吉原お嬢

あさのりんご

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第1章

伯爵令息、ジュン(2P)

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「鈴っ!鈴!」
 キリリと張った少年の声にソイツの手が止まった。振り向くとジュンがいる。
 育ち盛りのスラリとした体つき。整った顔には気品があって十代の少年とは思えないほどの気迫に満ちている。ジュンは、若旦那を精一杯恐い顔をして睨んでいる。こんなに小さくても私を守ろうとしてくれている。
「なんだ!この小僧は?」
若旦那は不機嫌そうに私から離れた。
「紫出原大臣の息子さん。小僧なんて言ったら、失礼ですよ」
「はっ?!あの外務大臣の?紫出原伯爵の子供?華族様なら、子供でも勝ち目はないわな。お坊ちゃま、失礼しました」
 ソイツは、そう言うとフラフラと歩きながら行ってしまった。よかった。ジュンが声をかけてくれたから助かった。でもジュンに変な所を見られて何故か、悲しかった。この子は大人の世界をどのくらい解っているのだろう。ジュンは故郷の弟と同じくらいの歳頃で私になついている。
「お坊ちゃま、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「ああ。鈴は僕が守るから」
 誇らしげにニッコリ笑って大きくうなずいた。仕立てのいい上着と半ズボンが可愛らしい。
「お父様といらしたの?」
ジュンは、育ちがいい。だから弟と話すようにはいかない。女将さんから丁寧に話すよう注意されている。
「お父様と二人で浅草のお汁粉食べて、それからお猿さんの芝居を見たの」
「お猿の芝居?」
「猿が服を着て犬を引っ張って歩いたの。凄いでしょう」
 伯爵様は恐妻家なので、ジュンを浅草で遊ばせるという口実で吉原に来る。伯爵様が遊んでいる間、ジュンの相手をするのは、私の仕事になっている。
「今度は、鈴も一緒に行こうよ」
「ええ、そうね……」と返事はしたけれど、この吉原からは、許可がなければ、一歩も外には出られない。借金が五百円 もあるから。この体で稼いで、そのお金を返すまでは、とらわれの身。
「お父さんが、鈴と遊んでおいでって……」
 ジュンは少し困ったようにうつむいた。もう、学習院初等科6年生。大人の世界が、うすうすわかるのだろう。
「お手玉、やってよ。」
 ジュンはズボンのポケットから大切そうにお手玉を2個取り出した。それは、私が着物の端切れで作ったもの。贅沢に育ったジュンが、粗末なお手玉を宝物みたいに持っていたのでうれしかった。 
 ジュンは「アソコに行こうよ――」と、甘えるように私の着物の袖を引っ張った。両側に二階建ての茶屋が並んでいる大通り。その入り口には植え込みがあり、春は桜、秋は菊人形と植木職人さんが季節の花で飾っていた。ジュンと、その植え込みに潜りこむ。青竹の柵と植木の陰になって、仲之町大通りを歩く人達から見えにくい。
ジュンは軍人さんの歌が好きだから、小さい頃故郷で母さんから習った歌を小声で歌いながら、お手玉を夕暮れ空へ抛りだす。

いちー
一列談判(らんぱん)破裂して~♪
にー
日露戦争始まった~♪
さっさと逃げるはロシアの兵~♪

「鈴っ! 僕にもお手玉やらせて」
「はいはい。さあ、どうぞ」
お手玉を渡すとジュンはうれしそうに遊びはじめた。
「♪~達者で戦争なされよと♪万歳万歳万々歳 」
「歌もお上手ね」
「勇ましい歌だね。僕も、大きくなったら軍人さんになろうかな」
 え?
 なんだか悲しい。
 軍人さんは偉いし男らしいけど。ジュンが戦争に行くなんて可愛そう。
「ジュン!お願い!軍人さんにならないで!」
「え?どうして?」
「……ジュンが、殺したり、殺されたり……そんなの悲しい」
「うん。わかった!鈴を悲しませることは絶対しない。だって、僕は、鈴が大好きだから」
 笑った顔が優しくて。私もジュンが大好き。

「鈴子?鈴子、どこ?
 旦那様がお帰りですよ。純一郎様をお部屋へおつれして」
 引き手茶屋のお女将さんが呼んでいる。
「ジュン!帰りましょう」
ジュンの手を引っ張って植え込みから這い出した。茶屋の前まで来ると、ジュンは又お手玉の練習を始めた。
「おい純一朗。帰るぞ]

 茶屋の軒先に下がっている花暖簾(のれん)をかきわけて男の人が現れた。ジュンのお父様だ。鼻の下に、左右にピンと張った立派な口髭があって、思わず低く頭を下げる。姐さん達の噂では貧乏な生い立ちをバネにして実力で政界の上部にのし上がり、伯爵家に婿に入ったらしい。四十歳ぐらいだろうか。
「お父様、もう少し鈴と遊んでいたいな」
「もう、日も暮れてしまった。車も待たせている」
「…はい」
ジュンは仕方なさそうに「又、来るよ」と言って走り去った。
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