ゾンビ対ぬらりひょん対ヴァンパイア

MORI UMA

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【ヴァンパイアの章】第1幕「サブ」

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 【序章  アルノルフィニ夫妻の肖像】

 『絵』に魅せられたことなど、一度もなかった。それが、どうだ。
 いま、目の前にある一枚の『絵』に、心臓と脳髄をわしづかみにされた。
 80センチ×60センチ程の小さな油絵だ。
 額縁の下に小さなラベルがあり、絵の題名と作者の名前が刻まれている。

『アルノルフィニ夫妻の肖像
    1434年
    ヤン・ファン・エイク作  』
 
 薄暗い室内に、男と女がたたずんでいる。
 部屋の奥には真っ赤なベットと丸い鏡がある。天井にはシャンデリアが吊られているが、火が灯されている蝋燭は一本だけだ。
 夫妻の肖像というからには、左に立っている男が夫なのだろう。不釣り合いに大きな黒い帽子を目深にかぶり、膝下まであるマントを身につけている。顔は不気味なほど白い。うつろな瞳でこちらを見つめている。まるで拝むように右手を胸の高さに挙げ、左手は隣に並んで立っている妻の右手に添えられている。
 妻の方は鮮やかな緑色のたっぷりとしたドレスを着て、頭には白い布をかぶっている。
 よく見ると、ドレスのお腹の部分が膨らんでいる。妊娠しているのだろうか。
 妻はまるで我が子を愛おしむかのように、大きなお腹の上に左手を置いている。
妙なのは、夫の表情だ。まもなく自分の子が誕生するというのに、凍りついたように表情がない。
 室内の調度品も奇妙なものばかりだった。
 夫妻の足下に毛むくじゃらの子犬が居て、じっとこちらをうかがっている。
 木のサンダルも二足、転がっている。
 窓辺には黄色い果物が置かれていた。枇杷かオレンジだろうか。
 なにより、私の心をとらえたのは、ネットの画面に書かれた絵の解説だった。
 「ヤン・ファン・エイク」は、謎の多い画家だという。
 年齢も生い立ちもよくわかっていない。現存する作品も世界中にわずか二十点ほどしかない。
 しかも、写真を撮ったかのように精緻な筆使いで絵を描くことから、『神の手を持つ男』といわれていたというのだ。
 心臓と脳髄をわしずかみにしている「手」に、きゅっと力がこもった。震えが走った。

 『神の手を持つ男』が描いた、不気味きわまりない絵・・・。

 それが、私を驚愕させた。狂喜させた。
 なんという『符号』だろう!はるか六百年も昔に、『神』の名を冠された天才画家が、私の心の闇を描ききっていたのだ。
 この絵は、私の心の、合わせ鏡だ。
 いや、私自身だ! 
 
『絵』に魅せられたことなど、生まれてから一度もなかった。
 だが、わたしは、いま、初めて、『絵』に魅せられた。






 【ヴァンパイアの章】  第1幕『サブ』
     2月15日未明  東京


「食べられないんです・・・、どうしても・・・」

 バレンタイン・デーも真夜中の0時をとうに過ぎ、日付は15日になっていた。
 通称「サブ」と呼ばれる副調整室。その天井近くに備え付けられたBOSEの大型スピーカーから流れてきた声は、か細く、途切れがちで、10代の少年のようにも聞こえた。
 続いて流れてきたのは、番組パーソナリティーの六浦ロクローの声だ。
「そんなに悩むほどのことでもないと思うけどねえ、偏食なんてさ」
「悩んでるってわけでもないんですけど、ただ」相手は少し口ごもったあと、恥ずかしそうに言った。
「どうしても、あなたに、話を聞いてほしくて」
 それきり沈黙してしまった。
「俺だってさあ、どうしても食えない物あるよ。まず、ラッキョウね。匂いが駄目なのよ。だから、カレーには福神漬けって決めてんの。それから、酢の物ね。酢ってさ、ツーンて鼻に来るじゃない。あれが小さい時から大嫌いなんだよ。酢豚もNGだしさ。酢を使った料理で食えるのは、自慢じゃないけど、寿司と冷やし中華だけだもん」
 それから突然、女形みたいな口調に変わって、
「『酢は身体にいいのよ。食べなきゃだめよお、ね、ロクロー』なーんて、言ってくれる女もいるよ。余計なお世話だっつうの!嫌いなものは嫌いなの。健康のために、好きでもないものを我慢して食うなんて、くそくらえだ!」
 一気にまくしたてた。
 だが、BOSEのスピーカーから、相手のリアクションは聞こえてこなかった。
 仕方なく、ロクローはスタジオのマイクに向かってしゃべり続ける。
「これ、誰に言ってもびっくりされるんだけどさ、実はおれ、リンゴが食えないんだよ。あの音が嫌いなんだよね。ガラスを爪でこすったり、発泡スチロールをこすり合わせた時の音がイヤって人、多いじゃない。あれは全然平気なの。でもリンゴだけは、もう、ぜーったいにダメ!。ナイフでリンゴを剥くとシャリシャリって音がすんじゃん。あれ聞くと、ゾゾ~ッて、体中にサムイボがたつんだよ。あ~、思い出しただけで寒気がしてきた。だから、今までにつき合った女全員に必ず、言ってたもんさ。『俺の半径2メートル以内でリンゴの皮剥くんじゃねえ!』って」
 だが、相手はクスリともしない。
「ねえ、聞いてる?もしかして、寝ちゃってる?それとも、ウンコにでも行っちゃったかあ」
 ロクローが冗談めかして叫んだ。数秒の間があってから、やっと
「ええ、もちろん、聞いてますよ」
と返事がした。
「なんだ。あんまり、リアクションがないからさ、寝てんのかと思っちゃったよ。なにしろ、こんな、真夜中だからさ」

 サブの壁に掛かったアナログ時計の針は、午前3時40分を回ったところだ。大きな防音ガラスの向こうで、ロクローが手元の資料をめくるのが見えた。住所や名前、年齢といった今夜の相談者の基本データや、相談したい内容をADがメモ書きしたものだ。葉書を送ってきた場合には、実物も添える。その葉書を読みながら、ロクローが言った。
「『ひどい偏食で悩んでいます。僕は、このまま生きていてもいいんでしょうか?』。もちろんです!生きててイイ~ンです!あのさあ、さっきも言ったけど、偏食くらいで、そこまで思い詰めることないんじゃないかなあ。あ、きみ、匿名希望なんだ。住所も書いてないね。年ぐらいは聞いてもかまわないかな?高校生くらいに聞こえるけど」
「違います。よく、そう言われるけど、これでも、かなり、年はくってるんですよ」
「仕事は?」
「してません」
「流行のニートってやつだ」
「働かなくても、食えるから」
「うらやましいねえ。俺も、こんな真夜中の仕事なんか辞めて、働かないで食っていきたいよ。住んでるのは東京?まあ、この放送は関東ローカルだから、関東地方だよね」
「年とか、住所とか、言わないと、相談にはのってもらえないんですか」
「いやあ、もちろんそんなことはないさ。年齢も性別も職業もなんも関係なし。誰にでも、どんな相談にものるのが、ロクローの『真夜中の電話相談室』だからね。で、きみ、何が食えないのよ。そうだ、当ててみようか。野菜だろ。ほうれん草だ!」
「野菜は食べないです」
「ビンゴ!でも、悩むことなんてないよ。おれが小さい頃はさ、ほうれん草を食べないとポパイみたいに強くなれないわよ、なんてお袋によく言われたけど。有名な運動選手にも野菜が食えないってヒト、いるからね」
「野菜だけじゃありません。魚も食べられないんです」
「ああ・・、魚はね、食べた方がいいんだぜ。DHAってのが入ってて、頭が良くなるっていうからね。でも、ま、いいか、代わりに肉食えばタンパク質はとれるし」
「肉も・・・、だめなんです」
 ロクローは大げさに驚いた口調で叫んだ。
「ひえ~!おどろき、ももの木、アントニオ猪木!野菜もだめ、魚はイヤ、肉も食わないって!きみ、断食中の修行僧かよ。一体全体、なに食べて生きてるわけよ」
 叫んだ拍子に、語尾の声が裏がえった。馬鹿にされたと思ったのか、電話の向こうで、相手が息を飲んだのがわかった。


「リスナーいじめて、どうすんだよ、まったく」
 サブで禁煙パイプをくわえていたプロデューサーの小国雄彦が、思わずうめいた。
「カンペ出して、やめさせますか?」
 通称D卓と呼ばれる席に座っていたディレクターの春日部圭司が苦り切った顔で振り返った。左隣りのTD卓では、海坊主を思わせる容貌のテクニカル・ディレクターの会川光二が、仕方ねえなあ、という顔でスタジオ・マイクの音量レベルを調整するスイッチに手をかけた。
「音、少し、絞っとくかい?」
 小国が禁煙パイプの吸い口を強く咬んだ。ガリッと、鈍い音がサブに響く。
「好きなようにやらすしかないさ。エンジンかかっちまったら、どうせ止められないんだ」
 防音ガラスの向こうには、四畳半ほどの広さのスタジオがある。
 身体がほてってきたのか、ロクローがクリーム色のジャケットを脱いで、椅子の背もたれにかけようとしている。ブルー・ストライプの開襟シャツの胸元で、ゴールドのネックレスが揺れた。ジャケットもシャツもエルメネジルド・ゼニアのものだろう。ジャケットだけでも20万はする代物だ。「おれはゼニアしか着ない」というのが奴の口癖だ。ロクローとの距離はせいぜい3メートルほどしかないが、途方もなく遠くにいるように感じる。きつめのパーマをかけた茶髪をかきあげながら、ロクローが吠え始めた。
「なんにでもマヨネーズかけたりさ、唐辛子やタバスコをバンバン振りかけないと、何にも食えないって奴がいるじゃない。君も同じじゃないのか。味覚が狂ってるだけなんだよ」
「そんなこと、ぼく、しません!」
「親が悪いんだよな。小さい時から変なモンばっかり食わせるから、子供の味覚が変になっちまうんだ」
 相手は、また黙り込んでしまった。

 赤坂に建つ「メトロポリタン・ラジオ」。その5階にある第8スタジオには、奇妙な熱が充満しつつあった。
『ロクローのミッドナイトコール』は、午前3時半から30分のトーク番組だ。番組冒頭には、その日に起きた事件や政局などのニュースをピックアップして、ロクローが好き勝手にコメントする『ニュースぶった斬り!』のコーナーがあるものの、番組の目玉はなんといっても、『真夜中の電話相談室』だ。今夜の一人目の相談者が、偏食に悩んでいるという、この男性だったのだが・・・。

 小国は小さくため息をついて、ガラスの向こうでマイクに向かって暴言を吐き続ける男を見つめた。
 六浦ロクローは「かつての」人気DJだ。3年前まで土曜の夜11時からオンエアされていた『ロクローのオールナイト・ロング』はまぎれもなく「メトロポリタン・ラジオ」の看板番組だった。「日経エンタテインメント」が投票で選んだ深夜放送人気ランキングで第1位に輝いたこともあった。当時は、ロクロー本人もおしゃれな文化人の代表としてライフスタイルまで雑誌に取り上げられ、講演や司会にもひっぱりだこだった。
 だが・・今はただの「落ち目」の芸人でしかない。
 『オールナイト・ロング』が打ち切りになった後、テレビの昼の情報番組にコメンテーターとして出演したりした時もあった。しかし、歯に衣着せぬコメントが、いささか度が過ぎた。お茶の間の主婦たちにそっぽを向かれ、半年で首を切られてしまう。古巣のラジオに戻って幾つかの番組をやったが、どれもぱっとせず、結局、ラジオとしては聴取率が低い(つまり聞いている人間が少ない)時間帯の、今の番組に流れ着いた。
 だが「落ち目」とはいっても、「メトロポリタン・ラジオ」の側にも、「六浦ロクロー」という名前にはまだ利用価値があった。一部リスナーにはかつてのネームバリューが残っているし、人気絶頂時に比べればギャラは破格に安い。わけのわからない新人お笑いタレントなどにまかせるよりはよっぽどましだ、というのがうちの編成の判断なのだ。露出がなくなれば終わりの電波芸者と、聞く人間が少ない時間帯を効率よく埋めたいラジオ局の思惑が重なって、『ロクローのミッドナイトコール』という番組は存在している。

「わるい、一本くれないか」
 小国が隣で煙草をふかしていた春日部の肩を叩いた。
「あれ、やめてるんじゃないんですか」
「いいんだよ、肺ガンで、今すぐ、死にたいんだから」
 春日部が薄ら笑いを浮かべながら「PAPAS」のシャツの胸ポケットから煙草の箱を差し出す。百円ライターも借りて火をつける。胸一杯に煙を吸い込むと、ニコチン0.1ミリグラムというウルトラ軽い煙草にもかかわらず、頭がくらくらした。
 局内の誰もが、ロクローのことを「落ち目」というが、小国の境遇だって同じようなものだった。
 系列の「メトロポリタン・テレビ」で社会部の警視庁担当記者だったが、「ある事件」がきっかけでラジオにとばされた。辞令を告げた社会部長の根岸は「俺にまで恥をかかせやがって」と恨み辛みを口にした後、「まあ、2,3年、ラジオにでもいって、ほとぼりをさましてこいや。また、俺が報道に戻してやるから」とつけ加えたが、小国の目を決して見ようとはしなかった。小国自身も、本気で約束してくれたとは思っていない。組織とは、そんなものだ。上司だって人事でポジションが変われば、約束を口にしたことなどきれいさっぱり忘れる。
 ラジオに移動して最初に担当させられたのが、この番組だった。なすびがしなびて眼鏡をかけたようなラジオ制作部長は「有名なロクローがやるんだから、全部まかせときゃいいさ。君はただ座って、煙草でもふかしてりゃあ大丈夫だから」と言った。だが、実際に来てみると、とんでもなかった。
「やっぱり、作家を入れとかなきゃだめなんだよ」
 ベテランTDの会川がため息をついた。
 そんなことは、百も承知だよ!
 小国は怒鳴りたい気持ちを飲み込んで、もう一度、深く煙を吸い込んだ。ロクローは「落ち目」のくせに、今も人気DJ気取りだ。スタジオは全部俺一人で仕切れるから構成作家もアシスタントもいらない、と主張して譲らない。
 深夜のラジオ番組の場合、サブにいる制作側のスタッフは、責任者のプロデューサーと、進行をしきるディレクター、機械操作を担当するTD、それにADという体制が基本だ。スタジオ内にはパーソナリティーがいて、隣には構成作家が座る。場合によってはディレクターが座ることもある。台本を元にパーソナリティーに指示を与え、助言し、必要があればその場で原稿も書く。暴言や放送禁止用語に目を配るのも重要な役目だ。
 しかし「ロクローのミッドナイトコール」ではスタジオにいるのはロクローただ一人だ。ニュースを取り上げるコーナーと身の上相談という単純な構成だから、パーソナリティー1人でもスタジオを回せるといえば回せる。ロクロー本人も「取り上げるニュースや相談をあらかじめ知ってたら、俺のコメントに新鮮さがなくなるだろう。事前の準備なし!斬るか、斬られるかの一発勝負でやりたいんだよ」とうそぶいている。
 これが番組にとって、危機管理上の大問題なのだ。身の上相談に対するロクローのコメントを事前にまったくチェックできないのだから。
 普通の番組ならパーソナリティーは1、2時間前には局入りして、プロデューサーやディレクター、構成作家らと段取りやコメントを確認し、それから本番に臨む。だが、ロクローはそれをやろうとはしない。いつも、番組開始ギリギリにスタジオ入りするから、打ち合わせもほとんどできない。毎度毎度が、ぶっつけ本番なのだ。
 バレンタインデーの今夜も、やって来たのは本番の5分前だった。吐息からは酒の臭いがした。ディレクターの春日部が「ロクローさんの人気もまだ捨てたもんじゃないですね。ファンからバレンタインの贈り物が2つ届いてますよ。こっちの大きいのは有名なフルーツパーラーの包み紙だ。高級メロンですかね」とおべっかを言うと、「たった2個かよ。昔は持ち帰れないほどもらったもんだ。まったく、悲しくなるねえ」と毒づきながら、満更でもない顔でスタジオへと入っていった。
 
 「せめて、作家を入れないか」と何度か提案もしたが、「これが昔からの俺のやり方なんだよ。おれはプロフェッショナルなんだぜ。俺の話術を信用しろよ。必ず、おもしろくしてやるから」とゆずらない。終いには「いやなら、番組降りてもいいんだぜ」と脅し文句を口走る。当然の結果として、ロクローの口からは暴言がぽんぽん飛び出す。相談の電話をかけてきた本人から、番組終了後に直接、抗議の電話がかかってくることもしばしばだ。なかには「訴えてやる」という人までいて、その度に小国が「とらや」の羊かんを持って、謝罪に出向くことになる。もう何度頭を下げたのか、わからないくらいだ。
 それでも、番組が打ち切られずに続いているのが、小国には不思議だった。テレビだったら、出演者の不用意な一言で、番組そのものが吹っ飛ぶ場合だってある。ライバル局も含めて、そうして打ち切られた番組を何度も見てきた。

(深夜ラジオとは不思議なものだ)
 ロクローの危ない発言が、ミッドナイトコールの「売り」になっているのも事実なのだ。
「きみが、どういった種類の人間か、俺には手に取るようにわかるんだよ」
 ロクローが自信たっぷりに言った。
「うそだ・・、そんなの」
「ほんとさ。俺もこの商売、長いからねえ、声や話し方を聞いてると、なんとなくわかるんだよ。今から、あててみせようか」
 サブで小国が
「シャーロック・ホームズかよ、お前は」
と吐き捨てた。
「古いこと言うねえ、プロデューサーさまも」
 ラジオ一筋25年を自慢するTDの会川が茶化すように言う。会川は小国の事を名前では呼ばずに、『プロデューサーさま』と呼ぶ。
(他の人間は○○さんとか、○○ちゃんと呼ぶくせに)
 テレビの報道から飛ばされてきたような人間を名前で呼ぶほど認めちゃあいない。あんたはまだヨソ者だよ、というわけだ。
 ガラスの向こうでは、ロクローが芝居じみた口調でじゃべりだした。
「きみは、心にふかーい悩みを抱えてるね」
 春日部が「ぷっ!」と吹き出した。「だから、電話してきてんだっつーの」
「君は自分が世界から孤立しているように感じている。自分は他人から理解されないと思ってる。人づきあいは苦手だ。だから、周りに相談できる人間が誰もいないんだ」
「占い師か霊能者のつもりか」
 根本近くまで短くなった煙草を、小国が灰皿でもみ消した。
「ファッションには興味がない。おとといも、昨日も、今日も同じジーパンをはいてる。若いのに髪の毛が薄くなってきたのが今の悩みだ。でも、アデランスに相談に行く勇気も金もない。毎朝、鏡を覗き込みながら、ため息をつくだけだ」
 相手は無言だった。怒っているのか、あきれているのか。
「彼女は今までいたことがない。ソープにも行ったことがない。まだ、童貞だ。休みの日には秋葉原をぶらぶらするのが唯一の楽しみだ。携帯には、ストラップを3つも4つもぶら下げている。一番のお気に入りは、そう、メイドの服を着た女の子のやつだ。いただけないねえ、そんなもんに『萌え~』って癒されてるようじゃ」
「クスッ!」と小さな笑い声が聞こえた。
「あなたこそ、白いポルシェ・ケイマンのバックミラーに、浅草寺の交通安全のお守りをぶら下げてるのは、いただけませんよ」 
 ロクローは、思わず絶句した。
「なぜ、知ってる・・・?」
 今度ははっきりと「クククッ」という含み笑いが響いた。
「そんな事どうでもいいじゃないですか。それより今度は僕に問題を出させてくださいよ。人の秘密を当てるのが好きみたいだから」
「もう一度聞く。なんで、俺の車に浅草寺のお守りがぶらさがってるのを知ってる?」
 質問を無視して相手は言った。
「クーイズ、クイズ、な~んのクイズ。僕がこの世の中で、ただひとつだけ、食べられるもの、な~んだ?」
「お前、ストーカーか」
 ロクローの声がわずかに震えているのがわかった。
「だから、クイズに正解したら、教えてあげますよ。そうだ、ヒントをあげましょうか。赤いものです」
 ロクローから笑みが消えていた。
「赤か・・、わかった、イチゴだろ、いや、リンゴか」
「ずるいですよ。答えはひとつだけ。どっちも違いますけどね」
「じゃあ、キンメダイか」
「ふざけてるんですか。しかも、できのいいジョークじゃない」
「なら形を教えてくれ」
「質問するのは、僕の方ですよ。まあ、仕方ないか、じゃあ、第2ヒントをあげましょう。形は、あるようでない、ないようである」
「それじゃあ、わからん」
「頭、悪いなあ。どんな形にも変わるってことですよ」
「液体ってことか」
「ピーン・ポーン! で、答えは?」
「赤ワインか」
「ブーッ!不正解!」
 相手の口調は、さっきまでの気弱そうな若者から、いたずらっ子のようなしゃべり方に変わっていた。
「もうひとつだけ、ヒントをくれよ。どんな、味がする?」
「味ですか。あれは・・・」
 その味を思い起こしているのか、数秒の間があいた。
「とてつもなく、甘美な味ですよ。ああ・・、考えただけで、生唾がわきでてきた」
 スタジオのロクローも、サブの小国も春日部も会川も、はっきり舌なめずりの音を聞いた。
「あの味を知れば、他のものなど、口にする気にもなれない」
「そんなに、うまいものか?」
「ああ・・・、うまい」
 また、舌なめずりの音がした。サブのスピーカーから響いたその音に、小国は実際に背中を舐めあげられたような嫌悪感を感じた。
「そうまで言われると、おれも是非、食ってみたくなるな」
 ロクローが、不安な表情を浮かべて、スタジオの窓越しに小国の顔をちらりと見た。
 そんなことは初めてだった。小国は直感的に(この相手はやばい!)と思った。
 確証はない。ないが、事件記者として長年過ごしたカンが、そう告げていた。
「あなたも、口にしたことがあるんじゃないかなあ」
「おれが?」
「スッポンとか、マムシとかのをグラスに入れて飲んだりするんでしょ、人間って。でも、それは僕たちのように、生きるために必要だから口にするんじゃない。健康のため、とか称して飲むんでしょう。くだらないな。たかだか、7、80年しか生きられない生き物のくせに、わずかばかり寿命を延ばしてなんになるんだろう」
 小国の頭にクイズの答えがひらめいた。ロクローも同じだった。
「君の大好物って・・」
「そう」
 間を置いて相手は言った。
「血ですよ。人間のね。あっと、答え、言っちゃった」
 小国はサブの時計を見上げた。
「あなたの首筋に食らいついて、すすりあげたいなあ」
 また、舌なめずりの音がした。
 こいつ、正気か・・・。
 どうする?
 このまま、続けるか?
 それともこの電話を切って、次の相談者につなぐか?
 すがるような目でロクローがこちらを見ていた。春日部も会川も。
 小国は大声で叫んだ。
「CMだ!とりあえず、CMにいけっ!」

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