休出の人たち

高菜あやめ

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第二部

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 三崎が仕事を終えて倉澤に連絡を入れると『とりあえずメシ食わないか』と誘われ、会社の最寄り駅の近くにある居酒屋に行くことになった。
 まずはビールで乾杯し、お通しをつまみながらしばらく雑談をしていたが、三崎は相談事の内容が気になって仕方なかった。
「それで……相談ってなんですか」
「お前さ、ルミナス外れないか」
 三崎は驚きのあまり箸を取り落としそうになった。
「いや、最終的に決めるのはお前んとこの部長だけど、なんなら俺から部長に話ししてもいい」
「……それは、俺とは仕事しにくい、って意味ですか」
「いや、そういう事じゃない。ただあの顧客は、お前には荷が重いんじゃないかと思ってな……」
 倉澤は言いにくそうにつぶやくと、手にしたビールの残りを煽った。
 三崎は悔しさに唇を引き結んだ。引き継いで間もないのに、担当を降ろされるのは屈辱以外何物でもない。
「もう一度、チャンスもらえませんか……今日纏めた資料を持って、来週きちんと先方に説明して、もっと有利な条件を」
「あー、違う違う、そうじゃないんだ」
 乱暴に言葉を遮られると、流石にショックが大きい。三崎は膝に乗せた両手をグッと握りしめると、意を決してガバリと頭を下げた。
「お願いします! もう一度だけやらせてください!」
「……頭、上げろよ」
 倉澤の言葉にノロノロと顔を上げると、思いのほか冷たい視線にぶつかった。
「そこまでして、あの会社の担当したいのか。営業内じゃ、貧乏くじ引いたって言われてたのに?」
「そりゃ、厄介な顧客ってことは部内でも有名ですけど、でもだからこそ、いろいろ学べるいい機会だと思ってます。それに先方の担当者はいい人で、役員の方も厳しいけど心配してくれて、的確な助言とかも……」
「ああ、あのわざわざ参考資料をここまで届けにきてくれた専務か?」
 倉澤はスッと半眼になると、ビールのグラスをテーブルの端に追いやって腕を組んだ。どうやら葉山から聞いたらしい。
「そいつ、どうしてメールで送らずにわざわざ手で持ってきたと思う?」
「え……それは、その、ペンを返すついでに」
「アホか、お前は。そんなの口実に決まってんだろ」
「口実って、資料を渡す為の?」
「お前に会うためだ、馬鹿」
 三崎は一瞬意味が分からなかったが、ややあって目を丸くした。
「俺に!?」
「そうだ、お前だ」
「どうして!」
「おまっ……俺の言いたいこと、本当は分かってるんじゃないのか?」
「いや、だって……」
「あの男、ゲイだぞ。しかもバリタチ。同類だからすぐ分かる」
「ど……同類……ば、ばり?」
 はああ、と倉澤は大きく息を吐いた。
「……前任者の奴から、少し聞いたことあるんだよ。どうもソッチらしいって。その後、一度だけ顔を合わせる機会があって、その時確信した。まあ、向こうも俺の性癖を気づいているだろうが」
 倉澤は視線を逸らすと頬杖ついてビールのグラスを引き寄せたが、口に運ばずに表面の水滴を指でなぞっている。少し憂いた表情に、三崎の心臓が跳ね上がった。
「鷺沼さんがそういう方かもしれない、というのは分かりました。でも、だからって俺に気があるとか、そういう事は無いんじゃ……」
「……『そういう方かもしれない』じゃなくて『そういう方』だ。それに、あの手の人間は無駄なことに時間は費やさない。わざわざお前に会いに来たことに意味があるんだ。言っちゃ悪いが、お前に社交辞令で親切にして、奴に何のメリットがある?」
 三崎はそれもそうだ、と妙に納得させられてしまった。そして次に浮かんだ理屈に、顔が熱くなる思いがした。
(それじゃ……こんな風に親切に忠告してくれる倉澤さんは、何のメリットがあって……って、俺の気を引く為、ってことになるのか?)
 ビールのグラス越しにニヤニヤと笑う倉澤と目が合った。
「ただでさえ難しいのに、ライバル増やしたくないからな。まあ仮に奴も俺と同じ立場になったとしたら、こんなぬるい忠告じゃ済まないけどな」
「ライバルって……そ、それに同じ立場になるわけないです。倉澤さんの方が、ずっと……」
 三崎はハッとして言葉を飲み込んだ。
(何を、言おうとした?)
 整理のつかないグルグルした気持ちを誤魔化すように、ビールを口に運ぶ。
 倉澤はそれ以上問い詰めてこなかった。それをいいことに、何もハッキリとさせない状態を甘んじている。三崎は苦い気持ちでビールを飲み込んだ。





 目が覚めたのは、カチカチと規則的にキーを打つ音のせいだった。寝返りを打つと、暗がりの中、ノートパソコンのモニターから発する光が倉澤のシルエットを浮かび上がらせていた。
「起きたか。まだ早いから、もう少し寝てろ」
「……今、何時ですか」
「四時回ったとこ」
 倉澤はモニターから目を逸らさない。三崎はゴロリと仰向けになると、小さく謝罪をつぶやいた。
「……すいません、本当に」
「昨日から、そればっかだな」
 ギシっと椅子の背もたれに寄りかかった倉澤は、眼鏡を外しながらようやく傍のベッドに目を向けた。
 昨夜は飲み過ぎて、倉澤のマンションに泊まらせてもらった。ひとつしかないベッドを占領し、今の今までぐっすり眠り込んでしまったことに酷い罪悪感を覚える。すぐに起き上がろうとしても、割れるような頭痛に見舞われ動けそうもないのが情け無い。
「営業のくせに、案外酒弱いのな」
「接待の時は、最初の乾杯以外はウーロン茶を飲んでます……」
 酒の味は嫌いではないのに、体が受け付けない。過去に何度か失敗して学んだはずなのに、昨夜は久しぶりに酒量を見誤ってしまった。
「心配するな。手は出しちゃいないから」
 押し黙っていると、倉澤は別の方向に誤解したらしい。
「違……その、頭が痛くて」
「二日酔いか」
 どこかに薬があったはず、と立ち上がって部屋を出ようとした倉澤の背中に、急いで声を掛けた。
「あのっ、倉澤さんのことは……信用してますから」
 振り向いた倉澤の顔は、優しい笑みが広がっていた。




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