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第1章
提灯行列(7P)
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輝と出会ってから、半月ほど過ぎた夕暮れ時のこと。
「鈴ちゃんー」
階下から女将さんが呼んでいる。
「は―い?」
「純一朗様がお見えですよ!」
急いで下に降りていく。今日は、ジュンを連れて提灯行列を見に行くことになっていた。日本軍の勝利をお祝いして、大勢の人達が、提灯を持って練り歩くらしい。行列は大門から出るとすぐの所を通るのだ。吉原の周りには”お歯黒どぶ”と呼ばれる黒く淀んだ溝がある。それは、遊女を囲う檻でもある。娘達が外へ出る時は、”大門”で通行許可書を見せる決まりだった。今日は、ちょっとの間だけでも、ジュンと大門を出られるので、うきうきしていた。
沿道には、大勢の人達が日の丸の旗を持って並んでいる。ジュンは私の手をしっかり握ってついてくる。
「天皇陛下!ばんざーい」
「大日本帝国!ばんざーい」
「日本勝った、日本勝った、また勝った~♪支那のチャンコロまた負けた~♪」
歓声と共にゆらゆらと提灯が行進していく。提灯には兵隊さんや戦車の絵が描かれていた。沿道の人達は日の丸の小旗を振り、歓声を上げている。老夫婦が私達に見やすい場所を譲ってくれた。ジュンは身を乗り出して行列を見ている。
「鈴、今日はお祝い?」
「ええ。満州で日本の兵隊さんが勝ったそうよ」
「日本は強いね」
ジュンは嬉しそうに飛び跳ねる。その、足元に目を奪われた。それはピカピカ光る革靴で見た事もないオシャレな形をしている。田舎では、子供は”はだし”と決まっていた。雪の降る日でも素足に”かんじき”をはく。だから、しもやけで足が赤く腫れていた。当たり前すぎて、それを辛いとさえ思わなかった。
「ジュン、素敵な靴ね」
「お父様が買って下さったの。何でも買ってくれるよ」
「優しいお父様」
「でも、……お義母さんがいると赤ちゃんとばかり遊んでいるの」
「……そう」
ジュンの実のお母さんはとうに亡くなっている。後添えとなった奥様が最近出産したらしい。
「ジュン寂しい?」
「うん―――鈴が僕の家に来てくれるといいな」
「ふふふ。ありがとう。でも、無理ですよ」
「どうして?」
「鈴はね…ほら、その靴と同じなの」
「え?」
「お金を払わないと買えない」
「ふーん。なら、大丈夫だよ。お父様に鈴を買ってもらう」
「えっ!それは…出来ません。鈴の値段は高いのです」
”女を買う”と言う意味を全く分かっていない幼いジュンに、とんでもないことを言ってしまった。
「どんなに高くても、大丈夫。いつか、お父様にお願いしてみるよ。僕は鈴といる時が一番楽しいから。
鈴はどう?何をしている時が楽しいの?」
「私も、お坊ちゃまと、お話している時が一番幸せですよ」
「わぁー。やったぁ!僕が一番だ」
ジュンの嬉しそうな笑顔を見ていると、私も世界一の幸せモノみたいな気がしてきた。まだ、小さいけれど利発そうな可愛いジュン。大きくなったらどんなに立派な青年になるだろう。その愛おしい姿の背後から黒い影が現れた。
黒い影はグイグイとこちらへ近づき輪郭が形を成していく。深編笠を被り袴姿の男だ。時代錯誤の姿に、なにか不吉なものを感じた。
人々が提灯行列に熱狂しているのに、笠の下に隠されたその目はジュンを凝視している。
男は狙いを定めた、というように足を早める。逃げよう――
ジュンの手を引いて沿道の人垣からなんとか抜け出した。が、道も混みあって思うように進めない。あれよ、あれよという間に男に追いつかれてしまった。男は私達の前に立ちはだかり、無言で頭を下げた。
「何かご用ですか?」
男を睨みつけた。編笠の下から見える顔には深い睨が刻まれている。
「この子には、恨みはない。しかし父親の外務大臣はただ私利私欲のみに没頭し国防を軽視し国民を苦しめる極悪人だ。我々血盟団はクーデタの先陣を切るために、”一人一殺”の指令を受けている。可愛そうだが、コイツは父親の身代わりじゃ」
「ふざけんな!ジュンは渡さない!」
ジュンの手をしっかり握りしめた。
「助けて!!」「だれか、助けて!」
必死に叫んでも、皆は、知らん顔して足早に通り過ぎていく。”編傘”を被り、”脇差し”を持った、サムライ風の男が恐ろしいのだ。そいつは、私からジュンをもぎ取ってグイと抱き上げた。ジュンは、手足をバタバタさせるが、男は強引に歩き出す。闇に紛れてしまえば見失う。命より大切なジュンを渡すものか!捨て身でこいつにぶつかろう。武器が欲しい―――
そうだ!玉かんざし。心中に使われたってヤツだから立派な武器になる?髪から玉簪を抜いた。銀色の柄が月の光できらりと鋭く光る。
「クソッ!」
去って行こうとする男の背中に思い切りソイツを突き立てた。
ぱっと、血潮が飛び散る。
「ギャアー」
男は呻いて立ち止まる。簪簪がグサリと肉に食い込み、血しぶきを浴びた玉は赤く煌めいている。その玉を抜き取った。男は思ったより年寄りだが、刀を持っている。怖い!振り向いた男に隙を与えず、腹を突き刺した。男がよろけた拍子にジュンが逃げ出して私に飛びつく。
「ジュン!逃げよう!」
ハアー ハアー
ジュンと手を繋いで思いっきり駈けた。着物の裾がメチャメチャはだけた。かまうものか。男が追いかけてくる。
ハアーハアーハアー
いつの間にか、ジュンが私をひっぱって走っていた。
やっと大門にたどりつく。振り向いて男が追ってこないのを確かめた。
「お坊ちゃま、ここまでくれば、大丈夫ですよ」
ジュンの乱れた髪を整えていると、「なんか、あったのかい?」と門番のおじいさんが声をかけてくれた。簡単に事の成り行きを説明する。
「恐ろしい世の中になったものじゃ。二人とも怪我はないのがなにより。気をつけてお帰りな」
痩せたおじいさんは何度も”よかった””よかった”とつぶやいていた。
「鈴ちゃんー」
階下から女将さんが呼んでいる。
「は―い?」
「純一朗様がお見えですよ!」
急いで下に降りていく。今日は、ジュンを連れて提灯行列を見に行くことになっていた。日本軍の勝利をお祝いして、大勢の人達が、提灯を持って練り歩くらしい。行列は大門から出るとすぐの所を通るのだ。吉原の周りには”お歯黒どぶ”と呼ばれる黒く淀んだ溝がある。それは、遊女を囲う檻でもある。娘達が外へ出る時は、”大門”で通行許可書を見せる決まりだった。今日は、ちょっとの間だけでも、ジュンと大門を出られるので、うきうきしていた。
沿道には、大勢の人達が日の丸の旗を持って並んでいる。ジュンは私の手をしっかり握ってついてくる。
「天皇陛下!ばんざーい」
「大日本帝国!ばんざーい」
「日本勝った、日本勝った、また勝った~♪支那のチャンコロまた負けた~♪」
歓声と共にゆらゆらと提灯が行進していく。提灯には兵隊さんや戦車の絵が描かれていた。沿道の人達は日の丸の小旗を振り、歓声を上げている。老夫婦が私達に見やすい場所を譲ってくれた。ジュンは身を乗り出して行列を見ている。
「鈴、今日はお祝い?」
「ええ。満州で日本の兵隊さんが勝ったそうよ」
「日本は強いね」
ジュンは嬉しそうに飛び跳ねる。その、足元に目を奪われた。それはピカピカ光る革靴で見た事もないオシャレな形をしている。田舎では、子供は”はだし”と決まっていた。雪の降る日でも素足に”かんじき”をはく。だから、しもやけで足が赤く腫れていた。当たり前すぎて、それを辛いとさえ思わなかった。
「ジュン、素敵な靴ね」
「お父様が買って下さったの。何でも買ってくれるよ」
「優しいお父様」
「でも、……お義母さんがいると赤ちゃんとばかり遊んでいるの」
「……そう」
ジュンの実のお母さんはとうに亡くなっている。後添えとなった奥様が最近出産したらしい。
「ジュン寂しい?」
「うん―――鈴が僕の家に来てくれるといいな」
「ふふふ。ありがとう。でも、無理ですよ」
「どうして?」
「鈴はね…ほら、その靴と同じなの」
「え?」
「お金を払わないと買えない」
「ふーん。なら、大丈夫だよ。お父様に鈴を買ってもらう」
「えっ!それは…出来ません。鈴の値段は高いのです」
”女を買う”と言う意味を全く分かっていない幼いジュンに、とんでもないことを言ってしまった。
「どんなに高くても、大丈夫。いつか、お父様にお願いしてみるよ。僕は鈴といる時が一番楽しいから。
鈴はどう?何をしている時が楽しいの?」
「私も、お坊ちゃまと、お話している時が一番幸せですよ」
「わぁー。やったぁ!僕が一番だ」
ジュンの嬉しそうな笑顔を見ていると、私も世界一の幸せモノみたいな気がしてきた。まだ、小さいけれど利発そうな可愛いジュン。大きくなったらどんなに立派な青年になるだろう。その愛おしい姿の背後から黒い影が現れた。
黒い影はグイグイとこちらへ近づき輪郭が形を成していく。深編笠を被り袴姿の男だ。時代錯誤の姿に、なにか不吉なものを感じた。
人々が提灯行列に熱狂しているのに、笠の下に隠されたその目はジュンを凝視している。
男は狙いを定めた、というように足を早める。逃げよう――
ジュンの手を引いて沿道の人垣からなんとか抜け出した。が、道も混みあって思うように進めない。あれよ、あれよという間に男に追いつかれてしまった。男は私達の前に立ちはだかり、無言で頭を下げた。
「何かご用ですか?」
男を睨みつけた。編笠の下から見える顔には深い睨が刻まれている。
「この子には、恨みはない。しかし父親の外務大臣はただ私利私欲のみに没頭し国防を軽視し国民を苦しめる極悪人だ。我々血盟団はクーデタの先陣を切るために、”一人一殺”の指令を受けている。可愛そうだが、コイツは父親の身代わりじゃ」
「ふざけんな!ジュンは渡さない!」
ジュンの手をしっかり握りしめた。
「助けて!!」「だれか、助けて!」
必死に叫んでも、皆は、知らん顔して足早に通り過ぎていく。”編傘”を被り、”脇差し”を持った、サムライ風の男が恐ろしいのだ。そいつは、私からジュンをもぎ取ってグイと抱き上げた。ジュンは、手足をバタバタさせるが、男は強引に歩き出す。闇に紛れてしまえば見失う。命より大切なジュンを渡すものか!捨て身でこいつにぶつかろう。武器が欲しい―――
そうだ!玉かんざし。心中に使われたってヤツだから立派な武器になる?髪から玉簪を抜いた。銀色の柄が月の光できらりと鋭く光る。
「クソッ!」
去って行こうとする男の背中に思い切りソイツを突き立てた。
ぱっと、血潮が飛び散る。
「ギャアー」
男は呻いて立ち止まる。簪簪がグサリと肉に食い込み、血しぶきを浴びた玉は赤く煌めいている。その玉を抜き取った。男は思ったより年寄りだが、刀を持っている。怖い!振り向いた男に隙を与えず、腹を突き刺した。男がよろけた拍子にジュンが逃げ出して私に飛びつく。
「ジュン!逃げよう!」
ハアー ハアー
ジュンと手を繋いで思いっきり駈けた。着物の裾がメチャメチャはだけた。かまうものか。男が追いかけてくる。
ハアーハアーハアー
いつの間にか、ジュンが私をひっぱって走っていた。
やっと大門にたどりつく。振り向いて男が追ってこないのを確かめた。
「お坊ちゃま、ここまでくれば、大丈夫ですよ」
ジュンの乱れた髪を整えていると、「なんか、あったのかい?」と門番のおじいさんが声をかけてくれた。簡単に事の成り行きを説明する。
「恐ろしい世の中になったものじゃ。二人とも怪我はないのがなにより。気をつけてお帰りな」
痩せたおじいさんは何度も”よかった””よかった”とつぶやいていた。
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