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泥酔の聖職者

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 「ようこそ、ロキアの町へおいでくださいました。
 町長のアルバート・テッセと申します。
 転生者の方々をお迎えすることができたことは、光栄の極みでございます」
 見事な銀髪に白髭をたくわえた初老の男が、あたしとイゼさんに会釈をし、大袈裟すぎる挨拶をした。

 今しがた、あたしとイゼさんに席を勧めてくれた男性である。
 ニコニコと笑みを浮かべているが、自身の左側は一切視線を向けない。
 そこに泥酔した老人など、いないような振る舞いである。

 「自警団を束ねる、グリド・ヤシカです」
 町長の横、酔っぱらいとは反対側に立つ中年男性が、続いて自己紹介をした。
 声が低い。あたしたちに警戒しているのか、露骨に探るような目つきをしている。
 こいつは団長と呼ぶことに決めた。

 次に、団長の隣に立つ、黒衣の男性の番かと思ったが、そうはならず、町長は、仕方ないという顔で、酔っぱらいの肩をさすりはじめた。
 「神父。ハロン神父。
 起きてください。
 転生者の方々がいらしているのですよ」

 あたしは驚いた。
 この泥酔者は、聖職者だったのだ。

 町長は、神父の醜態に苛立っているのか、細い肩を乱暴に揺らした。
 「んかッ!」と変な声をあげて反応した泥酔神父だが、「かッ、はぶぶぶふ」と、そのままイビキに繋げて起きなかった。

 町長は行政の長だし、団長は警察の長、神父は宗教の長、この町は、形だけでも三権分立が成立しているのだろうか?
 ……ん?
 いや、いやいや、三権分立の中に、宗教は無かったよね。
 あたしは、記憶を探った。

 授業で習ったはずである。
 しかし、こういう知識は、何故かすらすらと出てこない。
 ……そうだ! 司法だ。裁判所だ。
 行政と司法と警察? 
 ならば、向かって左端の黒衣の男性は、この町の裁判長なのだろうか?

 後でイゼさんに聞いたら、恥ずかしいほどに間違っていた。
 三権分立とは、
 法律を定める「立法権」。
 法律に則って政策を実行する「行政権」。
 法律違反を処罰する「司法権」の三つを、それぞれ国会、内閣、裁判所が分担している仕組みである。
 三権が独立することによって、個人、または一部の集団の独裁化を抑止するのだ。

 ここまでイゼさんから説明されても、なんとなく聞いたことがあるていどにしか思い出せなかった。
 さらに詳しく聞き、この町に町議会、裁判所があり、それぞれが独立した権限をもっていれば、町議会が「立法権」、町長一派が「行政権」、裁判所が「司法権」を持った三権分立が成立しているかも知れないと言われた。
 あくまで国から分離した独立性を持っていると、仮定しての話である。

 説明され「一年のときに学校で習ったけど、ド忘れしちゃった」と、あたしが誤魔化すように笑うと、イゼさんは、憐れむような眼でつけ加えた。
 「三権分立を学ぶのは、高校じゃないですよ」
 「え? あ、そっか、中学生だよね。はははは」
 「小学校六年生です。
 公民の基礎なので、中学校で、もう一度、学び直しますが」
 「ははは、は……」
 あたしの知識は、本当に現役の女子高生だったのかどうか、怪しくなるほどであった。

 「町長。ハロン神父は寝かせておきましょう」
 団長が顔をしかめ、神父を起こそうとする町長を制した。
 「こうなることを予想して、セパレス司祭を呼んだのですから」
 
 司祭?
 あたしは、改めて左端に立つ黒衣の男性を見た。
 ゆったりとした黒衣は、よく見ると、キャソックと呼ばれる神父の平服であった。
 セパレス司祭は、二十代前半のように見えた。
 整った顔立ちと軽くウェーブのかかった黒髪。
 物静かな雰囲気を漂わせた、美形の司祭であった。

 「そうだな」
 団長の言葉に同意した町長は、「セパレス司祭。お願いします」と、美形司祭をうながした。
 「わかりました」と、司祭は小さく頷いた。

 「新煌教会の宣教師、セパレス・ライトと申します。
 異世界からの来訪者に、聖なる神の祝福を」
 セパレス司祭は、小さく十字を切った。

 なんだ、これは……。
 あたしは、めまいに似た感覚に襲われた。
 
 「丁重なご挨拶、ありがとうございます。
 こことは異なった世界より参りました、伊瀬宗吾と申します」
 となりでイゼさんが返す挨拶も、どこか遠くの会話のように、右から左へと抜けていく。

 神父、司祭、宣教師という言葉が引き金になったのか、キリスト教に関する知識が一気に溢れ出てきたのだ。

 誰もが、特別にインパクトのあった出来事を除き、過去にさかのぼった記憶ほど、曖昧になっているはずである。
 時間の経過とともに、忘却に侵食される記憶は、立体図に例えるなら、底の深いスリ鉢型や漏斗型であろう。
 その記憶の底の底で埋もれているのは、誕生した瞬間の記憶のはずである。
 でも、今、あたしが味わっているのは、誕生の記憶より、さらに深い部分の底が抜け、何か巨大な地下の空間と繋がっているような感覚であった。

 とてつもなく長い時間に満たされた空間。
 そこから「知識」が浮かび上がり、あたしの頼りない記憶の表層まで、一気に浮かび上がってきた。
 思えば、房楊枝の知識も、女子高生には似つかわしくない。
 鉄砲風呂もそうだ。
 それらは、この深い部分から、浮かび上がってきた知識だったのだ。

 ……怖い。
 あたしの記憶は、一体何に繋がっているんだろうか?

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