8 / 23
第二部
4
しおりを挟む
「……起きたか。具合はどうだ」
「……ん……」
「メシ、作ったけど。食べれそうなら食べろ」
三崎はなんとかベッドから半身を起こすと、ぼんやりした視界の中、声の主を探した。
倉澤はベッドの端に座り、三崎をジッと見つめ返す。ややあって小さく唸り声を上げると、大仰に頭を抱えた。
「……クソッ……可愛いな……」
「は?」
三崎は我が耳を疑った。
「いいから、食うならさっさと顔洗ってリビングへ来い。洗面所は廊下出た左奥だ」
「は、はい」
倉澤は何やらブツブツ言いながら、Tシャツの背を向けて部屋を出て行ってしまった。扉が閉まる直前、フワリとコーヒーの香りがして、三崎は急に空腹感を覚えた。
急いで顔を洗ってリビングへ向かうと、テーブルには料理らしきものが乗っていた。
「スクランブルエッグ……」
大皿に山盛りのスクランブルエッグは、かなりの迫力があった。いったい卵何個分だろうか。
「一応、塩コショウで味付けてあるけど、あとはこの辺りの適当にかけて。パンは何枚食う?」
「あ、一枚で……ありがとうございます」
「じゃ、冷めないうちに先食ってろ。パン焼いてくる」
顎で促されて席に着くと、さっそく料理を取り分け皿に取った。まず倉澤の分と、それから三崎自身の分。料理はスクランブルエッグ一品だ。
「いただきます……」
シンプルで、普通に美味しい。あっという間に取り分けた分を平らげて、おかわりをしかけた時、倉澤がパンを数枚乗せた皿を手にキッチンから出てきた。
倉澤は向かいの席に着くと、調味料コーナーからトマトピューレを手に取り、卵の上に豪快にかけ始めた。その上に塩を振り、それから焼いたパンを手に取ったところで三崎を見た。
「食欲あるみたいだな」
「あ、薬が効いたみたいです」
すると倉澤はクスクス笑い出した。
「ああ、アレ。効いたんだ」
倉澤はパンの上に卵を乗せると、一口かじった。咀嚼し終わると、湯気の立つコーヒーを口元に運びながら、人の悪い笑みを浮かべる。
「アレ、ただのビタミン剤」
「……え?」
「プラシーボ効果っての? うちに泊まった奴には、必ず飲ませてるんだ。案外効くって好評なんだぜ?」
三崎はあっけに取られて固まった。ようやく気を取り直し、複雑な気持ちで口を開く。
「……それ、知っちゃったからには、もう俺には効きませんよ」
「もう二度とあんなに飲ませねーよ。お前のリミットは、俺が把握したから安心しろ」
倉澤はテーブル越しに身を乗り出し、三崎の髪を撫でた。
「ひっでえ寝癖だな」
「あ、後で直します」
「いーよ、別に。可愛いから」
三崎は顔をしかめた。
「ん、どうした? ふくれっ面しても可愛いだけだけど」
「……倉澤さんって、美的感覚がかなりズレてますよね」
「俺は、お前がどんな風にしてても可愛いく見えちまうんだよ。酔ったのも可愛いが、あれはもうやめろ。接待なら仕方ないが気をつけろよ。他の奴と、二人きりで飲むのは駄目だからな」
三崎はハイハイと心の中で相づちを打ちながら黙々と食べていたが、ふとある事を思い出した。
「あのう、顧客に声を掛けられた場合は……」
すると倉澤はスッと表情を引き締めた。
「鷺沼にでも、誘われたか」
倉澤はドッカリと背もたれに体をもたれると、腕を組んでキッパリと言い切った。
「駄目に決まってんだろ。あいつは、特に、駄目だ」
三崎はまるで悪い事をして見つかった気分で、視線を落とした。
「……そんな顔するな。怒ってないから。いや、怒ってるとしたら、あいつにだ。だから俺は、ルミナス外れた方がいいって言って……」
ガタタ、と三崎は椅子から立ち上がった。
「そんな理由だったんですか!? 俺には荷が重いって、てっきり仕事に関する事かと思ってたのに!」
倉澤もつられたように立ち上がった。
「そんな理由とはなんだ。お前、顧客のセクハラいなしながら、有利に交渉進められるほど自分が器用だと思ってんのか」
「そ、それは、二人っきりにならないよう気をつければいいんでしょう」
「上手いこと付け込まれるのがオチだ。お前のことだから泣き寝入りで終わる。騒ぎを起こして取引潰すくらいなら、自分が我慢すればいいって思うクチだろーが」
三崎は何も言い返すことが出来ず、押し黙ってしまう。鷺沼の気持ちなんて、倉澤の憶測でしかない。だがもしそれが本当だとして、妙な空気になったとしたら、相手を殴ってでも止める自信はなかった。なぜなら倉澤の言う通り、古い取引先との関係を壊しかねないからだ。
「そんな顔すんな。仕方ないだろう、お前が可愛いのが悪い」
「……鷺沼さんも、倉澤さんも、趣味悪過ぎですよ……」
頭をグッと引き寄せられる。額が倉澤の硬い胸に押し付けられ、情けなさに奥歯をギリリと噛み締めると、頭上からハアッと大きく息をつく音が聞こえた。
「分かったよ、今回の修正案件は最後まで担当しろ。ただしあいつと二人きりになるな。どうしても避けられない時は、場所を知らせろ。迎えにいってやるから」
「いえ、そこまでしてもらうわけには……」
「いーから。お前はただ、俺を上手いこと利用すればいいんだよ」
顎をすくわれると、至近距離で綺麗な瞳に見つめられ、途端に心臓の鼓動が速くなる。
「今回は特別に、貸し借りとかナシにしてやる。せいぜい交渉、頑張ってこい」
鮮やかに微笑みかけられると、三崎は今度こそ真っ赤になった。
週末が明けて、三崎と葉山はさっそくルミナス本社へ訪問した。
「今回は上手くいくといいですね……」
エレベーター待ちの時、葉山がそっと囁いた。
「新しい修正案、三つで足りるでしょうか」
「ああ、十分だと思う。あとはプレゼン次第だな」
すると隣の葉山が意を決したように口を開いた。
「プレゼン、私にやらせていただけませんか」
葉山は今回の内容について隅々まで勉強していた上、新人研修ではプレゼン力が他の新卒と比べて抜きん出ていたことを三崎は思い出した。
「分かった、プレゼンは任せる。できる限りフォローはするよ」
「はい、援護射撃よろしくお願いします!」
まるで戦場に向かうみたいだな、と三崎は頼もしい後輩の横顔を見つめた。
鷺沼も同席する可能性が高い。新人の熱いプレゼンに、どう反応するだろうか。粗を探しては、厳しく突っ込まれるかもしれない。だが、それをフォローするのが先輩である自分の役目だ。
(倉澤さんも、こんな気持ちだったのかな)
仕事に食らいつく奴は、自然と手を貸したくなるし、応援したくもなる。だが、これはビジネスだ。結果が伴わないといけない。
(だから絶対に、勝つ)
「……ん……」
「メシ、作ったけど。食べれそうなら食べろ」
三崎はなんとかベッドから半身を起こすと、ぼんやりした視界の中、声の主を探した。
倉澤はベッドの端に座り、三崎をジッと見つめ返す。ややあって小さく唸り声を上げると、大仰に頭を抱えた。
「……クソッ……可愛いな……」
「は?」
三崎は我が耳を疑った。
「いいから、食うならさっさと顔洗ってリビングへ来い。洗面所は廊下出た左奥だ」
「は、はい」
倉澤は何やらブツブツ言いながら、Tシャツの背を向けて部屋を出て行ってしまった。扉が閉まる直前、フワリとコーヒーの香りがして、三崎は急に空腹感を覚えた。
急いで顔を洗ってリビングへ向かうと、テーブルには料理らしきものが乗っていた。
「スクランブルエッグ……」
大皿に山盛りのスクランブルエッグは、かなりの迫力があった。いったい卵何個分だろうか。
「一応、塩コショウで味付けてあるけど、あとはこの辺りの適当にかけて。パンは何枚食う?」
「あ、一枚で……ありがとうございます」
「じゃ、冷めないうちに先食ってろ。パン焼いてくる」
顎で促されて席に着くと、さっそく料理を取り分け皿に取った。まず倉澤の分と、それから三崎自身の分。料理はスクランブルエッグ一品だ。
「いただきます……」
シンプルで、普通に美味しい。あっという間に取り分けた分を平らげて、おかわりをしかけた時、倉澤がパンを数枚乗せた皿を手にキッチンから出てきた。
倉澤は向かいの席に着くと、調味料コーナーからトマトピューレを手に取り、卵の上に豪快にかけ始めた。その上に塩を振り、それから焼いたパンを手に取ったところで三崎を見た。
「食欲あるみたいだな」
「あ、薬が効いたみたいです」
すると倉澤はクスクス笑い出した。
「ああ、アレ。効いたんだ」
倉澤はパンの上に卵を乗せると、一口かじった。咀嚼し終わると、湯気の立つコーヒーを口元に運びながら、人の悪い笑みを浮かべる。
「アレ、ただのビタミン剤」
「……え?」
「プラシーボ効果っての? うちに泊まった奴には、必ず飲ませてるんだ。案外効くって好評なんだぜ?」
三崎はあっけに取られて固まった。ようやく気を取り直し、複雑な気持ちで口を開く。
「……それ、知っちゃったからには、もう俺には効きませんよ」
「もう二度とあんなに飲ませねーよ。お前のリミットは、俺が把握したから安心しろ」
倉澤はテーブル越しに身を乗り出し、三崎の髪を撫でた。
「ひっでえ寝癖だな」
「あ、後で直します」
「いーよ、別に。可愛いから」
三崎は顔をしかめた。
「ん、どうした? ふくれっ面しても可愛いだけだけど」
「……倉澤さんって、美的感覚がかなりズレてますよね」
「俺は、お前がどんな風にしてても可愛いく見えちまうんだよ。酔ったのも可愛いが、あれはもうやめろ。接待なら仕方ないが気をつけろよ。他の奴と、二人きりで飲むのは駄目だからな」
三崎はハイハイと心の中で相づちを打ちながら黙々と食べていたが、ふとある事を思い出した。
「あのう、顧客に声を掛けられた場合は……」
すると倉澤はスッと表情を引き締めた。
「鷺沼にでも、誘われたか」
倉澤はドッカリと背もたれに体をもたれると、腕を組んでキッパリと言い切った。
「駄目に決まってんだろ。あいつは、特に、駄目だ」
三崎はまるで悪い事をして見つかった気分で、視線を落とした。
「……そんな顔するな。怒ってないから。いや、怒ってるとしたら、あいつにだ。だから俺は、ルミナス外れた方がいいって言って……」
ガタタ、と三崎は椅子から立ち上がった。
「そんな理由だったんですか!? 俺には荷が重いって、てっきり仕事に関する事かと思ってたのに!」
倉澤もつられたように立ち上がった。
「そんな理由とはなんだ。お前、顧客のセクハラいなしながら、有利に交渉進められるほど自分が器用だと思ってんのか」
「そ、それは、二人っきりにならないよう気をつければいいんでしょう」
「上手いこと付け込まれるのがオチだ。お前のことだから泣き寝入りで終わる。騒ぎを起こして取引潰すくらいなら、自分が我慢すればいいって思うクチだろーが」
三崎は何も言い返すことが出来ず、押し黙ってしまう。鷺沼の気持ちなんて、倉澤の憶測でしかない。だがもしそれが本当だとして、妙な空気になったとしたら、相手を殴ってでも止める自信はなかった。なぜなら倉澤の言う通り、古い取引先との関係を壊しかねないからだ。
「そんな顔すんな。仕方ないだろう、お前が可愛いのが悪い」
「……鷺沼さんも、倉澤さんも、趣味悪過ぎですよ……」
頭をグッと引き寄せられる。額が倉澤の硬い胸に押し付けられ、情けなさに奥歯をギリリと噛み締めると、頭上からハアッと大きく息をつく音が聞こえた。
「分かったよ、今回の修正案件は最後まで担当しろ。ただしあいつと二人きりになるな。どうしても避けられない時は、場所を知らせろ。迎えにいってやるから」
「いえ、そこまでしてもらうわけには……」
「いーから。お前はただ、俺を上手いこと利用すればいいんだよ」
顎をすくわれると、至近距離で綺麗な瞳に見つめられ、途端に心臓の鼓動が速くなる。
「今回は特別に、貸し借りとかナシにしてやる。せいぜい交渉、頑張ってこい」
鮮やかに微笑みかけられると、三崎は今度こそ真っ赤になった。
週末が明けて、三崎と葉山はさっそくルミナス本社へ訪問した。
「今回は上手くいくといいですね……」
エレベーター待ちの時、葉山がそっと囁いた。
「新しい修正案、三つで足りるでしょうか」
「ああ、十分だと思う。あとはプレゼン次第だな」
すると隣の葉山が意を決したように口を開いた。
「プレゼン、私にやらせていただけませんか」
葉山は今回の内容について隅々まで勉強していた上、新人研修ではプレゼン力が他の新卒と比べて抜きん出ていたことを三崎は思い出した。
「分かった、プレゼンは任せる。できる限りフォローはするよ」
「はい、援護射撃よろしくお願いします!」
まるで戦場に向かうみたいだな、と三崎は頼もしい後輩の横顔を見つめた。
鷺沼も同席する可能性が高い。新人の熱いプレゼンに、どう反応するだろうか。粗を探しては、厳しく突っ込まれるかもしれない。だが、それをフォローするのが先輩である自分の役目だ。
(倉澤さんも、こんな気持ちだったのかな)
仕事に食らいつく奴は、自然と手を貸したくなるし、応援したくもなる。だが、これはビジネスだ。結果が伴わないといけない。
(だから絶対に、勝つ)
1
お気に入りに追加
141
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる