よく効くお薬〜偏頭痛持ちの俺がエリートリーマンに助けられた話〜

高菜あやめ

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スピンオフ【相川と太田】

15. 不穏な体調

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 水島に連れられてやってきたのは、コンビニの少し先にある、チェーンのドーナツ店だった。
「いや、自分の分は自分で払う」
「声を掛けたのはこっちだから、俺に払わせて」
 水島はそう言って雅史の分までサッサと会計をすませてしまった。不本意だがここで払う払わないと押し問答して、余計な時間を使いたくない。そもそも夜にコーヒーを飲んだり、ましてや揚げたドーナツを食べるなんて、胃腸に良くない。だが弱みを見せるのが嫌で、つい水島と同じようなものを選んでしまった。
「それで、話って?」
 相川の元交際相手というだけで、居心地の悪い緊張感を強いられる。こんな風に呼び止められて、愉快な話をするとは到底思えない。
「あのさ、太田って相川さんとつきあってるだろ。それで少し話してみたくなったんだ」
 水島は落ち着かない様子で腕組みをする。落ち着かないのは雅史も同じで、手持ち無沙汰に湯気の立つカップを手に取った。
(うえっ……)
 口に含んだコーヒーはおどろくほど苦かった。不快な後味を、油を含んだモソモソするドーナツで拭き取るように咀嚼してると、正面の男がゆっくりと切りだした。
「俺が以前、あの人と付き合ってたことは知ってる?」
「ああ、本人から聞いた」
「え、そうだったんだ」
 水島の明るくおだやかな声音は、妙に雅史の気分を逆撫でた。まるで試してるような口振りも鼻につく。雅史は誘いに乗ってこの場に来てしまったことを、すでに後悔しはじめていた。
「彼、すっごくやさしいでしょう?」
 その含みのある言い方が、この男の目的を垣間見せた。
「俺も経験したからわかるんだ。世話焼きで、困ってるかわいそうな人間を放っておけないんだよな」
「……」
「俺も口下手で引っこみじあんなとこあって、入学したてのころあまり大学生活に馴染めなくて。そんなとき拓巳たくみさんが声を掛けてくれたんだ」
 水島の話によると、それがキッカケで相川のいるサークルに入って、世話を焼かれてるうちに付き合いはじめたようだ。はじめて聞く話に、気にならないと言えば嘘になるが、それ以上に気になったのは名前だ。
(拓巳さん、か……)
 相川の下の名前は知ってはいたものの、一度も呼んだことはない。小さなことだが、呼び名ひとつで距離の差を感じる。雅史はまだ相川を名前で呼びたいと思うほど、気持ちが追いついてないことに気づかされた。
「あの人は『誰に対しても』やさしいからね。でも仮にもつきあってるなら、恋人を優先すべきって思わない?」
 水を向けられて、雅史はなんて返そうか迷う。否定をすればむきになって反論しそうだが、肯定すればまるで別れた水島の現状を未来の自分に重ねるようで気分が悪い。
「……別れたときって、どんなだったの」
 雅史は意を決して、水島にそんな疑問をぶつけてみた。すると水島は一瞬意表を突かれた顔をして、それから失笑した。
「たいしたことなかった。拍子抜けするほど、あっさりしたものだったよ。『別れたい』って言ったら『わかった』って」
 どうやら水島から別れを切り出したようだ。しかし理由までは聞く気になれなかった。
「噂どおりの素っ気なさにがっかりしたよ。あれで皆には自分がフラれたって話すんだから」
「……実際そうじゃねーの」
「ぜんぜん、まったく違うよ!」
 雅史の小さな反論に、水島は過剰な反応をみせた。眉を吊り上げて、憤りを隠そうとはしなかった。
「あの人は残酷な人だよ。人を甘い言葉とやさしい態度でさんざん夢中にさせといて、一度でもすれ違えばためらうことなくあっさり別れる。修羅場にすらならないんだ」
「……」
「まさに来るもの拒まず、去るもの追わずだよ。そんな噂、サークルで聞いたことない?」
 その噂はサークル内でも有名で、雅史ですら知ってる。
「たしかに、その噂なら聞いたことがある」
「実際に当事者になると、相当嫌なものだよ?」
 雅史はため息をついて、窓ガラスに映った水嶋を横目で見やる。ドーナツもなんとか食べ切り、コーヒーも無理やり飲み干した。そろそろ席を立っても構わないだろうか。
 水島の主張は、なんとなく理解できた。そして彼が相川に対して、いまだ消化しきれない思いがあることも。たぶん水島は、こんな会話に意味のないことを一番痛感してるはずだ。雅史を不安にさせたって、相川とよりを戻せるわけではない。それとも水島は、雅史が相川と別れれば再びよりを戻せると本気で思っているのか。
(だとしたら、相当危ない奴かも)
 目の前に座る自分と背格好が似た男が、だんだんと薄気味悪く感じてきた。ただの嫌味で済めばいいが、本気で何かしようと思ってたら……と、ゾッとする。
「なんか気分を悪くさせちゃったかな。ただのおせっかいなアドバイスのつもりだったんだけど」
「アドバイス?」
「そう。いつか俺と同じように苦しくなったら、思い出してくれればいいなって」
「ならねーよ」
 雅史は立ち上がると、うつろ目を向ける水島を見下ろした。
「たとえ別れることになっても、お前みたいにならねーよ」
 水島は途端に顔色を無くし、わずかな怒りを滲ませた。何か文句のひとつも言いたそうだったが、唇が震えてうまく言葉にできないようだ。
「じゃあな」
 雅史は、足早にその場を離れた。そして振り返ることなく店を後にする。たぶん、この店には二度と来ない。
 その夜、アパートに帰宅した雅史は、久しぶりに胃薬を飲んだ。
(また油物食っちまった……)
 今日は昼に定食屋で、めずらしく天ぷらを口にした。注文した煮魚定食におまけでついていた芋天は、揚げたてでサクサクしてて油っこさなどこれっぽっちも感じないほどおいしかった。たまになら揚げ物だって多少口にしても問題ない。
 だが夜も油をとってしまい、二食続いてしまった。ドーナツを一食と考えるかどうかはさておき、油物が続くと良くないのは経験上わかってる。
(夕メシ、どうしよう)
 一人なら食べなくてもいいし、翌日は様子をみて調整すれば大丈夫だろう。しかし相川が一緒となれば話が違う。ただでさえ過保護な男なのに、食事を抜いたことが知られたら過剰に心配を掛けてしまう。
(なんとかバレないようにしないとな……)
 とりあえず今夜は先に食べたことにして、相川の分だけ夕食を用意することにした。明日も平日だから、泊まることはないはずだ。今夜だけは甘いムードに流されることなく、キッパリ拒絶して早めに帰ってもらう。やさしい相川は絶対に無理強いしたりしない。

「あれ、口に合わなかった?」
「えっ」
 仕事を終えた金曜の夜。二人は相川おすすめの創作和食の店で、遅めの夕食を取っていた。
 ここのところ金曜日は、相川の奢りで外食するのが恒例となりつつあった。平日はだいたい雅史が夕食を作るので、そのお礼のつもりらしい。だが雅史としては夕食の材料費はもらってる上、しょっちゅう食材やらお土産やらもらっているので、ここまで気を使ってもらう必要はないと思ってる。
 相川の選ぶ店は、およそ外れがなく、また雅史の体を気づかった和食系が多かった。だからいつもなら箸が止まらないのだが、今夜は事情が違った。
(最近なんか、胃の調子が悪いんだよな……)
 おそらく先週ドーナツを食べたあの夜からだ。油が合わなかったのか、それとも昼の天ぷらのせいなのかは分からない。ただ気をつけてても、たまに原因不明の腹痛に襲われることがままある。たいていは一晩経てば回復へと向かうが、それまで激しい痛みと戦うことになり、時にはトイレの床に転がって夜を明かすこともある。とても他人に見せられる状態ではない。
「この後、俺のマンションでいい?」
「あ、うん……」
 体調に不安は残るが、断ると不審に思われてしまう。強めの鎮痛剤や湯たんぽ等揃ってる雅史のアパートに誘うこともできるが、ベッドがせまくて二人ならんで寝るのがキツい。その上もし真夜中に激しい腹痛に見舞われたら、隣で寝てる相川を起こさずこっそりトイレへ消えることは不可能だ。
(常備薬は持ってきたし、なんとかしなくては)
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