よく効くお薬〜偏頭痛持ちの俺がエリートリーマンに助けられた話〜

高菜あやめ

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第一部

4. バイトの提案

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「明日納期の仕事があって、立てこんでて、それどころじゃなかったんです」
「明日納期の仕事?」
 そこで俺は、簡単にフリーのプログラマーとして仕事を請け負っていることを説明した。しかし津和は、納得してない顔のまま腕を組んだ。
「あっそ。ところで、ああいうことはよくあるのか?」
「ああいうこと?」
 俺は津和の向かいの椅子に座ると、飲みかけのペットボトルの口を開けながら聞き返した。
「階段から落ちたこと」
「まさか。あんな失敗、そうそうありませんから。いつも気をつけていますんで」
「ふうん。気をつけていたのに、あんな風に落ちたわけだ」
 津和は椅子の背もたれに片腕を掛けると、気難しそうな横顔でそっぽを向いた。責めるような口調だが、病院の件といい、どうやら心配してくれたみたいだ。
「えーと、いつもは薬さえ飲めば大丈夫なんですけど」
 努めて明るい口調で言ったら、津和の機嫌はさらに急降下した。
「じゃあなんで、昨日は薬を飲まなかった?」
「あれは、たまたま常備薬を切らしてて……」
 津和は気に入らない、とばかりテーブルに頬杖をつくと、忌々しげに舌打ちした。イケメンが怒ると、妙な迫力があ。
(それに、とてつもなく気まずい)
 なんとかこの場の空気を変えたくて、再び重たくなってきた頭を悩ませていると、向かいの津和が静かに口を開いた。
「もっと融通が効くバイトにしたら」
「融通が効く?」
「体調が悪い日は休めて、具合が悪くなれば仕事中でも手を止められる、という意味」
 俺は呆れて天井を仰いだ。
(そんな都合がいい仕事、あるわけねーよ)
 コミュ障で接客に自信がないから、今のところ清掃員の仕事が一番性に合ってる。人と接する機会はほぼなく、自分のペースで作業できる点もありがたい。
「うちでバイトしてみないか」
「え?」
 思いがけない津和の申し出に、俺はワンテンポ遅れて反応した。津和のとこって、あの商社でバイトとか募集してんのか?
「いや、でも俺、今は、会社勤めは、ちょっと……」
「会社じゃなくて、俺のマンション。ちょうど掃除してくれる人を雇おうか、考えていたところでね。半年前に引っ越してきたのに、まだ段ボールが散乱してるんだ。君が来て、片付けてもらえると助かるんだけど」
「あー、えっと……」
 津和の思いがけない申し出に、俺は言葉を詰まらせた。『俺のマンション』という下りで、てっきり津和のマンション管理事務所辺りで、清掃員のバイトを募集しているのかと思ったのに、まさか津和自身の部屋のことだとは。
「条件は悪くないよ。俺が日中仕事で出てるときに、好きなタイミングでうちに来て、片付けてくれればいいから」
 たしかに条件は悪くない。悪くはないけど、突然過ぎる。それに良く知りもしない人間を、プライベート空間である家に入れて、プライバシーの塊である荷物の片づけさせても、気にならないものだろうか。少なくとも俺は気になる。
「仕事で出てるときって、留守の時ですよね? 嫌じゃないんですか?」
「嫌って何が?」
「だって、全然知らない赤の他人が、勝手に部屋を出入りするんですよ?」
「それは他の業者に頼んでも同じだろう。すでに顔見知りな分、君の方がはるかにマシだと思うけど?」
 津和はさも不思議そうに、俺の顔を見つめている。同じだとか、はるかにマシだとか、津和の感覚ではそうなのだろう。しかも提示された報酬は、今のバイトよりずっといい。
(こ、断る理由が思いつかない……!)
 頭の中ですばやく状況を整理してみる。たしかに仕事時間を、自分都合で決められるのは魅力的だ。体調と相談できるのはもちろん、本職であるプログラマーとしての仕事の納期に合わせて、時間調整できるのもありがたい。
「……試しに一回だけ、やってみてもいいですか」
 もしかしたら、相手の期待値と合わない可能性がある。清掃員のバイト経験があるとはいえ、掃除に関してはまったくの素人だ。そして何より、居心地が悪い職場だったり、雇用主と合わなかったりしたら、どんなに報酬が良くても遠慮したい。
(なんか綺麗好きで細かそうだもんな、この人……)
 津和の繊細で整った顔立ちから、勝手に失礼なイメージが浮かぶ。
「じゃあ、さっそく今週の土曜日はどう? 細かいことは、その時に説明するよ」
 津和はスマホを取り出すと、地図を送ってくれた。駅からの道順はそれほど込みいってないので、特に迷わず行けそうな場所だ。
「それから、明日は絶対に病院行くこと。治療費は後から請求して?」
「はあ……」
 とりあえず生返事を返すにとどめた。ただの捻挫だろうし、いちいち診察代を請求するつもりなんてないけど、ここで反論すればますます話が長引く。仕事も詰まっていることだし、早いところお引き取り願いたい。
(病院なんて、行くつもりないけど)
 津和は話がすんだとばかり席を立ったので、俺は胸を撫でおろして玄関まで見送ることにする。内心追い立てる気持ちで、早く帰ってもらおうとドアの前まで見送った。
 津和はよく磨かれた革靴を履くと、玄関の扉を開ける前に振り返った。
「夜遅くに邪魔したね」
「いえ、別に……」
「別にって顔してないよ?」
 スッと手を伸ばされ、反射的に体を引いてしまった。すると津和は代わりに、自分の目の下をトントンと叩いてみせる。
「隈、昨日より濃くなってる」
「えっ」
 言葉に気を取られていたら、再び伸ばされた指先で目元をなぞられた。スルリと肌を滑べる感触に、一瞬ギュッと目をつぶってしまう。
「じゃあ、また」
 小さく笑われて、遅ればせながら後ろに飛び退いた。
(……何だったんだ、一体……)
 閉じられた扉の前で、俺は触れられた目元をゴシゴシ擦った。
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