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魔犬追撃

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 「い、今のは!?」
 屋上で姿勢を立て直した由美香が、驚いた目を夏樹に向けて言う。
 いきなりケルベロスを釣るエサにされた挙句、空中高く引っこ抜かれ、屋上に移動させられたのだ。
 あまりの急展開のためか、大きな目が驚愕に見開いたままになっている。

 「あのカラフルな煙?
 綺麗だったろ。
 拡散性を抑えたガスだよ」
 夏樹が答えると、由美香の顔が強張った。
 「まさか毒ガスじゃ……」

 「いやいや、さすがにここで、毒ガスは使わないって。
 拡散性を抑えていると言っても、ここの職員に致命的な被害が出たらマズイじゃん」
 夏樹は「あれは……」と、色調別に煙の効果を説明した。

 「赤の煙を吸い込めば、酩酊感によって判断力が低下し、青の煙を吸い込めば、幻覚症状を引き起こす。
 緑は皮膚に付着すると、転げ回るほどの痛痒感が発生する。
 紫は平衡感覚を失い、オレンジは睡魔に襲われる。
 黄色は激辛パウダーで味覚、嗅覚、視覚を麻痺させる。
 おまけのピンクは発情」
 「は、発情……」
 由美香が呆気にとられた顔になる。

 説明を終えた夏樹は、屋上の端へと移動した。
 「と言うわけで、いくら三つ首の魔犬でも、悶絶して、戦闘不能になっているはずさ」
 落下防止用の鉄柵の間から下をのぞき込み、中庭でダウンしているケルベロスを確認しようとした瞬間、強烈な怒気と殺気が、颶風のように建物の外壁を駆け上がってきた。

 「ッ!」
 それを感じ取ると同時に、夏樹は、のけ反りながら大きく飛び下がった。
 次の瞬間、下から上へと鉄柵を引き裂き、三つ首のシルエットが夏樹の目の前に現れた。
 もし、あのまま下を覗き込んでいれば、夏樹の首から上が、ズタズタになっていたタイミングである。

 勢いのままに、いったん空中にまで駆け上がったシルエットは、そこで身を捻じって、屋上に降り立った。
 ガス地獄から抜け出してきた、ケルベロスであった。

 右の首は、真っ赤に充血した目を見開き、眼球を洗うためであろう、大量の涙を流しながら、苦痛に顔を歪めている。
 こいつは、あのガスの中で、『視覚』を担当していたのであろう。
 左の首は、血の混じった涎を流しながら、ガフガフと咳き込み、前肢で自身の鼻をかき毟っている。
 こいつは、あのガスの中で、『嗅覚』と『呼吸』を担当していたのであろう。

 そして、ガスの中で『視覚』『嗅覚』『呼吸』を遮断していた真ん中の首が、ゆっくりと口を開いた。
 続いてスリット状に閉じていた鼻孔が開くと、大きく息を吐き出した。
 吐き切ると、今度は大きく息を吸い込む。

 きつく閉じられていた双眸が、ゆっくりと開いた。
 金茶色の眼が、夏樹と由美香を睨みつける。
 口吻がめくれると牙がむき出しになり、瘴気と共に唸り声を漏らした。
 この首は、ほとんどダメージを受けていないようであった。

 ……マズイ。この犬、想像以上にクレバーだ。
 ……しかも、怒り狂ってる。
 ……防御? 逃走? カウンター?
 焦り、『紋様』の選択に迷ったとき、夏樹はそれに気づいた。

 この施設は、建物がコの字型に建てられている。
 夏樹たちがいる建物は東棟であり、北棟と繋がり、北棟は西棟とも繋がっている。
 この三棟の建物に囲まれた場所が中庭である。
 当然、東棟の対面は西棟となる。
 その西棟の屋上から、何者かが、こちらに向かって跳躍をしたのだ。

 東棟と西棟との距離は、70メートルを超えている。
 人間の跳べる距離ではない。
 しかし、その人影は西連から40度ほどの仰角で跳ぶと、ゆるやかな放物線を描いて、ぐんぐんと接近してきた。
 間違いなく、魔法の力を使用している。

 あっと言う間に人影の姿が鮮明に見えてきた。
 迷彩は入っていないが、自衛隊が着るような戦闘服を着ている。
 男であった。
 両手を頭の後ろまで振りかぶり、全身を弓なりに反らした体勢をとっている。
 
 すでに放物線の頂点を超えているため、その姿で一気に下降してきた。
 顔が判別できた。

 夏樹は自身の目を疑った。
 まさか……、いや、間違いない。
 夏樹は、ケルベロスの背後に落ちてくる男を知っていた。

 光翼戦士団を束ねていた、伝説の戦士。
 勇者アイク・アモンである。

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