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第三部
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週明けの月曜日、プロジェクトの定例ミーティングで三崎は倉澤と顔を合わせた。
「おう、お疲れ」
「お疲れ様です」
いつもの挨拶にいつもの柔和な笑顔だが、なんだかあまり視線が合わないのは三崎の気のせいだろうか。手元のPCの画面に顔を向けながらそんな事をグルグル考えていたら、隣の企画運営部の人間に「三崎さんはどう思います?」と意見を求められ、話についていけてなかった自分に気づいて大いに汗をかいた。
「……三崎、ちょっといいか」
ミーティングの後、倉澤に呼び止められた三崎は心臓が跳ねたが、努めて冷静な顔を保つようにした。
「何か急ぎの用件ですか」
「いや、急ぎってわけじゃないが」
「では申し訳ありませんが、これから別のアポがあるので、後でメールで送っていただけますか」
そう言い残して三崎は足早に会議室を後にする。確かにアポはあるが、一時間後だから要件を聞く時間くらいはあった。
(逃げてしまった)
自己嫌悪に陥りながらも、三崎にはどうしても倉澤と個人的に話す勇気がなかった。ああいう声の掛けられ方は、きっと悪い話に違いないと、どこか悲観的な気持ちに駆られてしまう。
けっきょく自分自身に自信がないからなのか……何か改まって言われるのが怖いのだ。
デスクに戻ると、次のアポの資料を読む振りをしながら、先ほどの倉澤に対して取った自分の態度について激しく後悔する。資料の内容はすでに頭に入っているのだから、新規のプレゼン資料作成を進めればいいはずなのに、集中力が散漫になっていて手につきそうにない。こんな状態ではもういっそのこと今日は諦めて、続きは明日に回した方がいい気がした。
(情けない、恋愛事に振り回されて仕事に手がつかないなんて)
以前の恋愛はどうだっただろうか。何人かの女性と付き合った経験を振り返っても、その頃の気持ちまであまり思い出せそうにない。たしかに楽しいばかりではなくつらい思いもしたが、こんな風に怖くなったり思い悩んだりした事があっただろうか。
「うわ、雨かよ……お前これから客先行くんだろ」
「ああ、サイテーだな……」
折り畳み傘を持ってきてよかったと、三崎は降り出したばかりの雨の中出て行く。そういえば倉澤は傘持ってきただろうか。わりと無頓着な彼のことだから、持ってない可能性が高い。しかも本降りでもない限り、コンビニとかで買わずに無理矢理帰りそうだ。
(あ、少しはあの人のこと知ってるじゃん俺)
おかしな安堵感を覚えた。
その夜、客先から直帰した三崎は、急いで着替えを済ますと倉澤の携帯に掛けた。
『どうした、今どこにいる?』
前回と違って2コール目で倉澤が応答した。しかも少し慌てた様子で、彼が未だ会社のデスクにいてPCの横に伏せておいたスマホから話しているのが目に浮かんだ。
「あ、その、自宅です……すいません、仕事中に」
『……いや、構わないよ。あやまるな。メシは?』
「これからです」
いつもの会話の流れだが、こうして改めて話の内容を振り返ると、彼の言葉の端々には自分を気遣う言葉ばかり散りばめられている。
(そういや前に『オカンみたいだ』って言ったな)
そう、倉澤はあの頃と変わってない。それなのに何故、彼が自分に飽きたのではなどど思えたのだろう……どうして彼の気持ちを疑ったのだろう。
(変わったのは、俺だ)
倉澤と付き合い始めて、彼の傍にいるようになって、欲が出たのだ。もっと見て欲しい、もっと気にかけて欲しい、もっと触れて欲しいと。
『三崎、おいどうした? 疲れてるのか』
「……そうかも、しれません」
ポロリと口に出たのは、初めて漏らした弱音だった。
『分かった、あと十五分もしたら上がるから、メシ買ってお前のうちへ行く。それまでソファーにでも転がって休んでろ』
「はい……待ってます」
『任せておけ。じゃあまた後で』
通話はすぐに切られたが、それだけ彼が急いでいる様子が伝わってきて泣きたくなった。
いつの間に、こんなに好きになっていたのだろう。自分の気持ちの変化に気づけなかった。
(本音をぶつけたら、ウザがられるかな……嫌がられるかも)
三崎はソファーに寝転がると、虚ろな目で天井を眺めた。倉澤が好きになってくれた時の自分の振る舞いは、どうだっただろう。どんな表情で、何を話していただろうか。少なくとも、こんな風に弱音を吐いたりしない。甘えたりしない。
インターホンが鳴った。応じると倉澤だったので、玄関へ向かった。
「お疲れ、なんだ真っ暗じゃないか。電気くらいつけろよ、一軒家なのに物騒だろ」
「あ、はい……」
「仕方ねえなあ、とにかく上がらせてもらうぞ」
カサカサとレジ袋の音を立てて靴を脱ぐ倉澤の背を眺めていた三崎は、衝動的に抱きついてしまった。
倉澤の動きが止まり、レジ袋が玄関のたたきに落ちた音が雨の音に混じった。
「……どーした、大丈夫か。客先で嫌なことでもあったか」
倉澤の大きな手が、肩口に埋めた三崎の頭をポンポンとやさしく叩いた。
「仕方ねえなあ、ほら抱いてやるから」
「えっ……」
三崎は真っ赤になって体を引くと、両手を広げかけた倉澤の驚いた表情に固まった。
「……あ、あの」
「ちげーよ、抱きしめてやるって意味だよ」
倉澤は苦笑気味に「ほら」と両手を伸ばして、あっという間に三崎を包み込んだ。ギュッと強く抱き込まれ、三崎はたまらない気持ちで倉澤に自らも縋り付いた。
「はは……なんだよ、今日は随分素直に甘えるんだな」
「おう、お疲れ」
「お疲れ様です」
いつもの挨拶にいつもの柔和な笑顔だが、なんだかあまり視線が合わないのは三崎の気のせいだろうか。手元のPCの画面に顔を向けながらそんな事をグルグル考えていたら、隣の企画運営部の人間に「三崎さんはどう思います?」と意見を求められ、話についていけてなかった自分に気づいて大いに汗をかいた。
「……三崎、ちょっといいか」
ミーティングの後、倉澤に呼び止められた三崎は心臓が跳ねたが、努めて冷静な顔を保つようにした。
「何か急ぎの用件ですか」
「いや、急ぎってわけじゃないが」
「では申し訳ありませんが、これから別のアポがあるので、後でメールで送っていただけますか」
そう言い残して三崎は足早に会議室を後にする。確かにアポはあるが、一時間後だから要件を聞く時間くらいはあった。
(逃げてしまった)
自己嫌悪に陥りながらも、三崎にはどうしても倉澤と個人的に話す勇気がなかった。ああいう声の掛けられ方は、きっと悪い話に違いないと、どこか悲観的な気持ちに駆られてしまう。
けっきょく自分自身に自信がないからなのか……何か改まって言われるのが怖いのだ。
デスクに戻ると、次のアポの資料を読む振りをしながら、先ほどの倉澤に対して取った自分の態度について激しく後悔する。資料の内容はすでに頭に入っているのだから、新規のプレゼン資料作成を進めればいいはずなのに、集中力が散漫になっていて手につきそうにない。こんな状態ではもういっそのこと今日は諦めて、続きは明日に回した方がいい気がした。
(情けない、恋愛事に振り回されて仕事に手がつかないなんて)
以前の恋愛はどうだっただろうか。何人かの女性と付き合った経験を振り返っても、その頃の気持ちまであまり思い出せそうにない。たしかに楽しいばかりではなくつらい思いもしたが、こんな風に怖くなったり思い悩んだりした事があっただろうか。
「うわ、雨かよ……お前これから客先行くんだろ」
「ああ、サイテーだな……」
折り畳み傘を持ってきてよかったと、三崎は降り出したばかりの雨の中出て行く。そういえば倉澤は傘持ってきただろうか。わりと無頓着な彼のことだから、持ってない可能性が高い。しかも本降りでもない限り、コンビニとかで買わずに無理矢理帰りそうだ。
(あ、少しはあの人のこと知ってるじゃん俺)
おかしな安堵感を覚えた。
その夜、客先から直帰した三崎は、急いで着替えを済ますと倉澤の携帯に掛けた。
『どうした、今どこにいる?』
前回と違って2コール目で倉澤が応答した。しかも少し慌てた様子で、彼が未だ会社のデスクにいてPCの横に伏せておいたスマホから話しているのが目に浮かんだ。
「あ、その、自宅です……すいません、仕事中に」
『……いや、構わないよ。あやまるな。メシは?』
「これからです」
いつもの会話の流れだが、こうして改めて話の内容を振り返ると、彼の言葉の端々には自分を気遣う言葉ばかり散りばめられている。
(そういや前に『オカンみたいだ』って言ったな)
そう、倉澤はあの頃と変わってない。それなのに何故、彼が自分に飽きたのではなどど思えたのだろう……どうして彼の気持ちを疑ったのだろう。
(変わったのは、俺だ)
倉澤と付き合い始めて、彼の傍にいるようになって、欲が出たのだ。もっと見て欲しい、もっと気にかけて欲しい、もっと触れて欲しいと。
『三崎、おいどうした? 疲れてるのか』
「……そうかも、しれません」
ポロリと口に出たのは、初めて漏らした弱音だった。
『分かった、あと十五分もしたら上がるから、メシ買ってお前のうちへ行く。それまでソファーにでも転がって休んでろ』
「はい……待ってます」
『任せておけ。じゃあまた後で』
通話はすぐに切られたが、それだけ彼が急いでいる様子が伝わってきて泣きたくなった。
いつの間に、こんなに好きになっていたのだろう。自分の気持ちの変化に気づけなかった。
(本音をぶつけたら、ウザがられるかな……嫌がられるかも)
三崎はソファーに寝転がると、虚ろな目で天井を眺めた。倉澤が好きになってくれた時の自分の振る舞いは、どうだっただろう。どんな表情で、何を話していただろうか。少なくとも、こんな風に弱音を吐いたりしない。甘えたりしない。
インターホンが鳴った。応じると倉澤だったので、玄関へ向かった。
「お疲れ、なんだ真っ暗じゃないか。電気くらいつけろよ、一軒家なのに物騒だろ」
「あ、はい……」
「仕方ねえなあ、とにかく上がらせてもらうぞ」
カサカサとレジ袋の音を立てて靴を脱ぐ倉澤の背を眺めていた三崎は、衝動的に抱きついてしまった。
倉澤の動きが止まり、レジ袋が玄関のたたきに落ちた音が雨の音に混じった。
「……どーした、大丈夫か。客先で嫌なことでもあったか」
倉澤の大きな手が、肩口に埋めた三崎の頭をポンポンとやさしく叩いた。
「仕方ねえなあ、ほら抱いてやるから」
「えっ……」
三崎は真っ赤になって体を引くと、両手を広げかけた倉澤の驚いた表情に固まった。
「……あ、あの」
「ちげーよ、抱きしめてやるって意味だよ」
倉澤は苦笑気味に「ほら」と両手を伸ばして、あっという間に三崎を包み込んだ。ギュッと強く抱き込まれ、三崎はたまらない気持ちで倉澤に自らも縋り付いた。
「はは……なんだよ、今日は随分素直に甘えるんだな」
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