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不機嫌な少女

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 そこには、小柄な少女が立っていた。
 ややサイズの大きい、前開きのロングパーカーを着ている。
 癖のない黒髪が長い。垂れた前髪の隙間から、不機嫌そうな目が夏樹を見ていた。

 ……うっわ。怒ってる。
 浮かべた愛想笑いが、引きつりそうになる。
 確か、おれより二歳下のはずだよな。
 夏樹は、初めて出会ったとき、少女から聞いた年齢を思い出した。
 15歳であったはずだ。
 今は16歳になっているかも知れないが、初めて見たときと外見は変わっていない。

 名前はサキ。
 サキは、ピリピリとした怖い空気をまとわせていた。

 夏樹は、その空気を刺激しないよう、愛想に従順さをブレンドして、精いっぱいの笑みを浮かべた。
 「お久しぶりです。師匠」

 「師匠?」
 驚いた顔になった由美香が、夏樹の顔を見た。
 そして、師匠という言葉を確かめるように、サキに視線を移す。

 次の瞬間、「ッ!」と悲鳴を飲み込んだ由美香が、ホルスターに戻していた拳銃を引き抜いた。
 アイクも腰に手をまわして、大剣の柄に手をかける。
 二人の反応は、サキに対してではない。
 サキの背後で、ゆらゆらとケルベロスが身を起こし始めたのだ。

 切り落とされた二つの首が繋がっていた。
 左の首の深い傷も治癒しかかっている。
 サキの仕業としか考えられなかった。

 屋上に戻ってきたアイクに気を取られていた間に、どこからか現れたサキが、冥界の番犬を復活させたのだ。
 回復系の呪文ではないだろうと夏樹は思った。
 これまで、サキが呪文を使用する姿を見たことが無かったのだ。
 この少女がメインで使用するのは、召喚と呪符、そして様々な効果をもたらす奇妙な薬物である。

 「ナッツ。私はさァ……」
 サキは首を軽く傾け、夏樹から視線を外さずに言う。
 背後の魔犬を全く気にかけていない。
 「召喚獣は大事にしろって言ったよな。
 虐待すんじゃねェぞってさァ」
 「……はい」
 夏樹は、反論せずに返事をした。

 言いたいことは山ほどあった。
 魔族が召喚したケルベロスで、反撃しなければ、夏樹自身がやられていたこと。
 そもそも、殺害したのは、自分ではなくてアイク・アモンであること。
 ただ下手に反論すれば後が怖いので、素直に返事をしたのだ。

 ケルベロスはサキの背後で、繋がった部分の強度を確かめるかのように、首を伸ばし、捻り、ゴキゴキと骨を鳴らし始めた。
 まるで深い睡眠から、目覚めたときのようである。
 顎の具合も確かめているのか、左の首から順に大きく口を開け、熱い息を吐き、牙を剥き出しにした後で閉じていく。
 それが終わると、意識がはっきりし始めたのか、真ん中の首が、目の前で背を向けているサキに視線を落とした。

 グロロロロロと喉の奥で遠雷のような唸りが生まれる。
 命の恩人に感謝している様子は微塵も無かった。
 手近な獲物を食い殺そうとしているとしか思えない。

 「いかん!」
 アイクが大剣を抜きながら、前に出ようとする。
 由美香も拳銃を構える。
 「待った!」
 それを夏樹は止めた。

 「下手に加勢しないほうがいい。
 巻き添えを食うかも知んないぞ」
 夏樹がそう言ったとき、サキが肩越しに何かを投げた。
 背後のケルベロスに向かって投げられたもの、それは、三つの小さな肉片のように見えた。

 ケルベロスの三つの首が、それぞれ牙を鳴らし、その肉片に食らいついた。
 噛むほどの大きさでもなく、そのまま嚥下する。
 途端、魔犬が発する空気が変わった。
 召喚された時から発していた怒気がしぼみ、毒気を抜かれたように穏やかなものになったのだ。
 ケルベロスはその場で身を伏せ、組んだ前肢に三つの頭を乗せた。
 
 満ち足りたような穏やかな顔になり、左右ふたつの首は目を閉じた。
 アイクも由美香も、魔犬の変化を見て、呆気にとられたような顔になった。
 
 「答えろ、ナッツ。
 ケルベロスを大人しくさせる方法は?」
 サキが夏樹に問いかけた。
 「知ってるわ。美しい音色だよね」
 答えたのは、夏樹ではなく由美香である。
 悪気は無いのだろうが、横からの口出しと、サキを子ども扱いした口調に、夏樹は怖くなった。

 「神話では、吟遊詩人のオルペウスが冥界に入ったとき、竪琴の美しい音色でケルベロスを……」
 「あんたには、聞いてねえよ」
 サキに冷たい一瞥を向けられ、由美香の口から言葉が出なくなった。
 魔力という訳ではない。そういう圧力があるのだ。
 
 「ナッツ。
 さっき師匠と呼んでいたな。
 あの少女のことを知っているのか?」
 アイクが、小声で聞いてきた。
 「転生した時、初めて出会った人間だよ。
 あの世界での生き方を教えてもらったんだ。
 だから、おれの師匠だね」

 夏樹は付け加えた。
 「サディスティックで怖い師匠。
 しかも、なぜか今日は、いつもより怖い」

 「何をごちゃごちゃ言ってんだ」
 サキがピリピリとした視線を向けてきた。
 夏樹はビクッと背筋を伸ばす。

 サキの視線がアイクに移った。
 「おい、アイク。
 勇者のあんたにも聞いてみようか。
 ケルベロスを大人しくさせる方法は?」
 
 「……首をはねる?」
 アイクが自信なさそうに答えた。
 「ふざけてんのか、おっさん。
 首をはねたら、人間も魔物も、だいたい大人しくなんだよ」

 「ですよね。ですよね」
 アイクが慌てて同意する。
 勇者もビビる少女の圧であった。

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