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第八話 睦言

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 入江さんからの突然の告白に、俺は半ばパニックになりながら口を開いた。
「え、はい、ありがとうございます……」
 お礼であってたか……? 人生初の告白が、こんな突然、しかも思いもよらない人からで、何が正しいのかわからない。こんなときだけど、高級マンションの防音性の高さが恨めしい。室内の沈黙をより際立させてる。
 緊張感が走る中、肩口に押しつけられていた入江さんの頭がそろり、と離れていった。
「それは……私の気持ちを受け止めていただけた、と理解していいのでしょうか」
 視線の合わない瞳に濃い影を落とすまつ毛が、かすかに震えているのが見て取れた。高い鼻梁にひと房かかった前髪がやたら色っぽく見えるのは、元の顔がいいからに違いないけど、この告白の後じゃ心臓に悪すぎる……これが俺なら、寝起きにしか見えやしないだろうが。
「受け止めたというか、その、俺、正直そんなふうに考えたことなくって」
「そうだと思いました」
 驚いて目の前の顔を凝視すると、やわらかな視線とぶつかった。
「だから告白したんですよ……このままでは、ずっと『そんなふうに』考えてもらえないと思ったので」
「なっ……」
 なるほど。妙に腑に落ちた。
 たしかに、その通りだ。告白されなければ、そんな風にこの人を考える日はずっと来なかっただろう。俺はただの居候で、テレワークする場所が必要で、居候させてもらっただけなんだから。
(でも、入江さんは最初からやさしかった)
 どうして断らなかったんだろう、と思った。彼にとって俺はほぼ他人じゃないか。いくら社長命令だって、横暴過ぎるとか文句のひとつでも出てきて不思議じゃないのに。
(でも俺は、ほんのちょっとだけだけど、勝手に親近感持ってるんだけど)
 いつか社内ですれ違ったときに挨拶したら、挨拶を返された。そのとき入江さんは、俺の名前を呼んでくれたんだ……『お疲れさまです、野宮さん』って。
 俺は中途採用だけど、面接の時に入江さんが面接官の一人だったからよく覚えてた。でも入江さんは、何人もの面接をしていたはずだから、その一人だった俺の名前を覚えてくれてるなんて思いも寄らなかった。だから名前を呼んでもらえたとき、本当に感動したんだ。
「気持ち悪いでしょうか。嫌悪感とか、ありませんか」
「ま、まさか! そんなこと、全然ないです!」
 入江さんに好意を持たれてたなんて、驚いたけど嫌な気持ちじゃない。それは断言できる。
「よかった。昨夜のキスも気持ち良さそうに求めてくださったけど、やっぱり言葉ではっきり聞かないと安心できなかったんです」
 待って、それ初耳ですけど。
(なんっ……俺知らないうちに、そんなマネしてたのか! しかも、も、求めてたって、俺から!?)
 昨夜の記憶はソファーで入江さんと話して、それから、それから……なんかフワフワ気持ちよかった気がする。
「まさか昨日のこと、おぼえてないのですか……?」
「え、あの」
 どうしよう、なんて言う? キスまでしといて覚えてないとか、サイテーだよな。でもそういうことに嘘つくのは、もっとサイテーな気がする。
「すいません……」
「そうでしたか」
 入江さんはものすごく気落ちした様子で、悲しそうな表情を浮かべた。焦った俺は、どう言えば彼が傷つかないか、回らない頭と舌を必死に動かす。
「でもっ、き、気分が悪かったとか、嫌悪感とか、そういうのは全く、全然無かったです! むしろ記憶にあるのはフワフワと気持ちよかったぐらいで」
「……気持ちよかった、とおっしゃいました?」
 うつろだった入江さんの瞳に光が宿った。俺はこのときとにかく必死で、あまりにも必死過ぎたせいか、想定外の方向へ風向きが変わったことに気づけなかった。
「では昨夜の行為は、野宮さんにとって問題無かったと……?」
「はいっ! 俺は問題ありません!」
 入江さんはフワリと微笑んだ。
「よかった……うれしいです。では、もう一度」
「へっ」
 俺の反応が遅れたせいか、何か返す前に唇にふにっと温かい物が押しつけられた。
「夢のようです……いえ、夢かもしれない」
 艶っぽい瞳が間近にせまって、濡れた唇がやけに目を引いた……視覚と感触の暴力がすごすぎる。
 俺が呆然とする中、二回、三回とキスが繰り返され、とうとう四回目に……舌を入れられた。
(うっ、しまった……なに流されてんだ俺!)
 でも、その舌が異様に甘くてやわらかくて、腰砕けになるくらい気持ちいい。口内を縦横無尽に這いまわる舌に、とうとう俺の舌が絡みついて、激しく吸われたら酸素まで吸われちまって……眩暈がした。
 唇から糸を引きながら離れていく赤い舌を見送って、俺はぐったりして入江さんの胸にもたれかかった。そのまま抱き上げられ、気がつくと背中にやわらかいシーツの感触が……。
「入江さん、俺……その」
「怖がらないでください。やさしく、しますから」
 やさしく、しますからって……そんな頬を染めて囁かれても。
(やべえ、『てーそーのきき』ってやつだコレ)
 頭の悪い言葉が脳内を走り抜けていく。正気に戻りかける度に、あの恐ろしく中毒性のありそうなキスをかまされ、すっかり骨抜きになってしまった。
「入江さん……」
 そう言って、ぼんやりした視界を巡らせると、入江さんはベッドに転がった俺の前で膝立ちになり、おもむろにTシャツを脱ぎ捨てた。
「私の体を見て、気持ち悪くありませんか」
「……? いえ、別に……」
 綺麗な筋肉がついてる。腹筋も割れててうらやましい。そう素直に答えたら、入江さんは少し恥ずかしそうに笑った。
「野宮さんの体も見せてください」
「え……見てもつまんないですよ……」
 腹筋割れてねーし、二の腕細くてなまっちろいし、かっこわりー男の代表みたいなもんだ。
 俺は見せれる体じゃない、と何度も言ったけど、入江さんはそれでも構わないってあきらめず、しまいには『私は見せたのにずるい』的なこと言いはじめたので、あーもういいやってぱぱっと脱いでやった。
 勢いあまってズボンも脱いじゃって、まあいっか、とシャツと一緒にベッドの下に落としたら、ねだった本人が目を丸くして驚いていた。
(だから言ったじゃんか、俺の体は貧弱でつまんねーって)
 面白くなくてむくれていたら、ガバッと抱き着かれた。
「入江さん?」
「きれいです、野宮さん。やはりこれは、私の都合の良い夢ですね?」
「夢じゃないですってば」
 室内は、薄いカーテン越しに日差しがさんさんと降り注いでいる。さっき朝食食べたばっかで、これから弁当作るって話になってたはずだ。
(あれ、そーいや俺たち裸同士で、ベッドの上で何やってんだ?)
 しまった、貞操の危機だ……って、これ二度目だ。
 疲れてたのか、俺が流されやすいのか、入江さんが暴力的にキスがうまいのか。でも俺は、たしかに入江さんが好きで、入江さんと同じ意味の好きかわからないけど、こうして熱心にせまられているのも決して嫌な気持ちじゃなくって、もうこのまま流されてもいっかな、とすら思ってて。
「あのう、本当に俺でいいんですか……?」
「もちろんです」
「俺、そのう、あんま経験無いんで、がっかりするかも」
「経験豊富なら、むしろ嫉妬で狂いそうになります」
 そ、そうか。それならオーケーか?
「あと、それから……本当の本当に、俺でいいんですか?」
「あなたでなくては嫌です」
 入江さんの唇が、触れるか触れないかのギリギリまで近づき、蜂蜜のような甘い声をこぼした。
「野宮さん、大好き」
 鼓膜が溶けてなくなるかと思った。耳から染み渡った言葉の粒が、脳内でキラキラとスパークする。こんなにときめいたのは、生まれてはじめてかもしれない。
 シーツに放り出された手をそっと取られ、入江さんの胸に押し当てられた。心臓の音がすごい、バクバクしている。それは俺も一緒で、感情の昂りがシンクロしている錯覚に陥った。
 入江さんはふふっと笑うと、頭を下げて俺の胸に頬を押し当てた。
(恥ずかしい……心臓の音、聞かれてる)
 思わず体を引いて縮こまると、入江さんは「すいません」と苦笑を零して眼鏡を外すと、サイドテーブルに置いた。いや眼鏡が当たって痛かったわけじゃないんだけど。
 それよりも……入江さんの眼鏡を外した仕草から、その素顔の涼やかな色気に、俺の心臓はさっきよりも騒がしくなった。その顔が再び俺の胸に埋められ、今度はペロリと舐められた。
「ひゃっ……」
 こそばゆいし、恥ずかしいし、どうにかなりそう……なんだコレ、これってもしかして愛撫? 前戯ってやつ?
(やっば……ど、どうしよう……)
 明らかにキョドっていた俺に、入江さんは情欲のにじむ視線を向ける。
「声、我慢しないで」
「ん、ふうっ……い、いりえ、さん……」
「可愛い、好き」
 再び顔が近づいて、甘いキスを落とされる。絡まる舌の隙間から、切れ切れの睦言が喉の奥へと流されて、媚薬のように全身の神経を敏感にされる。
「大好き、かわいい……野宮さん、好き」
 全身くまなく舌を這わされ、その行為はなんというか……すごすぎて、うっかり止めることも忘れて、しびれるような気持ち良さに、自然と嬌声が口から漏れていった。
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