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二十三日目-2
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たぶん俺は、自分の心の半分くらい分かってない。つらさや悲しさ、にくしみに恐怖……そういった感情は訓練で克服できたと信じてた。
でも本当は、ただ意識しないで済むようになっただけだ。いろいろな感情は、たしかに俺の中に存在してて、たまにこうやって自己主張する。俺は手の甲で涙をぬぐった。
「そうやって少しずつ、君の気持ちが外に出るようになればいいと思う」
「殿下は俺を、弱くするつもりですか」
「弱い部分も君の一部だ。認めてあげて」
殿下は立ったまま、体を屈ませて項垂れる俺を抱きしめた。
「あと、また『殿下』に戻ってる」
「セレ様」
「そう、セレと呼び捨てにして。これから一緒に、長い時を刻むことになるのだから」
最後の言葉に、なぜかゾクリとした。殿下……セレの声音が変わったからだ。
俺はノロノロと顔を上げると、セレは泣きそうな顔をしてた。なぜだ、何が彼を苦しめている?
「僕は本当は、前国王の弟ではない」
「へっ……」
「彼のことはむしろ、弟のように思ってる」
セレの瞳がゆっくりと動いた。その視線の先を追うと、壁の中央かけられたカーテンにたどり着いた。おそらくあの奥に、何か絵画が掛けられているのだ。
ああいう飾り方は、たいていは価値ある肖像画で、おそらく王族の誰かだろう。セレは俺を抱きしめてた腕を解くと、壁に近づき、カーテンの横に垂れていた紐をひいた。
「……お綺麗な方ですね」
「うん」
セレにそっくりなその女性は、驚くほど精巧に描かれていた。銀色の長い髪に、白いドレスがとても映える。しかし絵の具の劣化からか、少し黄ばんで見えた。額縁は新調してるようだが、かえって絵画の劣化が目立つ。
「昔はこんな布など掛けずに、むきだしで飾られていたから、かなり傷んでしまってね。でも修復に出すこともかなわない。母の存在は、知られてはならなかったから」
「それは、お母様がエルフだからでしょうか」
「結果的には、そういうことになるね。父は晩年、母を娶ったことを後悔していた」
セレは肖像画を、切なそうに見つめている。
「母が、自分の後を追うと分かったからだよ。そして、母は父の予想を裏切らなかった……エルフの愛は重いから、愛する者を失っては生きてはいけない」
つまり、セレは俺が死んだら後を追うつもりだ。それはまずい、これから健康に気をつけて生きていかなくては。それでセレよりも、一日でも長く生きなくては。
「そうして母を失った僕は、長いことここに一人で暮らすことになった」
子どもの頃からずっと一人だったのか。それはきっと、寂しかっただろう。
「宰相補佐のおばあさんが、セレのお世話係だったと聞きました」
「ふふ、そうだったな」
名前を呼んだだけで、セレはうれしそうに笑う。たぶん彼の名前を呼ぶ人は少ないだろう……今は殿下と呼ばれ、戴冠式を終えれば陛下と呼ばれる方だ。
「最初の頃は、世話をされてたというより、してた方だったな。暗闇を怖がって、よく泣いていた。その度に、古参のメイドに叱られてたよ」
泣くほど神経が細かったのか。宰相補佐の親族とは思えない繊細さだな。
「でも年が経つにつれて、貫禄が出てきて、やがて小言も多くなったな。その頃かな……孫だと連れてきたのが」
「ワイダール宰相補佐、ですね」
「そう。昔は素直でかわいかったのに」
「想像がつきませんね」
セレは懐かしそうに笑うけど、どこか憂いを帯びていた。
「そのうち彼女もいなくなり、彼も成長した。でも僕はずっと変わらない……」
セレの瞳に影が落ちた。今きっと、大事なことを打ち明けようとしてる。俺は固唾を飲んで、次に続く言葉を待った。
「もうずっと、何十年もこのままだ。エルフの寿命は長くてね……」
なんてことだ……セレの苦悩がようやく分かった。しかし分かったところで、どうにもならないことも悟った。
(いや、待てよ)
たしか先ほど『これから一緒に、長い時を刻むことになる』と言われた。この意味は、なんだ?
(いや、まさか……嘘だろ)
セレのうつろな双眸が、俺の姿をとらえた途端、光を宿した。それはいわゆる希望の光だった。
「でもこれからは、僕は一人ではない。君がそう望んでくれるなら」
「あ……」
「ねえ、お願いだから、僕と一緒に生きると言って。ずっと変わらず、そばにいてくれると言って」
「それは、俺も……寿命が変わるってことですか」
セレは儚く微笑んだ。このやさしいエルフは、この期に及んで俺に選択肢を与えるつもりだ。
きっと婚姻式で彼に抱かれたら、そういうことになるのだ。体に大きな変化が起きるから、その負担に耐えられる体力があるのか危惧されていたのだ。
「その体の変化は、危険をともなうのでしょうか」
「分からない。調べようにも文献がないから、試してみないことには」
「お母様の場合はどうだったんです?」
「母は、父の寿命までは変えなかった。変えたら国王としての立場に差し障る。また母の秘密も知られ、危険が及ぶだろう……他国からの標的になってしまう」
たしかに、エルフの不老長寿の秘密や、ケガを癒す不思議な力は、争いの種になるはずだ。だからエルフの所在は隠され、伝説にすら昇華したのだろう。
彼らは、人に知られたら狩られる運命だと理解してた。そして悲しいことだが、その理解は誤ってない。
でも本当は、ただ意識しないで済むようになっただけだ。いろいろな感情は、たしかに俺の中に存在してて、たまにこうやって自己主張する。俺は手の甲で涙をぬぐった。
「そうやって少しずつ、君の気持ちが外に出るようになればいいと思う」
「殿下は俺を、弱くするつもりですか」
「弱い部分も君の一部だ。認めてあげて」
殿下は立ったまま、体を屈ませて項垂れる俺を抱きしめた。
「あと、また『殿下』に戻ってる」
「セレ様」
「そう、セレと呼び捨てにして。これから一緒に、長い時を刻むことになるのだから」
最後の言葉に、なぜかゾクリとした。殿下……セレの声音が変わったからだ。
俺はノロノロと顔を上げると、セレは泣きそうな顔をしてた。なぜだ、何が彼を苦しめている?
「僕は本当は、前国王の弟ではない」
「へっ……」
「彼のことはむしろ、弟のように思ってる」
セレの瞳がゆっくりと動いた。その視線の先を追うと、壁の中央かけられたカーテンにたどり着いた。おそらくあの奥に、何か絵画が掛けられているのだ。
ああいう飾り方は、たいていは価値ある肖像画で、おそらく王族の誰かだろう。セレは俺を抱きしめてた腕を解くと、壁に近づき、カーテンの横に垂れていた紐をひいた。
「……お綺麗な方ですね」
「うん」
セレにそっくりなその女性は、驚くほど精巧に描かれていた。銀色の長い髪に、白いドレスがとても映える。しかし絵の具の劣化からか、少し黄ばんで見えた。額縁は新調してるようだが、かえって絵画の劣化が目立つ。
「昔はこんな布など掛けずに、むきだしで飾られていたから、かなり傷んでしまってね。でも修復に出すこともかなわない。母の存在は、知られてはならなかったから」
「それは、お母様がエルフだからでしょうか」
「結果的には、そういうことになるね。父は晩年、母を娶ったことを後悔していた」
セレは肖像画を、切なそうに見つめている。
「母が、自分の後を追うと分かったからだよ。そして、母は父の予想を裏切らなかった……エルフの愛は重いから、愛する者を失っては生きてはいけない」
つまり、セレは俺が死んだら後を追うつもりだ。それはまずい、これから健康に気をつけて生きていかなくては。それでセレよりも、一日でも長く生きなくては。
「そうして母を失った僕は、長いことここに一人で暮らすことになった」
子どもの頃からずっと一人だったのか。それはきっと、寂しかっただろう。
「宰相補佐のおばあさんが、セレのお世話係だったと聞きました」
「ふふ、そうだったな」
名前を呼んだだけで、セレはうれしそうに笑う。たぶん彼の名前を呼ぶ人は少ないだろう……今は殿下と呼ばれ、戴冠式を終えれば陛下と呼ばれる方だ。
「最初の頃は、世話をされてたというより、してた方だったな。暗闇を怖がって、よく泣いていた。その度に、古参のメイドに叱られてたよ」
泣くほど神経が細かったのか。宰相補佐の親族とは思えない繊細さだな。
「でも年が経つにつれて、貫禄が出てきて、やがて小言も多くなったな。その頃かな……孫だと連れてきたのが」
「ワイダール宰相補佐、ですね」
「そう。昔は素直でかわいかったのに」
「想像がつきませんね」
セレは懐かしそうに笑うけど、どこか憂いを帯びていた。
「そのうち彼女もいなくなり、彼も成長した。でも僕はずっと変わらない……」
セレの瞳に影が落ちた。今きっと、大事なことを打ち明けようとしてる。俺は固唾を飲んで、次に続く言葉を待った。
「もうずっと、何十年もこのままだ。エルフの寿命は長くてね……」
なんてことだ……セレの苦悩がようやく分かった。しかし分かったところで、どうにもならないことも悟った。
(いや、待てよ)
たしか先ほど『これから一緒に、長い時を刻むことになる』と言われた。この意味は、なんだ?
(いや、まさか……嘘だろ)
セレのうつろな双眸が、俺の姿をとらえた途端、光を宿した。それはいわゆる希望の光だった。
「でもこれからは、僕は一人ではない。君がそう望んでくれるなら」
「あ……」
「ねえ、お願いだから、僕と一緒に生きると言って。ずっと変わらず、そばにいてくれると言って」
「それは、俺も……寿命が変わるってことですか」
セレは儚く微笑んだ。このやさしいエルフは、この期に及んで俺に選択肢を与えるつもりだ。
きっと婚姻式で彼に抱かれたら、そういうことになるのだ。体に大きな変化が起きるから、その負担に耐えられる体力があるのか危惧されていたのだ。
「その体の変化は、危険をともなうのでしょうか」
「分からない。調べようにも文献がないから、試してみないことには」
「お母様の場合はどうだったんです?」
「母は、父の寿命までは変えなかった。変えたら国王としての立場に差し障る。また母の秘密も知られ、危険が及ぶだろう……他国からの標的になってしまう」
たしかに、エルフの不老長寿の秘密や、ケガを癒す不思議な力は、争いの種になるはずだ。だからエルフの所在は隠され、伝説にすら昇華したのだろう。
彼らは、人に知られたら狩られる運命だと理解してた。そして悲しいことだが、その理解は誤ってない。
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