上 下
2 / 79
第1章

瑠璃色のオウム(1P)<エピソード>

しおりを挟む
 大正十年九月―――芳子よしこは、まどろみながら鳥の声を聞いていた。
  チッチ チッチ チッチ
 鳴いているのは、瑠璃色るりいろの小鳥である。スズメより小さなオウムでつややかな青い羽が美しい。女中のおよねが、”幸せの青い鳥”と呼び大切に世話をしていた。
 突然、バタバタと羽音はおとがして、泣き声はピタリと止んだ。
 「ピー助、どうした?」
 芳子は、異常な気配を感じて勢いよく飛び起きた。はだけた着物から透き通るような白い素肌が零れるが、お構い無しに、窓を開ける。
 竹鳥かごは、軒先で朝日を浴びて光っている。けれど、小鳥は見当たらない。
 逃げ出したのか?
 芳子はかごを調べようとして、息を飲んだ。止まり木にほそいへびが巻きついている。鎌首を持ち上げて、芳子を威嚇いかくした。その首元がポコリと異常に膨らんでいた。大きな餌を飲み込んだのだろう。
 え?つまり、こいつ、ピー助をたべちゃったのか?!
 芳子は、あっけに取られて、へびを凝視した。1メートル以上はありそうだ。小鳥を丸飲みするなんて、酷すぎる!しかも、図々しく鳥籠まで占領するなんて。早く出て行って!
 蛇は、スルスルと体をくねらせ籠の隙間に首を入れた。けれど、膨らんでいるので出られない。諦めて首を引っこめた。止まり木を伝わって、違う経路で脱出を試みている。ヘビは何度も試みる。
 ”かごの鳥”じゃなく、”かごのヘビ”?
 芳子は苦笑した。褐色の体はツヤツヤとしており若そうであった。赤い目は、どこか女性的で気品すらある。芳子は、なんだか可愛そうになって、籠の入り口を開けてやった。

芳子よしこ、まだ眠っておるのか?急ぎなさい。学校に遅れるぞ」
 養父である浪速なにわの声が、階下から聞こえた。
 
 芳子が、セーラー服に着替え、食堂に降りていくと、浪速なにわが一人でご飯を食べていた。
 芳子は、浪速の顔を見るなり、「ピー助が、蛇に食べられました」と、報告する。
 浪速は、「はぁ―――?ピー助がどうしたのだ」と、怪訝けげんそうに聞き返す。まだ、五十代であるが、若い頃の流行はやり病が原因で近年はめっきり聴力が衰えていた。
「鳥かごの隙間から、蛇が入ったんです。でも、ピー助を食べて太ったから出られなくなったんですよ」
「ははは。とんだ、やぶへび・・・・じゃ。
 ヘビは、皮をむいてスープにすると、うまい。精がついて元気がでる。
 ピー助のかたきじゃ。さっさと食ってしまおう」
「まぁーいやだ。もう、逃がしてやりました」
「そうか。おりから脱獄するとは、運のいい奴だ。蛇は、ひん死の状態になっても、脱皮して新たな命が宿る。中国では、蛇は、無限の命を意味するのだ。
この家で初めて迎える朝に、ヘビとは、縁起がいい」
「そうね。今日は、初登校だもの」
「ぐずぐずしていると、遅刻するぞ。さっさと食べなさい。およねが、早起きして作ってくれたのだ」
 およねは、東京では女中頭だったので台所の仕事は不慣れである。芳子は、不格好なだし巻き玉子を口にした。
 出汁は控え目で、濃厚な玉子の味がする。
「やっぱり美味しいわ。生みたての玉子ですものね。ここで暮らすのも、悪くない」
「そう、言ってくれるのは、芳子だけじゃな。東京を離れたのは、都落みやこおちだ。フクは、ふてくされて、まだ寝ておる」
 
 芳子は、東京の名門跡見女学校から、松本高等女学校へ転入する事になっていた。養父である川島浪速なにわが、東京赤羽の豪邸を処分して故郷松本に引っ越して来たからである。
 
 芳子は、こじんまりした新しい部屋を見回した。別に不便を感じるわけではない。だが凋落ちょうらくしていく義父と、義母のフクが不憫である。東京の赤羽の屋敷では、桜の木が二百本も植わっており、公園のような庭があったのだ。使用人も多くいたが、松本まで来たのは、女中のおよねだけである。幼い頃から慕っていた家庭教師のまつ江さんまで、辞めてしまったのだ。まだ、色々教えてもらいたい事があったのに。心を開く人がいなくなって、言いようもない不安がこみ上げる時がある。

 芳子は、浪速の心配そうな視線にぶつかって、口角を上げて笑顔を貼り付けた。
「あら、珍しく背広を着ていらっしゃる。東京に、おでかけなら、お土産にきんつばを買って来て下さいな。ほら、いつも買っていた「徳太楼」のがいいわ」
 
「何をバカな事を言っておるのじゃ。決まっているじゃないか。芳子を連れて女学校じょがっこうに行くのだ。編入を許可してくれた校長に挨拶せんといかん。学校まで、歩いて三十分以上はかかるのだぞ。初日から、遅刻はまずい」
 松本藩の武士の長男として育てられた浪速は、律儀りちぎな所がある。
「大丈夫、馬で行きましょう」
「馬?」
「昨日、納屋を覗いたら栗毛が二馬いたわ。早く乗ってみたいの」
「芳子、もう見つけたのか。しょうもない奴だ―――よし、馬で行こう」

 朝食を済ませると、芳子と浪速は、たんぼのあぜ道を馬で駆けた。芳子の乗馬の腕前は、並外れている。小柄な体で巧に馬を操り男顔負けであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

仇討ちの娘

サクラ近衛将監
歴史・時代
 父の仇を追う姉弟と従者、しかしながらその行く手には暗雲が広がる。藩の闇が仇討ちを様々に妨害するが、仇討の成否や如何に?娘をヒロインとして思わぬ人物が手助けをしてくれることになる。  毎週木曜日22時の投稿を目指します。

春雷のあと

紫乃森統子
歴史・時代
番頭の赤沢太兵衛に嫁して八年。初(はつ)には子が出来ず、婚家で冷遇されていた。夫に愛妾を迎えるよう説得するも、太兵衛は一向に頷かず、自ら離縁を申し出るべきか悩んでいた。 その矢先、領内で野盗による被害が頻発し、藩では太兵衛を筆頭として派兵することを決定する。 太兵衛の不在中、実家の八巻家を訪れた初は、昔馴染みで近習頭取を勤める宗方政之丞と再会するが……

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

【完結】今夜さよならをします

たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。 あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。 だったら婚約解消いたしましょう。 シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。 よくある婚約解消の話です。 そして新しい恋を見つける話。 なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!! ★すみません。 長編へと変更させていただきます。 書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。 いつも読んでいただきありがとうございます!

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

処理中です...