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ケルベロス

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 一歩、二歩……。
 ケルベロスがゆるゆると前に出る。
 頭を順に振り、耳を立て、鼻をひくつかせる。
 まだ、夏樹と由美香の居場所を特定した様子は無い。

 ケルベロスは、三歩目で向きを変えた。
 そこからまた、一歩、二歩と歩き始める。
 「……ラーナット・マイン!」
 ケルベロスが五歩を踏み出したとき、夏樹は、指向性爆破トラップを起動させた。
 さっきまで立っていた地面に、『紋様』を足で打ち込んでおいたのだ。
 ケルベロスの右側面、至近距離から爆炎が襲い掛かった。

 が、ケルベロスは、素早いバックステップでこれを避けた。
 右の首が、いち早く罠の起動を察知したのである。
 「ラーナット・マイン!」
 夏樹は二つ目のトラップを起動させたが、これも軽々と避けられた。
 激しい火線は、ケルベロスの前を抜けると、施設の外壁を破壊したのである。

 さらにもう一発。
 これも三つ首の魔犬はかわした。

 「!」
 由美香が身体を硬直させた。

 ケルベロスは三発のトラップを避け、最初に現れた場所とは、離れた位置へ移動した。
 最悪なことに、移動したその場所からだと、隠れていた夏樹と由美香が丸見えになるのだ。
 ケルベロスの立つ位置から、この樫木の横までの間には、何一つ遮蔽物が無い。

 気づいた中央の首が、金茶色の目で、こっちを睨んだ。
 首の回りで禍々しい毒蛇がうごめく。
 ケルベロスは、夏樹の罠を避けたことで、こちらを視認したのである。

 距離は約20m。
 夏樹と由美香の背後は、五階建ての施設の壁があり、逃げることができない。
 ケルベロスの両サイドの首は、左右を警戒して揺れている。
 右か左、どちらかに逃げても、即座に反応するのであろう。
 
 由美香は、銃口をケルベロスに向けるタイミングをつかめなかった。
 おそらく、その動きを始めた瞬間に、三つ首の魔犬は襲い掛かってくる。
 全弾叩き込んだとしても、効果があるとは思えない。

 ……だけど。
 由美香の頬を汗が流れる。
 彫像のように動きを止めていても、魔犬は襲い掛かってくる。
 おそらく、ケルベロスが動くまで、あと何秒も無いはずである。

 「……今は、撃たなくていい」
 由美香の葛藤を察した夏樹が静かに言うと、由美香の腰に手を回して引き寄せた。
 「ふ、ふざけないで!」
 小声で鋭く由美香が言う。

 「今の三発がよけられたのは計算通り。
 エサに食いつきやすくさせる位置に移動させたんだよ」
 「エサ……って?」
 夏樹の言葉に嫌な予感を覚え、由美香の顔が緊張する。
 
 「もちろん、おれと由美香ちゃん」
 夏樹が答えた瞬間、ケルベロスが二人に向かって動いた。
 駆けたのは、最初の二歩だけである。
 その二歩で速度をあげ、後は跳躍して、襲い掛かってきたのだ。
 中央の首は、鋭い牙を剥き出しにしている。

 夏樹は由美香の腰を引き寄せたまま動かない。
 迫るケルベロスとの距離が1mを切り、由美子が死を覚悟したとき、ギギィンと甲高い音が鳴った。
 ケルベロスの身体が空中で止まる。

 後肢を地面につけ、立ち上がったような姿勢になったケルベロスは、咆哮をあげながら、夏樹と由美香の目の前で、何か見えないものに爪を立て、咬みついていた。
 「ステルス・ケージ」
 夏樹が引きつった笑みで言う。

 夏樹は視認できない強固な檻を出現させ、その中に、由美香と共に入っていたのだ。
 しかし、ケルベロスは、目と鼻の先でゴウゴウと吼え、見えない障壁を鋭い牙で嚙み砕こうとしている。
 腰が抜けそうになるほどの迫力である。

 夏樹と由美香の周囲で、ビキッ、バキンと何かが破壊されていく音が鳴り始めた。
 ステルス・ケージが、ケルベロスの爪と牙によって壊れていく音である。
 「ひッ!」
 由美香が短い悲鳴をあげる。

 と、夏樹は由美香の腰をさらに引き寄せた。
 「バ、バカッ!」
 「手を合わせないと『紋様』が起動しないだろ!」
 押し返してくる由美香を強引に右手で引き寄せた夏樹は、右掌と左掌を打ち合わせた。
 「篭脱けッ!
 からの、ヘルズ・フェスティバル!」
 夏樹が唱えた二つの起動言語に、ステルス・ケージが砕けた音が重なった。

 ケルベロスの牙が届く寸前、夏樹たち二人は引っこ抜かれたような速度で、垂直に飛んだ。
 背後にあった五階建ての施設の高さを大きく越えたところで、加速が鈍り始める。
 さっきまで夏樹を押しのけようとしていた由美香が、慌てて夏樹にしがみつく。

 「ほらほら、下、下!
 すっげー、カラフルだぞ!」
 夏樹が状況にそぐわない、能天気な声をあげた。

 思わず由美香は、目を開けて地上を見た。
 中庭、さっきまでケルベロスに襲われていた場所を中心に、赤、青、緑、黄色、ピンク、紫、オレンジと、球形の派手な煙が次々と膨れ上がっていた。
 色の付いた気体同士は反発性があるのか、接触しても混ざり合うことは無く、押し合っているように見える。

 極彩色の煙に飲み込まれ、ケルベロスの姿は確認できない。

 「な、なんなの? あれ」
 由美香檻が思わずつぶやいたとき、上昇が止まり、加工が始まった。由美香檻が思わずつぶやいたとき、上昇が止まり、加工が始まった。腰から下が、スッと冷たくなるような感覚に襲われる。

 が、二人はゆるやかに滑空するように空中を移動し始めた。
 施設の屋上が脚の下に迫ってくる。
 「ほい、着陸用意。
 慣性の法則って分かるだろ。
 着地と同時に走らないとこけるぞ」
 夏樹が由美香に注意を促す。

 優雅にふわりと着陸はできなかったが、五、六歩で勢いを殺し、二人は屋上に降り立った。




 
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