16 / 83
魔犬追撃
しおりを挟む「い、今のは!?」
屋上で姿勢を立て直した由美香が、驚いた目を夏樹に向けて言う。
いきなりケルベロスを釣るエサにされた挙句、空中高く引っこ抜かれ、屋上に移動させられたのだ。
あまりの急展開のためか、大きな目が驚愕に見開いたままになっている。
「あのカラフルな煙?
綺麗だったろ。
拡散性を抑えたガスだよ」
夏樹が答えると、由美香の顔が強張った。
「まさか毒ガスじゃ……」
「いやいや、さすがにここで、毒ガスは使わないって。
拡散性を抑えていると言っても、ここの職員に致命的な被害が出たらマズイじゃん」
夏樹は「あれは……」と、色調別に煙の効果を説明した。
「赤の煙を吸い込めば、酩酊感によって判断力が低下し、青の煙を吸い込めば、幻覚症状を引き起こす。
緑は皮膚に付着すると、転げ回るほどの痛痒感が発生する。
紫は平衡感覚を失い、オレンジは睡魔に襲われる。
黄色は激辛パウダーで味覚、嗅覚、視覚を麻痺させる。
おまけのピンクは発情」
「は、発情……」
由美香が呆気にとられた顔になる。
説明を終えた夏樹は、屋上の端へと移動した。
「と言うわけで、いくら三つ首の魔犬でも、悶絶して、戦闘不能になっているはずさ」
落下防止用の鉄柵の間から下をのぞき込み、中庭でダウンしているケルベロスを確認しようとした瞬間、強烈な怒気と殺気が、颶風のように建物の外壁を駆け上がってきた。
「ッ!」
それを感じ取ると同時に、夏樹は、のけ反りながら大きく飛び下がった。
次の瞬間、下から上へと鉄柵を引き裂き、三つ首のシルエットが夏樹の目の前に現れた。
もし、あのまま下を覗き込んでいれば、夏樹の首から上が、ズタズタになっていたタイミングである。
勢いのままに、いったん空中にまで駆け上がったシルエットは、そこで身を捻じって、屋上に降り立った。
ガス地獄から抜け出してきた、ケルベロスであった。
右の首は、真っ赤に充血した目を見開き、眼球を洗うためであろう、大量の涙を流しながら、苦痛に顔を歪めている。
こいつは、あのガスの中で、『視覚』を担当していたのであろう。
左の首は、血の混じった涎を流しながら、ガフガフと咳き込み、前肢で自身の鼻をかき毟っている。
こいつは、あのガスの中で、『嗅覚』と『呼吸』を担当していたのであろう。
そして、ガスの中で『視覚』『嗅覚』『呼吸』を遮断していた真ん中の首が、ゆっくりと口を開いた。
続いてスリット状に閉じていた鼻孔が開くと、大きく息を吐き出した。
吐き切ると、今度は大きく息を吸い込む。
きつく閉じられていた双眸が、ゆっくりと開いた。
金茶色の眼が、夏樹と由美香を睨みつける。
口吻がめくれると牙がむき出しになり、瘴気と共に唸り声を漏らした。
この首は、ほとんどダメージを受けていないようであった。
……マズイ。この犬、想像以上にクレバーだ。
……しかも、怒り狂ってる。
……防御? 逃走? カウンター?
焦り、『紋様』の選択に迷ったとき、夏樹はそれに気づいた。
この施設は、建物がコの字型に建てられている。
夏樹たちがいる建物は東棟であり、北棟と繋がり、北棟は西棟とも繋がっている。
この三棟の建物に囲まれた場所が中庭である。
当然、東棟の対面は西棟となる。
その西棟の屋上から、何者かが、こちらに向かって跳躍をしたのだ。
東棟と西棟との距離は、70メートルを超えている。
人間の跳べる距離ではない。
しかし、その人影は西連から40度ほどの仰角で跳ぶと、ゆるやかな放物線を描いて、ぐんぐんと接近してきた。
間違いなく、魔法の力を使用している。
あっと言う間に人影の姿が鮮明に見えてきた。
迷彩は入っていないが、自衛隊が着るような戦闘服を着ている。
男であった。
両手を頭の後ろまで振りかぶり、全身を弓なりに反らした体勢をとっている。
すでに放物線の頂点を超えているため、その姿で一気に下降してきた。
顔が判別できた。
夏樹は自身の目を疑った。
まさか……、いや、間違いない。
夏樹は、ケルベロスの背後に落ちてくる男を知っていた。
光翼戦士団を束ねていた、伝説の戦士。
勇者アイク・アモンである。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!
伊桜らな
ファンタジー
家業パン屋さんで働くメルは、パンが大好き。
いきなり聖女召喚の儀やらで異世界に呼ばれちゃったのに「いらない」と言われて追い出されてしまう。どうすればいいか分からなかったとき、公爵家当主に拾われ公爵家にお世話になる。
衣食住は確保できたって思ったのに、パンが美味しくないしめちゃくちゃ硬い!!
パン好きなメルは、厨房を使いふわふわパン作りを始める。
*表紙画は月兎なつめ様に描いて頂きました。*
ー(*)のマークはRシーンがあります。ー
少しだけ展開を変えました。申し訳ありません。
ホットランキング 1位(2021.10.17)
ファンタジーランキング1位(2021.10.17)
小説ランキング 1位(2021.10.17)
ありがとうございます。読んでくださる皆様に感謝です。
最底辺の転生者──2匹の捨て子を育む赤ん坊!?の異世界修行の旅
散歩道 猫ノ子
ファンタジー
捨てられてしまった2匹の神獣と育む異世界育成ファンタジー
2匹のねこのこを育む、ほのぼの育成異世界生活です。
人間の汚さを知る主人公が、動物のように純粋で無垢な女の子2人に振り回されつつ、振り回すそんな物語です。
主人公は最強ですが、基本的に最強しませんのでご了承くださいm(*_ _)m
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
聖女の妹は無能ですが、幸せなので今更代われと言われても困ります!
ユウ
ファンタジー
侯爵令嬢のサーシャは平凡な令嬢だった。
姉は国一番の美女で、才色兼備で聖女と謡われる存在。
対する妹のサーシャは姉とは月スッポンだった。
能力も乏しく、学問の才能もない無能。
侯爵家の出来損ないで社交界でも馬鹿にされ憐れみの視線を向けられ完璧を望む姉にも叱られる日々だった。
人は皆何の才能もない哀れな令嬢と言われるのだが、領地で自由に育ち優しい婚約者とも仲睦まじく過ごしていた。
姉や他人が勝手に憐れんでいるだけでサーシャは実に自由だった。
そんな折姉のジャネットがサーシャを妬むようになり、聖女を変われと言い出すのだが――。
滅びの国の魔女紀行
浅里紘太(kou-sh)
ファンタジー
灯りの魔法使い「メイナ」。灰の魔法使い「リティ」。
このふたりが、『氷の年』に滅んだ世界で北の聖地を目指す、文芸寄りのハイファンタジーです。
エピソード単位で起承転結があるので、短編集みたいな読み方もできます。気楽にお楽しみください。
▼見どころ
主人公のふたりは、ごく限られた魔法の力だけを頼りにサバイバルをしながら、『氷の年』によって滅んだ世界をゆるく旅をします。
静かでやさしくも、ときに切なく、ときに熱いお話です。
▼キャラクター
◇メイナ
灯りをともす魔法を使える、赤髪の脳天気な少女。
口癖は「レガーダ」(彼女が崇拝する筋肉の神様らしい)
◇リティ
触れた物を灰にする魔法を使える、銀髪の寡黙な少女。灰の魔法は体の負担が大きく多用不可。自分の力を嫌っている。
◇アズナイ
ふたりの師匠で結晶の魔法使い。ふたりを『氷の年』から守るために結晶に閉じ込めた。
▼舞台
◇レイゴルム王国
ミュートの祝福により大地を預かったとされる、レイゴルム王家が支配する王国。
氷の年によってすべてが凍てついて滅びた。
◇北の聖地ファナス
北のはてにあるミュートを祀る聖地とされる。
詳細はレイゴルム王家のみが知る。
▼神話
◇女神ミュート
原初の氷より万物を生み出したとされる女神。
『氷星』のシンボルによって象徴される。
◇太陽神アルガーダ
ミュートの弟であり、太陽などの天体や豊穣を司る。
『黄金の円』のシンボルによって象徴される。
◇戦神レガーダ
アルガーダの弟であり、勇気と冒険と戦争を司る。
『斧』のシンボルによって象徴される。
※当作品はカクヨムでも連載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる