有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺

高菜あやめ

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第二話 コーヒーとベッドとメシのこと

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 一夜明けて、入江さんち二日目。
 昨夜飲んだコーヒーのせいで明け方まで寝付けなかったのに、いつもの習慣で通勤に間に合う時間には目が覚めた。
「……酷い隈ですね」
 洗面所で鉢合わせた入江さんは、俺の顔を見てわずかに眉をひそめた。よけいな心配をかけてしまったみたいで気が引ける。
「ベッド、合わなかったですか?」
「あー、でも、すぐ慣れると思います」
 コーヒーのせいと正直に言ったら悪いと思い、適当にごまかしたつもりだった。しかし入江さんの次の言葉は、俺の予想の斜め上をいった。
「では、今夜から私のベッドを使ってください」
「えっ、いいですよ、そんな!」
「ちっともよくありません。寝不足では仕事に差し障るでしょう。だからといって、あなたの部屋のベッドを私が使う、という意味ではありません。そばに私物もあるでしょうから、心配されるのはもっともです」
「あー、そういう意味じゃなくってですね……」
「だから今夜から、私はリビングのソファーを使います」
 いやそれ駄目だろ、と頭を抱えたくなる。家主を差し置いて、なんで居候が主寝室を使うの? 俺そんな太い神経持ってない。
 こうなったら、俺がソファーで寝るしかない。フカフカで、けっこう寝心地良さそうだから、たぶん平気。夕方以降コーヒーさえ飲まなきゃ眠れる。
 しかし入江さんは思いのほか、というかある意味想定内の頑固さで、どうしても譲ろうとしない。俺の精いっぱいの説得もむなしく、会話は一時平行線をたどっていたけど、とうとう入江さんが折衷案を出してきた。
「では、私のベッドで一緒に寝ましょう。ダブルですから、二人で寝てもそれほどせまくはないはずです」
「えっ……でもあの、暑苦しいでしょ、それ」
 野郎二人で同じベッドで寝るとか、絵面からして暑苦しいだろう。
(そりゃ学生のころは、サークル仲間と雑魚寝したことは何度もあるけどさ。ベッドがシングルなのに、無理やり三人で寝たりもしたけど……でも)
 もういい大人で社会人なんだから、一緒に寝るとか変だろ、それ。
「暑苦しくならないように、エアコンの設定温度を少し下げましょう」
 違う入江さん、そこじゃない。
「でででも俺、その、やっぱスペース的に問題あるでしょう? 俺、寝相めっちゃ悪いんで!」
「あなたは小柄なので、スペースの問題はありません。それに私は一度寝付くと、めったなことがない限り、叩かれても蹴られてもけして起きません」
 叩かれても蹴られても? 何それ、逆に怖い。
「とにかく朝食にしましょう。あまりのんびりしていると、始業時間に間に合わなくなりますよ」
 時計を見ると、たしかにそうだ。この話はひとまず置いとくことにして、食パンか何かもらおうかと考えていたら、入江さんがキッチンから卵焼きとベーコンが乗った皿を運んできた。
「どうぞ、召し上がれ」
「あ、ありがとうございます……いただきます」
 受け取って、さっそく口に運ぶ。うまい。
(そういや高松さんが『飯うまい』とか言ってたな)
 差し向かいで黙々と食べる入江さんに、俺は思いきって声をかけてみた。
「料理、上手ですね」
「フライパンで焼いただけです。焼き加減さえ誤らなければ、誰でも同じ味に作れます」
「あー、そうなんですか……」
 会話終了。やっぱり弾まない。でも昨日もそうだったから、さほど気にならないな。このリズムに慣れてきてる自分エライ。
「ところで、野宮さんのお好きな食べ物は何ですか」
「は?」
 入江さんから、話を振られた!
(やべ、ちょっとうれしい)
 俺は調子に乗って、あれこれ好き勝手にしゃべった。入江さんは適当に相槌を打ちながら聞いてくれて、こんなに話しやすかったのかと改めて驚く。
(いや入江さんが聞き上手なんだな、きっと)
 そういや社長の秘書やってんだから、聞くスキル高そうだよな、と妙に納得してると、絶妙なタイミングで話を切り上げられた。
「……ではその続きは、昼食の時にゆっくり聞かせてくださいね。今コーヒーを用意しますから、野宮さんは仕事の準備をはじめてください」
 そんな風に切り上げる口上もスマートだ。俺は素直にうなずくと、遠慮が少しなくなったせいか、小さくお願いしてみた。
「あのう、できればコーヒー、薄めでお願いします。あとミルクもあれば、ありがたいんですけど」
「ええ、わかりました」
 よかった言えた、少し進歩した!

 午前中はオンライン会議が予定されていた。開始五分前に専用ルームに入ると、すでに同期の刈田が待っていた。
『おー、お疲れ』
「お疲れ、あと誰が来るんだっけ」
『部長と横内、それとお前と俺の四人だよ。なあ、ところでお前どこいんの? いつもと部屋違くね?』
「あー、入江さんち?」
『誰?』
「ほら俺んとこのアパート、インターネットがヤバイくらい遅いだろ?」
『たしかにお前、会議のとき、かならず途中で落ちるもんな。画面もカクカクしてたし』
「そうなんだよ。でも今、うちの部署って全員テレワークだろ? なんとか出社を許してもらいたくて、ダメ元で部長に泣きついたワケ。そしたら昨日、なんでだか社長に呼び出されてさ。オフィスは使っちゃダメだけど、代わりに入江さんとこに住めって言われて、社長命令だから断れなくって」
『だから、その入江さんって誰だよ』
「ほら秘書室の。社長の秘書やってる人」
『えっ、あの眼鏡の?』
「そう、眼鏡の入江さん」
『マジか』
「マジだよ。昨日から泊ってる」
『よくオーケーしたな。いやお前もだけど、入江さんも。お前らほぼ他人同士じゃん』
「まあ、社長命令だしな……」
『嫌々しかたなく、なの? 向こうも?』
「そこまでじゃねーよ。俺も、たぶん入江さんも」
 それほど嫌がられてはいない、と信じたい。だって入江さんから『うちに来ます?』って言ったんだから。
「やっぱ社長秘書のマンションって高級なんだろ? 広いの?」
「おー、3LDKで広い。受付にコンシェルジュいるぜ」
「すげー。けどさ、他人と暮らすって案外ストレスなんじゃね?」
「まだよく分かんないなー。昨日はじめたばっかだしなあ」
 そこで部長と横内が現れたので、おしゃべりは強制終了となった。
(他人と暮らすと、やっぱストレスになんのかな)
 会議のあと、議事録をまとめながら、だんだん心配になってくる。この同居がうまくいかなかったらどうすんだろ? 相手の地雷分かんねーし。入江さん神経質そうに見えて、一緒のベッドで寝ようとか、たまに変なのぶっ込んでくるし。
 気がつくと、昼の時間はとっくに過ぎてて、そろそろ何か食べたくなってきた。リビングへ向かうと、ソファーで入江さんが仕事してた。
「あ、お疲れ様です」
「お疲れ様です。お腹、空きましたか」
「ええ、この辺にコンビニとかありますか?」
「何か足りない物でもありましたか」
 うん、主に俺の昼メシ。
「それは今すぐ必要ですか。昼食のあとでは遅いでしょうか」
 そうだね、昼メシだからな。
「ところで昼は、和洋中何が食べたいですか」
「は?」
「見ていただいたほうが、はやいですね。こちらへ」
 手招きされてキッチンに入ると、入江さんは一人暮らしにしては大きな冷蔵庫をパカっと開いた。
「うおっ……」
「どれでもお好きなものを選んでください」
 冷蔵庫にはレンチンの料理がぎっしりつまってた。ためしにひとつ手に取ってみる。どうやら海老グラタンのようだ。
「他の種類もありますよ」
 入江さんは海老グラタンの上に、似たような容器を二つ乗せてくる。チキングラタンとポテトグラタンだ。グラタン天国か。
「中華でしたら、こちらの点心を温めますが。あとスープは、温かいものと冷製の両方そろってます」
「あー、そうですね……」
「どれにしますか」
「じゃあ、海老グラタンで」
「分かりました。用意するので、テーブルに座ってお待ちください」
「えっ、いやそれくらい自分でやりますよ!」
「このオーブンレンジの操作は少々わかりにくいので、夜にでもご説明します」
 そう言われちゃ手が出せない。
「なにか手伝えることってありますか」
「いえ、温めるだけなので特にありません」
 レンチンだもんな。おとなしくテーブルで待つことにする。
(まいったな、入江さんのペースが独特過ぎてついてけねえ。まてよ、グラタンっていくら? あのパッケージ、どうみてもコンビニっぽくなかったよな)
 熱々のグラタンがテーブルに運ばれたタイミングで、俺はいよいよはっきりさせなくてはと、改まって入江さんにたずねた。
「あの、いくら払えばいいですか?」
「グラタンですか? 経費で落ちますから気にしないでください」
「いや、そうじゃなくって、ここに泊めてもらってるんで、家賃と光熱費と、あと食費です!」
 なんて言われるだろう。高いかな、やっぱ。
「そうですね、家賃はともかく、光熱費と食費を合わせて二万でいかがですか」
「安っ! それ安すぎですよっ!」
「でも、あなたは今のご自宅のアパートも払っているのでしょう?」
「そうですけど、でも」
「会社の指示で、こちらへ滞在される流れでしたよね? つまり本来ならば、すべて会社負担でしかるべき経費です。ただそれでは、あなたも納得いかないようなので、光熱費と食費だけいただけますか」
 なんか説得力あるな。たしかにアパートの家賃払いながら、ここの家賃払うのキツいか。
 会社命令だし、家賃は目をつぶってもらうか……ただこの場合、入江さんだけ損してるよな。と、つい口に出してぼやくと、入江さんはクスリと笑った。
「私はむしろ得をしてます」
「へっ?」
 なんで?
「誰かとこうして差し向かいで食事も、悪くないなと思いました」
「入江さん……」
 実は人恋しかった? 入江さん、そんなクールな顔してギャップ萌えかよ。やべ、ちょっとかわいいかも。
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