吉原お嬢

あさのりんご

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第3章

月とスッポン(27p)

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 竹宮様にお会いしてから、数週間が過ぎた。毎晩のように、お歌の返事を考えて、机の前に座るが、書けない。参考にと、有名なお歌を読んでいると眠たくなってしまう。

 いつものように、短歌集の上につっぷしてうとうとしていると……カタリと音がした。何かしら?眠い目をこすって見ると…クローゼットの扉が、そっと開いた。

 輝が現れた。
 秘密の地下道を通ってお屋敷に忍び込んで来たのだろうか―――いきなり現れた輝の顔は青ざめて、幻のようにも見えた。
「輝―――どうした?なんかあったのか?」
「急に、鈴の顔が見たくなった――驚かせてすまん」
 輝はマントを脱いで、ソフアの脊もたれに投げかける。緋色の裏地がひるがえり一瞬、血の色に見える。あわてて、不吉な連想をかき消した。

 輝は、深いため息をつきながらベッドに腰をおろした。広い額にキリリとした眉は一文字。軍服を着た輝は凄い迫力があって昔の弱虫輝の面影はない。
「輝?心配ごとがあるのか?なんか元気ねぇぞ」
「桜会の連中と口論になってしゃべりすぎた」
「輝は桜会の仲間じゃねぇのか?」
「違う。陸軍にもいろんな派閥があるってことさ。いや、こんな話はやめよう。鈴には、おもしろくもなんともねぇだろう。女の子だもんな。男の話は、政治。女の話は、恋ばなと、決まっている。
 ………そんなことより…あれ?鈴、めずらしく勉強か?」
「歌の勉強をしている。難しくて困ったな」
「お前に歌は無理だろ。宿題?」
「いや、違う。
 宮様からお歌を頂いたので―――お返しの歌を考えているけんど……輝は、歌とか、作れる?」
「歌か…よし、こんなのはどうだ――?」

 輝は、机の上のノートにさらさらと書きつけた。
 声を出して読んでみる。

    君の為 
    御國(みくに)のための 
    いしずえと 
    桜花のごとく 
    春は散るらん
 
「なんか、寂しい」
「俺は、軍人だ。軟弱なモンが作れるわけねえだろ。
だけんど、鈴?お前、宮様から恋歌など頂戴して誠に恐れ多い事だ」
「月とスッツポンだもんな。どうしたらいい?」
「さあ―――俺には、分からん―――ガキ大将だったのに、恋歌か……
 鈴はお嬢様らしくなってきたな。そんな服着ていると、まるでフランス人形だ」
「人形?バカにするな。おらは、スカートよりズボンが好きだ」
「ははは、お前は、お転婆だからな。俺は鈴の着物姿が好きだぞ。田舎で着ていた綿のやつ。あれがめんこい」
「おらも洋服着ていると自分じゃないみたいだ。でも、奥様の方針で生活はほとんど、洋風にしている。朝メシは、パンだけんど、おらパンだと腹が減ってしかたねえ」
「俺も、パンは食いたくない。米の飯が一番だ」
「ここの生活には、どうしても馴染めねぇけど。馬場や、花畑はいいな」
「そりゃ、お殿さまが贅を尽くした庭だ。俺が使っている秘密の通路は、江戸時代に作られたものだろう」
「あの通路の傍にある池には、恐い伝説があるの。多恵さんから聞いた話だけど、ここの殿様が側室をあの池に投げ込んだの。お腹には、赤ちゃんがいたとか……」
「皆が寄りつかないように怪談を言い伝えたのかもしれん。埋蔵金が埋まっているんじゃねえか?」
「まさか!あそこ、夜は恐いよ。」
「ああ。たしかに。今夜も赤ん坊の泣き声が聞こえた」
「キャ!やめて!」
「顔のない女も立っていた。 ウラメシヤ―――」
 輝は両手をだらりと下げてお化けの真似をする。
「やだ、やだ。」
 思わず輝の手をポンポン叩いた。
「あっ……」
 輝が私の両手をキュッと掴む。
「……は、はなして」
「なしてだ?田舎じゃ手をつないであそんだべ?」
「ん?……そうだけど」
「鈴?お前、震えてんじゃねぇか?ほら、見てみろ」
 輝は繋いだ両手を目の前に突き出す。
「あれ?!震えているのは輝だよ」 
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