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第6章

琵琶法師を呼んで(51p)<エピソード>

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 昭和二十年、日本はポツダム宣言を受諾し、長く続いた戦いは終わった。中国では、日本人、及び日本人に協力した中国人が次々と、逮捕されていく。もちろん、関東軍は消滅し、北京や満州にいる日本人を庇護する力はすでにない。日本人は、大慌てで本国へ引き上げた。
 
 芳子は、当時、北京市の胡同フートン(高級住宅街)に住んでいた。生活費は、粛親王家の遺産の分配金が残っていたので、充分暮らしていけたのである。芳子の邸宅には、長い間康子(芳子の姪)邸で働いていた婆やと、その息子、老人の門番、小間使い、そして小方が、住んでいた。
 
 ある日のこと、小方は、のんびりと昼寝をしていた芳子の部屋をノックした。
「芳子さま、お休みのところ、申し訳ございません。じつは、大変よいお知らせがございまして、一刻も早くお伝えしたく、参上いたしました」
「ぅー。眠いなぁ。せっかく、いい夢を見ていたのに……まぁいい。入り給え」
 小方は、恐る恐るドアを開け、入り口付近で直立したまま芳子に話しかけた。
「小玉様からの伝言でございます。”いまなら、蒙古へ逃げる道があるからご紹介しましょう”との事です」
「小玉って、誰だっけ?」
「お忘れでしたか?人気の易者ですよ。去年、占ってもらった」
「ああ、大阪のおじいちゃん。粛親王家にも、出入りしていたとか」
「はい、さようでございます。小玉様は、明日、日本に引き上げるそうです。その前にぜひ芳子様をお救いしたいと、蒙古の知り合いに話をつけたそうでございます。急なお話しですが、今夜お立ち下さい。私が、小玉様の所までご案内いたします」
「……止めておこう」
「でも……このままでは、いつか憲兵がやってきます」
「僕は、逃げも隠れもしない。中国の民衆の為に命を捧げてきた。悪い事などしていない」
「いいえ。日本人と親しかった人は、皆牢屋に繋がれています。いっそ、日本にお逃げになればよいかと」
「いや。それは、無理だよ。日本軍の手先だとみなされて、戦犯になる」
「そうでしょうね。バカな事を申し上げて申し訳ございません」
「それより、いつもの琵琶法師を呼んでおくれ。皆も疲れている。一緒に聞こう。心に浸みるいい音色じゃないか」
「はい。目が見えないのに大変にお上手な演奏をなさいます。ずいぶんと練習なさった事でしょう」
「お礼は充分にしなさい。演奏のあとは、皆で美味しいお酒でも飲もう。頂きものの、いいワインがあるのだ」
「承知いたしました。では、私は、おつまみに牛肉煮を作っておきましょう」
「ありがとう。君の”牛肉煮”は、一番の御馳走だ」

 小方は、芳子に褒められて、うれしそうに微笑んだ。彼は、長崎の高級旅館のあととり息子で、芳子がお気に入りの『清流荘』で、料理の修行をしていたのである。芳子より、七歳年下で背は芳子と同じぐらい。おぼっちゃま育ちで、優しく温和な性格なので、気性の激しい芳子とは、相性がよかった。
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