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テラゾラス
しおりを挟むナッツが叩いた場所の床が、濁った深緑色に変色する。
その変色した部分が、水面に映る魚影のように、スルスルとジェーマインに近寄って行った。
この変色した影に触れれば、即効性の猛毒に侵される。
魔王ともなると、毒防御・無効化ていどの防御魔法は、常時発動しているはずだが、ジェーマインは足元に迫った毒の床から、ふわりと飛びのいた。
いくら無効化できると言っても、触れないで済むなら、おぞましいものには触れたくないと言うのが心理である。
その隙に、壁際まで転がったナッツは、なんとか立ち上がった。
ナッツは、手をついた壁に、幾つもの杖が掛けられていることに気付いた。
ただの杖であるはずがない。間違いなく、魔法の力が宿る杖である。
使えるか!?
ナッツは女神像が彫られた杖に手を当てた。
その瞬間、ゾワリと悪寒が走った。
驚いて手を引っ込め、掌に『紋様』を組み直してから、再び触れる。
強烈な悪寒は防げない。
女神の杖だけではなく、鬼面の杖、ねじれた杖、双竜の杖、宝玉の杖……、どれも触れるだけで、脱力し、精神が蝕まれそうになる。
呪われているのだ。強引に使えば、麻痺、混乱、行動停止など、とんでもないことになるはずであった。
「まあ、当然だよな」
ナッツは呪いの杖が掛けられた壁から離れる。
ジェーマインが執拗に追いかけてくる毒の床を焼き払ったところであった。
「お前の攻撃は、つまらぬな」
ナッツに視線を向けたジェーマインは、指先で呪印を結び、魔法の発動ワードを口にした。
「螺角」
「がッ!」
凄まじい衝撃がナッツを正面から襲い、内臓を大きく捩じりながら背中に抜けた。
ハンクに防御力アップの魔法をかけてもらっていなければ、心臓も肺も胃も、ズタズタに捩じり潰されて、即死していたかも知れない。
しかし、それでも衝撃は強烈で、内臓を硫酸の炎で炙られるような激痛に、ナッツの意識は飛びそうになった。
意識を保て!
ナッツは自身を叱責し、目を見開き、ジェーマインの立つ場所を確認した。
毒の床が焼失したため、転がっている三体の甲冑まで、あと一歩の位置に留まっている。
「レイジング・インパクト!」
ハンスが破邪の剣で衝撃波を放ち、ジェーマインは、その一歩を移動した。
それを見届けたナッツの背に、ブヨブヨとしたゼリー状のものが触れた。
そのままナッツは、そのゼリー状の物体に全身を包まれた。
ナッツの視界が水中に入ったように揺れる。
揺れる視界の中で、ジェーマインは、甲冑の前に立っていた。
「かりそめの眠りから覚めなさい。その人を捕らえるのです」
耳元で囁くような甘い声がし、ナッツはゾクリとした。
召喚士、リーゼ・キストナーの声である。
リーゼは、ナッツへ語りかけたのではない。
すでに召喚していた二体の付喪神へ命じたのだ。
付喪神は、古い道具などに依代にする精霊とも妖怪とも言われている。
依代にした道具に同化、または憑依して操る。
リーゼは召喚した二体の付喪神を甲冑に憑依させていたのだ。
見えない糸で引っ張られたように立ち上がった二体の甲冑は、ジェーマインに抱きつき、その動きを止めようとした。
「傀儡か!」
ジェーマインが意識を向けると、それだけで甲冑は吹き飛んだ。
しかし、その間に、ハンクとエルシャが、左右からジェーマインに接近していた。
ハンクが斬撃を放つ。
ジェーマインが右手で受ける。
エルシャが逆方向から回り込む。
「この命を贄とし、魂を黒き爆炎とする」
術の効果範囲までジェーマインに近づき、自爆呪文の詠唱が終わった。
自爆魔法特有の、急激な魔力の圧力の上昇が皆無であったため、ジェーマインは、この瞬間まで自爆呪文の詠唱に気付いていなかった。
気づいた瞬間、さすがに顔が強張った。
「きょくだいばくはつ! てらぞらす!」
舌足らずで少し甲高い声が、発動ワードを叫んだ。
……何も起こらない。
当然である。テラゾラスの呪文を唱えていたのは、エルシャが胸の谷間に隠していた、オウムルンだったのだ。
この卵型で寸詰まりの体型をした変な鳥は、教えられた言葉を発するだけの召喚獣である。これも前もってリーゼが召喚し、エルシャに預けていたのだ。
なんの魔力も持っていないため、テラゾラスを唱えても何も起きない。
ジェーマインの顔が歪んだ。
騙された恥辱のためではない。転がっていた三体目の甲冑の下から、細い手が素早く伸びると、黒いレイピアで、ジェーマインの脇腹を貫いたのだ。
暗殺者、シモン・ヴァルゴの一刺しである。
魔王をポイズン・スティングレイで移動させ、付喪神が憑依した甲冑で牽制し、偽のテラゾラスで注意を引く。
シモンは最初から隠密行動をし、最良のタイミングを計って魔王を刺す。
幾つかのアドリブは入ったが、ここまでは、奇跡的にも、ナッツたちの事前の打ち合わせ通りに戦いは進んでいた。
シモンの持つ黒いレイピアには、魔法防御を無効化する呪紋処理がされているため、その切っ先は、魔王の体内に深く突き刺さっている。
そして、もちろん、事前の打ち合わせは、この先も練っていたのだ。
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