特別じゃない贈り物

高菜あやめ

文字の大きさ
上 下
5 / 15
第二部 特別じゃない贈り物

第三話 買い物の途中で

しおりを挟む
 逃げるように駆け込んだアパートの部屋は、いつもよりずっと寒く感じた。
(ひどい言い方しちゃったかな。アーベルさんは、たぶん心配してくれただけなのに)
 今さら後悔しても遅い。俺はしばらく扉を背にしたまま動けなかった。カーテンを掛けてない窓からは、白い月が小さく見える。薄暗がりの部屋の真ん中で、白い息を吐きながら肩を落とした。
(早く寝なきゃ……明日も仕事なんだから)
 別に心配されたのが、わずらわしかったわけじゃない。水仕事で荒れた手が、恥ずかしかったわけでもない。ただ酷く甘えた気持ちが芽生えそうで、それを気づかれたくなくて、気づいたらあんなひどい言葉を相手にぶつけていた。
 その夜は、あまりよく眠れなかった。それでも時間が経てば夜が明けて、いつもの日常が始まった。
「セディ、一番テーブル!」
「はいっ!」
 仕事は相変わらず忙しく、なにかに思い悩む余裕もなく、ただ追われるように一日が過ぎていった。
 日付が変わる頃になって、ようやく厨房の裏口から帰路に着く。その夜、アーベルの姿はなかった。
(別にこれまでだって、毎日やって来たわけじゃない)
 特に今年に入ってからは、ぜんぜん顔を合わせてなかった。しかも昨夜は久しぶりに会ったのに、あんなにひどい態度を取ったのだから、今夜現れなくてもちっとも不思議じゃない。
 それなのに、妙な焦燥感に取りつかれている自分は何だろう……自分から拒絶した癖に、何を今さら。
(もう、愛想つかされちゃったかもな)
 明日は約束の日だ。正午に迎えに来ると言ってたが、こうなっては本当に来るか疑わしい。いや、きっと来ないだろう。俺はひどく落ちこんだ気持ちで、昨夜に引き続きその日の夜も浅い眠りについた。

 翌朝、部屋は冷蔵庫の中のように寒かった。
(うー、寒っ。でも薪けっこう少なくなっちゃってるから、節約しといたほうがいいな)
 悲しいかな、休みの日でも身についた習慣で、早い時間に目覚めてしまう。毛布に包まったままベッドから這い出ると、小さなコンロでお湯を沸かして、うすいコーヒーをいれた。封の開いた食べかけのクラッカーで簡単な朝食をすませたら、顔を洗って身支度を整える。ここまではいつものルーティンだ。
 窓の下をのぞくと、大通りから一本奥に入った裏通りは、通勤時間帯を過ぎたせいか閑散としている。痩せた毛並みの悪い猫が、のたのたと道を横切る姿しか見えない。
(せっかくのシフト休みだから、買い出しにでも行こうかな。でも、あいつとの約束の時間までには、戻ってきたほうがいいかな……)
 アーベルが来るかどうか分からないが、いちおう約束は約束だ。気が進まない自分にそう言い聞かせながら身支度を整え、少し迷ってから白いマフラーを身に着ける。
 財布を入れた鞄を肩に斜めにかけてアパートを出ると、大通り沿いにある安さが売りの大型食料品店を目指した。
(うー、寒い……でも、このマフラーがあるだけマシだよなあ)
 着てるコートは薄くてあまり防寒には役立たないが、首に巻いた白くてふんわりしたマフラーを鼻先まで埋めると、だいぶマシになった。
 路地を抜けて大通りの人気店にやってくると、平日のせいか客足はまばらだった。とりあえず、いつも購入するスープストック一箱に魚の缶詰を三つと、それからクラッカーの袋を買い物かごに入れた。
 野菜や果物は、ほんの少しだけ買うことにする。アパートには冷蔵庫が無いので、生鮮食品はあまり日持ちしない。それでも冬の間は部屋自体が寒いため、窓の近くに置いておけば、野菜もあまり傷まないから助かっている。
(これで十日くらいはもつかな)
 食料品を詰めこんだ袋を抱えて店を出ると、通りをはさんだ向かい側の広場では、来週の年始パレードに向けた飾りつけの真っ最中だった。
 寒い季節で最もにぎやかなイベント準備はとても楽しそうで、引きよせられるように自然と足がそちらへ向いてしまう。
(うわあ、近くでみるとすごいな)
 公園の入口から中央の噴水へと続く並木道には、たくさんの作業員がせっせと木の枝を飾りつけている。その光景をながめながらぶらぶら歩いていると、とつぜん後ろから声をかけられた。
「こんにちは、お買い物ですか」
「え、と……?」
 足を止めて振り返ると、治安部隊の制服姿の男が立っていた。顔に見覚えがあるような気はするのだが、誰だったか思い出せないでいると、相手からにこやかに助け船を出してくれた。
「第五部隊所属のキップスです。年末に一度だけ、事務所でお会いしましたよね?」
「あっ、その節はお世話になりました!」
 ようやく目の前のキップスが、第五部隊の事務所に泊まった夜にコーヒーとサンドウィッチを出してくれた人物と重なった。あの時はバタバタしていて、お互い名のり合うこともなかった。遅ればせながら自己紹介をすると、キップスは知ってますよ、とほがらかに笑った。
「以前からうちの隊長が、たいそうあなたを気にかけてましたからね。様子を見に何度かお店まで足を運んだとうかがってます」
「あ、あー……そうですね」
 なぜアーベルが事務所でそんなことを話しているのか不思議に思っていると、キップスが驚くことを口にした。
「でも犯人も捕まったことですし、これでひと安心ですね」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

記憶喪失の君と…

R(アール)
BL
陽は湊と恋人だった。 ひねくれて誰からも愛されないような陽を湊だけが可愛いと、好きだと言ってくれた。 順風満帆な生活を送っているなか、湊が記憶喪失になり、陽のことだけを忘れてしまって…! ハッピーエンド保証

運命の人じゃないけど。

加地トモカズ
BL
 αの性を受けた鷹倫(たかみち)は若くして一流企業の取締役に就任し求婚も絶えない美青年で完璧人間。足りないものは人生の伴侶=運命の番であるΩのみ。  しかし鷹倫が惹かれた人は、運命どころかΩでもないβの電気工事士の苳也(とうや)だった。 ※こちらの作品は「男子高校生マツダくんと主夫のツワブキさん」内で腐女子ズが文化祭に出版した同人誌という設定です。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

この噛み痕は、無効。

ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋 α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。 いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。 千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。 そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。 その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。 「やっと見つけた」 男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

処理中です...