休出の人たち

高菜あやめ

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第二部

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「……起きたか。具合はどうだ」
「……ん……」
「メシ、作ったけど。食べれそうなら食べろ」
 三崎はなんとかベッドから半身を起こすと、ぼんやりした視界の中、声の主を探した。
 倉澤はベッドの端に座り、三崎をジッと見つめ返す。ややあって小さく唸り声を上げると、大仰に頭を抱えた。
「……クソッ……可愛いな……」
「は?」
 三崎は我が耳を疑った。
「いいから、食うならさっさと顔洗ってリビングへ来い。洗面所は廊下出た左奥だ」
「は、はい」
 倉澤は何やらブツブツ言いながら、Tシャツの背を向けて部屋を出て行ってしまった。扉が閉まる直前、フワリとコーヒーの香りがして、三崎は急に空腹感を覚えた。
 急いで顔を洗ってリビングへ向かうと、テーブルには料理らしきものが乗っていた。
「スクランブルエッグ……」
 大皿に山盛りのスクランブルエッグは、かなりの迫力があった。いったい卵何個分だろうか。
「一応、塩コショウで味付けてあるけど、あとはこの辺りの適当にかけて。パンは何枚食う?」
「あ、一枚で……ありがとうございます」
「じゃ、冷めないうちに先食ってろ。パン焼いてくる」
 顎で促されて席に着くと、さっそく料理を取り分け皿に取った。まず倉澤の分と、それから三崎自身の分。料理はスクランブルエッグ一品だ。
「いただきます……」
 シンプルで、普通に美味しい。あっという間に取り分けた分を平らげて、おかわりをしかけた時、倉澤がパンを数枚乗せた皿を手にキッチンから出てきた。
 倉澤は向かいの席に着くと、調味料コーナーからトマトピューレを手に取り、卵の上に豪快にかけ始めた。その上に塩を振り、それから焼いたパンを手に取ったところで三崎を見た。
「食欲あるみたいだな」
「あ、薬が効いたみたいです」
 すると倉澤はクスクス笑い出した。
「ああ、アレ。効いたんだ」
 倉澤はパンの上に卵を乗せると、一口かじった。咀嚼し終わると、湯気の立つコーヒーを口元に運びながら、人の悪い笑みを浮かべる。
「アレ、ただのビタミン剤」
「……え?」
「プラシーボ効果っての? うちに泊まった奴には、必ず飲ませてるんだ。案外効くって好評なんだぜ?」
 三崎はあっけに取られて固まった。ようやく気を取り直し、複雑な気持ちで口を開く。
「……それ、知っちゃったからには、もう俺には効きませんよ」
「もう二度とあんなに飲ませねーよ。お前のリミットは、俺が把握したから安心しろ」
 倉澤はテーブル越しに身を乗り出し、三崎の髪を撫でた。
「ひっでえ寝癖だな」
「あ、後で直します」
「いーよ、別に。可愛いから」
 三崎は顔をしかめた。
「ん、どうした? ふくれっ面しても可愛いだけだけど」
「……倉澤さんって、美的感覚がかなりズレてますよね」
「俺は、お前がどんな風にしてても可愛いく見えちまうんだよ。酔ったのも可愛いが、あれはもうやめろ。接待なら仕方ないが気をつけろよ。他の奴と、二人きりで飲むのは駄目だからな」
 三崎はハイハイと心の中で相づちを打ちながら黙々と食べていたが、ふとある事を思い出した。
「あのう、顧客に声を掛けられた場合は……」
 すると倉澤はスッと表情を引き締めた。
「鷺沼にでも、誘われたか」
 倉澤はドッカリと背もたれに体をもたれると、腕を組んでキッパリと言い切った。
「駄目に決まってんだろ。あいつは、特に、駄目だ」
 三崎はまるで悪い事をして見つかった気分で、視線を落とした。
「……そんな顔するな。怒ってないから。いや、怒ってるとしたら、あいつにだ。だから俺は、ルミナス外れた方がいいって言って……」
 ガタタ、と三崎は椅子から立ち上がった。
「そんな理由だったんですか!? 俺には荷が重いって、てっきり仕事に関する事かと思ってたのに!」
 倉澤もつられたように立ち上がった。
「そんな理由とはなんだ。お前、顧客のセクハラいなしながら、有利に交渉進められるほど自分が器用だと思ってんのか」
「そ、それは、二人っきりにならないよう気をつければいいんでしょう」
「上手いこと付け込まれるのがオチだ。お前のことだから泣き寝入りで終わる。騒ぎを起こして取引潰すくらいなら、自分が我慢すればいいって思うクチだろーが」
 三崎は何も言い返すことが出来ず、押し黙ってしまう。鷺沼の気持ちなんて、倉澤の憶測でしかない。だがもしそれが本当だとして、妙な空気になったとしたら、相手を殴ってでも止める自信はなかった。なぜなら倉澤の言う通り、古い取引先との関係を壊しかねないからだ。
「そんな顔すんな。仕方ないだろう、お前が可愛いのが悪い」
「……鷺沼さんも、倉澤さんも、趣味悪過ぎですよ……」
 頭をグッと引き寄せられる。額が倉澤の硬い胸に押し付けられ、情けなさに奥歯をギリリと噛み締めると、頭上からハアッと大きく息をつく音が聞こえた。
「分かったよ、今回の修正案件は最後まで担当しろ。ただしあいつと二人きりになるな。どうしても避けられない時は、場所を知らせろ。迎えにいってやるから」
「いえ、そこまでしてもらうわけには……」
「いーから。お前はただ、俺を上手いこと利用すればいいんだよ」
 顎をすくわれると、至近距離で綺麗な瞳に見つめられ、途端に心臓の鼓動が速くなる。
「今回は特別に、貸し借りとかナシにしてやる。せいぜい交渉、頑張ってこい」
 鮮やかに微笑みかけられると、三崎は今度こそ真っ赤になった。





 週末が明けて、三崎と葉山はさっそくルミナス本社へ訪問した。
「今回は上手くいくといいですね……」
 エレベーター待ちの時、葉山がそっと囁いた。
「新しい修正案、三つで足りるでしょうか」
「ああ、十分だと思う。あとはプレゼン次第だな」
 すると隣の葉山が意を決したように口を開いた。
「プレゼン、私にやらせていただけませんか」
 葉山は今回の内容について隅々まで勉強していた上、新人研修ではプレゼン力が他の新卒と比べて抜きん出ていたことを三崎は思い出した。
「分かった、プレゼンは任せる。できる限りフォローはするよ」
「はい、援護射撃よろしくお願いします!」
 まるで戦場に向かうみたいだな、と三崎は頼もしい後輩の横顔を見つめた。
 鷺沼も同席する可能性が高い。新人の熱いプレゼンに、どう反応するだろうか。粗を探しては、厳しく突っ込まれるかもしれない。だが、それをフォローするのが先輩である自分の役目だ。
(倉澤さんも、こんな気持ちだったのかな)
 仕事に食らいつく奴は、自然と手を貸したくなるし、応援したくもなる。だが、これはビジネスだ。結果が伴わないといけない。
(だから絶対に、勝つ)




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