吉原お嬢

あさのりんご

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第3章

黒い手帳(29P)

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ふと、赤い字が目に飛び込んできた。それは、不気味な赤色で、まるで血で塗られているように見えた。
  【錦旗革命―――十月二十四日決行】
ページに大きく書かれたその日付は、あさって。
 なんだろう?次のページをめくる。

【桜会の構成員など将校百二十名、近衛歩兵十個中隊、海軍爆撃機十三機、陸軍偵察機、抜刀隊十名以上を出動させ、首相官邸・警視庁・陸軍省・参謀本部を襲撃、若槻禮次郎首相以下閣僚を斬殺および捕縛。大本教の出口王仁三郎支援あり、信徒四十万人を動員。赤松克麿・亀井貫一郎らの労働組合も動く】
 と記されていた。(※) 

 手帳の字をぼんやり見つめた。
 やたらと、漢字が並んでいて、よくわからない。読みにくい所は、ぶっ飛ばしていると、

『~若槻禮次郎首相以下閣僚を斬殺および捕縛』 の所が目に止まる。

 首相以下閣僚?伯爵様は外務大臣だから閣僚?

 吉原で聞いてしまった輝と、大原さんの話を思いだす。

『今の外交は軟弱すぎる。外務大臣の紫出原伯爵は困ったものです』
『そうだな……リストに入れておけ』

 そんな話をしていた。
 大原さんは、西満州鉄道の経営者。軟弱外交で満鉄の儲けをアメリカに乗っ取られるのは我慢出来ない。それに、現地で襲撃を受ければ、実際には…戦うしかない。追いつめられた大原さんは軍人を操っているのだろうか―――


「鈴……読んだのか……」後ろからかすれた声がした。
 
 輝?!
 振り向くと、真っ青な顔をひきつらせて輝が立っている。
「読んだ。ほんとにあさって……実行するの?」
「鈴……この計画は絶対漏らせない。この間も、すべての手はずを整えていたのに、発覚して失敗した。だから……知ってしまった奴は……」
「この計画を知った人は…殺されるの?」と、思わず叫ぶ。
「ああ…」
 力なく答えて輝は椅子に腰をおろした。

「……おら、殺されんのか?」
 輝は頭を抱えて…首をゆっくり左右に振る。
「鈴!黙っていろ!バラしたらお前でも、ゆるさねぇ!」
「わかった。誰にもいわねぇ。言わねえから、輝!こんなバカな事はやめろ!」
「うるせぇ!バカは、口出しすんな。
 女にお国の大事が分かるか。
 今の政治家は財閥から金を貰って腐敗している。
 俺達で、昭和維新を断行するまでだ」
「そんでも、軍人さんが、日本人を殺すって、ないべ。むちゃくちゃだ」
「むちゃくちゃでねえ!軍隊は上からの命令でしか動けん。
 けんど、上の奴らが間違っている。
 どうしようもねえ。正義の為に日本を変える!」

 ドスのきいた声。握りしめブルブル震える拳。一途に思いつめた顔。
 私の知っている輝じゃない。別人……
 私がどんなにがんばっても輝の意思を変えたり出来ない。それが、痛いほどわかって悲しかった。輝は、戦う気なのだ。

 暫く、沈黙が流れた。輝と言い争っても無駄。それは、お互い分かっている。だから黙っている。
このままでは、輝が恐ろしい遠い世界に行ってしまう。どうしようもない突風が輝をさらっていく。
そんな、恐怖に襲われた。輝が変わってしまったのが、くやしい。涙がポタポタと落ちてきた。

「……うう」
 懸命に声を抑えた。
 輝は私を強引に一瞬、ほんの、ひと時だけ、抱きしめた。
 そして、
「鈴、泣くな。お前らしくないぞ」
と、ポンと私のおでこをつつく。

 手帳をポケットにしまうと
「これ、落とすなんて……俺、バカ」
 苦笑いした顔に涙が光っている。
「クーデタが失敗したら?」
「覚悟は出来ている。今夜は…鈴に最期の別れをしたかった。いきなり、忍び込んで悪かったな」
「そんな……」

 輝は死ぬつもりなのだ。
「俺なんか忘れて幸せになれ」
「そんなの無理。輝を忘れるなんて出来ない……」
「この部屋で鈴子に会えて楽しかった。……ありがと。鈴」

 輝は目をばちばちさせながら出ていった。やっぱり、泣き虫。輝は、ほんとは弱虫。だ
から、私が守る!守ってみせる!
 輝は「計画が発覚すれば実行出来ない」と言っていた。だから……この計画をばらしてやろう!

  
(※昭和6年、実際にあった錦旗革命計画の抜粋:宮家にれて未遂に終わったクーデです。
  輝は、安藤輝三のエピソードをお借りしていますが、架空の人物です。安藤輝三は、2.26事件の首謀者として死刑になりました。)
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