上 下
63 / 79
第7章

残留孤児:小雲子(シャオユンズ)(62p)<エピソード>

しおりを挟む
 1951年、初夏。
 芳子は、五歳の少女小雲子シャオユンズに「いろはにほへと~」と日本語を教えていた。ユンズは、利発な瞳を輝やかせて、芳子の口真似をする。日本語を知らない彼女には、覚えきれない。だが、間違いながらでも、懸命に繰り返していた。

「とても良く覚えたわね。今日は、ここまでにしましょう」
「ふー疲れちゃった。おやつは?」
「あんこの入ったお饅頭があるわ。一緒に、たべようか」
「うん。ユンズが持ってくるね」
 ユンズは、うれしそうに、台所に走っていく。

 しばらくして、ユンズは、お盆に、お饅頭を載せて、そろり、そろりと運んできた。
「方ママ、どうぞ」と、机の上にお盆を置く。

「ユンズ、綺麗なお皿に、載せたのね」
 ユンズは、お饅頭をほうばりながら、こくんとうなずいた。芳子は、ユンズに麦茶を持ってくる。
「喉つまりしちゃうから、ゆっくりと食べるのよ」

「ほら、おじちゃんが、帰ってきた!」
 ユンズは、窓を覗いて指をさす。芳子は、窓に駆け寄った。山家が芳子を見つけ、大きく手をふっている。


「ユンズ、おみやげを買って来たぞ」
 山家は、リュックサックを開いて、色紙や、お菓子、絵本などを取り出した。ユンズは大喜びである。
「あら?私のおみやげは……」
 芳子は、空っぽになったリュックサックを逆さにしてみるが、何もない。
「ごめん、わすれちまった」
「もう。ユンズ、ばっかり」
 山家は、笑いながら、ポケットから小箱を取り出した。
「いい薬を見つけて来た。これで、痛みがとれる」
「まぁ!ありがとう」
「よかったね。方ママ」
「ユンズは、方おばさんじゃなくて、方ママと呼ぶんだね」
「うん。大好きなんだ」
「そうか…こうしていると、親子三人暮らしって感じがするな」
「ユンズ、ここで、暮らしたいな。いいでしょう?方ママ?」

 芳子は、ユンズが可愛くてたまらない。ユンズの育ての親である、連祥れんしょうに相談した。そして、芳子と山家が長春に滞在している時は、ユンズと暮らす事にしたのである。

 ユンズの両親は、日本人で、長春で日本語の教師をしていた。だが、敗戦して、日本に引き上げる事になった。当時、ユンズの母親は、産後の肥立ちが悪く寝たきり。しかも、ユンズの上に三人の幼子がいた。生まれたばかりのユンズをつれて、日本への逃避行は危険すぎる。追手に見つかって、身を隠しても、いつ泣きだすか分からない赤子は、周りの日本人までも、危険にさらしてしまうだろう。日本に帰らなければ、家族は皆殺しになる。辛い選択ではあるが、ユンズを餓死させるしか、手はなかった。
 そんな時に、手を差し伸べたのが、連祥れんしょうだったのである。

 1972年、日中国交が復活してから、日本の赤十字や、政府が中国政府に働きかけて、中国に残した日本人の子供が、日本に渡って、日本人の親と会う事が出来るようになった。その人達は、約2700人。そのうち2500人が、日本に永住帰国したのである。
 
 ユンズの場合は、連祥れんしょうの妻が、自分の子供として育てており、ユンズに出生の秘密を打ち明ける事はなかった。

芳子は、両親、そして、祖国を失ったユンズが、かわいそうでも、あった。心に染み付いている日本の歌なども、教えていたのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

仇討ちの娘

サクラ近衛将監
歴史・時代
 父の仇を追う姉弟と従者、しかしながらその行く手には暗雲が広がる。藩の闇が仇討ちを様々に妨害するが、仇討の成否や如何に?娘をヒロインとして思わぬ人物が手助けをしてくれることになる。  毎週木曜日22時の投稿を目指します。

春雷のあと

紫乃森統子
歴史・時代
番頭の赤沢太兵衛に嫁して八年。初(はつ)には子が出来ず、婚家で冷遇されていた。夫に愛妾を迎えるよう説得するも、太兵衛は一向に頷かず、自ら離縁を申し出るべきか悩んでいた。 その矢先、領内で野盗による被害が頻発し、藩では太兵衛を筆頭として派兵することを決定する。 太兵衛の不在中、実家の八巻家を訪れた初は、昔馴染みで近習頭取を勤める宗方政之丞と再会するが……

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

【完結】今夜さよならをします

たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。 あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。 だったら婚約解消いたしましょう。 シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。 よくある婚約解消の話です。 そして新しい恋を見つける話。 なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!! ★すみません。 長編へと変更させていただきます。 書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。 いつも読んでいただきありがとうございます!

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

処理中です...