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第3章

カンジュルジャプ(13P)

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 浪速が帰宅したのは、かなり遅かった。酔った勢いで、寝室の芳子をたたき起こす。
「喜べ!ついに、決まったぞ!」
「え?何が?」
 浪速はいつになく上機嫌である。
「蒙古の王子、カンジュルジャンプから正式に申し込みがあったのだ」
「お断りして下さい」
「何を言っておる。満州族の芳子と蒙古の王子の結婚は、まさに。満蒙独立の旗印になるのだぞ。
 それに、彼とは幼なじみではないか。仲良く遊んだ事もある。知らない男の嫁になるより安心だ」
「つまらないわ。ドキドキしたりしないもの」
「結婚は、遊びじゃないぞ。惚れた、腫れたと浮ついた気持ちは、すぐめる。
 お前が夢中になっている山家だってそうだ。 
 ヤツは、とうとう退散した。俺が言い含めて、目が覚めたのだ」
「お養父様が裏で動いて、おじ様を引っ越しさせたのね!」
「歩兵など、忘れろ!
 カンジュルジャンプの父君とは、若い頃一緒に戦った同士なのじゃ。
 だが、清朝の為に勇敢に戦い、無念にも命を落とされた。
 芳子とカンジュルジャンプが結婚すれば、亡くなられた彼の父君も喜ぶだろう。
 わしは、今まで、粛親王様の為に生きてきた。清の親王様が日本人のわしを義兄弟として慕ってくれ、実の娘の芳子まで託して下さったのだ。
 亡くなられたのは残念なことだが、その尊い志は生きている。粛親王様の娘であるお前が、歩兵ごときに夢中になっては、顔向けもできん。
 実は…張学良の側室の話しもあったのだよ。彼の父張作霖と手を結べば、満州にとっても有利になる。しかし、側室はいかん。わしは、芳子の幸せを思って断ったのだ。
芳子は、俺の宝物だよ。ほんとうに、綺麗になった……」

 浪速は、愛おしそうに髪を優しくでた。芳子が幼い頃からの仕草である。
 芳子は、それがうっとうしく感じられた。
「止めて下さい!」
 浪速の手を払い除けた。
「どうした?そんなに怖い顔をしなくても、よかろう。
 側室でも、張作霖の御曹子がよかったかな?
 なにしろ、張のヤロウは、粛親王が亡くなられてから、奉天、吉林、黒龍江省の三省を制覇しておる。
 事実上、満州の統治者だろう。それに日本も彼を支援しておるからな。
 芳子がお世継ぎでも、生めば清朝の血筋が再び大陸を統治する事が出来るではないか?
 しかし、張作霖は金で動く奴だ。どうも信用ならん。政局次第では、日本を裏切るかもしれん」
「もう、そんな策略はうんざり。いつも、失敗してるじゃありませんか。
 私の結婚相手は、自分で決めます」……お養母様から、注意されているの」
「フクの言う事など、気にするな。あいつは、実家に帰って戻ってこない」
「実家は、遠い鹿児島ですもの。せっかくだから、ゆっくりされているだけですわ」
「いや。アイツとは、離縁する」
「まさか。フクさんが、かわいそうです」
「いやいや、それはない。
 わしが、愛想を尽かされた。
 フクの妹の旦那は、小村寿太郎。花形の外交官だ。
 だが、わしは定職にも付いておらん。
 勝気で負けず嫌いなフクは、落ちぶれた俺に我慢できないってわけだ」
「そんなことありません」
「フクは、気のやまいかもしれん。故郷に帰れば良くなるだろう……
 全く、女は困ったものじゃ。
 ……芳子、お前もじゃ。山家と二人で馬に乗ったり、奴の下宿に押しかけたり、狂っているとしか思えん。普通の娘のする事ではない。地元の新聞が書き立てるのも当然だ」
「かまわないわ。人目は気にしないもの」
「俺とアイツと、どっちが大切なのだ?」
「比べるなんて無理。長さと重さを比べるようなもの。5gと5cm、どちらが大きいか?
そんな、質問と同じよ。だいたい、人の心は、言葉なんかで、表せやしない」
「くだらん理屈を並べるな。
 ようするに、カンジュルジャンプと結婚したくないのだな?」
「ああ。好きな人と結ばれないなら、ボクは、死ぬつもりだ」
「くだらん。たわごとは、よせ。
 わしは、山家を呼びつけて『芳子に手を出すな』と一喝してやった。
 臆病な山家は、下宿から姿を消したそうじゃないか。保身のためにお前を捨てたのだ。
 あんな奴は、忘れろ」
 浪速は、強引に芳子をきつく抱いた。
「痛いっ……やめて下さい」
「カンジュルジャップは断ろう。その代わり、芳子。わしと、結婚しよう。
……いいだろう?本当は、可愛い芳子を嫁になど出したくないのだ」
 浪速の唇が額に触れ強引に口元へと這う。
 芳子は、ぞっとした。
「止めて下さい!」
「親不孝者めが!育ててやった恩を忘れて、刃向うとは犬畜生と同じではないか。
 年老いた俺を捨てるのだな」
 芳子は、泣きながら部屋を飛びだした。
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