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第1章
瑠璃色のオウム(1P)<エピソード>
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大正十年九月―――芳子は、まどろみながら鳥の声を聞いていた。
チッチ チッチ チッチ
鳴いているのは、瑠璃色の小鳥である。スズメより小さなオウムで艶やかな青い羽が美しい。女中のお米が、”幸せの青い鳥”と呼び大切に世話をしていた。
突然、バタバタと羽音がして、泣き声はピタリと止んだ。
「ピー助、どうした?」
芳子は、異常な気配を感じて勢いよく飛び起きた。はだけた着物から透き通るような白い素肌が零れるが、お構い無しに、窓を開ける。
竹鳥籠は、軒先で朝日を浴びて光っている。けれど、小鳥は見当たらない。
逃げ出したのか?
芳子は籠を調べようとして、息を飲んだ。止まり木にほそい蛇が巻きついている。鎌首を持ち上げて、芳子を威嚇した。その首元がポコリと異常に膨らんでいた。大きな餌を飲み込んだのだろう。
え?つまり、こいつ、ピー助をたべちゃったのか?!
芳子は、あっけに取られて、蛇を凝視した。1メートル以上はありそうだ。小鳥を丸飲みするなんて、酷すぎる!しかも、図々しく鳥籠まで占領するなんて。早く出て行って!
蛇は、スルスルと体をくねらせ籠の隙間に首を入れた。けれど、膨らんでいるので出られない。諦めて首を引っこめた。止まり木を伝わって、違う経路で脱出を試みている。ヘビは何度も試みる。
”かごの鳥”じゃなく、”かごのヘビ”?
芳子は苦笑した。褐色の体はツヤツヤとしており若そうであった。赤い目は、どこか女性的で気品すらある。芳子は、なんだか可愛そうになって、籠の入り口を開けてやった。
「芳子、まだ眠っておるのか?急ぎなさい。学校に遅れるぞ」
養父である浪速の声が、階下から聞こえた。
芳子が、セーラー服に着替え、食堂に降りていくと、浪速が一人でご飯を食べていた。
芳子は、浪速の顔を見るなり、「ピー助が、蛇に食べられました」と、報告する。
浪速は、「はぁ―――?ピー助がどうしたのだ」と、怪訝そうに聞き返す。まだ、五十代であるが、若い頃の流行り病が原因で近年はめっきり聴力が衰えていた。
「鳥かごの隙間から、蛇が入ったんです。でも、ピー助を食べて太ったから出られなくなったんですよ」
「ははは。とんだ、やぶへびじゃ。
ヘビは、皮をむいてスープにすると、うまい。精がついて元気がでる。
ピー助の仇じゃ。さっさと食ってしまおう」
「まぁーいやだ。もう、逃がしてやりました」
「そうか。檻から脱獄するとは、運のいい奴だ。蛇は、ひん死の状態になっても、脱皮して新たな命が宿る。中国では、蛇は、無限の命を意味するのだ。
この家で初めて迎える朝に、ヘビとは、縁起がいい」
「そうね。今日は、初登校だもの」
「ぐずぐずしていると、遅刻するぞ。さっさと食べなさい。お米が、早起きして作ってくれたのだ」
お米は、東京では女中頭だったので台所の仕事は不慣れである。芳子は、不格好なだし巻き玉子を口にした。
出汁は控え目で、濃厚な玉子の味がする。
「やっぱり美味しいわ。生みたての玉子ですものね。ここで暮らすのも、悪くない」
「そう、言ってくれるのは、芳子だけじゃな。東京を離れたのは、都落ちだ。フクは、ふてくされて、まだ寝ておる」
芳子は、東京の名門跡見女学校から、松本高等女学校へ転入する事になっていた。養父である川島浪速が、東京赤羽の豪邸を処分して故郷松本に引っ越して来たからである。
芳子は、こじんまりした新しい部屋を見回した。別に不便を感じるわけではない。だが凋落していく義父と、義母のフクが不憫である。東京の赤羽の屋敷では、桜の木が二百本も植わっており、公園のような庭があったのだ。使用人も多くいたが、松本まで来たのは、女中のお米だけである。幼い頃から慕っていた家庭教師のまつ江さんまで、辞めてしまったのだ。まだ、色々教えてもらいたい事があったのに。心を開く人がいなくなって、言いようもない不安がこみ上げる時がある。
芳子は、浪速の心配そうな視線にぶつかって、口角を上げて笑顔を貼り付けた。
「あら、珍しく背広を着ていらっしゃる。東京に、おでかけなら、お土産にきんつばを買って来て下さいな。ほら、いつも買っていた「徳太楼」のがいいわ」
「何をバカな事を言っておるのじゃ。決まっているじゃないか。芳子を連れて女学校に行くのだ。編入を許可してくれた校長に挨拶せんといかん。学校まで、歩いて三十分以上はかかるのだぞ。初日から、遅刻はまずい」
松本藩の武士の長男として育てられた浪速は、律儀な所がある。
「大丈夫、馬で行きましょう」
「馬?」
「昨日、納屋を覗いたら栗毛が二馬いたわ。早く乗ってみたいの」
「芳子、もう見つけたのか。しょうもない奴だ―――よし、馬で行こう」
朝食を済ませると、芳子と浪速は、たんぼの畦道を馬で駆けた。芳子の乗馬の腕前は、並外れている。小柄な体で巧に馬を操り男顔負けであった。
チッチ チッチ チッチ
鳴いているのは、瑠璃色の小鳥である。スズメより小さなオウムで艶やかな青い羽が美しい。女中のお米が、”幸せの青い鳥”と呼び大切に世話をしていた。
突然、バタバタと羽音がして、泣き声はピタリと止んだ。
「ピー助、どうした?」
芳子は、異常な気配を感じて勢いよく飛び起きた。はだけた着物から透き通るような白い素肌が零れるが、お構い無しに、窓を開ける。
竹鳥籠は、軒先で朝日を浴びて光っている。けれど、小鳥は見当たらない。
逃げ出したのか?
芳子は籠を調べようとして、息を飲んだ。止まり木にほそい蛇が巻きついている。鎌首を持ち上げて、芳子を威嚇した。その首元がポコリと異常に膨らんでいた。大きな餌を飲み込んだのだろう。
え?つまり、こいつ、ピー助をたべちゃったのか?!
芳子は、あっけに取られて、蛇を凝視した。1メートル以上はありそうだ。小鳥を丸飲みするなんて、酷すぎる!しかも、図々しく鳥籠まで占領するなんて。早く出て行って!
蛇は、スルスルと体をくねらせ籠の隙間に首を入れた。けれど、膨らんでいるので出られない。諦めて首を引っこめた。止まり木を伝わって、違う経路で脱出を試みている。ヘビは何度も試みる。
”かごの鳥”じゃなく、”かごのヘビ”?
芳子は苦笑した。褐色の体はツヤツヤとしており若そうであった。赤い目は、どこか女性的で気品すらある。芳子は、なんだか可愛そうになって、籠の入り口を開けてやった。
「芳子、まだ眠っておるのか?急ぎなさい。学校に遅れるぞ」
養父である浪速の声が、階下から聞こえた。
芳子が、セーラー服に着替え、食堂に降りていくと、浪速が一人でご飯を食べていた。
芳子は、浪速の顔を見るなり、「ピー助が、蛇に食べられました」と、報告する。
浪速は、「はぁ―――?ピー助がどうしたのだ」と、怪訝そうに聞き返す。まだ、五十代であるが、若い頃の流行り病が原因で近年はめっきり聴力が衰えていた。
「鳥かごの隙間から、蛇が入ったんです。でも、ピー助を食べて太ったから出られなくなったんですよ」
「ははは。とんだ、やぶへびじゃ。
ヘビは、皮をむいてスープにすると、うまい。精がついて元気がでる。
ピー助の仇じゃ。さっさと食ってしまおう」
「まぁーいやだ。もう、逃がしてやりました」
「そうか。檻から脱獄するとは、運のいい奴だ。蛇は、ひん死の状態になっても、脱皮して新たな命が宿る。中国では、蛇は、無限の命を意味するのだ。
この家で初めて迎える朝に、ヘビとは、縁起がいい」
「そうね。今日は、初登校だもの」
「ぐずぐずしていると、遅刻するぞ。さっさと食べなさい。お米が、早起きして作ってくれたのだ」
お米は、東京では女中頭だったので台所の仕事は不慣れである。芳子は、不格好なだし巻き玉子を口にした。
出汁は控え目で、濃厚な玉子の味がする。
「やっぱり美味しいわ。生みたての玉子ですものね。ここで暮らすのも、悪くない」
「そう、言ってくれるのは、芳子だけじゃな。東京を離れたのは、都落ちだ。フクは、ふてくされて、まだ寝ておる」
芳子は、東京の名門跡見女学校から、松本高等女学校へ転入する事になっていた。養父である川島浪速が、東京赤羽の豪邸を処分して故郷松本に引っ越して来たからである。
芳子は、こじんまりした新しい部屋を見回した。別に不便を感じるわけではない。だが凋落していく義父と、義母のフクが不憫である。東京の赤羽の屋敷では、桜の木が二百本も植わっており、公園のような庭があったのだ。使用人も多くいたが、松本まで来たのは、女中のお米だけである。幼い頃から慕っていた家庭教師のまつ江さんまで、辞めてしまったのだ。まだ、色々教えてもらいたい事があったのに。心を開く人がいなくなって、言いようもない不安がこみ上げる時がある。
芳子は、浪速の心配そうな視線にぶつかって、口角を上げて笑顔を貼り付けた。
「あら、珍しく背広を着ていらっしゃる。東京に、おでかけなら、お土産にきんつばを買って来て下さいな。ほら、いつも買っていた「徳太楼」のがいいわ」
「何をバカな事を言っておるのじゃ。決まっているじゃないか。芳子を連れて女学校に行くのだ。編入を許可してくれた校長に挨拶せんといかん。学校まで、歩いて三十分以上はかかるのだぞ。初日から、遅刻はまずい」
松本藩の武士の長男として育てられた浪速は、律儀な所がある。
「大丈夫、馬で行きましょう」
「馬?」
「昨日、納屋を覗いたら栗毛が二馬いたわ。早く乗ってみたいの」
「芳子、もう見つけたのか。しょうもない奴だ―――よし、馬で行こう」
朝食を済ませると、芳子と浪速は、たんぼの畦道を馬で駆けた。芳子の乗馬の腕前は、並外れている。小柄な体で巧に馬を操り男顔負けであった。
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