ゾンビ対ぬらりひょん対ヴァンパイア

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【ゾンビの章】第7幕「証拠の抹殺」

【ゾンビの章】第7幕「証拠の抹殺」

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 【25日前 1月21日・世田谷、山梨】


「自分の息子が異常者にされてしまうのよ。そんなこと、絶対に耐えられない。今なら、誰もこの事実を知らないわ。あの冷蔵庫の中身さへ、何処かわからない所に捨ててしまえば・・・・」
 助手席のふみえが思い詰めた顔で言った。
「捨てる、っていったって・・・、一体どこに」
「そんなこと、私にもわからないわよ」
 48年間生きてきたが、死体の、しかも人間の首の捨て場所など考えたこともない。
 車の中を再び沈黙が支配した。
 しばらくして、ふみえが思いついたように言った。
「そうだ、前にテレビのニュースでやってたじゃない。富士山の麓に、迷い込んだら出られない樹海があるって」
「青木ヶ原の樹海のことか」
「たしか、そんな名前だった気がするけど」
 二人であれこれと考えてみたが、他にいい場所など思い浮かぶはずもなかった。


 管理人室の前に置かれたプレートには、たしか午後7時までが業務時間と書かれていたはずだ。私達は管理人がいなくなる時間をみはからって、もう一度、車でマンションを目指した。
 世田谷は道が狭く、一方通行がやたらと多かった。しかし、今度は車で行くしかなかった。遺体を富士の樹海まで運ばなければならないのだから。
 何度も道に迷い、その度に車を降りて、コンビニや蕎麦屋などで道を聞いた。ようやく、マンションに辿り着けたのは、夜8時すぎだ。少し離れた路地に車を停めて、マンションに向かう。管理人室の小窓には、すでにカーテンが降りていた。幸い、出入りする住人の姿はなかった。 
 最上階でエレベーターを降りて、忍び足で「909号室」に向かう。
 できるだけ静かに、部屋のノブを回すと、ドアは簡単に開いた。
 やはり、動転して、鍵を掛け忘れていたのだ。
 それだけでも、この部屋に戻ってきてよかった、と思った。
 もう一度、廊下に人影が無いことを確かめてから、私とふみえはすばやくドアの隙間から中へと滑り込んだ。

 玄関の照明をつける。明るくなった瞬間、あの不気味な「絵の中の男」と目があった。奇妙な帽子をかぶったまま、冷たい目つきでじっとこちらを見ている。
(そんな目で俺を見るな!)
 心の中で叫んだ。

(お前は、私達に、何をさせたいんだ?)

「あなた・・」
 ふみえが震えた声をあげる。
「先に行ってくださいよ。私、怖くって」
 左腕を掴んでいるふみえの手に力がこもる。
 廊下を抜け、あのおぞましい「手術室」のような部屋へと歩いた。扉を押し開く。手術台も手術器具も、すべてがさっきのままだった。静かな室内に響いているのは「ブーン」という冷蔵庫の音だけだ。心臓の鼓動が激しくなる。
 私はありったけの勇気を振り絞って、巨大な冷蔵庫へと歩み寄って、言った。
「・・・開けるぞ!」
「待って!」
「どうした?私だって怖いんだ」
「違うのよ」
「なんだ?」
「あの・・、そこから『あれ』を取り出したら、何に入れて運べばいいのかな、と思ったものだから」
 ふみえの心配する通りだった。そんなことは全く考えていなかった。
 途方に暮れていると、昼間訪ねてきた時の管理人の話を思い出した。
 秀明は海外出張と称して、大きなスーツケースを車まで運んでいたという。
 考えたくない想像だったが、秀明はおそらく被害者の女性の首と腕をこの「手術室」で切断した後、残った胴体をスーツケースに詰め、遺棄場所まで運んでいたのではないか。
 ならば、家のどこかに、スーツケースがあるはずだ。
「ちょっと、隣の部屋を見てくる。お前はここにいなさい」
「いやよ!こんな所に一人にしないでよ!」
 ふみえは子供がイヤイヤをするように首を振った。
「管理人が言っていたスーツケースを捜してくるだけだ。お前は台所に行って、ビニール袋か何かないか、捜してみてくれ」
「ビニール袋?なんに使うの」
「冷蔵庫の中の首を、むき出しでスーツケースに入れる訳にはいかないだろう」
「だけど、一人になるのはいや!」
「もとはと言えば、お前が言い出したことだろ。分担した方が早い。時間がないんだ」
 しぶるふみえを残して部屋を出た。
 隣の四畳半にはカーテンがない。窓からこぼれてくる街灯の光で部屋の中は明るかった。部屋の隅にクローゼットを見つけた。扉を開けると案の定、大きめのスーツケースが転がっていた。持ち上げてみると軽い。中身は空のようだ。抱えるようにして「手術室」に戻ると、白いビニール袋の束を抱えて、ふみえが待っていた。
「ゴミ袋しか見つからなかったけど」
「それで、充分だ」

 目の前の冷蔵庫は私の背よりも大きかった。のしかかられるような存在感に押しつぶされそうだ。
「じゃあ、開けるぞ」
 声がかすれた。ふみえが思わず後ずさった。最初に冷蔵庫を開けた時の衝撃が蘇ったのだろう。
 私は震える手を両開きの扉に手をかけ、大きく深呼吸をしてから一気に開けた。
 見間違いであってほしい。願っていたが、四つの生首は、そこにあった。
 さらに後ずさったふみえの背中が壁に当たり、ドスンと鈍い音をたてた。冷蔵庫の中から放たれる青白い光が、私とふみえの顔を照らす。ふみえは両目を見開いたまま、両手で口を覆った。そのままズルズルと背中が壁を滑り落ち、床にへたりこんでしまった。
 冷蔵庫から首を取り出してスーツケースに移しかえる作業を手伝わせることなど、とてもできそうになかった。

(・・・・、私一人で、やるしかない。)

 冷蔵庫の中からは白い冷気が吹き出し続けている。白色の薄もやの向こうに、四つの首と四本の腕が見えた。首は上の棚に2個、そして下の棚に2個並んでいた。上の2つはショートカットで、下の2つはセミロングとストレートのロングヘアーだ。
 上の棚の右側に置かれたショートカットの女性は、二十代の前半だろうか。首は少し左にかしいでいた。髪の毛をミルクティーのような茶色に染めている。真ん中からやや右の辺りで髪を分けているが、髪の毛は白い霜をふいて凍りついていた。目は二重で大きい。濃いめのパープルのアイシャドウをひいている。
 生前は、かなりの美人だったろう。会社員なのか、学生だったのか。どちらにしても、かなりの数の男性を魅了したであろう瞳は、今は完全に輝きを失ってしまっていた。黒目は白く変色し、白目の部分は逆に灰色に変っていた。
 鼻は高く整っている。真っ赤なルージュをひいた唇の左端から、舌の先がだらりと外にはみだしていた。ショートカットの髪の毛から覗く耳たぶには、十字架をかたどった銀のイヤリングが光っていた。
 
 その左に置かれた女性は、金髪だった。まだ、十代だろう。ほとんどノーメークに近かった。ふっくらとして張りのある頬の所々に、細かい氷の結晶がこびりついていた。

 下の棚のセミロングの首は、一見して水商売風だ。髪を巻き毛にセットし、化粧はかなり濃い。よほど苦しい思いをしたのだろう。顔全体が苦痛に激しく歪んでいた。
 
 最後の首は切り口が斜めになっているからなのか、横倒しになっていた。
 ロングヘアーが顔にかかって、表情は見えなかったが、長い髪の毛が海底で揺れる海草のように、冷蔵庫の棚の上に広がっていた。

 しばらく冷気の中に立ちつくした。
(やるしかない)
 そう、
(もう、やるしかないのだ!)
 枯れそうな勇気をふりしぼる。まず、上の棚に置かれた真っ赤なルージュの女性の首から片付けることに決めた。自分の真正面にあったからだ。
 両手をそろそろと冷蔵庫の中へと伸ばす。指の先がまず冷気に触れた。生首に近づけるに従って、手の平から手首、そして肘の辺りが冷たくなってゆく。手が震えてくる。だが震えるのは冷気のせいではない。恐怖が指を震わせているのだ。生首に指先が触れる直前で、手が止まってしまった。

 どんよりと白濁した女の瞳が、私を責めて泣いていた。

「どうして、私は殺されたの?」
「なんで、首を切り落とされなければいけなかったの?」
「なぜ、あなたは自分の子供の犯罪を止められなかったの?」
「そうすれば・・・私は、こんな姿にはならなかったのに!」

 私は知らず知らず呟いていた。「すみません・・、すみません・・」
 何度も呪文のように呟く事で許しをこいた。
 許されるはずがないのは、わかっていた。だが、そうすることで、凍りついた自分の指をなんとか動かすことができた。
 震え続ける指先が、やっと生首に触れた。触ったのは、両耳の辺りだった。凍りついた十字架のイヤリングが手に張りついた。軽い痛みが走った。
 人の生首など持った事がない。あるわけがない。どれくらい力を入れれば持ち上げられるものなのか見当もつかなかった。腕の筋肉に力を込める。首は予想以上に重かった。その首を床に広げたゴミ袋に入れた。ゴミ袋がカサカサ、カサと音をあげる。必死で袋の口を縛り、スーツケースに投げ込んだ。
 同じ作業を、あと三回、繰り返さねばならなかった。
 地獄の苦行としか言いようがない。
 最後は、横倒しになったロングヘアーの女性の首だった。これが思うようにいかない。
 長く垂れた髪の毛が凍りつき、冷蔵庫の棚に張りついてしまっていたのだ。そのうえ、横倒しになっているので、どこに手を添えたらいいのかわからなかった。首の切断面に手を触れるのは、我慢できそうにない。そこで、奥まで右手を突っ込んで後頭部に添え、左手で額の部分をつかんで、一気に引きはがした。
 凍りついた髪の毛がはがれる時、「ベリ、ベリッ!」と不気味な音をあげた。悪寒が背筋を駆け上がった。

 

 ドアの覗き窓から、部屋の外に誰もいないかを確かめる。
 さらにドアの隙間から顔だけを出して、廊下に人がいないのを確認した。
 非常階段を使うと、誰かに会った時にかえって怪しまれてしまう。できるだけ自然にスーツケースを押しながらエレベーターに乗る方がいい。万が一、誰かとすれ違うことがあっても、海外旅行にでも出掛けるように見えるだろう。もし何か聞かれるようなことがあれば、朝早い出発便なので今夜の内に成田のホテルにチェックインしておくのだ、とでもごまかせばいい。
 降りてゆくエレベーターが止まっているかのように遅く感じた。
 ようやく一階に着き、ドアが開いた。同時に飛び出し、スーツケースを押しながらカーテンが引かれた管理人室の前を駆け抜け、外へ出た。
 30メートルほど離れた路地に停めておいた車まで必死でスーツケースを押して走った。スーツケースの底に取り付けられた小さな車輪が舗装道路の表面をこすり、耳障りな騒音を立てていたが、なりふり構ってはいられなかった。
 車にたどり着いた時には、2人とも息も絶え絶えだった。嫌な汗をかいていた。スーツケースを担ぎ上げ、トランクに放り込む。ドアを開け、運転席に飛び込んだ。
「待って」息が上がったふみえはもたもたしている。
「早く!」内側から助手席のドアを開けてやった。肩で息をしながら、ふみえが乗り込んできた。アクセルを踏み込む。あまりに車を急発進させたために体がふわっと浮いた気がした。
 東名高速道の東京インターに向かう途中、まだ開いている大きなホームセンターがあった。書籍コーナーで青木ヶ原の樹海がある山梨の詳しい地図を買った。ついでに家電売場で大きめの懐中電灯も買った。園芸用品売場にも寄った。スコップを一本購入するためだ。
 西に向かい、東京インターから東名高速にのる。もう夜10時を回っていたが、東名は長距離トラックで溢れていた。凄いスピードで私達の車を追い越してゆく。追い越す際に後から派手にクラクションを鳴らすトラックもいた。遅すぎるというのだろう。しかし、こちらは「安全運転」で走らなければならない。

(万が一、事故でも起こして、警察にトランクの中を見られでもしたら・・・)

 そう思うと、ハンドルを握る手に汗がにじんだ。
 「秦野中井」、「大井松田」と過ぎ、「御殿場」インターで東名を降り、「東富士五湖道路」にのった。昼間はさぞや美しい富士の絶景が望めるのだろう。だが、今は富士山の姿は全く見えない。空には厚く低い雲がかかり、月も見えなかった。今にも雨が降り出しそうだ。
 「富士吉田」で東富士五湖道路から出た。3時間以上も極度に緊張しながら運転していたためにハンドルを握る私の両腕は痺れ、腰も痛くなっていた。ふみえもずっと下を向いて地図を見ていたせいで、しきりに「気分が悪い」とつぶやいた。「富士吉田」から139号を走っている途中、「吐きたい」と言い出したので、路肩に車を停めた。しかし、激しく咳き込むだけで、吐けなかった。秀明のマンションから電車で駐車場に向かう途中に何度も吐いたので、胃の中に何も残っていなかったのだ。
 車のフロントガラスに、ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてき始めた。雨はすぐに本降りに変わった。道の脇には、青木ヶ原の樹海が広がっている。ただ、ひたすら首の捨て場所を捜して、車を走らせた。樹海ならどこでもいい、というわけにはいかない。以前、ふみえと一緒にテレビのニュースを見た時、場所によっては風穴や氷穴を目当てに観光客が来るという話をしていたのだ。自殺志願者以外にも、学生達が肝試しにやってくることもあるという。深夜だし、雨もひどいから、観光客や学生がうろついているとは思えないが、埋める場所は慎重に選ばなければならない。だが、どこかにあてがあるわけでもない。
 走っても、走っても、樹海は途切れることがなかった。
「あなた、もう、この辺りなら」
「そうだな」
 道は緩やかにカーブしている。車のヘッドライトが、ちょうど曲がり角の所にある大きな木を照らし出した。
「ほら、あそこ!」
 ふみえが指さした。
「道があるわ!」
 確かに車道から森の奥へと小径が伸びている。おあつらえ向きに、路肩には車1台ぐらいなら停めておけそうな空間もあった。私は強くブレーキを踏んだ。

 トランクからスーツケースを降ろす。
 雨で濡れた前髪が額に張りつく。
「傘はなかったかな」
「積んでこなかったわ。どうしよう」
「仕方ない。このまま行こう」
 車のキーを抜くとヘッドライトが消え、あたりは真っ暗になった。慌てて、ふみえが懐中電灯をつけた。森の奥へと続く小径の向こうには深い闇が広がっている。

 後戻りできない闇の世界へ・・・。
 私たちをいざなう道だ。
 ふみえと私はその場に立ちすくんだまま、その闇の彼方を見つめた。

(もう覚悟を決めるしかないのだ。)

 ふみえを振り返って言った。
「悪いが、懐中電灯を持って前を歩いてくれないか。私はスーツケースを持たないといけないからね。それから、車のトランクにあるスコップも忘れずにな」
 道とは言っても、大人2人がやっと通れるほどの幅しかなかった。始めはスーツケースを転がしながら運ぼうと思ったが、すぐに断念した。雨でぬかるんだ地面に車輪がめり込んでしまうのだ。隙間に泥が詰まってしまい、車輪が回らない。結局、抱え上げて運ぶしかなかった。
 雨は激しくなっていた。
「このまま進んでいって、いいのかしら・・・」
 15分ほど進んだ辺りで、懐中電灯を持ったまま、ふみえが振り向いた。「どこに埋めたらいいかなんて、全然わからないし」
 傍らにスーツケースを降ろし、額から流れ落ちる汗をハンカチで拭いた。これほど重い荷物を長時間担いで歩いたことなど、最近はなかった。肩や腕の筋肉が悲鳴をあげ始めていた。
「道があるってことは、いつか誰かがここを通らないとも限らない。どこかで道を外れて、森の中に入った方がいいな」
「森の中って言っても・・・」
 ふみえが懐中電灯の明かりをぐるりと一周させた。太い木の幹が連なり、四方に伸びた枝が複雑にからまりあって頭上を覆い尽くしている。
「こっちだったら、なんとか行けそうだけど」
 指さす方角に、スーツケースを抱えてでも何とか進めそうな空間が続いていた。
「行ってみよう。私達に選択の余地はないんだ。もう、進むしかない」
 ハンカチをポケットにねじ込み、スーツケースを持ち上げようとした。
「ここから森の中に入っていってしまったら」ふみえが不安そうにつぶやいた。「私達が道に迷うってことはないかしら」
 確かに、その危険はある。ただでさへ、この森は自殺志願者たちが、『道に迷うためにやってくる場所』なのだから・・・。
 私はポケットにしまったばかりの白いハンカチを、もう一度取り出した。
「じゃあ、こうしよう」
 それを手近な木の枝に固く縛りつける。
「ハンカチをこうやっておけば、もし道に迷った時にでも目印になるだろう」
 震える顔でふみえは頷いた。しかし、まだ不安が拭い去れないのはわかった。だが、何度も繰り返すが、私達にはもう迷っている時間などない。
「さあ、行こう。手間取ると夜が明けてしまう」
 道を外れ、暗い森の中へと分け入った。
 枝に結んだ白いハンカチが、闇の中で揺れている。
 亡霊の手が私達にむかって「バイバイ」と手を振っているように見えた。

 踏み込んだ森の中は、さらに歩きにくかった。
 地面の上にまで木の根っこが張り出し、互いによじれ合いながら大きなこぶを作っている。これでは、仮にスーツケースの車輪が使えたとしても、地面を転がして運ぶのは無理だったろう。やはり、重いスーツケースを抱えて一歩一歩進むしかない。何度も木の根につまづき、転びそうになった。腰が異様に痛んだ。息があがり、心臓も激しく動機を打った。流れでる汗で下着がグッショリと濡れ、気持ちが悪い。
 30分程は歩いただろうか。ふみえがもう耐えられないという調子で言った。
「もう、このあたりにしない」
 賛成だった。
「ああ、そうしよう」
 両腕が痺れて力が入らなくなっていた。スーツケースを持ち上げて歩ける体力は、もう残っていなかった。気力も枯れていた。一刻も早く、この首たちを何処かに捨ててしまいたかった。
 ふみえが懐中電灯を前方にかざす。木々の間を光の輪がさまよった。
 その光輪が、一点で止まった。何の木かはわからないが、ひときわ目立つ老木があった。二抱えほどの太さの幹はごつごつと波打ち、地上5メートルほどの所で二股に分かれ、天に向かってのびている。その大木のすぐ脇に、2メートル四方ほどだが、地面がむき出しになっている場所があった。根っこや石に邪魔されずに、なんとか穴が掘れそうだった。
「ここに埋めよう」
 私が言うと、ふみえが頷き、スコップを差し出した。
 もう若くはない私にとって、スーツケース1個を埋められる穴を掘る作業は簡単ではなかった。地面は思ったよりも固く、簡単には掘り進めない。スコップを握る手の平にすぐに豆ができ、皮膚が破れ、血が染み出した。ふみえは両手で懐中電灯を持って、私が掘る地面を照らしてくれていた。しかし、恐怖からだろう、手が激しく震えて、明かりの位置が一定しない。これでは照明の役割を果たさない。汗を拭いながら、ふみえに言った。
「もういいから、懐中電灯をそこに置いて、座っていなさい」
 ふみえは頷くと、穴を照らせるように懐中電灯を岩の上に置き、老木の根本に膝を抱えて座った。
 私はただひたすらスコップを地面に突き立て、土をすくい、穴の縁に積み上げていった。額に垂れ下がった前髪からしたたり落ちるのは、汗なのか、雨なのかもわからなくなった。筋肉だけでなく、頭の芯さえも痺れてきた。地面に置きっぱなしにしたスーツケースの中から声が聞こえてくる。四つの首たちが語りかけてくるのだ。

「あなたの息子が私達を殺したのよ・・・」
「あいつを恨んでやる」
「お前達も恨んでやる・・・」
「私達の身体を返して・・・・」
「お前たちも同じ目にあうがいい・・」

 幻聴だと思った。
 しかし、横を見ると、木の根本にしゃがみこんだふみえも両手で耳を塞いでいるではないか。
「お前も、何か、聞こえるのか?」
 ふみえは首を振った。うそだ。なら、なぜ両耳を塞ぐ必要がある。暗闇の中で周囲の森がザワザワと音をたて始めていた。淀んだ森の息吹が重苦しく身体にまとわりついてくる。「声」をかき消そうと、必死にシャベルを振るった。次に聞こえてきたのは、何人もの男と女の声だった。年寄りもいれば、若い声も混じっている。そいつらは、土を掘り続ける私の周りをぐるぐると回りながら、耳元にささやき続けた。

「お前達も共犯だ」
「お前も女房も死刑だ」
「死んでしまえ・・・」
「死んでしまえ・・」

 この森に迷い込み、彷徨ったあげくに死んでいった死者達の霊がささやいているのか?
 不意に思い当たった。
 
 そうじゃない!
 この声も、さっきの声も、
 自分達の心の声なのだ!
 
 (やめろ!)
 (今すぐ、やめるんだ!)
 (今なら、引き返せる!)
 
 私自身の良心が、形を変えて、私に語りかけているのだ。
 ふみえも、きっと同じなのだ。だから、心の声に耳を塞いでいるのだ。
 でも、やめるわけにはいかない。息子のために!息子を犯罪者にしないために!
 私は狂ったような叫び声をあげながら、穴を掘り続けた。手の平はひび割れ、スコップの柄には血がこびりついていた。もう痛みも感じなくなっていた。

 一時間ほどかけて、スーツケースひとつをなんとか埋められる穴が掘れた。
 スーツケースの両側をふみえと持ち上げて、穴の底に静かに置いた。
 あとは埋めて、ここを立ち去るだけだ。私はゼンマイ仕掛けの人形のようにスコップで土を浴びせかけた。ふみえも地べたに這いつくばって両手で土をかけた。
 地面を二人で踏み固めると、ふみえの手を引いて、森を引き返した。ふみえの手の平には土がこびりつき、ざらついた感触がした。
 私達はひたすら、来た道を急いだ。
 しかし、なかなか元の道に戻れなかった。

(もしかして、迷ったのか・・・・・)

 今までとは違う冷たい汗が背中を流れた。
 その時だった。
 懐中電灯が照らす光の輪の中に、白いものが揺れた。
 目印になるようにと、枝に結んだあのハンカチだった。

(これで、道に戻れる。)

 あとは、迷うことはない。
 道に出たら、右に曲がれば、いつかは車に辿り着けるはずだ。
 森を出た途端、呼吸も楽になった気がした。
 
 車を停めた場所に向かって歩きだして、すぐだった。ふみえが急に立ち止まった。
「どうした?」
「あのハンカチ」
「ハンカチ?」
「あそこに結んだままだわ」
 そうだ。あせったあまり、ハンカチを木の枝から外してくるのを忘れてしまった。 
 誰も気にとめないかもしれない。が、ここは自殺の名所だ。年に何回か自殺者の一斉捜索が行われるという話をニュースで見た事がある。あのハンカチを不審に思った誰かが、あの場所から森の中に分け入り、スーツケースを埋めた跡を見つけないとも限らない。
「取ってくるわ」
 懐中電灯を持ったまま、ふみえが駆けだした。
「待ちなさい!私が行くから!」
 遠ざかる背中に向かって叫んだ。
 しばらくして、闇の向こうから声がした。
「すぐそこだから、大丈夫!そこで待ってて!」
 私一人が暗闇の中に取り残された。
 妻がこのまま戻ってこないような気がした。

(もう、私から大切な者を奪うのはやめてくれ!)

 祈りながら、闇の中で待った。
 戻ってくるまで、時間が止まったようだった。
 やがて、遠くに懐中電灯の明かりが見えた。
 次第に近づいて来る。
 ふみえの顔を見た瞬間、身体全体から力が抜けた。
 ずっと走ってきたのだろう。息があがっていた。
 肩で大きく息をしながら、ふみえは少し微笑んだ。
「行きましょう」私の手を強く握った。
 
 早く、この場所を立ち去ろう。
 もう、くたくただった。
 早く家に帰って、熱いシャワーを浴びて、眠りたかった。
 私達は、泥道を車に向かって歩き出した。




 【2月14日・町田(宮内家)】
 
「ちょっ、ちょっと、止めてよ!」
 
 録画ビデオを見ていた茂庭が突然、叫んだ。
 薄暗い部屋の中で青山巡査が振りかえった。
「なんですか、急に?」
「だから、そのビデオを止めてくれって!そう、言ってんの!」
 青山がしぶしぶ、『一時停止』のボタンを押した。液晶画面の中で、宮守幸彦の顔が凍りついたように停止した。
「なんで、止めるんですか」
「だって、やばいでしょ!これ、犯罪でしょ!」
 ため息をひとつついてから、青山が言った。
「ここの息子は殺人に死体損壊容疑。父親と母親は死体遺棄容疑ということになりますね」
 青山の冷静な反応に、いらついたように茂庭がかみついた。
「なに落ちついてんのよ。あんた、警官だろ。署長とか、課長とかさ、そういう偉い人達に連絡しなくていいのかよ」
「もちろん、そう、しますよ。ただし、あの人が言ってることが本当ならばですが」
「へっ?」
 茂庭の表情が固まった。
「じゃあ、あんたは、宮守さんが今までしゃべってたことが、全部ウソだって言うのか?被害者の首を富士の樹海に埋めたってのもデタラメだって。あんたも見ただろ、玄関に置いてあったスニーカーがさ、二足とも泥だらけだったじゃないか。あれだって証拠だろ」
「それが本当に死体を埋めた証拠だとは、今の段階では判断できませんよ。マスコミが大騒ぎするこの種の事件では、結構多いんです。こういうウソの告白がね。うちの派出所にも、たまに電話がかかってきますよ。『俺が犯人だ』とか『真犯人を知ってる』とかね」
「でも、でも」
 不満そうに茂庭が言った。
「俺には、そう思えないな。作り話にしては真に迫りすぎてるじゃないか。この家の息子さんが事故で死んだのは本当の話だし」
「事故の話は本当でしょう。だからこそ、少し疑ってかからないといけないと思うんです」
「どういうことだよ?」
「だって、突然、息子さんが事故死したわけでしょう。両親は相当な精神的ショックを受けたはずです。そのせいで、ありもしないことを口走っている可能性だって否定しきれません」
 現職の警察官に言い切られると、それも一理ある気がする。茂庭も少し冷静さを取り戻しはじめていた。
 一方の青山は、現職警察官として、茂庭とは違うことを考えていた。
 首都圏で連続している猟奇殺人事件については、青山が勤務する派出所にも本庁から連絡文書が回ってきていた。しかし、勤務が交代する際の申し送りで上司がお題目のように繰り返すだけで、上司本人も自分たち派出所勤務の警官がそんな大事件を解決できるとはまったく思っていない。

 しかし、もし、ビデオの主が話していたことが本当なら・・・・。
 事故で死んだこの家の息子が連続猟奇殺人の犯人だったら・・・。

 警察官になったばかりの自分が「大手柄」をあげることになる。
 警視庁捜査一課のエリート刑事達が血眼になって追い続けている容疑者を、一介の交番勤務の自分が見つけたことになるのだ。
 きっと、父も誇りに思ってくれるだろう。

 父に憧れて警察官になった。
 叩き上げで、愚直なほど勤勉に30年以上警察官としての職務を全うしてきた父。なのに未だに所轄の地域課の巡査部長どまりだ。たまに家で酔っ払うと、刑事になりたかったんだ、と話すことがあった。でかい事件の捜査に関わって、聞き込みに走り回り、張り込みで夜を明かし、ホシをあげる。そんな姿に憧れて警察官の道を選んだのだ、と。
 そして最後に決まって、父はこう言った。
「なのに、いつまでたっても、ヒラのお巡りだ」
 勤務している所轄署に捜査本部が立っても、やらされるのは雑用ばかり。本庁からやって来たエリート捜査官に酷い扱いを受けたことも一度や二度ではない。そんな本庁の奴らの鼻をあかして、息子が重要事件の容疑者をあげたとしたら・・・。
 警視総監賞だってもらえるかもしれない。同僚からも「立派な跡継ぎを持ったな」と賞賛されるだろう。照れた父の嬉しそうな顔が脳裏に浮かんだ。
 しかも、容疑者はすでに死亡しているという。抵抗される心配もないのだ。上に報告するだけでいい。あとの裏付け捜査は、本庁のエリート捜査官がやってくれる。手柄は、もちろん、俺一人のものだ。
 そのためにも、事実を慎重に見極めなければならない。
 これが『真実の告白』なのか、『狂人の戯言』なのかを。
 ビデオを最後まで見たら、この中年男が「全部、作り話だよーん」と笑いながら舌を出す事だってありうる。今ここで捜査本部に連絡して、実はデタラメでした、なんてことになったら、総監賞どころか、一生「駄目警官」の烙印を押されてしまう。這い上がるのは困難だ。警察という組織は、そういう所だ。父親にも、恥をかかせることになる。
 青山は、茂庭に向かって強い調子で言った。
「せめて最後まで見てから判断しませんか」
「でもさ・・・」
 反論しようとする茂庭を制して続けた。
「今ここで通報したら、この家には凄い数のパトカーや刑事がやって来ますよ。ニュータウン中が大騒ぎだ。あとで、あの親父が言っていたことが全部ウソだとわかっても、噂は一人歩きしますよ。あの家は殺人犯の家だったとか、呪われているとかね。そんな類の噂が広がったら、後からいくらあなた達が事実無根だって否定しても、このニュータウン全体のイメージダウンは避けられません。家を買おうっていう人たちは、そういうのを一番気にするんじゃないですか」
 図星をつかれて、茂庭は黙り込んだ。たしかに、このニュータウンではこれから第四期、第五期の入居募集が予定されているのだ。
 茂庭の表情が変わったのに気づいて、青山はつとめて優しい口調でだめを押した。
「だから、最後まで見てみましょうよ。それからでも、遅くはありませんから」
「それも、そうだね」
 茂庭が床に座り直したのを確認してから、青山は笑みを浮かべながら言った。
「じゃあ、もう一度、その録画再生のスイッチを押してください」
「うん」
 青山に言われるままに茂庭が手を伸ばして、再生のスイッチを押した。

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刑事の青年、阿部が出会った事件。そこには必ず鳥の姿があった。 人間のパーツが一つずつ見つかる事件の真相は――。 1話ずつの文字数は少な目。全14話ですが、総文字数は短編程度となります。

シグナルグリーンの天使たち

ミステリー
一階は喫茶店。二階は大きな温室の園芸店。隣には一棟のアパート。 店主やアルバイトを中心に起こる、ゆるりとしたミステリィ。 ※第7回ホラー・ミステリー小説大賞にて奨励賞をいただきました  応援ありがとうございました! 全話統合PDFはこちら https://ashikamosei.booth.pm/items/5369613 長い話ですのでこちらの方が読みやすいかも

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

国民的ゲーム

乙魚
ミステリー
超短編ミステリーです。

それは奇妙な町でした

ねこしゃけ日和
ミステリー
 売れない作家である有馬四迷は新作を目新しさが足りないと言われ、ボツにされた。  バイト先のオーナーであるアメリカ人のルドリックさんにそのことを告げるとちょうどいい町があると教えられた。  猫神町は誰もがねこを敬う奇妙な町だった。

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

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