有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺

高菜あやめ

文字の大きさ
上 下
12 / 12
番外編

クリスマスのプレゼント

しおりを挟む
 恋人になって初めてのクリスマス。
 平日でテレワークだけど、夕食くらい何か工夫を凝らしたいと思った。
「鍋……ですか」
「うん、嫌い?」
 イブ当日、朝食の席で提案すると、入江さんはコーヒーカップを片手に目を瞬いた。
「いえ、野宮さんが作ってくださる料理は、どれも大好きです」
「あ、どうも……」
 俺が作ったものは何でもよろこんで食べてくれるのはうれしいけど、本当に好きかどうかはかなりアヤシイ。実際つい最近まで、実は鶏肉が駄目だなんて気づかなかった。否、気づけなかった。
 涙目で鶏肉の蒸し焼きを口に運んでいる姿に、最初はうまくて感動してるのかと思い『相変わらず大袈裟だなあ』と笑っていたら、入江さんの顔色がみるみるうちに青くなってきて、さらにむせ出したからびっくりして、あわてて止めた。
 その後しつこく問いただしたら、入江さんはようやく重い口を割った。鶏肉が駄目なら正直に言えばいいのにと俺が呆れ半分で言うと、入江さんも呆れたように『だって駄目だと言えば、食べさせてもらえないでしょう?』と言う。わけ分からん。
 そんな事情があって、クリスマスに『何食べたい?』と聞いたものの、どうせ答えは分かり切っている。
「野宮さんが作ってくださるなら、何でも」
 そう、俺が作るのなら何でもいいんだって……少なくとも鶏肉は避けるけど。悪いけど、まったく参考にならん。
 俺が推測するに、入江さんは本来食に関心が無いのだと思う。好き嫌いは言わないし、放っておくと冷蔵庫の中のレンチン料理を、上段の端から順番に手を伸ばす。時間がない時は、棚に並んだゼリー飲料を端から取るし、飲み物はコーヒー以外だと冷蔵庫に入ったペットボトルの水しか飲まない。
 ただし俺がお茶をいれると、うれしそうに飲む。料理を作れば目を輝かせて食べ、咀嚼しながら実に幸せそうだ。蒸し鶏で倒れかけた時だって、器用な事に顔面蒼白になりながら微笑んでいた。あれは申し訳ないが、かなり不気味な光景だった。
 そんなわけで、入江さんの好みを知るのは意外に難しい。
 俺なりに考えた秘策が、この鍋料理だ。鍋なら色々な食材を使うから、どれに箸を伸ばすかよく見ていれば、それとなく好みが分かるというものだ。
(ま、そううまくいくか分かんねーけどな)
 目玉焼きを咀嚼しつつ、そっと入江さんの顔をうかがうと、なんだかうれしそうに見える。今夜の鍋を楽しみしてくれてるのだろう。例えそれが、嫌いな料理だったとしても……いや、鍋嫌いな奴っていんのかな。割と万人受けすると思うけど、入江さんだから分からない。
「あ、そうだ。プレゼントだけど……」
 まだ買ってない、と言おうとしたら、入江さんがスッと手を上げたので口をつぐむ。
「野宮さん、欲しいものは決まってます」
「あ、そうですか……」
 何だろ、珍しい。てか、プレゼント強請られたことないけど。
「名前」
「ん?」
「名前で、呼んでくださいませんか」
 入江さんの名前……って、何だっけ?
 顔に書いてあったのだろう、入江さんが苦笑気味につぶやく。
けい
「けい?」
 入江さんはスマホを取り出して、漢字をみせてくれた。なるほど、難しい漢字だな……意味は聡いとか賢いとか、入江さんにぴったりな気がする。
「ええと、じゃあ改めまして、慧さん。クリスマスに何が欲しいんですか?」
「それです」
 どれよ?
「名前で呼んでください」
 ああ、そういうことね……って、無欲かよ。
「それはプレゼントとは言わないです。なんかもっと、こう……もの、的な感じ?」
「物、ですか……野宮さんがくださるなら、何でも」
 そうきたか。
 こうなったら、何をあげてもよろこばれてしまう。それはありがたいような、困るような、どうしたらいいのやら。
「ところで、鍋って自宅でも作れるものなんですね」
 そう呟いた恋人の顔は、いつも以上にうれしそうに見えた。そうか、自宅鍋の未経験者か。これは腕のふるいがいがあるってもんだ。ま、鍋が料理かどうか分からないけど。

 仕事が終わって鍋の支度にとりかかると、同じく仕事を終えた入江さんが隣にやってきて、俺の傍を離れようとしない。単に野菜を刻んでいるだけなのに、何がそんなに珍しいのかイマイチ謎だ。
(そういや、キャベツ刻んでいる時も、よく隣で見てるな……)
 入江さんは俺が野菜を刻む姿が好きらしい、と結論付けるしかなかった。
「味噌味と醤油味、どちらがいいですか」
「どちらでも」
 言うと思った。でも俺は分かっている……入江さんは味噌味が好きだ。なんとなく勘だけど。
「じゃあ味噌にしますね」
「はい。ところで肉と魚、どちらも入れるんですね?」
「ええ、豚肉とタラを入れます。食べ終わったら、最後にうどん入れて煮込むとおいしいんですよ」
「それは楽しみですね」
 入江さんは心底うれしそうに微笑む。これは演技じゃなくて本気で笑っていると思う。そうか、豚肉とタラは好きなんだなきっと。
「あ、入江さん、お玉取ってくだ……」
「慧」
「慧、さん」
 すぐに直された。まだ初日だから、癖でつい苗字で呼んでしまう。
 はい、とお玉を渡され、期待した顔で覗き込まれた。
「……ありがとう、慧さん」
「どういたしまして、すぐるさん」
 顔が熱くなりそうだ。名前呼び、意外と、いやかなり恥ずかしい。
(でも待てよ、入江さ……慧さんが、俺を『さん』づけって、どうなの)
「あの慧さん」
「なんですか、卓さん」
「えー、と……俺のことは、呼び捨てでもいいですよ? ほら、年上だし」
 ぐつぐつと鍋がいい音出して煮込まれていく。やけに静かになった隣をそっと見やると、なぜか真っ赤な顔を片手で覆った恋人の姿があった。
「え、何、なんで照れてんの!?」
「いえ、その……すぐる、とか」
「は……」
 いや、意識されるとこっちも恥ずかしくなるな。
「嫌なら、いいですけど」
「嫌じゃない」
 即答され、ついでに横から抱きすくめられた。
「ちょ、危ないですって」
「……」
「あー、もうすぐ出来るんで、テーブル用意してもらえます? お箸並べて、お皿並べて」
 すぐに感動するのも、慧さんの悪い……いや、悪くはないか……癖だ。そっと肩を撫でると、一瞬腕の拘束が強くなり、それから耳の端に小さなキスを落としてようやく解放してくれた。俺としては、こういう行動の方が、名前を呼び捨てするよりよっぽど恥ずかしく思うんだが。
 そうこうしながらも、ささやかな鍋パーティーはなかなかよかった。
 鍋自体もうまかったが、俺の目論見通り、慧さんの嗜好がちょっぴり分かった気がする。柔らかく煮えた人参や椎茸、豚肉はよく食べていた。一方、春菊は苦手っぽい。タラもおいしそうに食べてたな。また、めのうどんもおかわりしてた。
「さてと、腹一杯になったところで……じゃじゃーん、デザートのケーキがあります」
 俺が冷蔵庫からいそいそとケーキを取り出すと、慧さんは蕩けそうな笑みを浮かべた。
「これ、すぐる、が焼いたの?」
「ええ、まあ……」
 まあ、そこそこの出来栄えのロールケーキは、なんと俺のお手製だ。昼休憩中に、こっそりネットでレシピ見ながら初めて焼いてみた。
「仕上げは一緒にやりましょう」
 俺は大皿にお菓子をざらざら入れて、ケーキと一緒にソファーの前のガラステーブルへ運んでいく。興味深そうに後ろをついて回る慧さんが、なんだかお菓子につられた小さな男の子みたいで、ちょっと笑えた。
 クリームを塗っただけの、飾り気のないロールケーキを前にして、新しく開けた白ワインで乾杯をする。
「好きなお菓子を、好きな場所に乗せてくださいね?」
 皿にはフルーツグミやチョコレート、マシュマロやクッキーに煎餅まで、思いつく限り並べてみた。さあ、好きなのを取ってくれ。
「お、フルーツグミはいりますね? 俺はマシュマロ乗せよっと」
 あれこれ喋る俺とは対照的に、慧さんは口数少なく真剣な面持ちでお菓子を乗せている。なぜだか積極的に煎餅を乗せていた。これは新しい発見になるのか。
「できた!」
「完成ですね」
 切り分けて食べてみると、様々なお菓子が口の中で混ざり合って意外とうまい。特に煎餅は甘いクリームと合わさると、甘じょっぱくなって不思議と悪くなかった。
「すぐる」
 名前を呼ばれて横を向くと、ペロリと口の端を舐められた。
「クリームついてる」
「あ……」
 熱い舌が、今度は唇をなぞり、それから隙間をスルリと入り込んだ。口の中では甘いクリームが蕩けていく。ふと唇が離されると、鮮やかな笑顔を浮かべた慧さんがこちらを見つめていた。
「……メリークリスマス、すぐる……愛してる」
「俺も」
 ふふ、と笑い合って、それから再び二人でクリームの甘さを分かち合う。何度も、何度も、夜が更けても飽きずに……。

(後日談・完)
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

ハル
2022.04.18 ハル

あやめ様 一気読みをしました😘挨拶をされる時に名前を呼ばれると嬉しいですよね❗ましてやその人が気になっている人だったらドキドキしてしまいます。遠くから見守っている事しか出来ずにいる自分には羨ましい限りです。いつの日か声をかける事が出来る勇気が欲しいです🎉次の作品を楽しみにしています。

2022.04.19 高菜あやめ

ハルさん、コメントありがとうございます😊
自分から率先して声を掛けるのって本当に勇気いりますよね……特に相手が気になる人だったら、変に思われたりしないかな、と不安になってしまったり。何かそれとなく気持ちが伝わればいいのに〜と悩みつつ素敵な恋になればいいなあと思います💕

解除

あなたにおすすめの小説

冴えないおじさんが雌になっちゃうお話。

丸井まー(旧:まー)
BL
馴染みの居酒屋で冴えないおじさんが雌オチしちゃうお話。 イケメン青年×オッサン。 リクエストをくださった棗様に捧げます! 【リクエスト】冴えないおじさんリーマンの雌オチ。 楽しいリクエストをありがとうございました! ※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。

好きになってしまいました

藤雪たすく
BL
火事がきっかけで同居する事になった相手は短大でたまに見掛けた有名人。会話もした事も無かったのに何でこんな事に? 住んでいる世界が違うと思っていたのに……交わる事の無いはずだった線がそうして交わり始めた。 ※他サイトに投稿している作品に加筆修正を加えたものになります

よく効くお薬〜偏頭痛持ちの俺がエリートリーマンに助けられた話〜

高菜あやめ
BL
【マイペース美形商社マン×頭痛持ち平凡清掃員】千野はフリーのプログラマーだが収入が少ないため、夜は商社ビルで清掃員のバイトをしてる。ある日体調不良で階段から落ちた時、偶然居合わせた商社の社員・津和に助けられ……偏頭痛持ちの主人公が、エリート商社マンに世話を焼かれつつ癒される甘めの話です◾️スピンオフ1【社交的爽やかイケメン営業マン×胃弱で攻めに塩対応なSE】千野のチームの先輩SE太田が主人公です◾️スピンオフ2【元モデルの実業家×低血圧の営業マン】千野と太田のプロジェクトチーム担当営業・片瀬とその幼馴染・白石の恋模様です

今日も、俺の彼氏がかっこいい。

春音優月
BL
中野良典《なかのよしのり》は、可もなく不可もない、どこにでもいる普通の男子高校生。特技もないし、部活もやってないし、夢中になれるものも特にない。 そんな自分と退屈な日常を変えたくて、良典はカースト上位で学年で一番の美人に告白することを決意する。 しかし、良典は告白する相手を間違えてしまい、これまたカースト上位でクラスの人気者のさわやかイケメンに告白してしまう。 あっさりフラれるかと思いきや、告白をOKされてしまって……。良典も今さら間違えて告白したとは言い出しづらくなり、そのまま付き合うことに。 どうやって別れようか悩んでいた良典だけど、彼氏(?)の圧倒的顔の良さとさわやかさと性格の良さにきゅんとする毎日。男同士だけど、楽しいし幸せだしあいつのこと大好きだし、まあいっか……なちょろくてゆるい感じで付き合っているうちに、どんどん相手のことが大好きになっていく。 間違いから始まった二人のほのぼの平和な胸キュンお付き合いライフ。 2021.07.15〜2021.07.16

勘違いしちゃってお付き合いはじめることになりました

よしゆき
BL
誤解から付き合う事になった男子高校生がイチャイチャするだけの話。

からかわれていると思ってたら本気だった?!

雨宮里玖
BL
御曹司カリスマ冷静沈着クール美形高校生×貧乏で平凡な高校生 《あらすじ》 ヒカルに告白をされ、まさか俺なんかを好きになるはずないだろと疑いながらも付き合うことにした。 ある日、「あいつ間に受けてやんの」「身の程知らずだな」とヒカルが友人と話しているところを聞いてしまい、やっぱりからかわれていただけだったと知り、ショックを受ける弦。騙された怒りをヒカルにぶつけて、ヒカルに別れを告げる——。 葛葉ヒカル(18)高校三年生。財閥次男。完璧。カリスマ。 弦(18)高校三年生。父子家庭。貧乏。 葛葉一真(20)財閥長男。爽やかイケメン。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

お疲れ騎士団長の癒やし係

丸井まー(旧:まー)
BL
騎士団長バルナバスは疲れていた。バルナバスは癒やしを求めて、同級生アウレールが経営しているバーへと向かった。 疲れた騎士団長(40)✕ぽよんぽよんのバー店主(40) ※少し久しぶりの3時間タイムトライアル作品です! お題は『手触り良さそうな柔らかむちむちマッチョ受けかぽよぽよおじさん受けのお話』です。 楽しいお題をくださったTectorum様に捧げます!楽しいお題をありがとうございました!! ※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。