ぽんぽこの話

七倉イルカ

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ぽんぽこの話

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 「ほおーー」
 加藤は形だけの笑みを浮かべてうなずいた。
  「はい」
 粗末な椅子に座った木村は、きょとんとした眼で、うなずき返す。
 自分を見ているのか、見ていないのか分からない木村の眼が癇にさわった。
 殴りたおしたくなる感情を、加藤はグッとこらえた。
 刑事という社会的立場がなければ、こらえきれないだろうと思う。
 もっとも、刑事でなければ、この取調べ室で、愚鈍な顔で愚弄してくる、木村と会うこともなかっただろうが……。

 「つまりは、だ……」
 机の上をコッコッと指でたたきながら、加藤は低い声で言った。
 「すべては狸の仕業だと。……こう言いたいわけだな」
 「はい」
 木村は相変わらず、きょとんとした眼で答える。
 「スーパーのレジから金を盗んだのも、居酒屋からブランデーをかっぱらったのも、こともあろうか、アイドルの 青山ミサを連れ去ろうとしたのも、ぜ~~んぶ」
 「狸の仕業です」
 木村は、加藤が言うより早く答えた。
 加藤のこめかみで、ブチリと血管が切れる。
  「ふざけるな!」
 大声をあげて机をぶった叩いた。
 木村は目をまんまるに見開く。
 それは加藤の出した大声に驚いたというよりも、これだけ説明しても加藤が分かってくれないことに、驚いているようであった。
 加藤は殺意をたっぷりと込めた眼で木村を見すえた。
  「貴様、警察をなめてると……ん?」
 加藤の眉が、きゅっと中央による。
 「何だ、それは?」
 あごをしゃくって、木村の腰のあたりをしめす。
 椅子に座った木村の腰から、だらりと何かが垂れているのである。
 毛皮にくるまれた、楕円形の枕のようなものである。
 「え、これですか」
 木村は自分の腰から垂れている、それに手を当て、加藤の腰のあたりを反対にジロジロと見返した。
 見返しながら、ふんふんとうなずく。
 「刑事さんには、ついていませんね」
 ひどく納得したように言い、そして胸を張って答えた。
 「これは、しっぽです」
 ……!
 全身の血が頭に昇った。
 血管が、かたっぱしからブチブチと切れていく。
 もう、こいつは殺す。
 加藤はそう決めた。
 実行しようと木村に近づく。
 「け、刑事さん! お、落ち着いてください!」
 木村ははじめて恐怖の色を見せた。
 加藤をなだめようと、無意味に顔の前で両手をふる。
 「そ、そんな、自分にしっぽがないからって……」
 「加藤くん」
 しっぽのない自分の手が、木村の首にかかる寸前、加藤は後ろからかかった声で、我に返った。
 「岡部さん……」
 振り返った加藤は、取調べ室に入ってきた初老の先輩を見た。
 岡部はニコニコと笑うと、加藤の肩をたたく。
 「手こずっているようだな。ま、ボクと変わってみようや」
 「はあ……。それじゃ、お願いします」
 加藤は渋々とうなずくと、岡部に替わって取調べ室を出ていった。
 部屋を出る時に、木村にむかって血走った眼をむける。木村はきょとんとした顔で、加藤に手をふっていた。

 「よう。どうだった、加藤?」
 自分のデスクにもどった加藤に、同僚の伊倉が声をかけてきた。
 「どうも、こうもねえよ」
 加藤はあらい動作で椅子に座る。
 「連れてくる所がまちがっているんだよ。警察より病院行きだぜ。まったく、しっぽのおもちゃまで、持ち込みやがって」
 「しっぽ?」
 伊倉は訳が分からないといったふうに、肩をすくめる。
 「狸だよ!」
 「狸?」
 伊倉はますます妙な顔つきになって加藤を見る。
 手が空いている他の同僚たちも、加藤の周囲に寄ってきた。
 「あの木村っていう容疑者が言うにはだな」 
 加藤は演説でもするかのように、大きな身振りで話しはじめた。

 コインランドリーに入った時には小雨だった雨が、出る時にはバケツの底が抜けたような土砂降りになっていた。
 夜の十一時を回った時間である。
 木村は傘からはみ出そうになる肩をすぼめ、アパートまでの道を小走りにかけた。
 と、道路のすみっこで何かがぶるぶると震えている。
 立ち止まって見ると、それは黒い子猫であった。
 しばらく考えた木村は、しかたなしにシャツの一枚を犠牲にすると、その子猫を包み、アパートへと再び走りだした。
 「あれれ?」
 狭い四畳半の部屋で、子猫をタオルで拭いていた木村は、あきれたような声をあげた。子猫と思っていたそれが、猫などではないことに気づいたのだ。
 猫にしては、顔が妙で体にもしなやかさがない。
 それは、どう見ても狸であった。
 「いるか?」
 加藤はジロリと同僚たちの顔を見回した。
  「町中に、狸が雨に打たれて震えているか?」
 同僚たちは曖昧な笑顔を見せるだけである。
  「ま、いいか」
 木村は簡単に納得すると、子狸に温めたミルクをあたえた。どっちにしろ、ペット厳禁の規則に反しているのだ。そのうえ、家賃をもう三か月も滞納している。
 大家さんに「ニャーニャー」と聞こえようが、「ポンポコ」と聞こえようが、追い出されるといった結果は変わりないのである。
 「金さえあったらなぁ」
 木村は溜め息をつきながら、ミルクをなめる狸の頭をなでて、つぶやいた。
 「で、気がつくとだ」
 加藤は両手を広げて声を高くした。
 「木村は、ヤカンの頭をなでていたわけだ」
 何人かの刑事がぷっと吹き出す。
 「で、そのヤカンは綱渡りでもしたのか?」
 「するか! 茶釜の話をしてるんじゃないんだよ!」
 加藤はちゃちゃを入れた伊倉を睨みつけた。
 狸はヤカンを残して、(もっとも、もとから木村の部屋にあったヤカンだが)姿を消したが、翌朝になると、ちゃっかり木村のふとんの中に潜り込んでいた。
 「おう、帰ってきたのか。心配した、ぞ。……ん?」
 狸を抱きあげた木村は、その下から出てきたものを見て、あっけにとられた顔になった。  
 狸の下から札束が出て来たのだ。狸は札束の上で丸くなっていたのである。
 「これは……」
 数えてみると、四十八万四千円あった。
 「これが今月三日のことだよ」
 加藤はふたたび椅子から立ちあがっていた。
  「二日の深夜にあったコンビニエンスストアの連続強盗。その被害金額が四十八万四千円!」
 二、八、四と、加藤は指を立てたり折ったりしながら喚く。
 「つまりはだ! これは、あいつが盗んだ金に決まってるんだ!」
 「つまり、お前が恩返ししてくれたってことなのか?」
 木村は真っ黒な眼で自分を見上げている子狸の喉をなであげながら、不思議そうにつぶやいた。
 まるで、そうだと答えているように、子狸はちいさい舌を出しながら、首を縦にふっている。
 「……だったら、オレがナポレオンを飲みたいって言ったら、どうする?」
 「……」
 「ナポレオンって知ってるか? 高い外国のお酒なんだぞ」
 子狸は答えなかった。
 ヤカンに変わっていたのである。
 「な~で~る~か?」
 加藤はギョロリと集まっている同僚たちを睨みつけた。騒ぎを聞きつけたのか、少年課や広報課の連中までが顔を見せている。
 「いい歳をした大人が、ナポレオンの説明をしながら、ヤカンの注ぎ口をなでるか?」
 加藤は息を吸い込むと、大声をあげた。
 「なでない!」
 木村はびっくりして、ヤカンから手を引っ込めた。
 子狸はどこにもいない。
 「おーい。タヌ公やーい」
 ヤカンのフタを開けて、中をのぞいてみたが、やっぱり子狸はいなかった。
 「まさか、本当にナポレオンを……」
 「そのとおりだ!」
 加藤は大声で机をぶっ叩いた。
 もう群衆といえるほど、部屋一杯に集まった警察関係者たちは、加藤のあまりの剣幕に、ビクリと後退る。
 「君たちの考えているとおり、その日に、横町の酒店で、ナポレオンが二〇本も盗まれた!」
 加藤は自分で自分の声に興奮しながら、ますます声をはりあげた。
 「こんなことが信じられるか!」
 「信じられない」
 木村はあ然として、子狸を見ていた。
 夜になって、うすっぺらいアパートのドアをコンコンと叩く音がするので、木村がドアを開けてみると、そこに子狸がいたのだ。
 二〇本のナポレオンとともに。
 木村は子狸とナポレオンの山を部屋に入れると、しばらく考え込んでいたが、納得のいく答えが浮かばないので、あっさりと寝ることにした。
 子狸も一緒に布団に入れてやると、とりあえず礼を言ってみる。
 「ありがとう」
 そのまま、ナポレオンを寝酒に、木村は高いびきをかきはじめた。
 ふんわかとした夢の中には、木村の憧れのアイドル、青山ミサが出てきた。
 「木村はな……」
 加藤は血走った眼を、右手の群衆にむけながら、ズイッと、そちらの方へ一歩踏みだした。
 な、わわわわ。と、群衆が後退さる。
 「寝言を言う癖があったんだと!」
 両手を頭の上で振り回しながら叫んだ。
 「その日だ! その日だ!」
 手を打ち鳴らしながら、今度は左手の群衆に迫る。
 お、わわわわ。
 あ、やややや。
 群衆は潮が引くように加藤から逃げていく。
 「その日に、青山ミサの誘拐未遂事件があったのだ!」
 ついに加藤は踊りはじめた。
 あれ?
 あれ? どうしてオレは踊っているのだ。
  ふと、頭の中に違和感が浮かびあがる。浮かび上がったが、手と声の狂乱はとまらない。
 「しかし、警察の迅速な行動により、なんとか誘拐は未然にふせげた!」
 一二〇ホンで絶叫する。
 とまらない。
 あれ?
 「さらに我々は、多数の目撃者の証言により、誘拐未遂の犯人が、木村幸一であることを突き止めたのだ!」
 ガッツポーズをとる。 
 あれあれ?
 「そして、今、この私が、取調室で木村を……」
 「加藤くん。加藤くん」
 後ろから、ポンポンと肩を叩かれた。
 「あ……、署長!」
 振りかえった加藤は、直立不動の姿勢をとる。
 「君は、こんなところで、何をやっとるのかね?」
 迷惑そうな署長の声と顔に、加藤はあたりを見回した。
 そこは署内ではなく、警察署に面した大通りであった。
 主婦や学生、サラリーマンなど、数十人の群衆が、こちらを見てクスクスと笑っている。
 「い、いえ、あの」
 訳が分からずに、加藤はしどろもどろになる。
 「きみは、木村容疑者の取調べをしていたのではないのかね?」
 「そ、それは、岡部さんが……」
 「岡部? 先月退職した岡部くんが、どうしたのだ?」
 「あ……」
 加藤の顔から血の気が引く。
 まさか……。
 マサカ……。
 モシカスルト……。
 「し、失礼します!」
 加藤は舌をかみ切るほどに叫ぶと、慌てて署内の取調べ室へと駆けもどって行った。
 「あ……」
 取調べ室へ飛びこんだ加藤は、その場にヘタヘタと崩れ落ちた。  
 椅子に座っているはずの木村はいなかった。
  ただ、ヤカンだけが、ちょこんと椅子に乗っていたのである。
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