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【ヴァンパイアの章】第2幕「プレゼント」
【ヴァンパイアの章】第2幕「プレゼント」
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【再び29日後 2月15日未明 東京】
「こんな夜には 女房とふたり 熱燗で ホッとしたいね」
「メトロポリタン・ラジオ」第8スタジオのスピーカーからは、大手日本酒メーカーの聞き慣れたCMが流れ始めた。
「ホッとしたい」のは、こっちの方だ。
こんな夜には・・。
こんなひどい夜には・・・。
プロデューサーの小国は叫び出したいのを、必死で我慢していた。胸がむかむかする。
番組パーソナリティのロクローに「あなたの首筋に食らいついて、(血を)すすりあげたいなあ」と言って喉を鳴らした電話相談の男との回線はつながったままだ。
CMの時間は2分しかない。
「どうするんすか?」
ディレクターの春日部がおびえた声で言った。
小国が口をつぐんだままでいると、テクニカル・ディレクターの会川が声を荒げた。
「切っちまえばいいんだよ!それで終わりさ!あんなイカレポンチ野郎の相談なんてよ、まともにつきあう必要なんてねえさ!なあ、プロデューサーさまよ、そうだろ」
サブ(副調整室)にいるのは3人。緊張と興奮で、いつの間にか全員が立ち上がってしまっていた。
防音ガラスを挟んだスタジオでは、ロクローが両手を顔の前で組み、その拳に額を押しつけるようにしながら目を閉じている。神に祈っているようにも、必死で落ちつこうとしているようにも見えた。
「どうします?あと、1分ちょいしかないですよ」
春日部がまた尋ねた。
小国は決断した。
「奴の電話を切ろう」
「だよな」会川が小躍りする。「それが一番だって!話がわかるねえ、まったく、俺らのプロデューサーさまは」
「でも」と春日部が言う。
「リスナーが変に思いませんかね」
「CM中に向こうが勝手に切ってしまったことにすればいい」
「もう一度、かけてきたら?」
「スタジオにつながなきゃいいだけさ。後で局に苦情の電話でも掛けてきたら、俺がとらやの羊かん持って謝りに行くさ」
「さすが、小国さんだ。報道から来た人は、こういう時の危機管理にそつがないねえ」
ラジオに異動してきて初めて会川から名前で呼ばれた。報道から飛ばされてきた素人プロデューサーと散々馬鹿にしてきたくせに。皮肉なもんだ。思わず苦笑してしまう。
「電話相談のコーナーはあと10分近くありますよ。残りはどうやってしのぎますか?」
「CMはあとどれくらいある」
「1分です」
「次の相談相手はスタンバイしてるか」
「ええ、たぶん」春日部がドアに走った。重いドアを押して開き、首を廊下に突き出して怒鳴った。
「ゆかり!ゆかり!ちょっと来てくれ!急いで!」
パタ、パタ、とサンダルを鳴らして駆け込んできたのは、ADの長瀬ゆかりだ。
「なんですか?」
小柄で眼鏡をかけ、ほお紅がリンゴのように赤い。
「次の相談相手の電話、つながってるか?」
ゆかりが慌てて、メモ用紙をめくる。
「はい、えーと、相模原に住む60歳のおばちゃんですけど。息子の嫁と不仲で困ってるって」
「もう裏でつないでスタンバイしてるんだな」
「はい、バイトくんがやってます」
「よし!じゃあ、すぐ戻って、そのおばちゃんに、CM明けにスタジオのロクローにつなぐからって伝えてくれ」
「はいっ!」
また、パタ、パタとサンダルを鳴らして駆け戻っていく。春日部が振り返る。
「これで、大丈夫です。あとはロクローさんに段取りを伝えてください。CM明けまで、もう時間がありません」
小国はスタジオと直接話せるトークバックのスイッチに飛びついた。
「ロクローさん!CM明けの段取りを伝えるから、聞いてくれ!」
焦っているので早口になる。聞こえているはずだが、ロクローには反応がない。両手を組み、目を閉じたままだ。
「あの吸血鬼を気どったイカレ野郎の電話は切る。あんたは『いやー、これからっていう時に相手がCM中に電話を切っちゃってさあ、やっぱりイタズラだったのかな』、とかなんとか言ってごまかしてくれ。次の電話相談の相手も、もう用意してある。嫁との不仲で悩んでる60歳のおばちゃんだ。あとは、いつも通り。わかったかい?」
ロクローが顔を上げた。
帰ってきたのは、驚くべき言葉だった。
「いやだね」
「はあっ!」サブの3人が同時に声をあげた。
小国が叫ぶ。
「なに言ってんだ、あんた」
「CM明けたら、さっさと、あいつの電話をつなげ」
「俺の話を聞いてなかったのか」
「聞いてて言ってんだよ。俺を誰だと思ってる。天下の六浦ロクロー様だぞ。リスナーの前で負け犬になったままで、終われるかよ。もう一回、あの野郎と勝負だ」
小国をにらみつける両目が血走っていた。
「勝負って、これはラジオだ。プロ野球でもサッカーでもないし、まして決闘でもない」
「あんたにとっては、たかがラジオでも、俺にとっちゃあ、決闘だ。刀と刀の真剣勝負なんだよ。なめられたまんまで『イタズラだったのかなあ』なんて、ごまかして引き下がれるもんか」
小国は努めて冷静に言った。
「ロクローさん、もう時間がない。俺がプロデューサーだ。俺が決断する。あんたは言うとおりにしてくれ。あいつは絶体にヤバイ。報道記者歴10年の俺のカンを信じてくれ」
「うるせえ!うるせえっ!」
ロクローが立ち上がり、座っていた椅子を持ち上げて、スタジオの壁に放り投げた。激しい音が響き、春日部と会川が「ひいっ」と声をあげた。
「なにが、報道記者10年のカンだよ!その報道で誤報とばして、飛ばされてきた野郎のカンなんて、誰が信用できるかってんだ!もう一度、言うぞ!俺を誰だと思ってる!ラジオの帝王、六浦ロクロー様だぞ!てめえは、黙ってそこに座って、この俺様にまかせときゃあいいんだよ!ここは俺様の舞台なんだ!邪魔すんな!いいか!もしも、てめえらが別の相手につないだりしやがったら、俺は一言もしゃべんねえぞ。どうする?残り10分、音無しで放送出すか?放送事故じゃあすまねえぞ。下手すりゃあんたら全員クビだぜえ」
最後は笑みさえ浮かべていた。そして、いつものセリフを口走った。
「だいじょうぶ、俺はプロフェッショナルだ。俺を信用しろよ。必ず、おもしろくしてやるからよ」
小国はトークバックのボタンから手を離して、ロクローの顔をにらみつけた。怒りで身体が震えているのが自分でもわかる。
「どうします、CM明けまで、あと20秒もありませんけど」
春日部がおどおどしながら聞いた。会川も無言でこちらを見ている。
「小国さん・・・、あと、13秒ですけど」
小国は机の台本をつかむと、壁に放り投げた。
「あの吸血野郎とつなげ」
「えっ!いいんですか」
自分の椅子に戻って、どっかと腰を下ろす。
「ああ、もう、ロクローと心中だ」
煙草に火をつけてから、もう一言つけ加えた。
「おもしろくしてもらおうじゃねえか」
深夜の生放送が、また始まった。
「あれっ?」
CMが明けると、電話の向こうの男はまず、素っ頓狂な声をあげた。
「もう一度つないでくれるとは思わなかったなあ。CMやってる間に電話を切られちゃうんじゃないかと思ってましたよ」
サブで会川が感嘆の声をあげた。
「お見通しじゃねえか・・・」自分が「切っちまえよ」と最初に言い始めたくせに。
「意外に度胸あるんだ、ロクローさん」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
マイクに向かって、ロクローが気色ばんだ。
「何者だっていうんですか?」
電話の向こうで男がククッと、こもった笑い声をたてた。
「ラジオの帝王、六浦ロクローだ」
今度は、男がはっきりと笑った。
「かつてはね。たしかに、あなたはラジオの王様だった。でも、今はねえ・・、落ちぶれ果てた裸の王様がいいとこかなあ。しかも、誰も面と向かって『あんたは裸だ』とは言ってくれない。ていうより、みんなが言ってるのに、聞こえないふりしてるだけか」
ズボシをつかれて、ロクローの話すトーンがさらに上がった。
「うるせえ!そういうお前こそ、一体何様のつもりなんだ」
「ぼくこそ、王様ですよ。地球上の食物連鎖の頂点に君臨する王ですよ。肉でも魚でも、何でも食べて肥え太る人間をエサにしてるのって、僕らだけですもん」
「調子に乗るのもいい加減にしろよ。今に痛い目みることになるぞ」
「アハハハッ」
「なにがおかしい」
「残念でした。痛い目みるのは、そっちですよ。それも、す・ん・ご~い痛い目をね。もう生きてるのが嫌になるほどの」
「どういう意味だ」
「ま、それはもう少し後のお楽しみ、ということで。ところで、ロクローさん、絵はお好きですか?」
「絵?」
「そう、絵画ですよ。人間は実にくだらない生物だけど、絵画という芸術を生み出したってこと一点に限っては称賛してもいい、と僕は思ってるんです」
「絵になんか全く興味がないな。女のヌードなら見てもいいがね」
「絵っていえば、裸体画しか思い浮かばないんですか。誰の裸体画が好みなんです?」
「別に好みなんかないね」
「僕はマネが好きです」
「マネって、ものまね芸人か」
「裸体画なら、マネがナンバーワンです」
茶化すロクローを無視して、男は続ける。
「マネの裸体画といったら『草上の昼食』や『オランピア』ですよね。今じゃあ傑作といわれるけど、当時はひどく侮辱されたんです。低級すぎて批判するに値しない、とまで言われたそうですよ。晩年の彼は壊疽にかかって左足を切断して、ひどい苦痛の中で息を引き取った。看取った人の話によるとね・・・」
男はわざと間をあけてから凄みをきかせて言った。
「このうえなく恐ろしい形相の死に顔だったそうですよ。あなたもそうなるのかな」
ロクローが身を硬くしたのがわかった。それでも、精一杯虚勢を張って言った。
「だから、言ってるだろう。ヌードだろうが何だろうが、俺は絵なんかに興味ナッシングだって。裸はやっぱり、生身の女が一番だからな」
「生身の女ねえ・・・」
あきれた声が聞こえた。
「まあ、あなたらしいと言えば、実にあなたらしいとも言えますけどね。じゃあ、カンディンスキーは好きですか?」
「カンディンスキー?それも画家か?」
「知らないの?おかしいなあ、絶対に知らないはずないんだけどなあ。ヴァシリー・カンディンスキー、現代抽象画の巨匠ですよ。円とか線とかばっかり描いてたカンディンスキーは好きではないけど、言ってることは正しいですよ。彼はこう言ってる。円は『正確で、しかし無限に変化し、安定していると同時に不安定であり、静的であると同時に喧噪であり、無尽のエネルギーを包含した緊張である』って。あなたたち人間に似てると思いませんか。安定していると同時に不安定で、静的であると同時に喧噪だ。家では平和なマイホームパパが戦場では敵兵士や民間人を殺戮し、自分の宗教では博愛を説くくせに異教徒はなぶり殺しだ。野生動物の保護を語る一方で、肉を喰らい、毛皮をむしり取って繁栄してきた。人間がこれまで、どれだけの種を絶滅させてきたかわかりますか。僕らに滅ぼされたって文句なんか言えないよねえ」
「いいかげんにしろっ!」
ロクローが金切り声をあげた。
「なんで俺なんだよ。なんで、こんな誰も聞いてないような番組に電話なんかかけてくるんだよ」
俺にまかせとけ、必ずおもしろくしてやる、と威勢良くまくしたてた姿は消えかかっていた。
「誰も聞いてない?自分の番組をそんなに悪く言うもんじゃありませんよ。僕がこの日本に来て、最初に血をすすって、首を切り落とした人間がね、この番組を聞いてましたもん」
サブで聞いていた小国の耳に、電話の男が発した「あるフレーズ」が引っかかった。
「首を切り落とした・・・・だと」
ロクローはなんとか、本来のラジオ電話相談のペースに話を引き戻そうとした。
「とにかく・・・、あんたは、偏食で悩んでるんだよな」
しかし、相手は自分のペースをまったく変えなかった。
「あ、それはもういいんです」
「もういい、って・・・、だから俺の番組に電話かけてきたんだろ」
「あなたに相談して、ふっきれちゃいました。さっき、言ってくれましたよね。偏食なんて、悩むほどのことじゃないって。あなたに電話して本当に良かった。勇気がわいてきたなあ。そうですよね、人間の血しか食べられないんだから、襲ってすすり続けりゃいいんですよね。ああ、悩んで損した。時間を無駄遣いしちゃいました」
男は楽しそうに話し続けた。
「さっきも言ったけど、僕が日本に来て最初に襲ったのは、長距離トラックの運転手でしたよ。女性でね、ひとりで子供2人を育ててるって言ってたなあ。成田のそばでヒッチハイクしたんです。助手席に乗せてくれて、真夜中の国道をとばしながら、この番組をカーステレオで聴いてましたよ、ゲラゲラ笑いながらね。電話をかけてくる人間は真剣に悩んでるのに、それに答えるあなたの言い分があんまりいい加減で、そこが下手なお笑い番組よりよっぽど笑えるって、毎回聴いてたそうですよ。ある意味、ファンですよね、あなたの。皮肉ですよね、親身にならないからチャランポランなんでしょうけど、そこがおもしろくて聴いてる人もいるんだから。で、番組が終わってから、おしっこがしたいって言って路肩に車を駐めてもらって、うなじにかぶりつきました。ゴクゴクと血を飲み干して、それから首を切り落として、右腕も切断しました」
小国は立ち上がった。
事件記者のカンだった。いや、カンといって片付けるのは適当ではない。「首狩りジャック」の事件がきっかけで、テレビ局の社会部を追われた記者の「執念」ともいえた。
小国は春日部に言った。
「もう一度、ゆかりちゃんを呼んでくれないか」
「いいですよ」
春日部がまた廊下に向かって叫ぶと、ADの長瀬ゆかりが赤い顔をして走ってきた。
「ゆかりちゃん、悪いんだけど、オフィスのパソコンで首狩りジャックの記事を検索してほしいんだ。奴の被害者の中に、長距離トラックの女性運転手がいるかどうか調べてほしい。急いでな」
声を出さずに頷くと、ゆかりがまたパタパタと駆けだしてゆく。2人の話を聞いていた春日部と会川の表情が凍り付いていた。
「それって、まさか・・・」
「このイカレた吸血野郎が首狩りジャックだ、っていうのか?」
「いや、そうと決まったわけじゃない。念のためだよ。いたずらの可能性の方が高いとは思うが」
しかし、小国の中では「もしかして」という思いが強くなっている。
この間もラジオトークは続いていた。
「お前、さっき言ってたよな、俺が自分のポルシェに浅草寺のお守りをぶらさげてるのはおかしい、って。なぜ、それを知ってるんだ?」
「あなたの後をつけてたからで~す」
「つけてた・・、いつ?」
「この1週間、ず~っとで~す」
「どこまで?」
「あなたの家から仕事場、そして、愛人の家まで全部ですよ」
「まさか、お前・・・」
「明日香ちゃん、っていいましたっけ。『夜間飛行』っていうキャバクラで働いてる」
また、ロクローが絶句した。
「可愛い子ですよね、きれいなストレートヘアーで。細身だけど、出る所は出てるし。ただ、化粧と香水がね、キツイかな。シャネルだかなんだか知らないけど」
「なんで・・・、知ってる・・・」
「彼女のリビングに飾ってある絵、覚えてますか。あれ、カンディンスキーなんですよ。だから、さっきあなたに言ったじゃないですか。知らないはずないんだけどなあ、って」
「おまえ、まさか、部屋に入ったのか・・・。なんで、明日香の家がわかった・・・」
「だから言ってるじゃないですか、ずっと、あなたを尾行してたんだって」
「犯罪だぞ、それ」
「犯罪ねえ、たかが尾行でしょ。僕はそんな微罪に興味はないなあ。どうせやるなら、もっとひどい犯罪をやりますよ。そう、死刑にされても仕方がないような」
「・・・明日香になにかしたのか?」
「ばれました?」
「いや、ウソだ、ありえない」
「ロクローさん、生放送のスタジオには携帯電話って持って入れるんですか?」
「持ってはいるが、スイッチは切ってる」
「スイッチ、入れてもらえません」
言われて、ロクローは小国の方を見た。赤く充血した眼が「言う通りにしてもいいか」ときいている。
小国はガラス越しに頷いた。
ロクローが椅子の背もたれに掛けたゼニアのジャケットの内ポケットから、ドコモの携帯を引っ張り出す。
スイッチを入れた瞬間、着信音がなった。
男が言った。
「鳴ってますねえ」。
「ああ、鳴ってる・・・」
ロクローがうなづく。
「誰からの着信って出てますか?」
ロクローがかすれた声で答えた。
「明日香だ・・・」
通話ボタンを押して、耳に当てた。
「もしもし・・・」
「あたしよ!最近、電話くれないじゃない!浮気でもしてるんじゃないの!許さないから、もう!・・・・・なんてね」
女の声色で話したのは、吸血野郎だった。
「なぜ・・・・、お前が明日香の携帯を持ってる?」
「なんでだろ」
「茶化すな!明日香はどこへやった?」
「あれっ、そこにいませんか?」
「なに言ってる、バカか、おまえ」
「愛する男のそばにいつもいたいのが、女心ですよ。わかってないなあ、ロクローさん」
「ふざけんな!」
「ふざけてませんよ。今日、あなたにプレゼントが届いてたでしょ」
ロクローはスタジオに入る直前に春日部に掛けられた一言を思い出した。「ロクローさんの人気も、まだ捨てたもんじゃないですね。ファンからバレンタインの贈り物が2つ届いてますよ」
ロクローは立ち上がって、ガラス越しにサブの片隅に置かれたプレゼントの箱を見た。小国も、春日部も、会川も同じ箱を見た。
「大きい方の包みですよ。フルーツパーラーの箱に入った」
ちょうどそこにADのゆかりが飛び込んできた。
「ありました!」
いつも以上に頬が赤く見えるのは全力で走ってきたのと興奮しているからだ。手には新聞のコピーを握っている。
「蔵田三和子さん。トラック運転手、34歳。神奈川県大磯町の国道1号線で去年12月1日未明に、首と腕がない遺体で見つかっています。身元は運転免許証で確認されたみたいです。首狩りジャックの5人目の犠牲者です。3年前に離婚して、小学1年生の女の子と幼稚園の女の子を長距離トラックの運転手をしながら育てていたそうです」
記事を読む声が段々と鳴きそうな声になっている。
「あいつが言ってたとおりじゃねえか・・・」
会川がうめいた。
しかし、小国は別の所が引っかかった。
『5人目の犠牲者』という言葉だ。
報道記者として、相手の発言から真意をさぐり、矛盾を探し、検証して真実にたどりつくいう仕事を長年やってきた。いくら誤報をとばして、記者失格の烙印を押されようと、その習慣は変わるものではない。
(奴はさっき言った。女性トラック運転手は、自分が日本にやってきて『最初の獲物』だったと。なのに記事には、彼女は『5人目の犠牲者』だと書いてある。どういうことだ・・・)
その思考を中断するように、電話の男がロクローに催促した。
「まだですかあ。開けてくれないの?僕の心からのプレゼントなんだけど」
ロクローがもう一度、箱を見て言った。
「その箱・・・持ってこい」
声がうわずっている。
春日部と会川、そしてかおりが一様に青ざめた顔で立ちすくんでいる。
「おれが持って行く」
小国が箱に駆け寄る。
持ち上げた。
思ったより重い。
「ドアを開けてくれ」
春日部と会川は固まったまま動けない。ロックを外して、ドアを引いてくれたのは、意外にもゆかりだった。こういう時は女性の方が度胸があるということか。
ドアをくぐって進もうとするが、気ばかり焦って、足がついてゆかない。小走りで抜けようとして足がもつれた。
箱を落としそうになる。中身が「ゴトリ」と不気味な音をたてた。
胃液がこみ上げるのを何とか堪えて、フルーツの箱をロクローの目の前に置いた。
ロクローと小国は立ったままで、箱を見下ろした。
2人とも言葉が出なかった。
それを見透かしたように、スピーカーから男の楽しそうな声が響いた。
「プレゼント、もう目の前にあるんでしょう。だって、しゃべらなくなったもん」
ロクローが「ごくりっ」と喉を鳴らしたあと、「ああ」と返事を絞り出した。
「じゃあ、開けてみてくださいよ。じれったいなあ、爆発なんてしませんよ」
箱は贈答用に美しくラッピングされていた。ハート模様が入ったピンク色のリボンに、ロクローが手をかけた。激しく手が痙攣している。
リボンがほどけて、はらりと落ちた。
次に包み紙を止めたセロファンテープに爪を立てたが、震えてうまくはがせない。
「くそっ!」紙ごとつかんで、バリバリと破り捨てた。
出てきたのは、表にマスクメロンがでっかく印刷された箱だった。ロクローはもう、まばたきもしていなかった。
震えたまま、右手のひとさし指を蓋にかける。
そのまま、1回、2回、そして3回と、大きく深呼吸をした。見つめる小国の呼吸も荒くなっていた。
ロクローの脳から、右手に指令が走る。(開けるんだよ!)
しかし、意志とは別に、それを拒否する信号も瞬く。(あけられないって!)
(開けろよ!)
(あけない!)
(あけたくない!)
(あけたくないんだ!)
(あけたくない!)
(あけたくない!)
(あけたくない・・・・)
「開けろ!」
スピーカーから男が命令した。
有無を言わさぬ口調だった。
その声に弾かれたように、ロクローが箱を開けた。
中を覗き込んだ途端、「ヒイッ」と笛のような声をあげて、ロクローが尻餅をついた。
弾みで机の上から箱が床に落ちた。中身が飛び出して、ごろん、ごろん、ごろんと3回ほど回転して、壁に当たって止まった。
女の生首だった。
よくトリートメントされたサラサラの髪が左右に分かれ、白濁した瞳と小国の目があった。赤いルージュをひいた唇の端から舌がだらりとはみだしていた。おそらく美しい女だったろう。生きていた時は。
腰を抜かしたまま、ロクローは泣きじゃくっていた。事件記者だった小国も、本物の生首を見たのは初めてだった。必死で落ち着こうとした。そして、必死で観察した。
女の首は、どんな刃物を使ったら、これほど綺麗に切れるのか、というほど見事に切断されていた。
しかも、その切断面のすぐ上に2つの穴があいているのが、はっきりとわかった。
これが奴がかぶりついた痕なのか。
牙をつきたて、血をすすった痕だというのか。
小国が尋ねた。
「さっき、奴が言ってたキャバクラの女か?」
ロクローがうなづいた。
「間違いないのか?」
もう一度聞く。
「明日香に・・間違いない・・」
泣きながら答えた。
スピーカーから吸血男の声が響いた。
「泣くほど嬉しかったですか。喜んでもらえて、ぼくも嬉しいですよ。
アハハハハハハハハハハハハハハハ」
男は大声で笑い出した。
「4時間遅れですけど、ハッピー・バレンタイン!愛を確かめる日ですもんねえ。そんな日に愛人の首をプレゼントされるなんて、あなたはなんて幸せな人だ。あれっ?まてよ?でも彼女、生きたまま首を切られる直前に違う男の名前を呼んでたなあ。まあ、いいか。それより、あなたへのプレゼント、実はこれだけじゃあないんですよ。もっと凄いのを用意してあるんです。あなたの愛が試される、素晴らしいプレゼントをね」
「こんな夜には 女房とふたり 熱燗で ホッとしたいね」
「メトロポリタン・ラジオ」第8スタジオのスピーカーからは、大手日本酒メーカーの聞き慣れたCMが流れ始めた。
「ホッとしたい」のは、こっちの方だ。
こんな夜には・・。
こんなひどい夜には・・・。
プロデューサーの小国は叫び出したいのを、必死で我慢していた。胸がむかむかする。
番組パーソナリティのロクローに「あなたの首筋に食らいついて、(血を)すすりあげたいなあ」と言って喉を鳴らした電話相談の男との回線はつながったままだ。
CMの時間は2分しかない。
「どうするんすか?」
ディレクターの春日部がおびえた声で言った。
小国が口をつぐんだままでいると、テクニカル・ディレクターの会川が声を荒げた。
「切っちまえばいいんだよ!それで終わりさ!あんなイカレポンチ野郎の相談なんてよ、まともにつきあう必要なんてねえさ!なあ、プロデューサーさまよ、そうだろ」
サブ(副調整室)にいるのは3人。緊張と興奮で、いつの間にか全員が立ち上がってしまっていた。
防音ガラスを挟んだスタジオでは、ロクローが両手を顔の前で組み、その拳に額を押しつけるようにしながら目を閉じている。神に祈っているようにも、必死で落ちつこうとしているようにも見えた。
「どうします?あと、1分ちょいしかないですよ」
春日部がまた尋ねた。
小国は決断した。
「奴の電話を切ろう」
「だよな」会川が小躍りする。「それが一番だって!話がわかるねえ、まったく、俺らのプロデューサーさまは」
「でも」と春日部が言う。
「リスナーが変に思いませんかね」
「CM中に向こうが勝手に切ってしまったことにすればいい」
「もう一度、かけてきたら?」
「スタジオにつながなきゃいいだけさ。後で局に苦情の電話でも掛けてきたら、俺がとらやの羊かん持って謝りに行くさ」
「さすが、小国さんだ。報道から来た人は、こういう時の危機管理にそつがないねえ」
ラジオに異動してきて初めて会川から名前で呼ばれた。報道から飛ばされてきた素人プロデューサーと散々馬鹿にしてきたくせに。皮肉なもんだ。思わず苦笑してしまう。
「電話相談のコーナーはあと10分近くありますよ。残りはどうやってしのぎますか?」
「CMはあとどれくらいある」
「1分です」
「次の相談相手はスタンバイしてるか」
「ええ、たぶん」春日部がドアに走った。重いドアを押して開き、首を廊下に突き出して怒鳴った。
「ゆかり!ゆかり!ちょっと来てくれ!急いで!」
パタ、パタ、とサンダルを鳴らして駆け込んできたのは、ADの長瀬ゆかりだ。
「なんですか?」
小柄で眼鏡をかけ、ほお紅がリンゴのように赤い。
「次の相談相手の電話、つながってるか?」
ゆかりが慌てて、メモ用紙をめくる。
「はい、えーと、相模原に住む60歳のおばちゃんですけど。息子の嫁と不仲で困ってるって」
「もう裏でつないでスタンバイしてるんだな」
「はい、バイトくんがやってます」
「よし!じゃあ、すぐ戻って、そのおばちゃんに、CM明けにスタジオのロクローにつなぐからって伝えてくれ」
「はいっ!」
また、パタ、パタとサンダルを鳴らして駆け戻っていく。春日部が振り返る。
「これで、大丈夫です。あとはロクローさんに段取りを伝えてください。CM明けまで、もう時間がありません」
小国はスタジオと直接話せるトークバックのスイッチに飛びついた。
「ロクローさん!CM明けの段取りを伝えるから、聞いてくれ!」
焦っているので早口になる。聞こえているはずだが、ロクローには反応がない。両手を組み、目を閉じたままだ。
「あの吸血鬼を気どったイカレ野郎の電話は切る。あんたは『いやー、これからっていう時に相手がCM中に電話を切っちゃってさあ、やっぱりイタズラだったのかな』、とかなんとか言ってごまかしてくれ。次の電話相談の相手も、もう用意してある。嫁との不仲で悩んでる60歳のおばちゃんだ。あとは、いつも通り。わかったかい?」
ロクローが顔を上げた。
帰ってきたのは、驚くべき言葉だった。
「いやだね」
「はあっ!」サブの3人が同時に声をあげた。
小国が叫ぶ。
「なに言ってんだ、あんた」
「CM明けたら、さっさと、あいつの電話をつなげ」
「俺の話を聞いてなかったのか」
「聞いてて言ってんだよ。俺を誰だと思ってる。天下の六浦ロクロー様だぞ。リスナーの前で負け犬になったままで、終われるかよ。もう一回、あの野郎と勝負だ」
小国をにらみつける両目が血走っていた。
「勝負って、これはラジオだ。プロ野球でもサッカーでもないし、まして決闘でもない」
「あんたにとっては、たかがラジオでも、俺にとっちゃあ、決闘だ。刀と刀の真剣勝負なんだよ。なめられたまんまで『イタズラだったのかなあ』なんて、ごまかして引き下がれるもんか」
小国は努めて冷静に言った。
「ロクローさん、もう時間がない。俺がプロデューサーだ。俺が決断する。あんたは言うとおりにしてくれ。あいつは絶体にヤバイ。報道記者歴10年の俺のカンを信じてくれ」
「うるせえ!うるせえっ!」
ロクローが立ち上がり、座っていた椅子を持ち上げて、スタジオの壁に放り投げた。激しい音が響き、春日部と会川が「ひいっ」と声をあげた。
「なにが、報道記者10年のカンだよ!その報道で誤報とばして、飛ばされてきた野郎のカンなんて、誰が信用できるかってんだ!もう一度、言うぞ!俺を誰だと思ってる!ラジオの帝王、六浦ロクロー様だぞ!てめえは、黙ってそこに座って、この俺様にまかせときゃあいいんだよ!ここは俺様の舞台なんだ!邪魔すんな!いいか!もしも、てめえらが別の相手につないだりしやがったら、俺は一言もしゃべんねえぞ。どうする?残り10分、音無しで放送出すか?放送事故じゃあすまねえぞ。下手すりゃあんたら全員クビだぜえ」
最後は笑みさえ浮かべていた。そして、いつものセリフを口走った。
「だいじょうぶ、俺はプロフェッショナルだ。俺を信用しろよ。必ず、おもしろくしてやるからよ」
小国はトークバックのボタンから手を離して、ロクローの顔をにらみつけた。怒りで身体が震えているのが自分でもわかる。
「どうします、CM明けまで、あと20秒もありませんけど」
春日部がおどおどしながら聞いた。会川も無言でこちらを見ている。
「小国さん・・・、あと、13秒ですけど」
小国は机の台本をつかむと、壁に放り投げた。
「あの吸血野郎とつなげ」
「えっ!いいんですか」
自分の椅子に戻って、どっかと腰を下ろす。
「ああ、もう、ロクローと心中だ」
煙草に火をつけてから、もう一言つけ加えた。
「おもしろくしてもらおうじゃねえか」
深夜の生放送が、また始まった。
「あれっ?」
CMが明けると、電話の向こうの男はまず、素っ頓狂な声をあげた。
「もう一度つないでくれるとは思わなかったなあ。CMやってる間に電話を切られちゃうんじゃないかと思ってましたよ」
サブで会川が感嘆の声をあげた。
「お見通しじゃねえか・・・」自分が「切っちまえよ」と最初に言い始めたくせに。
「意外に度胸あるんだ、ロクローさん」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
マイクに向かって、ロクローが気色ばんだ。
「何者だっていうんですか?」
電話の向こうで男がククッと、こもった笑い声をたてた。
「ラジオの帝王、六浦ロクローだ」
今度は、男がはっきりと笑った。
「かつてはね。たしかに、あなたはラジオの王様だった。でも、今はねえ・・、落ちぶれ果てた裸の王様がいいとこかなあ。しかも、誰も面と向かって『あんたは裸だ』とは言ってくれない。ていうより、みんなが言ってるのに、聞こえないふりしてるだけか」
ズボシをつかれて、ロクローの話すトーンがさらに上がった。
「うるせえ!そういうお前こそ、一体何様のつもりなんだ」
「ぼくこそ、王様ですよ。地球上の食物連鎖の頂点に君臨する王ですよ。肉でも魚でも、何でも食べて肥え太る人間をエサにしてるのって、僕らだけですもん」
「調子に乗るのもいい加減にしろよ。今に痛い目みることになるぞ」
「アハハハッ」
「なにがおかしい」
「残念でした。痛い目みるのは、そっちですよ。それも、す・ん・ご~い痛い目をね。もう生きてるのが嫌になるほどの」
「どういう意味だ」
「ま、それはもう少し後のお楽しみ、ということで。ところで、ロクローさん、絵はお好きですか?」
「絵?」
「そう、絵画ですよ。人間は実にくだらない生物だけど、絵画という芸術を生み出したってこと一点に限っては称賛してもいい、と僕は思ってるんです」
「絵になんか全く興味がないな。女のヌードなら見てもいいがね」
「絵っていえば、裸体画しか思い浮かばないんですか。誰の裸体画が好みなんです?」
「別に好みなんかないね」
「僕はマネが好きです」
「マネって、ものまね芸人か」
「裸体画なら、マネがナンバーワンです」
茶化すロクローを無視して、男は続ける。
「マネの裸体画といったら『草上の昼食』や『オランピア』ですよね。今じゃあ傑作といわれるけど、当時はひどく侮辱されたんです。低級すぎて批判するに値しない、とまで言われたそうですよ。晩年の彼は壊疽にかかって左足を切断して、ひどい苦痛の中で息を引き取った。看取った人の話によるとね・・・」
男はわざと間をあけてから凄みをきかせて言った。
「このうえなく恐ろしい形相の死に顔だったそうですよ。あなたもそうなるのかな」
ロクローが身を硬くしたのがわかった。それでも、精一杯虚勢を張って言った。
「だから、言ってるだろう。ヌードだろうが何だろうが、俺は絵なんかに興味ナッシングだって。裸はやっぱり、生身の女が一番だからな」
「生身の女ねえ・・・」
あきれた声が聞こえた。
「まあ、あなたらしいと言えば、実にあなたらしいとも言えますけどね。じゃあ、カンディンスキーは好きですか?」
「カンディンスキー?それも画家か?」
「知らないの?おかしいなあ、絶対に知らないはずないんだけどなあ。ヴァシリー・カンディンスキー、現代抽象画の巨匠ですよ。円とか線とかばっかり描いてたカンディンスキーは好きではないけど、言ってることは正しいですよ。彼はこう言ってる。円は『正確で、しかし無限に変化し、安定していると同時に不安定であり、静的であると同時に喧噪であり、無尽のエネルギーを包含した緊張である』って。あなたたち人間に似てると思いませんか。安定していると同時に不安定で、静的であると同時に喧噪だ。家では平和なマイホームパパが戦場では敵兵士や民間人を殺戮し、自分の宗教では博愛を説くくせに異教徒はなぶり殺しだ。野生動物の保護を語る一方で、肉を喰らい、毛皮をむしり取って繁栄してきた。人間がこれまで、どれだけの種を絶滅させてきたかわかりますか。僕らに滅ぼされたって文句なんか言えないよねえ」
「いいかげんにしろっ!」
ロクローが金切り声をあげた。
「なんで俺なんだよ。なんで、こんな誰も聞いてないような番組に電話なんかかけてくるんだよ」
俺にまかせとけ、必ずおもしろくしてやる、と威勢良くまくしたてた姿は消えかかっていた。
「誰も聞いてない?自分の番組をそんなに悪く言うもんじゃありませんよ。僕がこの日本に来て、最初に血をすすって、首を切り落とした人間がね、この番組を聞いてましたもん」
サブで聞いていた小国の耳に、電話の男が発した「あるフレーズ」が引っかかった。
「首を切り落とした・・・・だと」
ロクローはなんとか、本来のラジオ電話相談のペースに話を引き戻そうとした。
「とにかく・・・、あんたは、偏食で悩んでるんだよな」
しかし、相手は自分のペースをまったく変えなかった。
「あ、それはもういいんです」
「もういい、って・・・、だから俺の番組に電話かけてきたんだろ」
「あなたに相談して、ふっきれちゃいました。さっき、言ってくれましたよね。偏食なんて、悩むほどのことじゃないって。あなたに電話して本当に良かった。勇気がわいてきたなあ。そうですよね、人間の血しか食べられないんだから、襲ってすすり続けりゃいいんですよね。ああ、悩んで損した。時間を無駄遣いしちゃいました」
男は楽しそうに話し続けた。
「さっきも言ったけど、僕が日本に来て最初に襲ったのは、長距離トラックの運転手でしたよ。女性でね、ひとりで子供2人を育ててるって言ってたなあ。成田のそばでヒッチハイクしたんです。助手席に乗せてくれて、真夜中の国道をとばしながら、この番組をカーステレオで聴いてましたよ、ゲラゲラ笑いながらね。電話をかけてくる人間は真剣に悩んでるのに、それに答えるあなたの言い分があんまりいい加減で、そこが下手なお笑い番組よりよっぽど笑えるって、毎回聴いてたそうですよ。ある意味、ファンですよね、あなたの。皮肉ですよね、親身にならないからチャランポランなんでしょうけど、そこがおもしろくて聴いてる人もいるんだから。で、番組が終わってから、おしっこがしたいって言って路肩に車を駐めてもらって、うなじにかぶりつきました。ゴクゴクと血を飲み干して、それから首を切り落として、右腕も切断しました」
小国は立ち上がった。
事件記者のカンだった。いや、カンといって片付けるのは適当ではない。「首狩りジャック」の事件がきっかけで、テレビ局の社会部を追われた記者の「執念」ともいえた。
小国は春日部に言った。
「もう一度、ゆかりちゃんを呼んでくれないか」
「いいですよ」
春日部がまた廊下に向かって叫ぶと、ADの長瀬ゆかりが赤い顔をして走ってきた。
「ゆかりちゃん、悪いんだけど、オフィスのパソコンで首狩りジャックの記事を検索してほしいんだ。奴の被害者の中に、長距離トラックの女性運転手がいるかどうか調べてほしい。急いでな」
声を出さずに頷くと、ゆかりがまたパタパタと駆けだしてゆく。2人の話を聞いていた春日部と会川の表情が凍り付いていた。
「それって、まさか・・・」
「このイカレた吸血野郎が首狩りジャックだ、っていうのか?」
「いや、そうと決まったわけじゃない。念のためだよ。いたずらの可能性の方が高いとは思うが」
しかし、小国の中では「もしかして」という思いが強くなっている。
この間もラジオトークは続いていた。
「お前、さっき言ってたよな、俺が自分のポルシェに浅草寺のお守りをぶらさげてるのはおかしい、って。なぜ、それを知ってるんだ?」
「あなたの後をつけてたからで~す」
「つけてた・・、いつ?」
「この1週間、ず~っとで~す」
「どこまで?」
「あなたの家から仕事場、そして、愛人の家まで全部ですよ」
「まさか、お前・・・」
「明日香ちゃん、っていいましたっけ。『夜間飛行』っていうキャバクラで働いてる」
また、ロクローが絶句した。
「可愛い子ですよね、きれいなストレートヘアーで。細身だけど、出る所は出てるし。ただ、化粧と香水がね、キツイかな。シャネルだかなんだか知らないけど」
「なんで・・・、知ってる・・・」
「彼女のリビングに飾ってある絵、覚えてますか。あれ、カンディンスキーなんですよ。だから、さっきあなたに言ったじゃないですか。知らないはずないんだけどなあ、って」
「おまえ、まさか、部屋に入ったのか・・・。なんで、明日香の家がわかった・・・」
「だから言ってるじゃないですか、ずっと、あなたを尾行してたんだって」
「犯罪だぞ、それ」
「犯罪ねえ、たかが尾行でしょ。僕はそんな微罪に興味はないなあ。どうせやるなら、もっとひどい犯罪をやりますよ。そう、死刑にされても仕方がないような」
「・・・明日香になにかしたのか?」
「ばれました?」
「いや、ウソだ、ありえない」
「ロクローさん、生放送のスタジオには携帯電話って持って入れるんですか?」
「持ってはいるが、スイッチは切ってる」
「スイッチ、入れてもらえません」
言われて、ロクローは小国の方を見た。赤く充血した眼が「言う通りにしてもいいか」ときいている。
小国はガラス越しに頷いた。
ロクローが椅子の背もたれに掛けたゼニアのジャケットの内ポケットから、ドコモの携帯を引っ張り出す。
スイッチを入れた瞬間、着信音がなった。
男が言った。
「鳴ってますねえ」。
「ああ、鳴ってる・・・」
ロクローがうなづく。
「誰からの着信って出てますか?」
ロクローがかすれた声で答えた。
「明日香だ・・・」
通話ボタンを押して、耳に当てた。
「もしもし・・・」
「あたしよ!最近、電話くれないじゃない!浮気でもしてるんじゃないの!許さないから、もう!・・・・・なんてね」
女の声色で話したのは、吸血野郎だった。
「なぜ・・・・、お前が明日香の携帯を持ってる?」
「なんでだろ」
「茶化すな!明日香はどこへやった?」
「あれっ、そこにいませんか?」
「なに言ってる、バカか、おまえ」
「愛する男のそばにいつもいたいのが、女心ですよ。わかってないなあ、ロクローさん」
「ふざけんな!」
「ふざけてませんよ。今日、あなたにプレゼントが届いてたでしょ」
ロクローはスタジオに入る直前に春日部に掛けられた一言を思い出した。「ロクローさんの人気も、まだ捨てたもんじゃないですね。ファンからバレンタインの贈り物が2つ届いてますよ」
ロクローは立ち上がって、ガラス越しにサブの片隅に置かれたプレゼントの箱を見た。小国も、春日部も、会川も同じ箱を見た。
「大きい方の包みですよ。フルーツパーラーの箱に入った」
ちょうどそこにADのゆかりが飛び込んできた。
「ありました!」
いつも以上に頬が赤く見えるのは全力で走ってきたのと興奮しているからだ。手には新聞のコピーを握っている。
「蔵田三和子さん。トラック運転手、34歳。神奈川県大磯町の国道1号線で去年12月1日未明に、首と腕がない遺体で見つかっています。身元は運転免許証で確認されたみたいです。首狩りジャックの5人目の犠牲者です。3年前に離婚して、小学1年生の女の子と幼稚園の女の子を長距離トラックの運転手をしながら育てていたそうです」
記事を読む声が段々と鳴きそうな声になっている。
「あいつが言ってたとおりじゃねえか・・・」
会川がうめいた。
しかし、小国は別の所が引っかかった。
『5人目の犠牲者』という言葉だ。
報道記者として、相手の発言から真意をさぐり、矛盾を探し、検証して真実にたどりつくいう仕事を長年やってきた。いくら誤報をとばして、記者失格の烙印を押されようと、その習慣は変わるものではない。
(奴はさっき言った。女性トラック運転手は、自分が日本にやってきて『最初の獲物』だったと。なのに記事には、彼女は『5人目の犠牲者』だと書いてある。どういうことだ・・・)
その思考を中断するように、電話の男がロクローに催促した。
「まだですかあ。開けてくれないの?僕の心からのプレゼントなんだけど」
ロクローがもう一度、箱を見て言った。
「その箱・・・持ってこい」
声がうわずっている。
春日部と会川、そしてかおりが一様に青ざめた顔で立ちすくんでいる。
「おれが持って行く」
小国が箱に駆け寄る。
持ち上げた。
思ったより重い。
「ドアを開けてくれ」
春日部と会川は固まったまま動けない。ロックを外して、ドアを引いてくれたのは、意外にもゆかりだった。こういう時は女性の方が度胸があるということか。
ドアをくぐって進もうとするが、気ばかり焦って、足がついてゆかない。小走りで抜けようとして足がもつれた。
箱を落としそうになる。中身が「ゴトリ」と不気味な音をたてた。
胃液がこみ上げるのを何とか堪えて、フルーツの箱をロクローの目の前に置いた。
ロクローと小国は立ったままで、箱を見下ろした。
2人とも言葉が出なかった。
それを見透かしたように、スピーカーから男の楽しそうな声が響いた。
「プレゼント、もう目の前にあるんでしょう。だって、しゃべらなくなったもん」
ロクローが「ごくりっ」と喉を鳴らしたあと、「ああ」と返事を絞り出した。
「じゃあ、開けてみてくださいよ。じれったいなあ、爆発なんてしませんよ」
箱は贈答用に美しくラッピングされていた。ハート模様が入ったピンク色のリボンに、ロクローが手をかけた。激しく手が痙攣している。
リボンがほどけて、はらりと落ちた。
次に包み紙を止めたセロファンテープに爪を立てたが、震えてうまくはがせない。
「くそっ!」紙ごとつかんで、バリバリと破り捨てた。
出てきたのは、表にマスクメロンがでっかく印刷された箱だった。ロクローはもう、まばたきもしていなかった。
震えたまま、右手のひとさし指を蓋にかける。
そのまま、1回、2回、そして3回と、大きく深呼吸をした。見つめる小国の呼吸も荒くなっていた。
ロクローの脳から、右手に指令が走る。(開けるんだよ!)
しかし、意志とは別に、それを拒否する信号も瞬く。(あけられないって!)
(開けろよ!)
(あけない!)
(あけたくない!)
(あけたくないんだ!)
(あけたくない!)
(あけたくない!)
(あけたくない・・・・)
「開けろ!」
スピーカーから男が命令した。
有無を言わさぬ口調だった。
その声に弾かれたように、ロクローが箱を開けた。
中を覗き込んだ途端、「ヒイッ」と笛のような声をあげて、ロクローが尻餅をついた。
弾みで机の上から箱が床に落ちた。中身が飛び出して、ごろん、ごろん、ごろんと3回ほど回転して、壁に当たって止まった。
女の生首だった。
よくトリートメントされたサラサラの髪が左右に分かれ、白濁した瞳と小国の目があった。赤いルージュをひいた唇の端から舌がだらりとはみだしていた。おそらく美しい女だったろう。生きていた時は。
腰を抜かしたまま、ロクローは泣きじゃくっていた。事件記者だった小国も、本物の生首を見たのは初めてだった。必死で落ち着こうとした。そして、必死で観察した。
女の首は、どんな刃物を使ったら、これほど綺麗に切れるのか、というほど見事に切断されていた。
しかも、その切断面のすぐ上に2つの穴があいているのが、はっきりとわかった。
これが奴がかぶりついた痕なのか。
牙をつきたて、血をすすった痕だというのか。
小国が尋ねた。
「さっき、奴が言ってたキャバクラの女か?」
ロクローがうなづいた。
「間違いないのか?」
もう一度聞く。
「明日香に・・間違いない・・」
泣きながら答えた。
スピーカーから吸血男の声が響いた。
「泣くほど嬉しかったですか。喜んでもらえて、ぼくも嬉しいですよ。
アハハハハハハハハハハハハハハハ」
男は大声で笑い出した。
「4時間遅れですけど、ハッピー・バレンタイン!愛を確かめる日ですもんねえ。そんな日に愛人の首をプレゼントされるなんて、あなたはなんて幸せな人だ。あれっ?まてよ?でも彼女、生きたまま首を切られる直前に違う男の名前を呼んでたなあ。まあ、いいか。それより、あなたへのプレゼント、実はこれだけじゃあないんですよ。もっと凄いのを用意してあるんです。あなたの愛が試される、素晴らしいプレゼントをね」
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