。
「えーと、じゃあさっそくためしてみようかな」
「ああ、是非そうしてくれ」
視線をそらして顔を赤らめるアーベルに、俺も急に恥ずかしくなってしまい、間を持たせるためにゆっくりと容器のふたを開けた。
(けっこうミントの香りがするな)
ミントの香りは嫌いじゃないが、体につけたことはない。薄緑色のクリームを人さし指でたっぷりすくい、手の甲に塗りつけてみた。すると塗ったとたん、その場所がジクジクとしみるように痛みはじめた。
「いっ……たあ、イタタタ、な、コレすっげ、しみる……」
急激な痛みに涙がこらえきれず、人目もはばからずボロボロとこぼす。
「だ、大丈夫か!?」
俺はうめきながら前のめりに体を折り曲げ、そのまま椅子から転げ落ちてしまった。
朦朧とする意識の中で、アーベルのあわてた声が聞こえたけど、何を言ってるのかよくわからない。
(そういえば昨日、店で洗い物してたとき包丁で手を深めに切っちゃったんだ……あんまり痛くなかったけど、なかなか血が止まんなかったな……)
アーベルは俺を抱き上げると、店を飛び出して馬車に乗った。俺は痛みに震えながらも、背中に寄りそうあたたかい感触に身を任せて目を閉じた。それから……痛みで意識が飛んでしまった。
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