相方は、冷たい牙のあるラーニング・コレクター

七倉イルカ

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極楽のひととき

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 「ご、く、ら、く~~」
 あたしは、大きく息を吐くと、とろけるようにして至福を噛みしめた。
 ちょっぴり熱めの湯が満たされた湯船に、顎先まで身を沈めているのだ。

 お風呂です。
 お風呂。
 まさか、異世界に放り出された当日に、お風呂に入って、身を清めることが出来るとは思ってもみなかったよ。

 テーブルに並べられた御馳走を堪能し、デザートの柑橘類を味わっていたところに、編みカゴを手にした酒場の女性従業員がやってきたのだ。
 食事を運んできたくれた女性の一人である。

 お腹が満ちて気持ちが落ち着き、改めて女性を見ると、あたしと同じぐらいの年齢であることに気付いた。
 そして、彼女は、素晴らしい言葉を掛けてくれた。

 「お風呂のご用意が出来ています。
 いかがなさいますか?」
 「え!?」
 あたしは目を丸くした。

 ソーマとイゼさんに視線を向ける。
 二人とも、あたしと同じく驚いた顔になっていた。
 入浴のサービスまであるとは、思っていなかったのであろう。

 「いいよ、ミホちゃん。入ってきなよ。
 イゼは、この場から離れないように、おれが見張っておくよ」
 「ソーマ様……。
 それは、あまりにも心外なお言葉……」

 イゼさんは、ゴニョゴニョとなにか言っていたが、明らかに、あたしの入浴中、自由に動けないことに失望している様子であった。
 やはり、油断ならない。
 
 ソーマとイゼさんを残し、あたしは女性の案内でカウンター横のドアを開け、建物の奥へと入った。
 ドアを潜ると左右に階段があり、前方には短い通路がある。

 照明はランプだが、ランプ周辺の壁に何か特別な反射塗料を塗っているのか、不思議なほどに明るかった。

 「あたし、ミホ。
 御子神ミホって言うの。
 あなたは?」
 「マリーです。
 マリー・ゼレントと申します」
 あたしが自己紹介をすると、彼女も答えてくれた。
 そこまで言葉を交わした時、短い通路が終わった。
 
 「どうぞ」
 マリーちゃんが突き当り横のドアを開けると、ふわっと湯気の香りが溢れてきた。
 一気にテンションが上がる香りだ。
 思わず、おおッと声をあげそうになる。

 でも、まだ湯殿ではない。
 ここは、床に簀の子の敷かれた脱衣所であった。
 着替えを置く棚や、木製の櫛、金属を磨きあげて作成した鏡までもがあった。

 「湯殿はこちらです」
 マリーちゃんがさらに開けたドアの向こうには、広くは無いが、湯船と洗い場のある湯殿があった。
 湯気がどっと流れ込んできた。
 「おおッ!」
 もう、がまんできずに声をあげてしまった。

 マリーちゃんに「クスクス」と笑われ、あたしも「えへへへへ」と笑ってしまう。
 二人の間に残っていた、よそよそしさが笑いと共に消えていった。

 「よろしければ、これをお使いください」
 マリーちゃんが差し出してくれた編みカゴには、ラフな部屋着のような上下と下着、きんちゃく袋、タオルとバスタオル、小瓶、さらに石鹸までもが入っていた。
 衣類と下着は、コットンのような肌触りである。

 あたしは、何度もマリーちゃんにお礼を言った。
 「御子神様。
 お風呂を出て着替えたら、そこの鈴を鳴らしてください」
 マリーちゃんは、天井から紐で吊るされた鈴を示して言った。
 「ね、ミホちゃんて呼んでよ。
 あたしもマリーちゃんって呼ぶから。
 それから、敬語も禁止ね」
 「はい」
 マリーちゃんは嬉しそうな笑顔をみせ、脱衣所を出て行った。

 石鹸は、思ったより泡立ち、身体だけではなく、髪の毛の汚れも落とすことが出来た。
 しかも香料が混ぜ込まれているのか、泡の香りが気持ち良く鼻をくすぐる。
 たっぷりの湯で流し終え、小瓶の中にあった油を塗った。
 マリーちゃんから、中に整髪用の油が入っていると教えてもらっていたのだ。

 毛髪に滑らかさが戻る。
 タオルもゴワゴワしていることはなく、気持ちよく身体を洗えた。

 部屋着をもらえたので、思い切って、身に着けていたセーラー服、下着、靴下までも洗った。
 桶に衣類を浸し、ハーピィに追いかけ回され、草地で転倒したときの汚れをこすり落とす。
 こびりついた草の汁は、なかなか落ちなかったが、目立たないほどには綺麗になった。
 そして、今、湯船に顎先まで浸かり、至福のひと時を堪能しているわけである。

 「はあああぁぁぁ~~」
 湯気で曇る空間の中、おっさんのような声が自然に漏れてしまう。
 今日一日の疲れと緊張が、湯の中に溶けていくようであった。

 お風呂からあがり、マリーちゃんからもらった部屋着に着替え、きつく絞ったセーラー服などは、きんちゃく袋に放り込む。
 そして、髪の毛を縛って丸めると、鈴を鳴らした。
 


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