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【ぬらりひょんの章】第3幕「奇妙な喫煙所の会話だった」
【ぬらりひょんの章】第3幕 「奇妙な喫煙所の会話だった」
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【同じく1月17日 逗子】
喫煙所に並べられたパイプ椅子に腰をおろし、龍はピースの箱を胸ポケットから取り出した。
警察署では缶入りを吸っているが、持って歩くにはかさばるので、外では箱のやつを吸っている。
避難住民のための喫煙スペースは、体育館と校舎とをつなぐ渡り廊下にあった。まあ、小学校の中でスパスパと煙草を吸わせるわけにはいかないだろうから、当然と言えば当然だ。
百円ライターで火をつけ、紫煙を肺の奥深くまで吸い込んだ。
特活室での関係者の聴取は3時間を超え、その間ずっと我慢していたのだ。脳がニコチンの刺激を欲していた。頭の中がグチャグチャになった時、龍には絶対に煙草が必要だった。煙を吸い込んでいくうちに、心も落ち着き、頭の中が整理されていく。
4人を惨殺した犯人についての関係者の証言はかなり断片的で、「観堂友貴」の輪郭をはっきりと形にするのが難しかった。
ゴッホの絵、
犬のうんこ、
トイレで死んでいた男、
そして、タコ・・・・。
警察署に現れた謎の老人、沼来兵衛は「避難所の一家4人殺しね、あれ、あたしが犯人なんですよ」と言った。
不可解な証言の数々と、老人の話は果たして結びつくのだろうか。
それとも、やはりあの老人の妄言なのか・・・・。
吸い込んだ煙を吐き出す。
顔の前で白い煙が渦巻きを描きながら揺らめき、端から薄れていく。
消えてゆく煙の向こう側から、人影が近づいてくるのが見えた。
渡り廊下を歩いてくるのは、沼来兵衛だった。焼きそばパンを、うまそうにかじりながら近づいてくる。
沼来は龍を見つけて、右手に持った焼きそばパンを大きく振った。左手には小さなカップヌードルのような物を握りしめている。もともと、しわだらけの顔なのだが、さらに顔中をくしゃくしゃにして笑いながら話しかけてきた。
「これは、これは、刑事さん。良い所でお会いしました。ちょうど食後の一服をしたいと思っていたところですよ」
「食後の一服って、俺にはあんたが今、食事の真っ最中に見えるがね」
「あっ、これですか?近所のパン屋さんが避難所に差し入れてくれたんですよ。誠にありがたいことです。昼飯をいくら食べても、すぐに腹が減って腹が減ってねえ。そういうことで、一本いただけますか、た・ば・こ」
「今朝あんなに俺から持ってったろ」
「ああ、あれですか。もう、全部、吸ってしまいましたよ」
「仕方ねえなあ」
ピースの箱を差し出すと、沼来はすごい早技で3本抜いた。
「一本って言ったじゃねえか」と怒鳴ったが、「まあ、まあ」と意にかえさない。上着のポケットから100円ライターを出して火を付け、うまそうに煙を吸い込んだ。そして、焼きそばパンに食らいつく。
パンを食べ終わると、今度は、さっき持っていたカップヌードルのような容器の蓋を開け、中身をぼりぼりとかじり始めた。少し長めのかっぱえびせんのようなスナック菓子だった。
「一本めしあがりますか?煙草のお返しです。いけますよ」
菓子をつまんで、龍に差し出した。
「『じゃがりこ』というのだそうです。ここで初めて食べて、気に入りました。子供にもらったんです。それから、やみつきです。ピザ味、サラダ味、チーズ味、コーンポタージュ味、肉ジャガ味といろいろありますが、私はやっぱりこのじゃがバター味が一番です」
物は試しと一本受け取って、口に放り込んだ。確かに、いけた。沼来が満足そうな笑いを浮かべ、また煙草の煙を深く吸い込んだ。
「食事中の一服というのも、実にうまいものです」
あっという間に3本を吸ってしまい、さらに「もう一本、よいですか?」と言われ、あきれた。また3本抜かれるのはしゃくなので、1本だけをつまんで渡す。
「意外に、けちですな」
「お前さんががめつすぎるんだ。ところで、じいさん」
龍が尋ねた。
「ここで一家4人殺した観堂って男と、あんた親しかったんだって」
「ええ、ええ」大げさにうなずく。「大の仲良しでした」
「ここの人達に随分話を聞いてみたんだが、その大の仲良しだった観堂に、あんたが殺人を教唆したような痕跡は見あたらないんだ」
「あなたは優秀な刑事さんとお見受けしましたが」
「とんでもない。こちとら、無能なぐうたらデカさ」
「まあ、もっと調べてごらんなさいな。きっと、思わぬものが見つかりますよ」
「いろいろ見つかってるよ。タコとか絵とか、うんことかな」
「タコねえ・・・、いいですなあ。タコの刺身で、ぐいっと冷たいビールをやりたいですな。原節子さんも言ってます。好きなものを順に言えば、まず読書、次が泣くこと、その次がビール、それから怠けることだと」
「また、原節子かよ」
「本名は会田昌江というんですよ。1935年に15歳でデビューしました。姉が女優で、そのご主人が日活の映画監督をしていましてね、女優になることを勧められたんですな。芸名の節子はデビュー作の『ためらふ勿れ若人よ』で演じた女学生の役名からとりました。名字の原は、撮影所長が朝起きた時に頭に浮かんだものだそうです。42歳の時に『忠臣蔵』で大石蔵之助の妻りくを演じたのを最後に、スクリーンから消えました。引退の理由は今も謎です。銀幕を去ってからは、公衆の面前には一切、姿を見せませんでした」
うんざり顔の龍にかまわず、沼来が続ける。
「私も本を読むのは好きです。泣いたことは、今までに一度もありませんが、ビールは大好物です。特にエビスは最高ですなあ。怠けて生きていくことにも大賛成です」
「まあ、俺も怠け者だがねえ・・・。とにかく、今は考えることが多くて、あんたの愛する大女優の話につきあうのも正直しんどい」
ピースを灰皿で乱暴にもみ消すと、立ち上がった。
「そろそろ、相棒と交代してくるか」
龍は沼来に背中を見せると、特活室へと引き返していった。
残された沼来はしばらく椅子に座って、ぼーっとしていた。
吸う煙草がなくなって口寂しかった。
そこに後ろから声がかかった。
「あんたが、ウワサの沼来さんかい」
沼来が振り返ると、髪を短く刈り込んだ目つきの鋭い男が立っていた。逗子北署の刑事、炭谷だった。
「交代するから煙草でも吸ってこいって龍に言われてな」
隣のパイプ椅子に腰をおろし、煙草の箱を取り出した。それを見て、沼来が言った。
「一本、いただけますか」
「おれのは奴と違って、軽いぜ。タール3ミリ、ニコチン0・3ミリだ」
「本当は龍さんが吸ってるフィルターなしが一番ですが、まあ、10倍吸えば」
まとめて抜こうとするので、炭谷がさっと箱を引っ込めてニヤリとした。
「1本だけだぜ」
沼来も顔をゆがめて笑った。
「じゃあ、2本ということで」
炭谷が笑いながら、もう一度煙草の箱を差し出した。
2人並んで、鼻から煙を吹き出すと、炭谷が先に口を開いた。
「あんた龍に、ここで起きた一家4人殺しの真犯人は自分だ、って言ったんだって」
「ええ」
「ありえない」
「ホホッ」と沼来が笑う。「なぜです?」
「うちの署がきっちり捜査して、きっちり処理したからだ。犯行は大勢の人間が目撃していた。犯人は観堂友貴しかありえない。疑う余地もない」
「わたしが4人を殺すように仕向けたとしたら」
「どうやって?」
「それを調べるのが、あなた方のお仕事なのでは」
「再捜査する必要はないな。あんたの絵空事に興味を持ってるのは、龍だけだ」
炭谷の発言には、龍に対するあからさまな敵意が感じられた。
「他の所轄が扱ったヤマを、管轄違いがかき回すのは、俺らの世界じゃタブーなんだよ。そんなだから、かみさんに自殺未遂なんかされるんだ」
「そうなんですか?」
沼来が眼をむいて驚いた。
「あの地震で崩れた家の下敷きになって亡くなった、とは聞いていましたが」
「誰に?」
「あの刑事さん、ここに避難してる人達やボランティアには有名みたいですよ。奥さんが地震で亡くなった、ってみんな知っていました」
炭谷が「新聞にも載ったからな」とため息を漏らした。
「地震の3か月前に家で首を吊ろうとしたんだよ。幸い、直後に龍が帰宅して、病院に運んだんだ。なんとか命は取り止めたが、心肺停止の時間が長かったんだな。人工呼吸器と栄養補給用チューブを付けて寝たきりさ。奴はかみさんを自宅に連れて帰って、世話してたんだ。もちろん、ヘルパーも雇ってたが、休みの日には付きっきりだったらしい。この辺の警官なら、みんな知ってる話さ」
「そこに不幸が重なったんですね。まさか地震がきて自宅が崩れるなんて」
「11月の地震の時は奴も非番だったらしい。夕方までかみさんの世話して、車で買い出しに出た時に揺れが来たんだそうだ。慌てて戻った時には、家はぺしゃんこだった。こいつは、相馬の”親父さん”に聞いた話だが」
「相馬の”親父さん”とは、どなたです?」
「龍の上司だよ。昔は県警で俺の上司だった」
「なるほど。それで、奥さんの自殺の原因はわかっているのですか」
「親父さんも、わからんと言ってた。もっとも、龍には心当たりがあるのかもしれんが」
「悲しい話ですなあ。原節子さんも言っています。何が一番悲しいって、それは愛情を与える人がいないことだと。彼女は一生独身を通しています」
「原節子か・・・・お袋が大ファンだったなあ」
「本当ですか!」
沼来が身を乗り出した。
「あなたとは気が合いそうです」
「実家が大船でね。お袋は松竹の大船撮影所のそばで育ったんだ。原節子の映画はほとんど見てるんじゃないかな。ビデオもずいぶん持ってた。死んだ時に形見にもらって、今は俺のアパートの押し入れにしまってあるよ。『晩春』や『東京物語』は俺も好きさ」
「ますます、気が合いますなあ。龍さんにもぜひ『東京物語』くらいは見てほしいんですよ。あなたから貸してあげてもらえませんか。きっとあの人も原節子さんの素晴らしさをわかってくれると思うのです」
「探してみるよ」
「お願いします」
「しかし、不思議だな・・・」
「なにがですか?」
「あんたとは初対面なのに、なんでこんなにいろんな事をしゃべっちまうんだろう」
「観堂さんも同じことを私に言ってましたよ」
沼来がニタリと笑った。
喫煙所に並べられたパイプ椅子に腰をおろし、龍はピースの箱を胸ポケットから取り出した。
警察署では缶入りを吸っているが、持って歩くにはかさばるので、外では箱のやつを吸っている。
避難住民のための喫煙スペースは、体育館と校舎とをつなぐ渡り廊下にあった。まあ、小学校の中でスパスパと煙草を吸わせるわけにはいかないだろうから、当然と言えば当然だ。
百円ライターで火をつけ、紫煙を肺の奥深くまで吸い込んだ。
特活室での関係者の聴取は3時間を超え、その間ずっと我慢していたのだ。脳がニコチンの刺激を欲していた。頭の中がグチャグチャになった時、龍には絶対に煙草が必要だった。煙を吸い込んでいくうちに、心も落ち着き、頭の中が整理されていく。
4人を惨殺した犯人についての関係者の証言はかなり断片的で、「観堂友貴」の輪郭をはっきりと形にするのが難しかった。
ゴッホの絵、
犬のうんこ、
トイレで死んでいた男、
そして、タコ・・・・。
警察署に現れた謎の老人、沼来兵衛は「避難所の一家4人殺しね、あれ、あたしが犯人なんですよ」と言った。
不可解な証言の数々と、老人の話は果たして結びつくのだろうか。
それとも、やはりあの老人の妄言なのか・・・・。
吸い込んだ煙を吐き出す。
顔の前で白い煙が渦巻きを描きながら揺らめき、端から薄れていく。
消えてゆく煙の向こう側から、人影が近づいてくるのが見えた。
渡り廊下を歩いてくるのは、沼来兵衛だった。焼きそばパンを、うまそうにかじりながら近づいてくる。
沼来は龍を見つけて、右手に持った焼きそばパンを大きく振った。左手には小さなカップヌードルのような物を握りしめている。もともと、しわだらけの顔なのだが、さらに顔中をくしゃくしゃにして笑いながら話しかけてきた。
「これは、これは、刑事さん。良い所でお会いしました。ちょうど食後の一服をしたいと思っていたところですよ」
「食後の一服って、俺にはあんたが今、食事の真っ最中に見えるがね」
「あっ、これですか?近所のパン屋さんが避難所に差し入れてくれたんですよ。誠にありがたいことです。昼飯をいくら食べても、すぐに腹が減って腹が減ってねえ。そういうことで、一本いただけますか、た・ば・こ」
「今朝あんなに俺から持ってったろ」
「ああ、あれですか。もう、全部、吸ってしまいましたよ」
「仕方ねえなあ」
ピースの箱を差し出すと、沼来はすごい早技で3本抜いた。
「一本って言ったじゃねえか」と怒鳴ったが、「まあ、まあ」と意にかえさない。上着のポケットから100円ライターを出して火を付け、うまそうに煙を吸い込んだ。そして、焼きそばパンに食らいつく。
パンを食べ終わると、今度は、さっき持っていたカップヌードルのような容器の蓋を開け、中身をぼりぼりとかじり始めた。少し長めのかっぱえびせんのようなスナック菓子だった。
「一本めしあがりますか?煙草のお返しです。いけますよ」
菓子をつまんで、龍に差し出した。
「『じゃがりこ』というのだそうです。ここで初めて食べて、気に入りました。子供にもらったんです。それから、やみつきです。ピザ味、サラダ味、チーズ味、コーンポタージュ味、肉ジャガ味といろいろありますが、私はやっぱりこのじゃがバター味が一番です」
物は試しと一本受け取って、口に放り込んだ。確かに、いけた。沼来が満足そうな笑いを浮かべ、また煙草の煙を深く吸い込んだ。
「食事中の一服というのも、実にうまいものです」
あっという間に3本を吸ってしまい、さらに「もう一本、よいですか?」と言われ、あきれた。また3本抜かれるのはしゃくなので、1本だけをつまんで渡す。
「意外に、けちですな」
「お前さんががめつすぎるんだ。ところで、じいさん」
龍が尋ねた。
「ここで一家4人殺した観堂って男と、あんた親しかったんだって」
「ええ、ええ」大げさにうなずく。「大の仲良しでした」
「ここの人達に随分話を聞いてみたんだが、その大の仲良しだった観堂に、あんたが殺人を教唆したような痕跡は見あたらないんだ」
「あなたは優秀な刑事さんとお見受けしましたが」
「とんでもない。こちとら、無能なぐうたらデカさ」
「まあ、もっと調べてごらんなさいな。きっと、思わぬものが見つかりますよ」
「いろいろ見つかってるよ。タコとか絵とか、うんことかな」
「タコねえ・・・、いいですなあ。タコの刺身で、ぐいっと冷たいビールをやりたいですな。原節子さんも言ってます。好きなものを順に言えば、まず読書、次が泣くこと、その次がビール、それから怠けることだと」
「また、原節子かよ」
「本名は会田昌江というんですよ。1935年に15歳でデビューしました。姉が女優で、そのご主人が日活の映画監督をしていましてね、女優になることを勧められたんですな。芸名の節子はデビュー作の『ためらふ勿れ若人よ』で演じた女学生の役名からとりました。名字の原は、撮影所長が朝起きた時に頭に浮かんだものだそうです。42歳の時に『忠臣蔵』で大石蔵之助の妻りくを演じたのを最後に、スクリーンから消えました。引退の理由は今も謎です。銀幕を去ってからは、公衆の面前には一切、姿を見せませんでした」
うんざり顔の龍にかまわず、沼来が続ける。
「私も本を読むのは好きです。泣いたことは、今までに一度もありませんが、ビールは大好物です。特にエビスは最高ですなあ。怠けて生きていくことにも大賛成です」
「まあ、俺も怠け者だがねえ・・・。とにかく、今は考えることが多くて、あんたの愛する大女優の話につきあうのも正直しんどい」
ピースを灰皿で乱暴にもみ消すと、立ち上がった。
「そろそろ、相棒と交代してくるか」
龍は沼来に背中を見せると、特活室へと引き返していった。
残された沼来はしばらく椅子に座って、ぼーっとしていた。
吸う煙草がなくなって口寂しかった。
そこに後ろから声がかかった。
「あんたが、ウワサの沼来さんかい」
沼来が振り返ると、髪を短く刈り込んだ目つきの鋭い男が立っていた。逗子北署の刑事、炭谷だった。
「交代するから煙草でも吸ってこいって龍に言われてな」
隣のパイプ椅子に腰をおろし、煙草の箱を取り出した。それを見て、沼来が言った。
「一本、いただけますか」
「おれのは奴と違って、軽いぜ。タール3ミリ、ニコチン0・3ミリだ」
「本当は龍さんが吸ってるフィルターなしが一番ですが、まあ、10倍吸えば」
まとめて抜こうとするので、炭谷がさっと箱を引っ込めてニヤリとした。
「1本だけだぜ」
沼来も顔をゆがめて笑った。
「じゃあ、2本ということで」
炭谷が笑いながら、もう一度煙草の箱を差し出した。
2人並んで、鼻から煙を吹き出すと、炭谷が先に口を開いた。
「あんた龍に、ここで起きた一家4人殺しの真犯人は自分だ、って言ったんだって」
「ええ」
「ありえない」
「ホホッ」と沼来が笑う。「なぜです?」
「うちの署がきっちり捜査して、きっちり処理したからだ。犯行は大勢の人間が目撃していた。犯人は観堂友貴しかありえない。疑う余地もない」
「わたしが4人を殺すように仕向けたとしたら」
「どうやって?」
「それを調べるのが、あなた方のお仕事なのでは」
「再捜査する必要はないな。あんたの絵空事に興味を持ってるのは、龍だけだ」
炭谷の発言には、龍に対するあからさまな敵意が感じられた。
「他の所轄が扱ったヤマを、管轄違いがかき回すのは、俺らの世界じゃタブーなんだよ。そんなだから、かみさんに自殺未遂なんかされるんだ」
「そうなんですか?」
沼来が眼をむいて驚いた。
「あの地震で崩れた家の下敷きになって亡くなった、とは聞いていましたが」
「誰に?」
「あの刑事さん、ここに避難してる人達やボランティアには有名みたいですよ。奥さんが地震で亡くなった、ってみんな知っていました」
炭谷が「新聞にも載ったからな」とため息を漏らした。
「地震の3か月前に家で首を吊ろうとしたんだよ。幸い、直後に龍が帰宅して、病院に運んだんだ。なんとか命は取り止めたが、心肺停止の時間が長かったんだな。人工呼吸器と栄養補給用チューブを付けて寝たきりさ。奴はかみさんを自宅に連れて帰って、世話してたんだ。もちろん、ヘルパーも雇ってたが、休みの日には付きっきりだったらしい。この辺の警官なら、みんな知ってる話さ」
「そこに不幸が重なったんですね。まさか地震がきて自宅が崩れるなんて」
「11月の地震の時は奴も非番だったらしい。夕方までかみさんの世話して、車で買い出しに出た時に揺れが来たんだそうだ。慌てて戻った時には、家はぺしゃんこだった。こいつは、相馬の”親父さん”に聞いた話だが」
「相馬の”親父さん”とは、どなたです?」
「龍の上司だよ。昔は県警で俺の上司だった」
「なるほど。それで、奥さんの自殺の原因はわかっているのですか」
「親父さんも、わからんと言ってた。もっとも、龍には心当たりがあるのかもしれんが」
「悲しい話ですなあ。原節子さんも言っています。何が一番悲しいって、それは愛情を与える人がいないことだと。彼女は一生独身を通しています」
「原節子か・・・・お袋が大ファンだったなあ」
「本当ですか!」
沼来が身を乗り出した。
「あなたとは気が合いそうです」
「実家が大船でね。お袋は松竹の大船撮影所のそばで育ったんだ。原節子の映画はほとんど見てるんじゃないかな。ビデオもずいぶん持ってた。死んだ時に形見にもらって、今は俺のアパートの押し入れにしまってあるよ。『晩春』や『東京物語』は俺も好きさ」
「ますます、気が合いますなあ。龍さんにもぜひ『東京物語』くらいは見てほしいんですよ。あなたから貸してあげてもらえませんか。きっとあの人も原節子さんの素晴らしさをわかってくれると思うのです」
「探してみるよ」
「お願いします」
「しかし、不思議だな・・・」
「なにがですか?」
「あんたとは初対面なのに、なんでこんなにいろんな事をしゃべっちまうんだろう」
「観堂さんも同じことを私に言ってましたよ」
沼来がニタリと笑った。
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