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ありがとう

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 「ただ、勘違いはしないで欲しい」
 ナッツが黙っていると、井沢が続けた。
 「殺害を推奨している訳では無い。
 誰かを殺害して、サキくんにストレスが掛かることは望ましくない」
 「師匠は殺人鬼じゃねぇんだぞ。
 憎い相手であっても、そいつを殺したら、ストレスが掛かるに決まってるだろう」
 「言いたいことは分かる。
 だが、その五人が平然と生きていることに、サキくんはストレスを感じているなんだろ」
 「……」
 その通りである。

 「殺すストレスと殺さないストレス。
 どちらがサキくんのためになるのか、見極めてもらいたい」
 そう言った後、井沢はさらに幾つかの要望を出した。

 広範囲の家屋の破壊も望ましくない。
 大型施設を破壊する危険があるなら、他者を巻き込まない深夜、もしくは早朝など時間帯で行ってもらいたい。
 広範囲に長期間、悪影響の残る毒物の使用もさけてもらいたい。
 現場に警察官、自衛隊員が駆け付けた場合、彼らを殺害してもらっては困る。
 最後に井沢はこう言った。
 「復讐を終えたら、連絡をくれ。
 後始末をさせてもらう」

 「……後始末ね」
 ナッツは、重い溜息をついた。
 こちらから、サキを自殺に追い込んだ五人に対して復讐をすると伝え、井沢は最大限の協力をすると応えてくれたのだ。
 その結果、黒くドロドロとしたモノを抱えることになってしまった。

 「ナッツ」
 サキから呼ばれて、ナッツは我に返った。
 笑って返答をさけたつもりであったが、サキは、「……あの五人を殺すなってことなのか」の答えを求めている。
 「……師匠が、あの五人を殺すって言うなら、その前に、おれがあいつらを殺しますよ」
 ナッツは、そう答えた。

 「お前には関係ないことだろ」
 サキが不機嫌な顔をみせる。

 「こっちの世界で、師匠に、そんな黒くドロドロしたものを抱え込んでほしくないです」
 ナッツは空気を和ませようと、笑みを浮かべて言った。

 サキの表情が少し変わった。
 一瞬、動揺したような顔でナッツを見ると、小さく唇を噛んでうつむいた。
 その姿は、外見そのままの弱々しい少女に見える。
 「師匠……。
 おれがついています」
 ナッツが優しく呼ぶと、サキはゆっくりと顔をあげた。
 和んでいない……。
 むしろ怒っている……。

 「ナッツ……。
 お前、こっちの世界に戻ってから、ちょっと上から目線になってないか?
 ちょっとイラッとしたんだけど」
 「あ、え、いや、すみません」
 ナッツは慌てて両手をあげ、害意の無いことを示した。

 サキは苛立つ顔のまま横を向き、小さく「ありがとう」とつぶやいた。
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