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【ぬらりひょんの章】第8幕 「奇妙な自殺だった」

【ぬらりひょんの章】第8幕 「奇妙な自殺だった」

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【5日後 1月31日 横須賀・逗子】



『始めはとてもうまくいった
 人は似合いのカップルになると言った
 僕は、君の素晴らしさと愛情を身に纏って

 どんなに君を愛していたか
 どんなに胸を痛めたことか 』

 
 カーステレオから響くクイーンの「セイヴ・ミー」を聞きながら、つい物思いにひたってしまう。
「あぶないですぞ、龍さん!」
 肩をつつかれ、はっと我に返った。サイドミラーぎりぎりを大型トラックがうなりをあげてかすめていく。
「運転中に、ぼんやりしてはいけませんよ」
 沼来が助手席で諭すように言った。
 

『大切に育んできた誠実な日々は
 ただの見せかけだったらしい
 歳月は、僕らが偽りの生活を送っていたことをとき明かす
 ”死ぬまで君を愛している” 』


 龍が運転するシティ・ターボは逗子に向かって疾走している。
 ハンドルを握っているにもかかわらず、気をゆるめると「なぜ」という疑問に頭が支配されてしまう。
 病院で起きた宮守秀明の遺体盗難事件の捜査に忙殺され、鴨志田豊の取り調べには関われない日が続いていた。
 宮森家にも何度か電話を入れたが、何も変わったことはなかった、という。持ち去られた秀明の遺体も、殺害された青年医師の首と片腕も、見つかっていなかった。
 そこへ、電話があったのだ。
 逗子北署の炭谷刑事からだった。
「鴨志田が・・・死んだ」
 炭谷は「詳しいことは、こっちに来てから話す」と詳細な死亡状況を語らなかった。それで、避難所で沼来を拾って、逗子北署まで飛ばしている。
 また、中央線をはみ出しそうになる。「ひっ!」沼来がしゃっくりのような声をあげた。



 2人を先導して階段を上っていく炭谷の表情はひどく暗かった。
「どこに行くんだ?」
 龍が訊いたが、炭谷は何も答えないまま6階を過ぎ、屋上に通じる重いドアを押し開けた。青い空がまぶしく、龍は目を細めた。炭谷は無言のままで、何もない殺風景な屋上を横切り、さびかけた手すりの前で立ち止まった。
「鴨志田はここから飛び降りた。下はコンクリートの駐車場だ。ほぼ即死だ」
 沼来は無表情で佇んでいた。
「取り調べはずっと俺が担当してた。だが、まともな聴取は全くできなかった。あいつは俺の顔なんか見ちゃいないんだ。話も聞いちゃいない。俺の背後を瞬きもしないで見つめてる。俺は後ろを見る。でも、だれもいない。なにもない。それでも、鴨志田は椅子の上に膝を抱えて座って、震えながら、充血した目を見開いたまま壁を見ているんだ」
 炭谷は興奮して身振りが大きくなっていた。
「何が見えてたっていうんだ?」
「あんたは信じないかもしれないが、殺された五味さんの家族がそこに立ってる、って奴は言ってた」
「そんなバカな話、お前、信じてるのか?」
「俺も最初は相手にしなかったさ。事情聴取が嫌で、支離滅裂な作り話をしてるんだと思った。ふざけんのもたいがいにしろよ、って胸ぐらをつかんで怒鳴りつけたことも1度や2度じゃない。ところが、そんな時でさへ、あいつは俺の顔を見てないんだ。やっぱり、俺の背後のなんにもない壁を見つめて怯えてた」
 にわかに信じがたい話だった。
「奴には、どんな五味さん一家が見えてたって言うんだ?」
「全身血まみれで真っ赤なんだそうだ。旦那は両手をだらりと下げたまま、じっと立っている。奥さんは血だらけの赤ん坊を抱いてる。隣には亜弓ちゃんもいる。何をする訳でもない。ただ黙ってそこにいて、鴨志田をじっと見つめてる。昼も夜も、取調室でも、独房に帰っても、寝ていても、トイレにいても、いつも4人は部屋の隅に立ってる、って奴は言うんだ。眠る事もできず、メシも全く食えなくなってた。もちろん医者にも診せたし、薬ももらってた。だけど、消えることはなかった。最近は夜になると犬のチャッピーまで現れてたそうだよ。腹からはみ出した内蔵をひきずりながら、寝ているあいつの顔の上をはいずり回るんだってよ。留置場の人間の話じゃ、毎日夜中にすげえ悲鳴をあげてたって。『助けてくれ』『ここから出してくれ』って泣き叫ぶ鴨志田を押さえつけて黙らせるのが大変だったらしい」
 龍の背中を冷たい汗が流れた。
「で、けさは何が起きたんだ?」
「いつも通り、4階の部屋で取り調べを始めた。もうあれは生きてる人間の顔じゃなかったな。骸骨みたいに痩せこけて、顔色は青白いとかいうのを通り越して、もうどす黒い感じだった。目の前に座ってた鴨志田が突然、バネ仕掛けの人形みたく立ち上がったんだ。震えてた。今までにないくらいな。そして、何もない空間に向かって手を上げて叫んだ。『来るな!近寄るな!いらない!俺はそんな物いらない!そんな物を、差し出すな!』。もの凄く暴れ出して、取調室にいた人間だけじゃ押さえつけられなくなった。部屋のドアをガンガン叩いて、『出せ!ここから出してくれ!頼むから出してくれ!』って叫ぶんだ。奴は心の底から怯えてたよ。だって、小便漏らしてんだぜ。漏らしながらドアを叩き続けてるんだ。騒ぎを聞きつけた他の刑事たちが何人か駆けつけて、外からドアを開けた瞬間だ。鴨志田がそいつらを突き飛ばして廊下に飛び出した。俺たちも慌てて後を追ったが、あっという間に階段を駆け上がって屋上に出た。俺たちが屋上に辿り着いた時には、あいつはこの柵の前に立ってた。こっちを振り返って、誰かと喋ってた。『言っただろ!そんな物いらない!差し出すな!近づくな!』。そう聞こえた。俺は感じた。目に見えない何かが、鴨志田と俺たちの間にいる。俺には全く見えないが、鴨志田には確かに見える何かが、そこにいたんだ。鴨志田はそのまま後ずさった。泣いてたよ。勘弁してくれって。そして、あっという間に柵を跳び越えて、落ちていった」
 龍が天を仰いでつぶやいた。
「罪の意識が鴨志田に幻影を見せていただけじゃないのか」
「覚えてるか?あいつがアフガニスタンの市場で自爆テロに巻き込まれた話をしてたの」
「ああ、目の前の少女がふっ飛ばされて死んで、鴨志田だけが野菜の山に突っ込んで無事だったって話だろ。どうせ、奴のヨタ話に決まってる」
「いや、あいつが日本でボランティアをする前に世界各地を放浪してたってのは、どうも本当らしいんだ」
「だからって、爆弾テロに遭遇したって話はなあ」
「外傷性脳損傷って知ってるか?」
 訊かれて、龍が首を振った。
「鴨志田を診察した警察病院の医者に聞いたんだが、アフガニスタンやイラクでの戦争から帰ったアメリカ兵の中に発症する者が結構いるらしいんだ。国防総省も対応に苦慮してるって話だ」
「それと鴨志田になんの関係がある?」
「まあ聞けよ。アフガニスタンやイラクで武装勢力が自爆テロに使うのは手製の爆弾が多いんだそうだ。地雷なんかを改造して作る即席の爆弾だ。こいつにやられたアメリカ兵の中に、目に見える外傷がないのに外傷性脳損傷と診断される例が急増したって言うんだ」
「外傷がないのに、なんで脳をやられるんだ?」
「そこだよ。爆弾は即席のお手製だが、爆風は秒速が340メートルを超える超音速になる。その衝撃波が脳の組織を破壊する」
「鴨志田も、その外傷性脳損傷だっていうのか」
「その可能性は高いと医者は言ってる」
「確かにアフガンでの話が本当なら、ありうる話だな。目の前にいた少女は片手を残してふっ飛ばされたんだからな。奴はケガが無かったのが不幸中の幸いみたいに言ってたが、脳の内部にかなりの衝撃が残った可能性はある」
「もしそうなら、奴が観堂を使って五味さん一家を殺害させた奇妙な行動にも、ある程度の説明がつく気がするんだ。外傷性脳損傷の特徴には言語障害や歩行障害があげられてる。しかも、人格に変化が起きたり、他人とのコミニュケーション能力にも障害が出て、他人に暴力をふるうようになったりするケースもあるらしい」
 思い当たるふしがあった。
「そういえば、俺たちと話している時にも、急に呂律が回らなくなる時があったな。足も引きずるような歩き方をしてたし」
 頷きながら炭谷は、鴨志田が乗り越えていった手すりを固く握りしめた。
「もっとも、あいつが自殺しちまったんじゃあ、証明のしようもなくなっちまったがな」
 龍が柵から身を乗り出して、はるか下の駐車場を覗き込んだ。
 コンクリートの上には、白いチョークで描かれた人型がまだうっすらと残っているのが見えた。



 重苦しい空気を引きずったまま階段を下りて、警察署一階の出入り口まで戻ってきた。
 炭谷は、報告書を書かなきゃならないんでな、と刑事部屋へと去っていった。
 鴨志田の死を聞いて、気持ちだけでなく体までが重かった。喉もからからに渇いていた。入り口の長椅子の脇に自動販売機が見えた。
「コーラでも飲むか?」
 後ろを振り返ると、沼来が着いてきていない。
 掲示板に貼られたポスターを眺めているのだ。
「なにしてんだ?」
「この娘さん、なかなかの美人ですなあ」
 交通安全と書かれた文字の下で、警察の制服を着たアイドルが微笑んでいる。
「目が原節子さんに似ています」
 龍もポスターをちらりと見た。
「どこが似てるもんか。原節子さんのほうが、ずっと美人だ」
 沼来が驚いて龍の顔をまじまじと見た。
「原節子さん、と・・言いましたか?」
「言ったよ。それがどうした。こんな小便くさいアイドルより、原節子さんの方がずっと大人の色気があっていい。だいたい、こんなガリガリの・・・」
 そこで言葉が止まった。
「どうしました?」
「これ・・・」
 龍の視線はアイドルのポスターの隣に貼られた、もう一枚のポスターに釘付けになっていた。
 三浦半島南部地震での行方不明者の情報を求めるポスターだった。
 龍の頭の中で、急に霧が晴れたように、ある答えがひらめいた。

 なぜ、観堂がミッキーマウスの赤いトレーナーを怖がったのか。

 鴨志田はその理由もわからずにミッキーの服を着ていたのだ。
 観堂が自分のいいなりになるという事実だけで、奴は満足していたからだ。
 だが、本当の理由は別にあったのだ。

「もしかするとあの野郎、とんでもない犯罪を隠してやがったのか」
「あの野郎とは?鴨志田ですか?」
「いいや。観堂友貴の方だよ」

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